第52話
遠くの方からフクロウが鳴く声がした。
日も落ちて、間もなく、月が上の方になろうとした頃、お店の表扉がガチャガチャと音がした。
鍵が閉まっていたため、開かないことに気づいたのか、静かになり、声がした。
「おーい、さとしくん!」
裕樹の声だった。
夜遅くにやってきた。
さとしは電気をパチパチとつけて、扉を開けた。
紗栄も上着を羽織って一緒に出て来た。
「裕樹さん、こんな夜にどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないよ。もう、洸が紗栄ちゃんのところに行きたいって聞かなくてさ。深月は寝静まって、車に乗ってるんだけども…。全然寝てくれなくてね。ごめんね、夜遅いのに。」
洸は裕樹の横で足をギューと掴みながらこちらを見ている。
「あ~ああ。花鈴がいないから…。」
さとしは洸の様子を見て悟った。紗栄は頭に疑問符が浮かぶ。
「え? ちょっと待って。花鈴いないってどう言うこと? 私、それ聞いてない。」
「うん。今ここで初めて話すからな。」
ニコッと笑って答える。笑い事じゃない気がして来た紗栄は焦る。
「裕樹さん、こんな時間に花鈴がいないって、東京の仕事は終わったじゃなかったの? え、何。どう言うこと。」
「花鈴は第二の人生を歩んでいるということだな…。」
さとしが、それを言うとすぐに洸は走って紗栄のところにどんとしがみついた。そのまま素直に紗栄は受け止めるが…。
「は?? 第二の人生?? 嘘、花鈴が家を出たってことなの?」
裕樹は悲しげな顔で静かに頷いた。洸は顔を伏せてギューと紗栄にしがみつく。
「紗栄のところにいたい。」
洸の呼び捨てがさとしの真似で浸透してしまってるようだ。
額に筋が走るさとしだか、ここは冷静に何も言わなかった。
「洸、今日はここに泊まりたいの?」
「うん。」
「ママがいないから嫌だってずっと泣いててな…ママに会えないなら紗栄ちゃんに会いたいって…。隣で深月はすぐ寝たんだけども。俺は、もう、どうすることもできないって思って…。騒がせておくと近所迷惑にもなるし、行くなら泣き止むってほんとに泣き止んで今ようやく落ち着いたところなんだ。」
肩を落とす裕樹。
さとしは、その肩をトンと手を添えた。
「裕樹さん、だいぶ、お疲れのようですね。まあまあ、明日は仕事ないんですよね。お酒でも飲んで裕樹さんも泊まってたらいいじゃないですか。話聞きますから!」
さとし自身は早朝からカフェの仕事があったが、優しさから、明日自分が仕事だと言うことは黙っておいた。
裕樹のために話を聞いてあげようとお酒を用意して、リビングの方へ座らせた。
車から爆睡していた深月を運んで裕樹の横にそっと寝かせておいた。
花柄のブランケットをかけておく。
紗栄は洸のために好きなビデオを見せてあげた。
なるべくそばにいてあげて、一緒のブランケットをかけて、一緒にアニメ映画を見た。
安心したのか、いつの間にか、紗栄の膝を枕にして一瞬にして洸は静かに眠ってしまっていた。
頭をそっと撫でてあげると、ニヤニヤと笑って楽しそうな夢を見ているようだった。
寝顔は天使そのものだった。
裕樹とさとしの話は、共通の話題である社長の仕事の愚痴やら、花鈴の愚痴などいろんな引き出しが出て来て止まらなかった。
紗栄は横でうんうんと頷くことしか出来なかったが、いつの間にか2人とも話している間に寝てしまっていた。
紗栄はその姿を見て、2人に毛布をそれぞれにかけてあげた。
ふぅとため息をついて、静かに電気を消した。
紗栄は、仕方なく、みんなが横になっている近くで一緒に寝ることにした。
洸と深月がいつ目を覚まして良いようにと配慮しながら、熟睡できぬ、夜を過ごした。
ーーーー
スマホの目覚ましが鳴って、パッと目が覚めた。
周りにいた洸と深月はまだ深い眠りについている。
さとしは、いつの間にかリビングにはいなくなっていて、1階の方のキッチンでカチャカチャと食器や鍋を動かす音がしていた。
裕樹は、子どもたちと一緒で熟睡していた。
そっと起こさないようにパジャマから私服に着替えて、さとしのいるキッチンへと向かった。
「あ、おはよう。紗栄、あんなところで寝て熟睡できたの?珍しいよね。いつもベッドじゃないと寝れないって言ってたのに…あ、いや、俺がいないと眠れないって? めっちゃ横にいたけどね。」
ほぼ、きどころ寝だった。
来訪者があった時は仕方ないと思っていた。
「おはよー。昨日は洸と深月ちゃん、心配だったし、ベッドだとはみ出して2人が落ちちゃうでしょう。カーペットで寝た方が安全かなと思ってさ。それ考えるとベッドで子供寝かすって危ないね。大きいベッドなら良いけど、ベビーベッド買ってた方が良いのかな。」
完全にさとしの言葉をスルーして、ベビーベッドの話に切り替えた。
それをきいてさとしはがっかりしてうなだれた。
「…うん。いいんじゃないの? ベビーベッド。それか、クイーンサイズのベッドとシングルサイズを一緒にしてみんなで寝てもいいんじゃないの? それなら、落ちないでしょう。8ヶ月あたりになったら買いに行こう。色々揃えなきゃいけないのあるんだろう?」
ショックを受けながら返答する。
自分の言葉を相殺されて悲しんでいる。
「そういや、花鈴の話。結局、何も詳しくきいてないんだけど。」
仕込みをしている横で話を続けた。
「はいはい。今、このスープの準備終わったらそっちで話すから、コーヒーでも出して待ってて。紗栄のエキスが入ったら大変っしょ。」
「まぁ、失礼しちゃうわね。はいはい、コーヒーいればいいんでしょう。猫のフンのコーヒーでも淹れてあげるわ!」
プンプン起こりながら、紗栄は休憩室に行った。
「それ、かなりお高いコーヒーでしょう!ありがとうございますぅ!」
そう言いながら鍋に食材をどんどんいれた。
さとしをいじわるしているようでいじわるになっていない。とてもお高いコーヒーは、ジャコウネコのフンを発酵させたコピ・ルアクという名前のコーヒーだった。
さとしのファンだという方から貰っていた頂き物だった。
数時間前、
あんなに裕樹とお酒を飲んだにも関わらず、朝早くに目覚ましよりも目が覚めて、シャワーを浴びたさとしは、ベランダで電子タバコを吸いながら、窓から見えるみんなの寝顔を眺めては至福の時を味わっていた。
この家にたくさんの人数が泊まることがなかったため、何となく、人の温かさを感じていた。
仕込みの準備を終えて、休憩室へ行く。
「はいはい。来ましたよ。」
さとしは、かぶっていたコック帽子を脱いで、座り込む。
紗栄はコーヒーのついでにたまごサンドを作っていた。白い皿にレタスやミニトマトも添えてくれた。
いつも作ってる立場としては、誰かに作ってくれるのはとてもありがたかった。仕事と自分自身の食事は全くの別物。
やはりここは妻の手料理が食べたいと思う。
男というのは、体のメンテナンスも込めて母のように妻がやってくれるという優しさと愛を受けたいのだ。
「お? 久しぶりだな。たまごサンド。いただきます。」
「はい。どうぞ、召し上がれ。」
紗栄も同じく一緒に食べていた。
「それで? 花鈴のこと教えてよ。」
「あぁ。なんか、写真スタジオの仕事の話で、花鈴ともう1人のマネージャーの山岸智也って言うんだけど、髪型がドレッドヘアーで日本人離れしてるのよ。俺、びっくりしちゃって…。あ、ごめん。話ずれたね。」
「うん。その人の髪型とか聞いてないからね。聞きたいのはそれじゃないかな。」
笑顔で怒っている。
「だから、花鈴はその山岸って人とこの間の連絡取れなかった期間、ずっと一緒にいたんだってさ。どこまでの関係か聞くと、仕事を全うしただけとか言うし、そんなわけ無いだろうと俺は思うんだよね。洗脳されてるというか、聞く耳もたないのさ、今の花鈴。」
「ん?だから、帰ってこない? つまりは何?花鈴はその人と一緒に暮らしてるって??」
「そう言うこと! ごちそうさま。」
両手を合わせて、食事を済ます。
紗栄は、食欲が戻り、どうにかたまごサンドのような通常の食事もとれるようになった。
花鈴の状況を聞いて、なんだかただ事ではないと理解した。
「ねぇ、裕樹さんはどうするって?」
「何か、離婚届に俺の分は書いたって言って、あとは郵送で済ますって言ってたよ。直接行く気力もないみたい。でも提出するのって、こっちの仙台だよな?返送してもらうのを待つんだろうな、きっと」
「へ、へぇー。大変だね。裕樹さん。マネージャーの仕事はもうやらないの? さとしの仕事の分とか?花鈴はそっちの山岸さんいるから大丈夫だろうけど…。」
「あぁ、その件ね。俺も、この機会に裕樹さんが辞めるなら一緒に辞めるかなっと思ってて…。引き止められると思うけどね。俺、歩くドル箱だから…なんつって。」
「うっはー。いいね。そりゃ確かにそうだけど、羨ましいですね。歩くだけで稼げるなんて…。」
「それは例え話だから!な? でも、本当、仕事は次々来るよって坂本社長が言うから、選んでやってるつもりだけど、こっちの店をメインにやりたいからさ。断るのも申し訳ないって気持ちもあるけど…。」
紗栄は腕を組んで考える。
「でも、世間から飽きられたら仕事来ないんだから、来ているうちは花なんだから、なるべく出来る範囲で応えてあげてもいいんじゃない? 代わりにマネージャーやってくれる人いるんでしょう?」
「まぁ、確かにね。裕樹さんの代わりは、卯野くんなのよ。事務職からマネージャー職に変わったらしくてね。はぁ、成長してるかな、あいつ。裕樹さんほどのサポートはしてくれなさそうだけど…。」
「仕方ないよ。人は選ばないで、自分が変わればいい!」
紗栄は、ギュッと手を握りしめ、グーのポーズをとった。
「ま、そうだな。よし、今日のランチ営業も頑張るぞ! 最近、遼平にほぼ仕事取られてるからな。俺もしっかりしないと…。」
「頑張って!」
食器を片付けようとしたところで、ぼーと、階段のところで洸が降りてきてた。
「…しちゃった。」
「ん? どうしたの?」
「これ。」
洸は恥ずかしそうに、濡れたズボンを指差した。お漏らしして、目が覚めたらしい。
「そっか、濡れちゃったか。すぐ着替えよう。あれ、お着替えバックどこにおいたかな。裕樹さん!」
階段の上に声をかけるとドタドタと今度は深月が歩いて降りてきた。
紗栄の足にしがみつく。
「ママ!ママ!」
「深月ちゃん、ごめんね。ママじゃないよ~? おばちゃんだよ~。」
そう言いながら、頭をなでなでしてあげた。抱っこをせがまれ、そっと抱っこしてあげた。
「ごめんね、紗栄ちゃん!今、着替え持って行くから。洸、お風呂場借りて行ってなさい!」
「やだー。」
濡れたズボンを履いたママ、キッチンを超えて、お店の中のほうに走っていく。遊びたかったようだ。濡れたことも忘れて暴れている。さとしは洸の後ろを追いかけて、お店出入り口から出ようとする洸を抱っこして高くあげた。
キャキャと喜んでいる。
「洸、濡れたままだと風邪ひくぞー。」
抱き上げたまま、お風呂場に連れて行こうとすると器用にズボンを足で脱いだ。パンツ一枚になった洸はキャキャ笑っている。さとしは慌てて、抱き上げたところから落ちたズボンを拾う。
「洸、そういうことするならこうしちゃうぞ。」
抱っこしたまま、こちょこちょ攻撃を繰り返した。すると反省の色を見せた洸。
「やーめーてー。もう、しないからー。」
洸は抱き上げたままの状態だったため、何もできなかった。
諦めて、静かに抱っこから下に降りた。笑いすぎて、息が上がっていた。
落ち着いたと思ったら、今度は鬼ごっこが始まったらしく、Tシャツとパンツ、そして靴下の状態で暴れ始める。
さとしはそのまま、お風呂場に追い詰めて、パンツを脱がして、濡れてしまった体をシャワーで洗ってあげた。
とても、わんぱくになってしまっている。大人しく過ごした時間が長くなったのもあるからか、大人に構ってほしくて暴れるのか。
裕樹のお世話では手に負えないことがたくさん出てきていた。
「裕樹さーん、洸の着替えどこですか?」
さとしの着ていたコックコートもびしょ濡れになった。
仕事前だったが、慌てて着替えて洗濯かごに入れた。
さとしも洸と同じにパンツ一つになった。
「紗栄、俺の着替え取って~。」
「さっくんも、パンツだ!!」
同じ格好になって喜んでる洸。
紗栄は呆れながらも急いで着替えを渡した。
「2人とも遊びすぎ~。」
童心に返って、洸と触れ合うことに幸福感を抱いていた。
その姿を裕樹と紗栄は微笑ましく感じていた。
いつまでも、こんな笑い合って平和な時間が過ぎれば良いなぁとしみじみと思う。
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