魔法使いマリールのハッピー雑貨店
吉備田キビ
第1話
「いつまで寝てるんですか! お師匠様!」
『ハッピー雑貨店』の小さな店舗兼住居に、小柄な少年の怒鳴り声が響き渡った。
「なんじゃ、トム、こんな朝早く」
ベッドで寝ている少女のような外見の女性は、ベッドの掛け布団をぐいっと引っ張り、もぞもぞと潜って丸くなる。
少年より年上で一応、成人なのだが、身長も体型もさほど変わらない。
しかしこれでも一応トムの師匠であり、ハッピー雑貨店の店長、魔法使いマリ―ルである。
「駄目ですよ!」
トムは掛け布団をはがそうとした。
「こんな朝早くに出勤するなと言ったじゃろう」
すかさず、布団をしっかり握り、絶対に渡さないぞと意思表示をする。
「今日は、駄目です!王立魔法学院の受験日なんですから!」
あっそうだったかと、マリ―ルが手を緩めると、トムが後ろによろけて尻もちをついた。
急に手を離さないでくださいよ……、と文句が聞こえる。
今日は、国内有数の魔法教育研究機関である、王立魔法学院の年に1度の入学試験の日で、朝から試験のお守りを求めて受験生達が並ぶ、かきいれどきであった。
とはいえ、マリ―ルはやる気が出なかった。
しょせん気休めのお守りなのだ。
もともとかきいれどきだからと、この日だけしぶしぶ働いていたのものを、昨年は、ここのお守りのせいで落ちたなどと吹聴する者が出たので、余計にやる気を失ってしまった。
「また苦情を言われるだけじゃ、わしは寝る」
そう言って布団をかぶろうと手を伸ばすと、それより素早くトムに取られてしまった。
「む、布団を返すのじゃ」
「駄目です!こんなに稼げる日は他にないんですから!今日だけは働いてください」
それから押し問答を繰り返したが、しっかり者のバイト少年はこの日だけは、と絶対折れない。
これ以上の不毛なやり取りをするのは不本意なので、マリ―ルはしぶしぶ起き上がり、顔を洗い身支度をすることにした。
トムは、マリ―ルが起きたのを見届けると、満足そうに1階へ下りて行った。
放っておくともこもこと膨らむ長い髪を三つ編みにまとめながら、カーテンの隙間から外を覗いた。
20人程の若い受験生と思われる者達が、店の扉の前に立っていた。
朝はまだ冷えるというのに、ご苦労なことじゃ。とマリ―ルは思った。
外はまだ薄暗い。しかもこの『ハッピー雑貨店』は、大通りから横道に入った通りにあり、細くて建物が多いので余計に暗くて寒い。しかし、試験会場へは比較的近いので、このまじない屋で試験合格のお守りを購入して、そのまま大通りへ出て王立魔法学院へ行くのだろう。
階下へ下りていくと、トムから
「遅いですよ」
と、小言を言われてしまった。
「まだ外は寒いし、試験開始時間までに行かなくてはならないんですから、待たせるのはかわいそうじゃないですか」
「まじないがなければ受からん奴は、最初から受からんのじゃ」
「また、そんな冷たいことを。去年のいちゃもんを真に受けずに来てくれた貴重な人達なんですから、大事にしてください」
正直なところを言えば、わざわざ大事な日にこんな寒い所へ並んで貴重な時間と体力を消耗するよりまっすぐ試験会場へ行って、体を温めた方がいいと思う。
実際に、このまじないというのは本当に気休めなのだ。
魔法学院の試験に、魔法で作られた物は持ち込めない。
筆記試験と実技試験があるが、どちらも不正防止のために結界が張られる。
そのため、事前に許可された道具以外は魔法のかかった物は持ち込めないのである。
だから、ここで販売する「お守り」というのは、リラックス効果のある香りのハーブを詰め、魔法が入らない程度の念を込めた小袋のことだ。
受験生達もそれは分かっている。
つまり、完全なゲン担ぎである。
その念を込める時に、形ばかりのパフォーマンスを行うのだが、それを見ると気が引き締まるという意見も少数ながらあるにはある。
それから「合格した先輩達がここのお守りを持っていた」という口コミもこれまた極わずかにあった。
そのおかげでこの時期は、ひと月の半分程度の売上を1日で稼ぐことが出来るのである。 本来であれば。
ただでさえ、やる気のない店主のせいで大通りの魔法ショップに遅れをとっているというのに、今年はさらに人が少ない。
このままでは、店じまいになってしまわないかと、トムは心配していた。
「お師匠様、僕は妹と弟に義務教育は受けさせてやりたいんです」
「それは良い心がけじゃな」
うむうむ、と満足そうにうなずくマリール。
若いうちはすいすいと頭に入ってゆく、幼い頃から学ぶのは良いことじゃと偉そうに言った。
「でも、お店がつぶれちゃって僕のお給料が入らなくなったら、それも無理なんですよ!
かわいそうに、かわいい僕の妹と弟、そして病気の母が路頭に迷い、僕もキツイ労働に従事するはめに……」
トムは哀れっぽい演技をしてみせたが、マリ―ルはうえっという顔で応じた。
「ああ、ほらほら。外の受験生達、無駄話で貴重な時間をさらに奪ってはかわいそうじゃ。店を開けるぞ」
慌ただしく歩くと古い板張りの床は、ドタドタと大きな音を立てた。
階段から降りてすぐ、会計を行う細長い机がある。
天井には大きな梁があり、ハーブやランプや、魔法グッズがたくさんぶら下がっている。
会計机の先に、店の扉があった。扉の左側には格子の入った大きなガラス窓があり、そこから通りが見えるのだが、まだ厚いカーテンが閉まっている。
そして窓の下には大きなテーブルがあり、やはり鉱石や宝石などの魔法やまじないに関係する商品が所狭しと並んでいた。
いつもは開店前に掃除をして朝食をとるのだが、今日は早いためどちらも省略してカーテンを開けて扉を開ける。
トムが出勤してすぐストーブを入れてくれたらしく、店内はほんのりあたたかった。
窓にかかっている札を「営業中」の意味の単語が書いてある方を外に向けて、扉を開けた。
「お待たせしました。どうぞ」
と言うと、受験生たちは緊張の面持ちを少しだけ崩して店内へ入ってきた。
店内へ入って右手に、昨夜のうちに即席のまじないブースを作ってある。
丸くて派手な柄の絨毯に小さな机と椅子を乗せてその上に天蓋をかけただけの簡素なものだが、マリ―ル曰く、こういうのは雰囲気が大事なのじゃ、とのことである。
その椅子に、神妙な面持ちで座り、いつの間にか頭にベールまで被ったマリ―ルが、順番に並ぶ受験生を見つめる。
列の一番最初の少年が、3枚紙幣を出し、
「心を落ち着けるまじないをお願いします」
と言った。
「あいわかった」
マリ―ルは先ほどまでのトムとの会話とは打って変わって、低めの落ち着いた声で応じた。
そして、音もなくスッと立ち上がり、椅子を避けると、両手を天井に向けた。
「はあっ!!」
静かな店内に突如響いた声に、少年はびくっとなった。
マリ―ルはそれにはかまわず、目を閉じたまま、ゆっくり手足を大げさに動かし、それ~ほれ~はれ~というような事をぶつぶつ言い始めた。
さながらダンスのようにくねくね動き回ると
「この者が平常心で過ごせるようお力をお貸しくだされ~ヨッホッハッ」
と決めポーズをする。
トムは毎年見てるが、もし自分が魔法使いやまじない師になれたとしても、この滑稽な動きだけはやりたくないと思っている。
しかし、冗談のようだが何故かこれは受験のまじないとセットになってしまっており、各店でパフォーマンス合戦が行われていた。
歌が聴けるとか、ダンスが上手いとか、まじない師がかわいいとかかっこいいとか、そんなことである。
ハッピー雑貨店は、オーソドックススタイルである。
古き良きまじないパフォーマンスは、神頼みならば新しいものより古い伝統っぽいほうが良いんじゃないかと思う真面目そうな受験生がやってくる。
トムはいつも、両方ともよく吹き出さずにいられるもんだ、と思いながら見ている。
一応、神妙な面持ちをして立ちながら。
変な動きと呪文もどきが終わると、もったいつけた動作で、綺麗な布で出来た小さな袋を取りだし、受験生に渡す。
この一連の動作が、本日のノルマであった。
試験開始時間に間に合わせるために次々と受験生をさばき、大急ぎでまじないパフォーマンスを終えて送り出すと、へんてこダンスですっかり体力を奪われたマリ―ルはソファにどさっと倒れ込み、もう今日は閉店じゃーと言った。
「お疲れ様です。お師匠様♪」
まるで出来の良い弟子をほめるような言い方で、トムはホットミルクを差し出した。
「おおっさすがわが弟子、気が利くではないか」
マリ―ルは子犬のような元気な動きで飛び起きると、ホットミルクを受け取ると幸せそうに飲み始めた。
「今日は、はちみつとカモミール入りか」
「はい。のどのケアですよ」
「うまい、うまい」
大きなソファで足をぶらぶらさせて嬉しそうにマグカップに口をつけてる姿は、まるで子供のようだなあとトムは思った。
しかし、これでもちゃんとした魔法使いなのである。
「ハッピー雑貨店」などというふざけた店名と、子供のような店主のいでたちから、一見のお客さんからは詐欺を疑われ、いちゃもんをつけられたりすることがある。
逆に、店主が寝込んでいるか何かなのだろうと、子供をだましてやろうとやってくる輩もいる。
しかしどちらも返り討ちにあう。
トムが出会った時から姿形が変わらず、年齢が分からないが実はまあまあいい歳なのではないかと最近トムは疑っているのだが、魔法使いたちは秘密主義なので面と向かって聞いても教えてくれないような気がしている。
マリ―ルもおそらく本名ではなくて、魔法使いとしての登録名なのだろう。
トムは一応、魔法使いの弟子ということになるのだが、やっていることは店番と掃除と雑用というバイトくんであった。
店が暇なときに、普通の子供たちが行く学校の勉強を、マリ―ルから教えてもらっている。
これは、魔法修行の前に基礎学力じゃというマリ―ルの方針で、家族の面倒を見ていたせいでろくに学校に行っていなかったトムは、読み書きや計算があやしかったため、魔法で使用する古代文字の前に現代語と算数の学習となってしまったのである。
勉強は大変で正直苦手だが、マリ―ルは暴力をふるったりするような人間ではないし、店が暇ならお金をもらいながら学校の知識が得られるのは嬉しかった。
魔法は格好いいと思っているが、実際才能がなければどうしようもないので、もしかしたら才能は無いが放り出すのも可哀想だと思われて、雑用係にでもしようということで雇われているのかもしれない。それでも、安全で普通の賃金がもらえるので、別に魔法使いになれなくてもいい勤め先だなあと思っていた。
「本当に今日はもう閉店でいいんですか?」
「そうじゃな。まじないブースの片付けは明日で良いし、朝早かったから母君のお世話もあるじゃろう。炊事が終わったら、国語と算数の続きをやっておくのじゃ」
「分かりました」
マリ―ルはトムの母の事を「ははぎみ」などと言う。
貧乏住宅街の一室の住人にはずいぶんこそばゆい言い方で、最初は何のことかも分からなかった。そんな丁寧な言い方しなくてもいいですよと伝えても直さない。
先程の受験生達もそうだが、魔法使いになるような者はたいていお金持ちでエリートだ。そのせいか、喋り方や立ち居振る舞いが自分とは違って浮世離れしているな、とトムは思う。
向こうから見たら、こっちが変わってるのかもしれないけど。
しかし、そんなエリート貴族達の中でも、さらにマリ―ルは浮いた存在に思えなくもない。
そんなことを考えながら、窓の札を「閉店」の方にひっくり返してカーテンを閉めた。
「わしはもう寝る」
「あー、こんなところで寝ないでくださいよー。風邪ひきますよ!」
「むにゃむにゃ」
あっという間に店内のソファで寝てしまった師匠のために、トムは呆れながら2階から毛布を持ってきてかけた。
そしてすやすやと眠る師匠を残し、扉の鍵を閉めて家に帰った。
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