第5話 いや、男じゃ、ないんだけど……

 触れかけた唇。月岬の両肩を持って、俺はすんでのところでそれを押しとどめた。


 月岬がびっくりした顔を見せる。そのままコクンと、月岬の喉を水が落ちて行った。


 あれ? 喉……なんか、なんだろ……


「何?」

「え? い、いや、なにって、何するつもりだ?」

「だから、魂込めの、儀式」

「そりゃ分かってる。ってか、水くらい自分で飲むから」


 まったく、危うく『チッス』をするところだった。

 男と。


 ……一瞬、いいかなとか思ってしまった自分が恐ろしい。


「ボクが飲ませないと」

「だめなのか?」

「うん」

「んじゃ、その盃をこっちに」

「それじゃ、だめ」


 月岬は、眉を真ん中に寄せながら、顔を左右に振った。その仕草、クールな顔立ちとは裏腹に、どこか可愛らしい。


 こいつが女だったらな……なんて、べ、別に、思ってないぞ?


「なんでだよ」

「この水は『溶媒』に過ぎない。これは、ボクの魂をキミに分け与える儀式だから」

「いや、あのな、お前と俺は男同士だ。そういうことはだな」

「そういうこととは?」

「いや、だって、その、あれだ」

「どれ?」


 わざと言ってるのか、それともガチで聞いてるんだか……


「男同士でキスするってことだろ?」


 あー、とうとう言ってしまったよ。儀式なんだから儀式ってことにしときゃいいのに。自分でもそう思わなくも、ない。


     「男同士じゃ、ない」

 唐突にボソッと、本当にボソッと、月岬がつぶやいた。あまりにもボソッと過ぎたので、聞き逃してしまった。


「えっと、今、なんて言った?」


 そう聞き返したのだが、月岬は左手の人差し指を口に当て、少し考えながら俺を上目遣いで覗き込む。


「な、なに?」

「いや、その……ボクとは、嫌、かな」


 それを! それを聞くのか、お前は!!


「良いとか嫌とか、そういう問題じゃなくて、というか、お前はいいのか?」


     「君となら、別に」

 あまりにもボソッと過ぎるつぶやき弐号機。また聞き逃してしまった。


「えっと……なんて?」


 聞き返した二回目。なんだろ……月岬の表情が一変した。『上目遣い』が消し飛び、今や射殺すように俺を見つめている。


「これはキミを死なせてしまったボクの責務だ。しなければ、キミはそのまま腐り果てる。それだけのこと」


 口調にも刺すような鋭さが宿っている。


 なじぇ? なじぇに?

 何で怒るんだよ……


「わ、分かった、分かったよ。言っておくけど、別に、嫌ってわけじゃないなから、誤解はするなよ」


 何が誤解なんだか、自分でもちょっと何言ってるのか分かんない状態だが、俺は意を決した。


 うん。俺も男だ。どんとこい。


 月岬は、俺を睨みながら盃を再び自分の口元へと持っていく。二人の視線が交差し、火花を散らす。


 と、月岬の顔がいきなり赤くなった。


「そ、そんなに見つめないでくれる、かな。できたら、その、目を閉じて」


 なんだよ、どういう反応だよ。


「わ、わかった」


 言われた通り、目を閉じた。


 しばらくして、月岬の気配が俺の顔の前に現れる。俺の鼻孔を、柑橘系のフレーバーがパスバイして……なんてことはなかった。

 安心しろ、鼻は死んでる。どんな匂いなんだろ……とか、思ってないから。ほんとに。

 あ、いや、ちょっとだけ嘘ついたかも。


 そして、果てしなく柔らかいものが、俺の唇へと押し付けられた……


 目を開けたくなるのをぐっと我慢。

 軽く開いた口の中へ、少し生ぬるい液体が注ぎ込まれる。


 味はしない。味が無いのか、それとも俺の舌が馬鹿になっているせいで感じないのか。いや、というより、唇に触れるその感触が……


 いやいやいやいや、飲め、飲みこめ、いらん事考えるな!


 ということで、俺はその液体を飲み込んだ。


 柔らかい感触が、俺の唇から離れていく……


 目を開けた。

 まさに文字通り、目と鼻の先で月岬が俺を見つめている。

 顔は……赤いままだ。


「こ、これで終わりか?」

「うん、どう?」


 月岬の吐息がかかる。

 柑橘系のフレーバーが……パスバイしてる! 匂う、匂うぞ!!


「嗅覚がもどった」

「良かった」


 あまり良さそうなニュアンスもなく、月岬がそう答える。

 こうしてみると、本当に睫毛が長い。なんだろ、ドキドキしてきた。


 ……男だけど。


「ってか、魂込めの儀式って、前もやったんだよな?」

「うん」

「……そ、そっか」


 何のことはない。俺には記憶がないが、月岬はこれが二度目なのだ。何だか申し訳ない。


「前のは失敗だったのか?」

「いや。ボクが分け与えるものは単に『仮初めの魂』でしかない。だから持っても三日くらい。キミの魂は、まだ『あそこ』にある」


 ……


「なに、じゃあこのままだとまた腐るのか、俺の体」

「そう、だね」


 なんてこった!


「じゃあ何か。俺はこの先ずっと、お前に『儀式』をしてもらわなきゃだめなのか?」


 それもいいかも……とか、思ってないから。


「魂込めの儀式は、三回までが限度、なんだ」


 ……いや、待て。待ってくれ。まじかよ。


 儀式はもう二回行われている。

 なら、俺、余命六日か?

 ゾクッと、背筋に冷たいものが走った。


「お、おい、どうすりゃいいんだ。死にたくはないぞ」

「キミの魂を、取り返しにいかないと、だめ、かな」

「魂を取り返す? どうやって?」


 突然、あの時の感触――異形の大男が振り下ろした巨大なこん棒が俺の体にめり込む、その感触が蘇る。

 骨が砕け、肉が飛び散る感触――


「一緒に、もう一度あの場所へ」


 月岬は、俺の手を握るとそう囁いた。

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