第53話

 都内のアパートの部屋で花鈴は、テレビで映画を見ていた。



 テーブルの上にはキャラメルポップコーンと塩バターポップコーン、スティックチョコが置いてあった。



今日の夕ご飯は、

仕事の時に配られたロケ弁当。



牛タン定食のような中身だった。



毎日、お弁当で食事を済ませて、朝ごはんはオートミールやシリアルを牛乳と混ぜて食べている。






 裕樹がいた時は、どんな時でも食材が冷蔵庫に入っていて、目玉焼きとハム、千切りキャベツのサラダ、わかめの味噌汁が朝食の定番だった。




花鈴はほとんど料理ができない。






 キッチンに立ったとしても黒焦げの何だかわからない自称ハンバーグが出来上がってしまったり、いつのものか分からない干からびた魚が冷蔵庫のチルド室から出たこともあった。





 今は智也と2人暮らし。

智也自身も全くと言って良いほど料理はしない。



 外で買ってきたものや、配達ピザ、居酒屋や、レストランで食事することが多い。



 独身の頃はほぼほぼ、外食だったらしい。


マネージャーの仕事は言われたことは完璧にこなすし、コミニュケーション能力にも長けていたが、蓋を開けてみると、実生活は、料理も掃除もできない男だった。



 仕事はぴっちりと分けて生活をしていたらしい。



花鈴ははじめ、食べたいものを外食したり、お弁当が食べられてラッキーと感じていたが、他の仕事だと言って、智也が在宅してない時でさえも、いつもロケ弁やコンビニ食事になっていた。




 ひどい時はカップラーメンを勝手に食べててと言う始末。





 言い訳するように、カップラーメン好きですけど…と思いながら、ズルズルと1人で映画を見ながら過ごす。





 そんな生活を続けてこられたのは甘い言葉と、優しく包み込んでくれる体の相性で一緒にいられた。




 さすがの花鈴も、半年を過ぎる頃、智也が全く帰らない日が続いた。




 テーブルの上に置かれているのは、もう、お弁当でもなければ、シリアルでも、カップ麺でもなかった。




 銀行の袋に入れられた束になった現金しかなかった。



 智也と仕事を行くときは、すぐにスーツに着替えて、行くぞとスイッチが入るのに、智也はどこに行くのか、休みの日には何も言わずに外出することが多くなった。



 花鈴も、どこに行くのか咎めることもなく、ただ、ひたすらに今まで忙しすぎて見られなかった人気の日本映画を見ていて、現実逃避をし、泣いたり笑ったりして1人寂しく過ごしていた。


 見ている間にも、笑える内容なのに、目から涙が自然とこぼれ落ちて行く。



(なんで私はここにいるんだろう。何を1人で見てるんだろう。)


 仕事もだんだんと減ってきて、智也のマネージャーの仕事も他のタレントの業務に移り変わろうとしている。

 


 無意識に食べるポップコーンの味も分からない。



 キャラメルも塩バターかどうかさえもわからない。



 飲んでいるコーラの美味しさもどんなだったか覚えてない。


 これが望んできた場所だったのか。


 自問自答を繰り返していると、玄関の受け取りポストに封書が落ちる音がした。


 花鈴は、おもむろにポストを開けると、花梨宛の手紙が入っていた。


 差出人は、宮島裕樹と書かれていた。


 その名前を見て、一筋の光が見えたように思えたが、過去を振り返ると裕樹に対する言動は計り知れないものだということを思い出す。


 一度言った言葉は、どんな謝罪をしても許されないこともあるだろうと、ハサミで封筒を開けて、緑色の離婚届を確認した。


 テーブルにあったペンたてから適当にボールペンを探し、殴り書きのように手をプルプルと振るわせながら、自分と名前と生年月日等の必要情報を記入した。


 最後の署名を乱雑に書き、判子を丁寧に押し込んだ。


 これで、私の人生は一度リセットされる。


宮島花鈴から元の雪村 花鈴に戻る。


離婚届をバッと広げて、テーブルに手アイロンをして敷く。何度も何度も丁寧にまっすぐした。


 頬から滴り落ちる涙が止められない。


 この数十年間過ごしてきた結婚生活が紙切れ一枚で終わってしまうことに悔しさと儚さを身に染みて感じていた。



どうしてあの時、あの瞬間に大事な人を手離してしまったのだろう。



なぜ、あの時でなければ、ならなかったんだろう。


でも、もう戻れない。


 ひと通り、泣き終わると、返信封筒に綺麗に三つ折りにして、封筒に入れて、ノリで封をした。〆印を忘れずに記入した。


  裏側の自分の住所に一言『ありがとう』と添えて、テーブルに置いた。



どんなに感動する映画を見ても、どんなに悲しい映画を見ても、今以上の涙は出ないんだろうと、ソファの上でえんえんと子どものように泣いた。


こんなに感情を出して泣いたのはいつぶりだろう。


さとしの前で私はもう必要ないんだと線路あった陸橋の上だったのだろうか。


それとも、洸を産んだときの感動した時だっただろうか。


走馬灯のように過去を振り返り、この決断は間違っていたんじゃないかと我に返った。


我に返った時にはすでに遅し。


身の回りの荷造りをして、花鈴は智也と過ごしたアパートを後にした。



途方に暮れた花鈴は、くしゃくしゃになった髪をそのままに繁華街に出た。


 

キャッチをする男性に声をかけられるが、眼中になしとスルーした。


どんなに綺麗な格好して、綺麗な顔をしても、心を満たすには持続するものでなければならない。



 一夜だけの恋や愛は必要ない。



 私のいる場所はここじゃない。



 花鈴は持っていたカバンにさっき書いた封筒をしっかりと中にしまって、予約したことのない、夜行バスのチケットをスマホで取ってみた。


 バスのチケットはいつもマネージャーの裕樹や智也がやってくれていた。


何か乗り物を予約することは今までしたことがなかった。


検索ワードにチケットの取り方を確認して、ゆっくりと目的地を入力し、送信をかけた。


東京のバスプール。どの夜行バスに乗るか分からない。


当日券も発行されるはずが、どうしたらいいか分からない。


新宿のバスタから発車されるようだ。


でも、その場所はどこか。どうしたら、いいか。


もう。迷子に陥っていた。



うずくまっていたら、近くを歩いていた警察の人に声をかけられて、バスの発車場所を教えてもらった。


どうにか新宿から宮城の仙台まで行ける夜行バスに乗ることになった花鈴。


1人でバスに乗るのは、生まれて初めてのことだった。


スマホのラインから、智也の友達をブロックして削除した。


窓から夜景をのぞいて、東京の地を後にした。




ーーー


洸の気持ちが落ち着いて、深月も訳が分からず、父である裕樹にくっついていく。


さとしのお店を出て、お家に帰る決心した。


洸は、お店のお手伝いをして、疲れたのか、うちに着いてすぐに自分のベッドまで歩いて行き、爆睡していた。


深月は、お部屋にあったおもちゃ箱を漁ってお人形を並べている間にそのままコテンと寝てしまった。


裕樹は、深月を保育園に入れようかと市役所から渡された保育園リストをテーブルに広げて、見ているうちにそのまま寝てしまった。


3人はそれぞれ家とは違うお家に泊まってどっと楽しかったが、疲れたらしく熟睡してしまったようだった。


そんなまどろむ宮島家にガチャガチャとドアが開いて、中に花鈴が入ってきた。


3人が寝ている姿を見て、東京で見た光景とは断然違うあたたかくどこか安心する空気を漂わせていた。


ベッドで寝ている洸を眺め、頭を撫でた。リビングのおもちゃで遊んでいた深月をベッドで寝ていた洸の隣に抱っこして横に寝かせた。


リビングのテーブルで寝ていた裕樹にはブランケットを背中にかけてあげた。


いつも疲れてされていたのは花鈴だった。


 今度は自分が裕樹にしてあげる番だと思うと何だか嬉しかった。


 

 テーブルの上に封をした離婚届が入った封筒をそっと置いて、花鈴は家を出た。


私にはこの家にいる価値がない。


 家族に裕樹にひどいことをして失望させてしまったし、子供にも申し訳ないことをした。



 母親として務まる私ではないと最後に3人の顔を見て幸せな気持ちになれただけで満足だった。




 それから30分後、裕樹はハッと目が覚めた。花鈴が目の前から消えていなくなる夢を見ていた。


 

 夢なのに現実でも右手をのばして、花鈴を追いかけようとしていた。


 おもちゃ箱の近くて遊んでいた深月がいないことに焦った。


 家中探し回ると、2人仲良くベッドですやすやと気持ちよさそうに寝ていた。

裕樹は安心してため息をついた。


改めて、保育園情報を確認しようとしたとき、なかったものが増えていることに気づいた。


離婚届の紙が入った封書だった。


確かに花鈴のいる住所に3日前に送ったはず。なんでここにあるのかと、中身を確認した。


走り書きで書いたんだろう字で花鈴の名前が記入されていた。



 直接届けに来たことに気づいた裕樹は、まだ近くにいるかもしれないと慌てて玄関を開けて、周りを見渡す。



 それらしい姿はどこにも見当たらなかった。


 ベランダから外をのぞいて、下に歩いている人はいないかと確認したが、花鈴らしき人物はどこにも見えなかった。



離婚届を三つ折りにして、別な封筒に入れて、引き出しに丁寧にしまった。



 出ないかもしれないスマホのラインから花鈴を探したが、見当たらず。仕方ないと電話番号の方にかけてみた。


 

 ずっとかけて結局は「電波の届かないところにおられるか、電源が入っていないため…」とアナウンスが流れた。



 裕樹は花鈴が行きそうな場所を考えた。近所の公園。カフェ。レストラン。一緒に行った百貨店…記憶を辿って今行きたくなるところ…。


 裕樹は、さとしに電話して、洸と深月を見ててもらえるように頼み込んだ。


花鈴が仙台に帰ってきていることを伝え、探しに行く。


ちょうど仕事が終わり、お風呂に入ってすっきりしていたところのさとしだったが、優しさ故に、急いで出かける準備して車に乗った。


 紗栄も一緒に同行することにした。


  さとしのお店から裕樹たちの家までは車で約15分。


 そんなに遠くない距離だった。


 ピンポンと鳴らして中に入ると、裕樹は慌てていて一言「頼む」と言うと一瞬にして出ていった。


 花鈴のことがそんなにも心配なんだと、さとしと紗栄は、風のように駆け出していく裕樹を見て、びっくりしたが、洸と深月の安全を考えて、寝ているベッドをそっと確認してからリビングでゆっくりテレビ鑑賞して過ごすことにした。





 花鈴は過去を遡るように、裕樹と初めて会った駅前のスタバに立ち寄った。頼んだのはホカホカあったかいキャラメルラテ。


 お店の見えない隅っこでチョコンと座り、ラテをゆっくりと味わった。


 大きな荷物が椅子の近くに置いてあった。


 金髪に少しのプリン色。


 なかなか目立つ存在になっていた。


 端っこの方に座っていたカップルがジロジロをこちらを見ているのが気になって後ろむきに座り直す。


 今現在の仕事はないに等しいが、書店には自分が表紙の雑誌がドンと売られている。


 もちろん、金髪のままの状態の自分。


 仙台であっても、目立つのは無理もない。


 心落ち着かせて目をつぶる。


 革ブーツの走る音が近くを通る。


 うるさいなと思いつつも、そのまま目を閉じてラテを飲んだ。


 ハァハァと息遣いが荒い人が自分の真後ろに来ている。


 何だか気持ち悪いなぁと、目を開けると後ろにいた人が目の前の椅子に座っていた。



 会いたくない人だった。


 

 その人に気づくと、花鈴は慌ててラテを飲み干して、ゴミ箱にカップを捨てた。荷物をまとめてその場から黙って立ち去ろうとした。


「花鈴!」


 立ち去る左腕をつかむ裕樹。


「……。」


花鈴は、黙って、腕を払いのける。


「待てよ!」


ハイヒールを響かせながら、花鈴は駅の方へと走って行く。


 裕樹は諦めず、真正面に立ち、両肩をおさえた。


 すぐに体を引き寄せて抱きしめる。


「おかえり。」


「……。」


 花鈴は何も言えずに涙を流した。


 自分が悪いのに。


 突き放したのは私なのに。


 花鈴は裕樹の両脇から応えるように手をぎゅうと背中に回した。



「ご、ご、ご…め…んなさい。」


 泣きながら謝った。


 裕樹はそっと花鈴の頭を撫でた。


 花鈴は気づいてほしかった。

 

 本当は裕樹が一番自分を大事にしてくれていた人。


 初めて会ったこのスタバを思い出して、初心に戻って見つめ直す時間がほしかった。


裕樹は、離婚届を持ってきていても、花鈴にはまだ思いがあるんだろうと勘づいていた。


 いつもかけてくれたことはないのに、自分にかけてくれたこと。


 子どもたちをベッドに仲良く寝かせてくれたこと。


 大半の子どものことは裕樹自身がやっていたのに頑張って動いてくれたことが裕樹にとってすごく嬉しかったし、子どものことを思ってくれていたことに感動していた。



 花鈴の何気ない動作一つ一つが裕樹の心を動かしていた。



 付き合いたての気持ちのように、2人の愛は復活していた。


「もう1回結婚しても良いですか。」


「はい。お願いします。」


 公衆の面前だと言うのに、熱いキスを交わす2人。


すれ違う人の中で、モデルのKARINだと気づいた人は、スマホで写真を撮るものもいた。


それさえもお構いなしの2人はハグをしていた。


 駅の外に出ると夜空は輝く無数の星で瞬いていた。

 

 満月が星にも負けない輝きを示していた。


 今夜の2人の時間は長くなることだろう。



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