第7話 妊娠したかも……
「さあお客様、どうぞこちらへ」
御幣島はそう言って乃慧流をリビングのソファへ案内すると、そこに腰掛けさせるように誘導してお茶を出した。
「どうもありがとうございますわ」
乃慧流が座ると、それに続いて結もテーブルを挟んで反対側に腰をかける。部屋から出ていくようにジェスチャーすると、御幣島は一瞬心配そうな表情を浮かべたがすぐに指示に従ってくれた。
(ふぅ……これでゆっくり話せますわね)
結は心の中で安堵のため息をつく。しかし、その前に。
「あの、一つだけ聞かせてくださいまし。どうして私の家を知っているんですの?」
まずはそれが知りたい。そう思い質問を投げかけると乃慧流はその問いを待っていたかのように満面の笑みを浮かべた。そして両手を合わせてこう言った。
「愛の力ですわ!」
結はそれを聞くと無言で立ち上がり──かけてすぐに座り直した。あくまで今は乃慧流をおもてなししなければならないのだ。
「嘘はよくないですわよ」
「そうですわね。恋人に隠し事はよくないですわ。……実は、蛇の道は蛇。星花には有名な情報屋がいますのよ?」
「情報屋?」
「ええ、
「……」
結は無表情を装っていたが、その顔色は真っ青になっていた。もしその柚原何某にあることないことばら撒かれているとしたら、天王寺グループの信用は失墜しかねない。
「……私を脅すつもりなのですか?」
声を震わせて聞く結。
「あら? とんでもない。ただ、あなたとお近づきになりたいだけでしてよ?」
結の脳裏を最悪シナリオが駆け巡る。
(もしここでこのストーカーの対応を誤れば私は……!)
最悪の事態を避けるため、必死に思考をめぐらす結。そして思いついた。ある意味最も簡単な方法を。
「……いくら払えばよろしいですの?」
「? わたくしが欲しいのはお金ではありませんのよ?ですから……結さんの愛を下さいな?」
「!?」
結の顔はいよいよ蒼白になる。彼女は考えた。一体何を要求されているのかと。愛とは何なのかと。それは、彼女のこれまでの言動から解釈をするなら、きっと『そういう行為』に違いない。だが、結はゆくゆくは天王寺グループを預かる身。結婚もせずに体を売ることなどできるはずがない。そもそも中学生になったばかりの彼女は男性経験ですら皆無だ。キスだってまだなのに。
ならば、と彼女は考える。
「私に……どうしろと?」
「まぁ、結さんならそう仰ると思っていましたわ。ですので……」
乃慧流はそう言うと立ち上がって結の方へと歩き出す。結は本能的に恐怖を感じ後ずさるが、背中はすぐに壁に当たった。それでもなお、距離を詰めてくる。結は慌てて叫んだ。
「ちょっと、それ以上は……」
だが、乃慧流は構わず近づいてくる。結がさらに後退しようとするがもう間に合わない。乃慧流はそのまま身をかがめて結を抱き寄せると、唇を重ねた。
「!!」
突然の出来事に目を白黒させる結。一方、乃慧流は満足げに微笑むと、結の口内に舌を差し入れた。
「んっ、ちゅ……」
そのまま激しく舌を動かす乃慧流。結はそれを受け入れるしかない。密着した乃慧流の身体の柔らかな感触と初めてのディープキスに結は頭がくらくらとしていた。
どれくらい経っただろうか。やがて、ゆっくりと乃慧流が口を離すと二人の間に銀の糸が引く。乃慧流はそれを舐めとり、再び笑みを浮かべた。
「どうですかしら? これでわたくしたちが運命の赤い糸で結ばれていることがわかりましたわよね?」
「……っ!」
結はというと、顔を真っ赤に染めて頬を膨らませ怒り心頭だった。なにせ、彼女にとっての『初めて』をこんな形で奪われてしまったのだから。これではロマンチックのかけらもない。
結は乃慧流の頬を平手で張ろうとしたが、身長差がありすぎて届かなかった。そこで今度は乃慧流の腹を殴りつけようとする。が、
「おっと!」
寸前で乃慧流が避けたため、空振りに終わる。
「危ないですわね」
「くっ!」
結はなんとか反撃に出ようと手を振り回すがどれもあっさり避けられてしまう。
「照れているんですのね。可愛らしいですわ!」
「うるさい!」
その後もしばらくの間、結は暴れ続けた。
結局その後、結は諦めざるを得なかった。乃慧流は結よりずっと力が強く、殴りかかろうとするたびに抱きしめられてしまい、気がつけば彼女の胸に顔をうずめる形になっていたからだ。
「ぐぬぅ……」
結が悔しさに歯噛みしているうちに乃慧流は彼女を解放したが、結はしばらく動く気になれなかった。そして、しばらくしてやっと立ち上がるとこう宣言する。
「……私、天王寺結に対してこのような辱めをした以上、許しませんわよ?」
それを聞いて、また結に襲いかかろうとしていた乃慧流はピタリと止まる。
「あら、そんなに嫌でしたの?」
「当たり前でしょう! ファーストキスでしたのに……!」
「またまたぁ、本当は嬉しいくせに」
「嬉しくなんかないですわ!」
「照れなくても、わたくしにはわかってますわよ。いずれあなたはわたくしを受け入れざるを得なくなりますわ」
「何を言っていますの? あなたみたいな人……こちらから願い下げですわ!」
結がそう言い放つと、
「ああっ、やっぱり素敵ですわね! その強がりっぷりと反抗的な目! わたくし、ゾクゾクしてしまいますのよ。そのお顔、わたくしだけのものにしたい……」
乃慧流はそう言った。その目は妖しい光を帯びており、獲物を狙う蛇のような雰囲気があった。結はその視線から逃れるように目を逸らす。すると、乃慧流は満足げに笑い、床に置いてあったカバンを拾い上げた。
「今日はこの辺にしておいてあげますわ。──また学校でお会いしましょう?」
乃慧流はそう告げるとリビングから出ていく。結は呆然と立ち尽くしていたが、ハッとしてそのあとを追った。玄関先に着くも既に乃慧流の姿はなく、靴も消えていた。
「……何者なんでしょうか、あの人は?」
思わず疑問を口にしてしまう結だったが、すぐに我に返る。今はそんなことを考えても仕方がない。
(何なんですの、一体!?)
思い出すだけで怒りが湧いてくる。あんなことをされて、はいわかりましたなんて言えるわけがなかった。それは、天王寺家としてのプライドが許さない。
結は強い決意を秘めた瞳を窓の外の夜の街に向けると、御幣島を呼んだ。
「御幣島!」
「なんですかいお嬢? ……そういえばお客人は?」
「帰りましたわ。──すぐに神尾乃慧流の素性について調べ上げなさい」
「……承知しました」
「それと、お医者さんを呼んでくださる?」
「それはいいですが……何かありましたか?」
「妊娠したかもしれませんわ」
「はぁ!?」
結の言葉に御幣島は大声を上げた。当然の反応だろう。
「ど、どういうことで……」
「ですから、キスをされたので妊娠していないか念の為検査を……」
「……」
一瞬の間の後、全てを理解した御幣島は笑い声を上げた。
「ふ、ははっ。お嬢、キスでは子どもはできませんよ」
「えっ、そうなんですの?」
「は、はい……」
御幣島の反応に今度は結の方が困惑する番だった。彼女は、自分の勘違いに気づくと恥ずかしさがこみ上げてくる。それを誤魔化すかのように咳払いをして口を開いた。
「とにかく、神尾乃慧流のこと、くれぐれもよろしく頼みますわよ。それから、この家の警備についても強化しておきなさい。二度とあのようなストーカーの侵入を許してはなりません」
「はっ!」
御幣島にそう命令してから、結は自室に戻ってベッドに倒れ込んだ。
(疲れましたわね……。それにしてもまさかこんなことになるとは。これからどうしたものかしら?)
考えを巡らせるものの、一向に良い案は浮かんでこない。どうしたら天王寺グループの看板を傷つけずにあの変態ロリコンストーカーを黙らせることができるかわからないのだ。
結局、結は睡魔に身を委ねることを選んだ。明日もまた早い。今は何も考えたくない。
こうして、結の長い夜は終わりを告げた。
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