3・3
「さてね。あの中じゃ極楽気分が味わえるらしいぜ。俺らはごめんだけど」と悪人が言う。
繭に気づいたらしいアルフォンスが息をのむ音がする。
「見たことないタイプけど、これ、異形じゃないの?」あまりの恐ろしさに声が震えた。
「違う、生き物じゃねえ」と悪人。「隣の国の開発品なんだと。これに入るとただただ、イヤなことを忘れ気持ちよくなれる。だけどよ、中毒性があってやめられなくなるのさ。入るために狂ったように金を積む。お前の兄ちゃんもだいぶつぎ込んでいるぜ?」
「に……兄さん!」
アルフォンスが叫び繭に駆け寄る。
「おおっと、お前はこっち」
悪人がすんででアルフォンスを捕まえ、別の繭のもとに連れていく。
「アルフォンス!」
「坊主はこっち」
腕を別の男に掴まれ、引きずられる。
「おやまあ。良いタイミングで適合だ」
気味の悪いボスの声がした。
「え、ボス? 上がってきたんですか? 珍しい。適合ってなんすか?」
悪人の質問に返答はなかった。代わりにお兄さんの繭が大きく揺れ始めた。
「なんだっ!」
男たちが慌てふためく。
繭はその場でぐるぐる回りだした。
これはどう考えてもイヤな展開になる。
動揺している男の手を振りほどき、ズボンの裾の内側に忍ばせておいたものを取る。
ピタリと繭が止まった。
縦に亀裂が入る。
そこから異形がゆっくりと顔を出した。
悪人たちが悲鳴を上げる。
私も本物を見るのは初めてだ。恐ろしくて動けない。
繭から出てきたら異形は人型に近い。身長は恐らく平均的な大人三人分。手足が長く室内が狭いから折りたたみ頭を下げている。その頭も人間に近いみたい。
これも見たことのないタイプだ。つまり新種ほぼ確定だ。
異形の四本ある大きな手が、それぞれ悪人やほかの繭を緩慢な動きで掴み、グシャリと潰した。
飛んできたなにかが頬にくっつく。
猛烈な吐き気がこみ上げてきた。
でもっ
そんな場合じゃない!!
アルフォンスが異形の近くで腰を抜かしている。
取り出したばかりのものをポケットに突っ込み、彼に駆け寄ってその肩をつかむ。
「アルフォンス、逃げるよ!」
でも彼は異形に視線を固定したままだ。
「アルフォンス!」
「……兄さん……」
そうだ、アルフォンスのお兄さん。異形が出てきた繭の中にいたはずだ。
異形が新しい繭に手を伸ばすの。
「とにかく下がって!」
「……兄さんが……」
「あとで探すから!」
アルフォンスがゆっくり手を上げ指差した。示す先は異形。
まさかお兄さんの残骸でもついているということ?
さっきは気づかなかったけど、とよく見る。異形の胴体には丸い模様があるけれど、ほかに気になるものはとくにない……?
丸いのは本当に模様?
違和感を覚えて目を凝らす。
それは顔だった。
暗い色の髪を垂らし、地味な顔立ち。アルフォンスのお兄さんだ。
なにこれ。
こんなのは読んだことがない。
お兄さんは取り込まれたということ?
グシャリとまた繭が潰される。
このままじゃ次は私たちだ。
「ごめん!」
叫んでアルフォンスの頬を思いっきり平手打ちする。
「正気になって! まだ死にたくないよ! 肩を貸すから立って!」
しゃがみ、アルフォンスの脇の下に肩をくぐらす。
異形の手がうろうろと次の獲物を探している。目が見えないのかもしれない。
「ほら、行くよ!」
◇◇
なんとか階段をおりたところで、アルフォンスを投げ出した。細身だと思っていたけど結構重量がある。投げ出されたアルフォンスは床にへたりこみ、泣いている。
異形は早く動けないようだ。今のところ追ってくる様子はなく、音から予測するに、繭を潰しまわっている。
ポケットにしまったペンと紙を取り出す。
アルフォンスに異形を退治してもらうつもりだったんだけど、どうしよう。お兄さんが取り込まれているなんて。
ボスとやらは『適合した』と言っていた。つまり彼は繭の中で人間がああなることを知っていた。彼を捕まえれば、お兄さんを助ける方法があるかわかるかな?
「アルフォンス、ここにいて。すぐ戻る」
廊下を駆けて最奥の部屋に飛び込む。床で揺れる小さなランプの明かり。さっきと同じだ。だけどボスはいなかった。空気が違う。臭いは変わらないけど気味悪さがない。
気づかないうちに三階より上に行ったのだろうか。
ボスを探す?
ほかの手を打つ?
判断の遅れが許される状況じゃない。となりの建物にはふつうのご婦人たちが暮らしているし、少し行けば大通りだ。
廊下を歩いて戻りながら考える。
恐らく新種の異形で、特性がわからない。
アルフォンスのお兄さんが取り込まれている――。
玄関ホールではまだアルフォンスが座り込んだまま泣いていた。
でもその視線は階段上に向けられている。
見れば案の定、異形がいた。
紙とペンを彼に差し出す。
「拘束の術式書いて! アルフォンスしか止められる人はいないよ」
「厶……ムリ」
「ムリじゃない!」
頭を横に振るアルフォンス。
「わからない」
「君は成績優秀じゃない!」
アルフォンスはふるふると頭を振る。
そうか、『実務能力無し』か。
この状況に、術式を思い出す余裕がないんだ。
異形がゆっくりと階段を降り始めた。
大急ぎで拘束の術式を紙に書く。
それからアルフォンスの前にしゃがんだ。
「僕の心臓のあたりに手を置いて! 早く」
ふわりとそこに手の感触がのる。
「いい? 二連をやるからね」
「なんだそれ?」
「昔流行った技法! ふたりぶんの威力を発揮できるの! 私が術式唱えたら力を飛ばして! それだけすればいいから!」
能力ゼロの私が術を使う方法はこれしか思い浮かばない。
書いた紙をてのひらに置き口元に寄せる。
「祓魔師術式十四の二、『拘束』」
ズクンと背中側から衝撃を感じたのと同時に、フッと鋭く細く息を吐く。
術式がひらりと舞って、それから吸い込まれるかのように異形の口に飛び込んだ。
黒い光が爆散し、それが消えたあと異形は黒い鎖で何重にも巻かれて地に繋ぎ止められていた。
怒りの咆哮が上がる。
「せ、成功しちゃった」
ガクリと力が抜ける。
やってやるとは思ったけども。でもまさか本当にできるとは。あとさき考えずに無我夢中だっただけなんだけど。
振り返りアルフォンスを見る。
「ありがと。おかげで近隣への被害は食い止められる。あとは本職の祓魔師が来たら、お兄さんのことを相談しよう」
アルフォンスはお綺麗な顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、うなずいた。
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