第15話 お願い

 結は乃慧流の前にひざまつくと、頭を垂れる。


「不肖この天王寺結、あなたの恩に報いるため誠心誠意努めますわ。なんでも申し付けくださいまし」

「は……?」


 今度は乃慧流が呆然とする番だった。今まで釣れない対応を繰り返してきた結が、いきなり手のひらを返しているように見えたのだから無理もない。実際は、苦手な乃慧流に恩を受けたままにしておくのは気分が悪いからに他ならなかったのだが……。


「それは……どういうことですの? 本当になんでもお願いしていいんですのね?」

「ええ、天王寺家の者に二言はありませんわ。受けた恩は必ず返す。たとえそれが気に入らない相手に対しても、ですわ」


 そんなのお爺様がこの場にいたら許可はもらえないでしょうけど……と小声で呟き自虐的に笑う結。そんな彼女の覚悟を目の当たりにして、乃慧流はごくりと喉を鳴らした。だがそれもそのはず──


「では──えっちなことをお願いしても構いませんの!?」

「……言ったでしょう? 二言はないと」


 結は早速、乃慧流に対してこのような提案をしてしまったことを後悔したが、今更それを撤回するなどということは出来なかった。だがこのままでは乃慧流の冗談とも本気ともつかない妄言に流されてしまうと、話の本質を戻そうと言葉を選ぶ。


「もちろん、常識的なお願いをされるとは思っていますが──」

「ですが、あえて結さんの予想を上回るのがわたくし神尾乃慧流ですわ! お任せくださいまし、この世のあらゆる常識をぶち壊して見せましょう! 手始めに結さんと合法的に結婚できるように早急に法整備を──」


(話聞いてない上に更に暴走してしまわれたのですが!?)


 この手の常識のない人間にいきなり放り投げた結が悪いだろう。だが今更乃慧流は止まらない、止められない。

 結は自分の言葉を軽く受け流しながら「合法的に結婚」などというワードを持ち出してくるあたり、どうやら本気らしい。だが、その常識の無さには流石に結も呆れ顔になってきていた頃、乃慧流が唐突に立ち止まる。それから何かを考え込むように顎に手を当てて、しばらく沈黙が流れる。


「そうです。よく考えて結論を出してくださいま──」

「やはりエッチですわ」

「は?」

「何を一番願うかといえば、結さんとのおセックス以外に考えられませんわね」


 その言葉を聞いて結は本日何度目かの頭痛を覚えて眉間を指で押さえた。倫理的な問題をうやむやにしそうな雰囲気を察したのである。だがそんな結に対し、乃慧流はさらに捲し立てるようにこう言った。


「言い方を変えても、定義を変えようとしても同じですわ! 極論、結さんと直接肉体的に繋がる行為は全ておセックスといっても過言ではないはず。天使の如き結さんとの愛に溢れた性交渉はすなわち神への奉仕であり、これは法律をも超越した神聖な行為であるのでなんの問題も──」

「……あの」


 もう完全に暴走が止まらない状態になっている乃慧流。そしてそれを止めようとした結は、そこでとんでもないことに気づいてしまう。


「もしかして……本気で言っているんですか? 冗談とかではなく?」

「あら、二言はないのではなくて?」


 乃慧流はそう言ってにっこりと微笑んだ。結はため息をつく。


「本当に、しなければなりませんか? できればお断りしたいのですが……」

「ダメですわ約束でしょう? それに、運命の赤い糸で結ばれているわたくしと結さんはいずれ遅かれ早かれおセックスすることになるんですもの、今しておいた方がお得ですわよね? あぁ、身体の内側まで知りつくしてしまうとはもはや実質結婚と言っても過言ではないのでは──」


 結の返答なんて無視してぶくぶくと妄想の海にはまっていきそうになる乃慧流だったが、結が乃慧流の足を踏んだことで突如現実に引き戻される。


「ちょっと結さん痛いですわ!? 何をするんですの!?」

「それはこっちの台詞ですわ! 公共の場で、なんてはしたない言葉を連呼してるんですか」

「周りに人がいるわけでもないので良いではないですか。まあ、わたくしと結さんの関係はもはや誰にも邪魔できませんが!」


 悪びれる様子もなくドヤ顔を決める乃慧流に、結はほとほと呆れ返った様子でため息をつく。そして結がとった行動は、乃慧流を無視して立ち去るというものだった。


「結さん! 話は終わってませんわよ!」

「いいえ、終わりましたわ。今のあなたはまともな判断を下せる状況にありません」

「わたくしはいつもこんな感じですわよ? ──結さんもご存知でしょう? わたくしが結さんに何を望んでいるか」

「それは……」


(確かにそうなのですけれどっ……!)


 結だってそれくらいわかっている。乃慧流には、ずっと前から「好き」と言われてきたのだから。そして今もこうして結を追いかけているということは、それだけ乃慧流の想いが強いのだろうという想像もつく。

 だが──


「ゆくゆくは天王寺グループを預かる私とそのような関係になりたいということは、即ちそれなりの覚悟を決めていただかないと──」

「もちろんです! 覚悟などとうにできておりますわ! 例え世界を敵に回しても、わたくしは結さんの生涯の伴侶ですわよ!」

「そういう意味ではなく……」


 思わず立ち止まり、冷静にそう伝えてはみたが乃慧流には響いていない。


「そうと決まれば早速おセックスしますわよ!」

「いやあのですね……私はそう簡単にそういうことができる身分ではないというか……そもそも女同士でそういうことをしてもいいものか……というか私まだ中学1年生ですし時期尚早というか……」

「なんの問題もありませんわ! わたくしが許可します!」

「えぇ……」


 新たな時代が来た。これがいつかの時代の予行演習なのだとしたら、神様は相当イジワルだと言えるだろう。あまりにも予想外な出来事が続きすぎる状況に肝の据わった結も流石に動揺しまくりだった。それでも、なんとか筋を通すために考え込んでいた結だったが──


「ほらほら、恥ずかしがらなくても大丈夫ですわよ♡」

「なっ! 私は恥ずかしがってなんか──ひゃんっ!」


 突然耳に生暖かい息が吹きかけられ、結の背筋がゾワリと身震いする。たまらず乃慧流の手を跳ね除けるようにその声の方向を振り返ると、そこには目を細め満面の笑みを浮かべている乃慧流ロリコンの姿があった。


「ふふっ、感度は良好ですわね♪ このまま食べちゃいたいところですが、まずは寮に連れ込んでたっぷり可愛がってさしあげなくては……」

「……あなたは何を言っているのですか? お父様お爺様のところへ全部報告してもよろしいんですの?」

「まあ! 結さんの方からご家族に結婚の報告をしたいとは!」

「そんなわけありませんでしょう……なんておめでたい脳みそですの?」


 げんなりとする結に、しかし乃慧流は全く意に介さない様子だった。


「わたくしたちの未来は明るいですわー! こーんなにお日さまが輝いて見えますもの! もう無敵ですわ!」


 と、結の方へ近づいていつものように抱擁しようとする乃慧流。実際はもう夕暮れなのでお日さまは輝いていない。乃慧流の幻覚である。結はそれをひらりと躱し、軽蔑を込めたジト目で睨みつつ乃慧流の振る舞いをたしなめようとする。


「人目につくところでそういうようなことはしないでいただきたいと何度言えば──」

「では隠れてしましょう! それで問題ないですわね?」

「問題しかありませんわ」

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