モラトリアム
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お題「男子」30分+αで書いたもの。やや男の子たちの距離が近い。
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冬の暮、海風がふく頃である。
学生服を着た少年が波と戯れている。ローファーは波打際に脱ぎ捨てられ、学生鞄は波に濡れていた。少年は指先を浸し、海水をすくい上げると、橙色の空に向かって放り上げた。少年が声も出さずに笑う。
少年の足元に海藻がまとわりつく。無造作に掴み、沖へ向かって放り投げた。海水に濡れた海藻は腕に纏わりついて上手く飛ばなかった。
少年の笑い声が人気のない海水浴場に響いた。
気が付けば、少年の太ももまで濡れていた。……
一台の自転車が海水浴場の前に止まる。続いて、派手に自転車の倒れる音がした。
その音に気付いた少年が海岸を振り返る。もう波は少年の胸にかかっていた。
「鈴谷ァ!」
少年に向かって誰かが走ってくる。逆光になった影が少年の名前を叫んだ。
「……片瀬」
少年が思わずと言った風に呟いた。
「鈴谷! お前絶対そっから動くなや! ええか!」
片瀬が海に入る。波に足を掬われ、片瀬の上体が傾く。波しぶきがあがって、片瀬の体が波の中に消えた。
「片瀬」
すぐさま波の中から片瀬の顔が現れる。苦しそうに咳込んでいる片瀬に少しずつ歩み寄ると、腕を掴まれた。力強く腕を引かれて、鈴谷の顔が片瀬に引き寄せられる。
鈍い音がした。一拍遅れて鈴谷の額に痛みが走った。目の前の片瀬の額が赤くなっている。
「なんっしとんねん!」
鈴谷の耳元で片瀬が叫んだ。
「なんって……お前こそ何しとんの。こんな寒い時に」
「こっちのセリフやからな!」
片瀬が鈴谷の腕を掴むと、海岸に向かって歩き出す。
「帰るで!」
波に引きずられるように、歩く。二人の背を照らしていた太陽が水平線に沈んでいった。……
二人は砂浜の上に倒れこむ。濡れた服が空気に触れ、鈴谷は身震いした。隣では片瀬が肩で息をしている。
「どういうつもりや」
鈴谷を横目で睨んだ。荒い息の合間にこぼれた言葉に怒りの色が乗っている。鈴谷は、とっさに口ごもった。片瀬の手が鈴谷のワイシャツの襟を掴む。砂まみれの手が頬をかすっていった。
「黙っとったらごまかせる思たら大間違いやからな」
「……なんや、勘違いしとるみたいやけど」
鈴谷が気まずそうに口を開いた。
「俺、学生証探してただけなんやけど」
「……は?」
気の抜ける声があがった。慌てて鈴谷が付け加える。
「ちゃうねん。風で飛ばされたんやけど、途中から見えんくなってしもて。なんかやけになって遊んでたらいつの間にか沖に出ててな? やから死のうとか全然そんなんやないで?」
「なんやねんそれ!」
片瀬が手を離した。そのまま力なくうなだれる。鈴谷は居たたまれなさを覚えた。
「絶対寒さで頭おかしなっとるやろ、お前……」
「あ、それはあるかもしらん。なんや一周回ってあったかいような気ぃしてたし」
「暢気に言うとる場合か! ボケ!」
片瀬が勢い良く立ち上がった。砂まみれになったスラックスを払うと手を差し伸べる。
「はよ帰るで。これで風邪ひいたらお前のせいやからな」
夕闇のなかでも、片瀬が呆れた顔をしているのがよく分かった。鈴谷は手を取ると立ち上がり、片瀬の顔を覗き込んだ。海水に濡れた頬に、砂がついている。
「なあ、片瀬」
「なんやねん、もう……」
「心配してくれて、ありがとお」
黙って、片瀬が目を逸らした。振り払われそうになった手を、鈴谷は力を入れて握りしめた。
「ちょっ、離せや」
「いやや」
「はあ?」
「んふふ、やってなあ」
片瀬の手を握ったまま、歩き出す。遠くに民家の明かりが二つ、並んでみえた。
「やって、片瀬、冬の海に飛び込んでまで俺を止めようとしたやん? なんか、それがめっちゃ嬉しいねん。そんだけ俺のこと好きってことやんなあ」
今度こそ、片瀬が手を振り払って駆け出した。片瀬が走りながら叫ぶ。
「も~うっさいねん、お前は! ええから! さっさと帰んで!」
「ふふ、はあい」
色の変わったばかりの空には一番星が昇っている。二人は濡れた体を寄せながら、早足で帰路についた。
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