第10話 前進あるのみ

「ところでラナはうどんを作れると聞いたのだが」

「作れますよ」

「本当か!?」

「はい。教会にいた聖女の中にうどん好きの子がいて。何度かうどん作りを手伝ったことがあります」

「作って欲しい! もちろん材料は全て集めるから」


 派遣された先でうどんを振る舞ってもらったことがあり、その時にうどんの虜になったのだとか。教会でも定期的に振る舞ってくれた。


 初めは彼女一人で作っていたのだが、大変だろうと手伝いを買って出た。

 以降、聖女と神官が交代制でうどん作りを手伝うようになったので、教会にいた子はもれなく全員出汁作りまでセットで出来る。


 ギィランガ王国では知名度がかなり低い食べものだったが、ビストニア王国でも知られていなかったようだ。


 質問内容は違うが、王族の方々に話を聞かれた際に何度かうどんの名を挙げた。その度にどんな食べ物かを答えている。


 特に狐獣人と狸獣人の男性は二人揃ってうどんの上のトッピングに興味を持っていた。そして話が終わると揃って部屋を飛び出した。


 この部屋に通された時点で王族関係者であることまでは分かるが、名前を尋ねる暇さえなかった。


 こうして普通に会話が出来るようになってからというもの、少しずつ人の名前と顔を覚えるようにはしている。意識的に行おうとはしているのだが、ビストニアには『地位の高い人の名前を勝手に教えてはいけない』という厄介なルールがある。


 シルヴァ王子曰く、彼らは意図的に名前を伏せている訳ではなく、名乗るのを忘れているだけとのこと。気にすることはないと言ってくれるが、何度も顔を合わせているのに名前を知らないのは不思議な気分になるのだ。


 相手は普通に私の名前を呼んでくれるからなおのこと。だが地位が低い相手から名前を尋ねるのもこれまた不敬になる。名乗ってくれるのを待つしかないのだ。


 この調子では彼らの名前よりも先にそれぞれの好物を把握する方が早そうだ。

 まぁビストニアに来た頃はこんなことで悩むとは思わなかったので、良い方向に進んでいるのは確かだが。


 だが私の悩みはこれだけではない。もっと重要な悩みがある。


「ダメ、か?」

 考え事をしていたせいで、不要な心配を抱かせてしまったようだ。すぐさま「いえ」と否定の言葉を吐く。


「すみません。別のことを考えておりまして」

「他のこと? なんだ? 欲しいものがあるのか? なんでも用意しよう」


 シルヴァ王子はキラキラと目を輝かせ、前のめり状態で私の両手を取る。至近距離に彼の顔があるため、尻尾までは見えないのだが、何かが風を切る音がする。尻尾が大きく揺れているのである。


 彼は私をすぐに甘やかそうとする節があるのだ。

 今までの対応が『冷遇』と呼ばれていただけあって、冷遇を抜けた途端にスキンシップが激しくなった。だが彼が特別という訳ではない。獣人達にとって人間は弱い種族、守らなければいけない相手として分類されているのだ。


 結婚した経緯はともかくこうして打ち解けたのだから、対等でいたいと思うのは私のワガママなのだろうか。


 とはいえまだ一年目。私と同様に彼もまだ距離感を掴みかねているだけかもしれない。誤解も警戒も解けた今、前進あるのみ! と自分を鼓舞する。


 食べ物に関する知識以外でも何かアピールすればいいのかも。

 守らなければならないような弱い存在から脱することが出来れば、彼も少しは私を信頼してくれるかもしれない。


 私が得意とするのは気候とそれに伴う変化の予測だが、今は天気も気温も安定しており、魔獣が変な動きをする様子もない。これといって不足な事態が起こりそうなこともなく、平穏そのものだ。しいていえば今年は早くも空気が乾燥し始めているので保湿を念入りにする程度。


 その他は薬学の聖女に教えてもらった薬に関する知識くらいなものだ。

 だがいきなりそんな話をしても……と考えて、とあるものが頭に浮かんだ。


「王子の尻尾についてなのですが」

「し、尻尾!?」


 そう切り出した途端、シルヴァ王子は顔を真っ赤に染めてぷるぷると震えた。彼の耳はぺたりと頭にくっついてしまった。


 未だ獣人の常識を把握しきれていない私は、こうして変なことを口にしてしまうことも多いらしい。毎回彼のリアクションを見てようやく失敗したことに気付く。


 だが厄介なのは彼自身が嫌がっていないことにある。

 だから余計にこれが良いことなのか悪いことなのか判断が効かない。私としてはズレている部分は早く直して、この地に適応したい。その度に指摘を求めるようにしているのだが……。


「私、何か変なこと言いましたか?」

「いや、大丈夫! 大丈夫だ! うん、夫婦なら変じゃない……続けてくれ」

「嫌だったら言ってくださいね? えっと、尻尾のお手入れに使っているアイテムは髪と同じなのですか?」

「? ああそうだが」

「どんなものか見せていただいてもいいでしょうか」

「構わない。今持ってくる」


 シルヴァ王子は席を立ち、隣の自室から愛用しているソープを持ってきてくれる。


 先ほど思いついたのは、ギィランガ王国にいた際に薬学の聖女と共に開発したヘアケアスプレーである。


 お風呂上がりに水気を軽く拭き取った状態で拭きかけてフラッシングすると、乾燥などで痛んだ髪を回復させる効果がある。


 畑横に大量発生した野草を有効活用出来ないかと考えたのがきっかけだ。

 その野草をベースに、何種類か開発したヘアケアアイテムはギィランガ王国の貴族に大人気であった。教会の重要な資金源にもなったほど優秀なアイテムだ。


 これなら彼の自慢の毛を乾燥から守ることが出来る。

 弱い存在から脱するまでの小さな一歩であり、普通の令嬢として扱ってくれるシルヴァへの感謝の気持ちでもある。


 彼に断ってからボトルから少し中身を取り出す。指の腹を擦りつけて伸ばし、感触と香りを確認する。自分でも使えば詳しいことが分かるのだが、人間が使っているものと同じであることが分かれば十分だ。


 洗髪剤が人間が使っているものと同じであれば、スプレーの方も問題はないはずだ。シルヴァ王子は鼻が良いから香料は抑えつつ、薬臭さが残らないように気をつけよう。

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