2・1
祓魔庁の建物を見上げ、ため息をつく。
登校するのにこんなに気が重いのは初めて。
きっともう、うちの事情は知れ渡っている。からかいは激化するんだろうな。私のことはガマンできるけど、お祖母ちゃんを嘲笑されたらキレてしまうかもしれない。
我が国に時おり出現する怪物 《異形》。様々なタイプがいるけど共通しているのは、普通の武器では殺せないということ。退治できるのは特殊な能力を持った祓魔師だけ。能力持ちは基本的に遺伝でなぜか貴族階級に多い。
国内に五ヶ所、祓魔師の技術や歴史を教える学校があるけれど、祓魔庁に置かれた学生部はレベルがトップだし、私を除いてエリート貴族の子弟しかいない。
だから現在庶民の私は完全に異物だ。
とはいえ虐めていい理由にはならないけどね。
覚悟を決めて、中に入る。
能力がない私は祓魔師になりたいとは思っていなかった。
だけどこの機会にお祖父ちゃんの汚名をそそぎ、無念を晴らしたいとは思っている。
いじめなんかを気にしている場合じゃない。
◇◇
予想に反して、うちのことを口にするヤツはいなかった。アルフォンスは言いふらさなかったらしい。
なんで?
でもたぶん、彼も昨日の一件を口外されたくないのだろう。だからお互いに黙秘をつらぬく。
そういうことじゃないかな。
鐘が鳴り、午前最後の授業が終わる。
ほかの生徒たちは王宮内で働く人用の食堂に昼食をとりに行く。私は行かない。有料だから。
代わりにひとけのない祓魔庁の裏手に行って勉強をする。
祓魔師の討伐の歴史とか術式とかは全部暗記している――というのは正確じゃない。すべて六年前の知識で止まっている。お祖父ちゃんが亡くなったときに祓魔師に関する情報は入らなくなったからだ。
それに陛下の手前、筆記テストだけは満点をとりたい。だから常に勉強をがんばっている。午前中にやった術式の小テストも満点の自信しかないもんね。
祓魔師が異形と戦うためには、攻撃するための術式を紙に正確に書かなければいけないから、からものすごく重要なんだよね。だから私はまだ一度も満点以外をとったことがない。
机の横にかけた鞄を持って立ち上――がろうとしたら、目の前にドスンと大きな箱が置かれた。上質な布で包まれている。
箱の向こうには不機嫌な顔をしたアルフォンス。
「付き合え」
「イヤだね」
アルフォンスのこめかみがピクリと動く。
それからヤツはぐいと前のめりになって私の耳に顔を近づけた。
「わりのいいアルバイトを紹介すると言ったら?」
「話を聞こう」
◇◇
黙って歩く公爵令息についていったら、ひとけのない空き部屋に入った。きっちり扉を閉められる。
この用心深さから考えると、バイトはきのうの件に関係するものかもしれない。いくら金額がよくても危険なのはイヤだな。私の身になにかあったら、お祖母ちゃんが困る。
アルフォンスは箱をテーブルに置くと包を開いてフタを開けた。
色とりどりの料理にくだもの。パン。
「食べていいぞ」と言って椅子にすわるアルフォンス。
「……なにこれ」
「弁当だが?」
「施しのつもり?」
坊ちゃんは眉をひそめた。
「料理人がつくりすぎたから勧めただけだ」
ああ、そうか。彼は私がいつも昼食をとっていないなんて知らないんだ。食堂で見かけないからお弁当なのだろうと予想して、自分もお弁当を持ってきた。食べながらバイトの話をしよう、余りそうだから私にくれよう、ただそれだけのことだ。私の反応がひねくれている。
彼の向かいにすわる。お腹はめちゃくちゃ空いているけど、手を伸ばすのはプライドが許さない。
「バイトの話は?」
「食べないのか?」
「どうして僕をいじめてるヤツのお弁当を食べなくちゃいけないのかな? バイトは昨日のがダメになったから話を聞きたいけど、君と馴れ合うつもりはないよ」
アルフォンスの顔がこわばる。
それから膝に広げていたナプキンを乱暴にテーブルに置くと立ち上がった。
なんて短気なヤツなんだ。これじゃバイトの話もなしか。
「悪かった」
そう言ってアルフォンスが頭を下げた。
「え?」
「ここのところずっと苛々していて、ユベールに八つ当たりをしていた。みんながしているから咎められないだろうと、ズルい判断をしていた。すまない」
「……なにそれ。僕が貧乏でお祖母ちゃんがおかしいから同情心でも湧いたの?」
アルフォンスが頭を上げる。
「違う」
「まあ、なんでもいいや。バイトの話、するの? しないの?」
少しの間アルフォンスは私を見つめていたけど、やがて椅子にすわった。
「お前の仲間が言っていた。ユベールは学生になってから稼げる額が減って、ろくに食べてない。夜働くからあまり寝てもいないみたいで、いつか倒れると思っていたって」
お弁当が押しやられる。
「こんなにつくりすぎるはずがないだろ。お前のぶんだよ。意地を張らずに食べろ。バイトは俺がお前を利用するって話。お前も俺を利用していい」
令息のお綺麗な顔を観察する。本心で話していそうに見える。
「お前、軽すぎだよ。おかげで家まで背負えたけど」とアルフォンス。
そういえば、そうだった。腹が立つやら夜のバイトやらですっかり忘れていたけど、彼におぶわれたんだ。
……そうだよ、私、おぶわれた!
ヤツの背中に密着していたよね。女って気づかれなかったわけ!?
そっと伺うけど、アルフォンスはいつもと変わらない(つまり不機嫌め)な顔をしているだけだ。気づいているけど知らないふり、というわけではなさそう。
一応ささやかながら胸は膨らんでいるんだけど。
でもいつ誰に制服を破られてもいいように、サラシでぐるぐる巻にしてつぶして、その上から何枚も下着を着ているから、きっとわからなかったんだ。
セーフ!
「お祖母さんもだいぶ心配していたぞ」とアルフォンス。
「……そうなんだ。すぐに忘れちゃっていたけど」
「だとしても心配したのは事実で、そのときの本物の感情だろ」
性格が悪くて意地悪な同窓生を見る。
「案外、いいことを言うね」
お弁当のパンに手を伸ばした。
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