第59話

 あれから3年という月日が流れた。

 


真っ暗な何も見えないトンネルに入ったように、先が見えない。

 未来はどうなっているのだろうと不安になる。


けれど、悪いことや嫌なことは長くは続かない。


 雨が降ることもあれば、晴れることもあるように人生はアップダウンで出来ているのだろうと気づいたのは、数十年もを後になってからだった。





 人の噂も75日と言うのは本当だろうか。


 スキャンダルが起きて、一時閉店となっていたさとしのお店も、事が過ぎると皆、忘れてしまうらしい。



 話題にも上がらなくなった。



いつも通りの平和な一日がそれぞれの家庭で繰り広げられる。



 大越家族の方はというと、とりあえず、『スコフィッシュフォールド』という猫のお店の名前を変えようということになり、店長も縁起が悪いと大越さとしから谷口遼平に名義変更した。



 閉店している間は、遼平には優子と喜治がいるマンチカンのお店で働いて修行という形を取り、さらに料理の腕を磨いた。


 報道が落ち着いた頃にお店の名前を犬種にもある『シュナイザー』に変更して看板を付け替えた。




 結局のところ、なんだかんだで、遼平とくるみは結婚することになり、そのお店を一緒に切り盛りすることとなる。    



 経営そのものも、2人に譲ることにした。



 さとしと紗栄はと言うと、

 騒動で本当に外出もできず、

 バッシングの嵐だったが、

 妻である紗栄の懐が深い。



 器が大きいと称賛の声があがり、さとしよりも紗栄の需要が高まり、ママ友タレントもしくはコメンテーターという役割の出演が次々に決まった。





 株式会社SKIPからのオファーだった。坂本社長からは、念を押すように大越さとしの違約金の分、取り返すつもりで働いてくださいと、額に怒りのスジをつけて言われた。




 今回で人生の中で2回目の違約金。さすがに普段怒らない坂本社長でも怒りを見せている。




 監督不行届きで申し訳ない気持ちでいっぱいになった紗栄は、嫌な顔一つせずに頑張って働いた。




 さとしは肩身が狭く、表舞台に立つどころか、東京に行くことに恐怖を感じ、主夫同然の過ごし方をしていた。




 もちろん、子育てもさとしがやることになり、立場が逆転していた。




 まもなく、3歳になる陸斗と、お腹に抱っこ紐をつけて、生まれて2ヶ月の#悠灯__ゆうひ__#を抱っこしていた。



ちょうど首が座ったばかりで、抱っこしやすいくらいだった。



 出稼ぎが母親で、子育てと家事の両方をしているのがさとしだった。




「ゆうちゃん、お腹すいたかな?今ミルク準備するからね。」




「お父さん!僕、これ見たくない!違うのにしてー!」




 見ていたテレビがつまらなくなった陸斗は違うのにしてほしいと要求する。




 保育園から帰って来たばかりでも元気いっぱいな陸斗。




 さとしは、ポットでお湯を沸かしている間に、保育園バックから水筒や連絡帳を取り出して、明日の準備をする。その後、哺乳瓶にキューブ型のミルクを2つ入れておいた。



 

 あっちもやって、こっちもやってとまだまだ慣れていない。




 紗栄が帰ってくるのは明日。




 育児中とあって、1週間という短期間の仕事にしてもらっているが、さとしにとっては長く感じた。




(紗栄、早く帰ってきてー!)




「はいはい。んじゃしまじろうにする?それともアンパンマン?」




「トロロがイイ!」




「ちょっと待て。今の選択肢に無いだろ。しかも、それを言うなら_#トトロ__・__#だろ?」




「それそれ。それでいいよ!」




「ったく、もう。保育園でたくさん遊んできたんじゃ無いの?そこにあるトミカじゃダメなの?おばあちゃん泣くぞ?あと、プラレールとか…。そもそも、うちにトトロのDVDなんて言うものはない!」



「やだ~絶対見るー! 保育園のあっちゃんがトトロ見たって言ってた!」




「あー、それは先週やってたテレビのトトロのことだよ。録画しとけば良かった!」


 

 泣きそうになるさとし。


 そうこうしてるうちに抱っこ紐で抱っこされてた悠灯が、一瞬寝たかと思ったら、目を覚まして、泣き始めた。


 お腹空いていたのになかなか飲ませてくれないミルクに駄々をこねた。


「はいはいー。ゆうちゃん、ミルクね。今作るよ~。」


 慌てて、哺乳瓶にお湯を入れて、流水で冷ます。



 陸斗はトトロが見れないことに駄々をこねる。ジタバタしている。



「これくらいかな? まだかな。人肌ってどんくらいだっけ。3時間前もやったけど、まだ慣れない~。陸斗、待ってな。これ終わったら、DVD借りにお出かけしよう~。」


「え?本当?やったー。お菓子も食べられるー。」


「ちょ、待て。菓子は買うとは言ってない!」


 陸斗の駄々っ子がループする。


 昔の洸を思い出す。


 子どもは同じ感じなんだと納得する。



 さとしは外野を無視して、ミルクをあげることに集中した。



 抱っこ紐から悠灯をおろして、そっと抱っこし、授乳クッションを膝に置いて、ミルクをあげた。



 ギャン泣きしていた悠灯もやっとこそ、落ち着いてくれた。



 ふぅーとため息をつく。



 世の中のお母様方を大切にしなきゃいけないなあとつくづく感じるさとしだった。


 ゲップを出したあと、ベビーベッドに悠灯を寝かせた。


 陸斗のおもちゃを片付けるのに集中した。まだまだ陸斗は駄々をこねる。



「どっちが片付け早く終わるか勝負しよう。そしたら、お菓子な!」



 むくっと起き上がった陸斗は、スタートと言う前に片付け始まった。



 さとしも負けじと散らかったトミカや小さなフィギュアなど、おもちゃ箱に入れた。


 片付けが終わるとドヤ顔をさとしに見せた陸斗。


「はい、良くできました! ほら、夜遅くなるから行くよー。歩いてすぐのところにあるから。」


また悠灯を抱っこ紐に乗せて、荷物をまとめてリュックを背負った。


陸斗にジャンパーと靴下を着せた。


「忘れ物ない?」


「うん、大丈夫。あ、待って、僕の相棒忘れてた。」


 小さなリュックに相棒の可愛いシロクマフィギュアを入れて、靴を履いた。


 大事なフィギュアらしい。


「よし、行こう。」


 抱っこ紐に乗った悠灯はスヤスヤと安心して眠っていた。


 さとしたちは、街の中にある小さなアパートに引っ越していた。買い物しやすいようになるべくいろんなお店が近いところで選んだが一番近いのはDVDレンタルショップだった。


 陸斗の希望するトトロを借りるために向かう。


スキャンダルで報道があったときはどこに行っても嫌な顔されたが、今となっては時の人で何も言われなくなった。



 ふと気づいた通りすがりの人に、不倫の人などと声をかけられることが苦痛で仕方なかったが、それはスルーすることに決めて幾分心が落ち着いた。



 過去は良くないことをしたが、精算したし、謝罪もした。

 大きな心で許してくれたことに

感謝しかない。



 今はお金を稼ぐことよりも育児と家事の徳を積んで先にプラス思考として考えることにした。



 紗栄に対するせめてもの償いだった。



 今のさとしは、めがねをかければ、何も声をかけられない一般市民と同じになる。



 陸斗になぜ普段めがねをかけないのに不思議がられるが、致し方ない。



時々、コンタクトするのも休ませないとと思いながら装着する。



 セルフレジもあったため、目的のものがあって、誰とも会わずに目的のDVDが借りられた。



 抱っこ紐の中で悠灯も寝てるし、陸斗も大人しく着いて来てる。帰ろうと思った矢先…。



「あれ、さとし? …っと声かけない方が良かったかな?」



 セルフレジの行列に並ぶサングラスをした花鈴が後ろから声をかけた。



 身なりも前と同じ金髪ではない茶髪で落ち着いた表情。


 専業主婦になってからか、あまり厚化粧をしていなかった。



「あ、バレた? 久しぶり。あれ、洸たちはどうした?」



「いるよ。後ろでゲームソフトとかぬいぐるみとか見てた。」


 指をさす花鈴。


 あれから3年も経てば、遠くの商品棚で、洸も8歳になり、深月も5歳になって大きくなってもちゃくちゃとケンカしていた。


 甥っ子姪っ子は相変わらず平凡に過ごしていたようだ。


 後ろから裕樹が来ていて、喧嘩の仲裁に入っていた。


 お互いにあっかんべーと舌を出して懲りずに喧嘩する。


 いつも通りの姿の4人を見て安堵する。



 そうしてる間にも、悠灯がグズグズなって来た。


 ミルクあげている時にオムツ交換するのを、忘れていて、きっとそれだと思い出す。


 洸と深月を見た陸斗は人見知りなのか、さとしの太ももの足を掴み影に隠れて静かにしていた。



「陸斗、あれがいとこの洸と深月だぞ。」



「いとこん? こんにゃくなの?」



 聞いたままを答える陸斗。



「違う違う。親戚、家族。血のつながってる姉妹の子供の、そのさらに…それをまあ#従兄妹__いとこ__#って言うの。こんにゃくじゃないよ。」



 さらに洸たちが近づいてくる。

 陸斗は恐れた。



「あれ、さっくんに似てる?さっくんが小さくなってるみたい!」



 洸は見たまんま言う。



「ほら、陸斗、挨拶して。」


「大越陸斗です。よろしくお願いします。」


 裕樹と花鈴の前で深々とお辞儀をして挨拶した。


 保育園に行ってることもあっていざとなればきちんとできるらしい。



「へー。陸斗って言うんだ。」



 軽くペシっと裕樹は洸の頭を叩き、挨拶しなさいと注意する。



「えー、宮島洸です。よろしくお願いします。」


 恥ずかしさが出たのかむず痒くなってくる。


「あたし、宮島深月!お願いします!」


 ペコリと挨拶する深月。


 小さいのにみんなよく挨拶できるなぁと感心していた。


「ウチ来るか? 紗栄ちゃん仕事でいないんだろ?」


「そうです。いません。もう、休む暇がなくて…。」


「だろうな。わかるよ、その気持ち。やっぱ、母親と父親って役割違うよな。頑張って父親として相手してても最後にはママーとかって言うから…悲しいよなぁ。」


 共感が半端なかった。

 花鈴たちは喧嘩してるのを止めようとギャーギャー騒いでる。それに何気なく混ざって関わろうとしている陸斗。


 

 早くも馴染んでるようだ。



 ひと息できそうだと、さとしの足取りは早かった。




ーーー


 裕樹と花鈴も、東京でのモデル活動を辞めてからマンションからアパートへ引っ越していた。



 大越家の目と鼻の先で歩いて行けるところに住んでいた。



 お互いそれを知らずに今まで過ごしてきていた。


「散らかっているけど、中の方へどうぞ。」


 花鈴は玄関にある靴を並べながら、案内する。裕樹は、一番後ろから子どもたちを中へと誘導していた。


 悠灯が、抱っこ紐の中でギャンギャン泣き始めた。おむつも濡れているし、お腹も空き始めたらしい。


「あ、ミルクの時間だ…。」


「ポットのお湯、使っていいよ?」


 裕樹が台所の方に案内して言う。


 陸斗は、洸の後ろについて一緒に遊び始めた。深月も仲間に入れて欲しいらしく、そばから離れない。



「ありがとうございます。助かります。」


 さとしはリュックから哺乳瓶とミルクキューブを取り出し手早くお湯を入れて、流水で流した。

 抱っこ紐から下ろした悠灯を、あやしててくれた花鈴から預かり、ゆっくりミルクを飲ませた。


「オムツ交換しておいたよ。私には泣かないのね。ニコニコ笑ってる。」


「お、さんきゅー。紗栄に雰囲気が似てるからじゃないの?」


 さとしは悠灯にミルクを飲ませ終えるとゲップさせた。


「花梨、悪いけど、悠灯見ててくれる?ちょっと一服したい。」


「はいはい。仕方ないなぁ。どーせ、うちにいてもまともに吸えないだろうからね。特別だよ。」


 花鈴は昔、洸や深月に使ってたガラガラのおもちゃを奥から取り出して、遊んであげていた。


 空気を読んだ裕樹は同じようにベランダでさとしと一服しに行った。


カラカラカラと窓の閉まる音がすると


「久しぶりのタバコはいかがですか?」


「あぁー、電子タバコですけどね。至福の時ですよ、ありがとうございます!」


「それはそれは良かった。紗栄ちゃんが出張の時は、まともに電子たばこ吸えないだろうからね。悠灯ちゃん、いるし。もうこの生活は慣れたの?」


 裕樹も電子タバコを吸って煙をパーと吐いた。


「俺は、一体何したかっただろうって今更ながら考えちゃいますね。表舞台が好きだったはずなのに、スキャンダルとか追われる立場って苦手で逃げたわけだけど、それでも活動する人はたくさんいるのに…。結局、世間は汚れなき人間がお好きなんですかね。人間って光だけじゃなくて闇も存在するのに、もみ消された感じします。」


 裕樹は頷いて聞く。

 紗栄も同じで、さとしと同様被害者みたいなもんだった。


 表で働くということはそれなりのリスクが生じる。

 裏で働いてもリスクは少ない。

 比べたら最小限で抑えられる。



「花鈴も表舞台にずっと出てたけど、辞めてから少し気持ち落ち着いたよ。目の前のことに集中できるようになった。確かに出る杭は打たれるって言葉があるようにどこ行っても同じだよ。影で生活するのも悪くない。でもさ、紗栄ちゃんはずっと表にいる訳でしょ?経験者は語るじゃないけど、しっかり守ってあげなよ、さとしくん。」



「分かってますよ。どんなことが起きても紗栄にとって不利になることは極力守り抜きます。俺が犠牲になっても…。」




「え?なに?思い当たる節でもあるの?」


「いや、今のところは何もないですけどね。」



「かっこいいこと言うから…。ま、いろいろあるけど、夫として守ってやりな。子どもも2人いる訳だしね。」


 裕樹はさとしの肩をポンと優しくたたいた。


 気合が入ったようだ。



 ベランダから覗く空は街の明かりにかき消されて星が見えなかったが、月が煌々と照らし出されていた。


「夕ご飯できたよー。」


「おー。」


 いつ間にか、花鈴は悠灯をあやしながらご飯の準備もしていたらしい。


 大越家も一緒にご飯を食べていくことにした。


 誰かの手料理を食べるのは久しぶりでお腹いっぱいになった。


 明日は紗栄が帰ってくる日、めいいっぱいのおかえり食事を作ってあげようと心に決めた。



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