第5話 教育的指導

 ☆☆



「いいか貴様ら! 敵はいつどこから現れるか分からない。だからいついかなる時も気を抜いたらいけないのだ。──わかったか!」

「「は、はいぃ……」」


 ロリコンの神尾乃慧流は放課後、体育館の片隅で風紀委員の須賀野守の扱きを受けていた。それだけではない。乃慧流の隣で共にスクワットをさせられているのは、真っピンクの髪が眩しいYouTuberの津辺侑卯菜だった。二人とも、新学年早々校内を騒がしたことでこうやって罰を受けているのだ。


「声が小さい! そんなことではダメだ! 最初からやり直し!」

「えぇ〜っ!? さすがに横暴だよ! ウチに酷いことしたらフォロワーさんが黙ってないからね!」


 侑卯菜が抗議の声をあげる。すると守は侑卯菜の胸ぐらを掴み上げた。


「面白い。まとめて返り討ちにしてやろう」

「ひぃっ……」


 守はド迫力の顔に凄みを利かせて睨みつけた。あまりの怖さに縮こまる侑卯菜と乃慧流。


「た、体罰反対っ!」

「なーにが体罰だ! 教育的指導と呼べ! そもそも貴様ら下級生の模範となるべき高校生がすすんで校内の風紀を乱しているのが問題なのだろう! 警察が犯罪者に優しくするとでも思っているのか!」

「この人でなし! 鬼軍曹!」

「褒め言葉として受け取っておこう」


 涙を浮かべながら苦し紛れに放った侑卯菜の罵倒に、ニヤリと笑った守はようやく手を離した。


「さあ、スクワットが終わったら校庭100周だ。もたもたしていると日が暮れるぞ?」

「そ、それはいくらなんでも無理ですよ! 死ぬって……ねぇ……?」


 侑卯菜は必死に訴えかけるも、守は聞く耳を持たない。二人は観念した様子で、再び地獄の筋トレを始めた。

 しばらくするとやはりというか、スポーツの経験があまりない侑卯菜が音を上げた。その場にへたり込むと、「うぅ……もう動けない……」と嘆く。


「ほほう……まだ50周くらいしかこなしていないではないか。さすがは軟弱者。その程度の運動で根を上げてしまうとは、情けないにも程がある」

「でも……もうさすがに無理だって……足パンパンだよ? さわってみる?」


 そう言って侑卯菜が差し出したふくらはぎは彼女の言うとおり乳酸が溜まりきって真っ赤に腫れている。たまらず乃慧流は口を挟んだ。


「ちょっと、さすがにそろそろ勘弁してあげた方がいいのではなくて? わたくしはテニスをやっていましたからある程度は耐えられますが、津辺さんはスポーツの経験のない素人ですのよ? 怪我したらどうするんですの?」

「そうそう、もっと言ってやって」


 だがその瞬間、突然目の前に現れた守によって、二人の体は地面に押さえつけられた。「な、何をなさいますの!?」と抵抗するも、まるで岩のように重く動かない。


「甘い! 甘すぎる! 戦場では誰も待ってなどくれないのだ。遅れるものは命を落とすのみ。それに構うものも同じだ。分かったら続きをやるぞ。さあ!」


 だがその時、地面に押さえつけられた乃慧流の視界に、グラウンドの外をとぼとぼと歩く好みの幼女の姿が写った。それは、まさに囲碁将棋部から逃げて帰る途中の結であった。


(満点幼女……! また見つけましたわ!)


 ロリコンの乃慧流は一瞬にして脳内がお花畑になった。


(こうしていられません。幼女の元へ行かなければ!)


「うぉぉぉぉぉっ! ですわぁぁぁっ!」


 乃慧流は幼女愛ゆえの凄まじい力を発揮して守の拘束から抜け出し、結の元へと駆けていく。


「おいこら待て貴様!」


 守が慌てて制止するが、乃慧流は聞かなかった。あっという間にグラウンドを飛び出していった彼女。


「さようなら〜!」


 守の隙をつくようにして、侑卯菜もヨロヨロとした動きで反対方向に走り出す。


「まだ訓練は終わってないぞ貴様ら! 脱走は重罪だぞ!」


 守は一瞬どちらを追うか迷ったが──


「仕方がない。あの小娘から先に捕まえるとするか」


 仕方なく侑卯菜の後を追った。だが守は気づいてはいなかった。既に、乃慧流の魔の手が結に伸びていたことを──




「捕まえましたわー♡♡♡」


 超人的なスピードで結に追いついた乃慧流は、そのままの勢いで彼女の背後から抱きつく。結は抵抗しなかった。抵抗する気力もなかったのだ。

 それをいいことに、乃慧流はそのままの体勢で顔を近づける。


「やはりわたくしとあなたは運命の赤い糸で結ばれているようですわね」


 そう言いながら、乃慧流はさらに強く抱きしめた。結はただ、されるがままになっていた。

 乃慧流はその頬を撫でながら、もう片方の手で髪をすく。結の髪からはシャンプーのいい香りがして、乃慧流の劣情を煽った。


(このまま押し倒してしまいたい! でも、それじゃダメ。まずは仲良くならなくては……いや、でもわたくしとこの子は運命の赤い糸で結ばれているのだから平気なのでは……?)


 そんな風に悶々としながらも、乃慧流はどうにか自制心を保った。そして、さすがのロリコンも結が明らかに元気がないことに気づく。


「あら? どうかしましたか? なんだか顔色が悪いようですが……」

「いえ、何でもありませんわ……」

「でも……」


 心配そうに尋ねる乃慧流だったが、結は強がっているのか唇を噛み締めて何も話そうとしない。乃慧流は何か悩みがあるならば聞いてあげたかったのだが──残念ながら、今の自分の姿に気づいた途端に恥ずかしくなってしまって、「わ、わたくしは一体何をしているのでしょう……」と言ってパッと手を離した。


「す、すみませんでしたわ……」

「……」


 謝る乃慧流に、それでも結は何も言わなかった。彼女は、本当は誰かに頼りたかった。しかし、今の状況から考えればそれはできない相談だった。庶民との触れ合いを望んでいたのは事実だが、そのために自分を変えようとも思わなかった。それは、彼女のプライドの問題だ。

 結は乃慧流を振りほどくと黙って歩き始める。乃慧流は


「あ……ま、待ってくださいましぃ〜」


 と涙目になりながら後を追いかけた。


「付いてこないでください」

「そ、そんなこと仰らないで! 寂しいじゃないですかぁ……」

「うるさいですわね」

「なにか悩み事があるならわたくしに話してみてくださいまし。きっと楽になりますわ」

「いいえ、結構ですわ」

「でも、もし困ったことがあるのでしたら、なんでもわたくしに相談してくださいな。こう見えてもわたくし、意外とお金持ちですのよ?」

「お断りしますわ。お金では解決できないことだってあるのですから」


 結の言葉を聞いて、乃慧流は余計心配になった。彼女は結に再び駆け寄ると、「やっぱりどこか具合が悪いのではないでしょうか? ちょっと保健室までついていきますわよ?」

 と手を握った。結はそれに抵抗する。


「本当に放っといてくれませんか? もう構わないでほしいですわ」

「そういうわけには参りませんわ。幼女の苦しみはわたくしの苦しみ。苦しんでいるあなたを放ってはおけませんもの」

「……っ! どうしてそこまで私を気にかけるんですの!?」

「決まっています。だって、わたくしたちは運命に導かれて出会った恋人同士ではありませんか!」


 自信満々に答える乃慧流に、結は思わずポカンと口を開けた。そして──


「……プッ」


 突然、結が吹き出した。だがすぐにいつものクールな表情に戻る。


「人違いですわよ」


 そう言って結は乃慧流の手を振り払い、立ち去ってしまった。だが、乃慧流は笑顔を浮かべたままその後ろ姿を眺めていた。


(つれない態度もまた良い! ますますあの子のことが気になってしまいますわね。……天王寺結さん)


「こうなったら家を特定して突撃してやりますわ。幸い優秀な情報源がありますし……」


 結がいなくなったところで乃慧流はニヤリと笑った。

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