第17話 意識してる?

「ふぅ……今日はこのくらいにしておいてあげますわ。いい加減にしないと風紀委員に見つかってしまいますから」


 そう言って乃慧流は結のお尻を勢いよくぱしぃんと叩く。やっと終わったと安堵の息をつく結だったが、同時に少しだけ残念に思う気持ちを頭をブンブンと振ってかき消すと、つとめて無表情を装いすくっと立ち上がって乃慧流を一瞥する。


「もう……そんな顔をしないでくださいな。下着は履いていただいて結構ですので」

「言われなくても……」

「でも、わたくしの手で感じていただけて、とても嬉しいですわ。これからもっともっと仲を深めていきましょうね」


(感じていた? この私が?)


 額にじわりと嫌な汗が滲むのを感じた。今まで味わったことのない感覚に、結自身戸惑っていたのは事実だった。だが、分からないなりになんとなく『いけないことをしている』感覚があったこともまた事実だった。そんな事実を思い出しつつ、乃慧流の「全てわたくしの思いどおりですわ!」というような表情を見るとやはり怒りが湧いてくるというもので──結は早口でまくしたてるように彼女にこう告げた。


「もう、あなたのような極悪ど変態とは絶対に金輪際口を利くのはやめますわ。さようなら」


 結はスカートを抑えつつ、そそくさと乃慧流のもとを離れた。だがその怒りも乃慧流のあの笑顔と「ええ! それではまた明日!」という言葉を聞くと一瞬で萎んでしまいそうになるから不思議だった。


(……やっぱり、私はこの人が嫌いです)


 そう結論した結だったが、迎えに来た御幣島の車に乗り込むと、自分の気持ちが分からなくなる。


(もしかして……私はあの変態のことが好きなのでは……? いや、でも何故? 確かに彼女は私に金持ちの娘という偏見を抱いてはいませんがそれ以上にロリコンの変態。好きになる理由がありませんわ)


 そのことを再認識した結は、どうしたものかと頭を悩ませる。


「お嬢、珍しく考え事ですかい?」


 御幣島のその言葉で結はハッと我に帰る。ひとまず気分を切り替えるためにも乃慧流のことは一旦忘れよう。そうした方が自分も色々と楽になれそうだと思ったから。


「いえ、なんでもありませんわ。でも、一つだけ御幣島に確認しておきたいことがあります」

「は、何なりとお尋ねくだせえ」


 そう言われた結は少し間を置いてから御幣島に尋ねる。


「金を積めば全てが許されると思うのは愚かな考えでしょうか……?」

「何か悩み事でもあるんですかい? ……まあそりゃそうか、お嬢だってまだ中学1年生だもんな」


 御幣島は一瞬不思議そうな顔をしていたが、すぐに納得した様子で結に言った。


「でもまあそりゃダメですね。いくら金を積まれても曲げられないものはあります」

「例えば?」

「義理、人情、恩……まあぱっと思いついたものはこんなもんでしょうか。多分それよりももっと単純な話かもしれませんがね」


 なるほどと頷く結だったが、御幣島の言う「単純な話」とは一体なんなのだろうか。その続きを待つが、御幣島はそれっきり何も言ってくれなかった。


「……では、間違いを犯したとして、それをなかったことにするのはやはり不可能なのでしょうか?」

「金でどうこうできる範囲内の失敗であればそれでまかり通るかもしれません。けど、物の見方は大きく違ってくるでしょうね」


 御幣島が口にした『物の見方が変わる』という言葉の意味について結は思考する。つまり、それが間違いを犯した人の本質を示してしまうというのが言いたかったのだろう。金で解決できたとしても、本当に問題が無かったことになる訳ではない。


「では逆にお聞きしますが、どうしてお嬢は間違いを金で解決しようと思うのです?」

「それは……」


 上手く答えが浮かんでこなかった。それはなぜか──乃慧流に会ってから自分は考え方がおかしくなったのか、自分の言うことが見えてこなかったのである。いつもなら達者な言葉で人を納得させられるはずなのに、今回はそれすらもなかった。御幣島はそんな結を面白がるような目で見ながら優しく、しかしやはりからかうような調子の声色で話しかけた。


「いいですかいお嬢。『間違い』というのは正していくから意味があるのです。『失敗は成功の母』とどっかの偉い人が言ったそうですが、失敗から学んで初めて人は成長する。──なかったことにしては意味が無いんですよ」


 御幣島のその言葉は妙に腑に落ちた。そしてもう一度乃慧流について考えてみる。

 乃慧流との関係は『間違い』としか思えないほど不健全なものだが、それはもしかしたら結が彼女に対する接し方を誤っていたからかもしれない。結が乃慧流にいまいち心を開けていないから、焦れた乃慧流が常軌を逸した行動をして無理やりアプローチしてくるのだろう。なんとなくそう考えた。結は改めて乃慧流と向き合ってみようと思った。


 でも、どうやって? あんな結のことになると脳内が一面ピンクのお花畑になってしまう乃慧流と真剣な話ができるとは思えない。結は頭を悩ませるのだった。


「お嬢、着きましたよ」

「え?」


 そんなことを考えていたらいつの間にか車は自宅のマンションの地下駐車場に着いていたらしい。


「おかえりなさいませ、お嬢」


 車を降りれば外で待機していた数人の使用人が寄ってきて頭を上げる。


「……いつも、あなた達にも迷惑をかけていますね」


 ふとそんな情けない言葉が出てきてしまった。乃慧流のことで悩みすぎているのかもしれない。

 その言葉を聞いて、年長の使用人が優しく結を諭すような言葉をかけてくる。


「そんなことおっしゃらないでくださいな。俺たちみんながお嬢にお仕えできることに感謝しております」


 それを聞いた他の使用人も続けるように言葉を連ね始めた。


「そうですよお嬢!私たちはお嬢が健やかに過ごされることを幸せだと、そう考えておりますので!まぁぶっちゃけお嬢様かわいいしな!」

「こら、お嬢に失礼だろう」

「……構いませんよ」


 結はそんな使用人たちをなんとも言えない気持ちに駆られながら見つめていた。


(かわいい……乃慧流さんの仰るとおり、やっぱり私は……そういう目で見られているのでしょうか?)


 ゆくゆくは天王寺家を背負っていく者として、かわいいというイメージを抱かれるというのはあまりよくはないのだろう。少なくとも結はそう思っているし、それをマイナスだとも思う。でも、それでもきっとそれを好いてくれる人がいるのなら──。

 乃慧流のことを思い浮かべた結の顔に僅かに笑顔が混じる。

 そして気を取り直すように頭をふるふると振り、微笑んだままマンションのエレベーターに乗る。だが、頭の中はまだ乃慧流のことでいっぱいになってしまっていたのだった。


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