第48話
新幹線がホームに入った。
冷たい風が吹き荒ぶ。
裕樹とさとしは、揃って、新幹線の中に乗り込んだ。
花鈴の子どもたち2人は、年齢により仕事を辞めた美智子の元へ預けた。
紗栄は具合悪くて、洸のことを見る余裕もなかった。
さとしのお店は予約のお客さんのみ受付で、ディナー営業で開店させることにした。
新しく入ったバイトの2人と遼平に全てを任せてきた。
遼平は、最近、教えたばかりのメニューを作れると張り切って業務に取り組んでいた。
まるで、まだ大学生なのに副店長のようにバリバリ仕事をこなしてくれていた。
「さとしくん。ネクタイ曲がっているぞ。」
指定席に座るとすぐに荷物を上に置いた際に見えたネクタイがヨレヨレだった。
「あ…そうっすね。直します。」
「寝癖…ついている。久しぶりに東京の仕事でメガネで変装してるからって、外に出てるんだからさ、素人でも気にする部分だぞ。ほら、ブラシでとかしな。」
「すいません。すぐ直します。」
裕樹はバックから立てかけられる鏡を取り出して渡した。
「どうせ、寝坊でもしたんだろ?」
「あ、バレました?」
「あぁ。慌てて着た感が満載だからな。ご飯もまだか?」
さっとコンビニで買ってきたであろうウィンナーパンとペットボトルのコーヒーを差し出す。
「あ、もう。何から何までありがとうございます。お兄様。いただきます。」
「親戚としてはさとしくんがお義兄様だけどな。俺の方が年上で、呼びたくはないが…。」
「いや、本当、スーツ着るのが1ヶ月振りだったんで、慌てましたよ。いつもコックコート着るから、ネクタイいらないし、焦る焦る。俺、ダメっすね。いつも紗栄に起こしてもらってばかりだから、今日は紗栄具合悪いって自分で起きたんですけど、寝坊しちゃって…。独身の頃は全然そんなことなかったんですけどね。」
裕樹は目の下にクマを作って何も話さなくなった。
「あ、すいません。そんな話、聞きたくないですね。今の裕樹さんには。」
「一言余計だよ。もう何も言うな。」
「それにしても、なんで、花鈴は…。」
「…何も言うなって言ってるだろ? 俺にだって分からないんだから。」
両手を顔で覆った裕樹。
昨夜は一睡もできてなかったようだ。
「悪い、寝るから。着いたら起こして。昨日寝てないからさ。」
「…大変っすね。」
「……。」
裕樹は考えることに疲れたのか、持っていたハンカチを顔にかけて寝付いた。
さとしはバックに入れていたBluetooth接続の小さな白いイヤホンを耳につけて音楽を聴き始めた。
久しぶりにのんびり自分の時間を堪能できるとテンションは上がっていた。
新幹線の窓をのぞくと、青空が広がっていた。
遠くの方で、渡り鳥の白鳥やマガンが飛び交っていた。
冬が近づいていた。
数時間後、写真スタジオに2人はやってきた。
マネージャーである裕樹は、花鈴を連れていない。
スマホに連絡しても電源が入ってないとなるし、返答の電話もラインもない。
現場に来るのを待っていた。
「さとしくん、龍二くん来てたから、更衣室で用意された服に着替えてきて。」
「了解です。花鈴は、まだですよね。時間、あと30分で予定時刻ですけど…。」
「あぁ、玄関で待っておくわ。」
焦りを見せた裕樹はその場から離れて玄関に行った。
さとしは、龍二に声をかけて渡された服を持って更衣室に行く。
男女で分かれていた更衣室の男の方へ行くと。
「あ…。」
山岸という男のとともに花鈴は男性の更衣室に入っていた。
しばらく見ないうちに風貌が変わっていた。
髪の毛は金髪のショートカットになっていて、まるで反抗期の学生のようだった。
更衣室と言っても楽屋のように休憩するテーブルや椅子も用意された広い部屋だった。
さとしは扉に表示された男性マークを確認した。
「ここ、男性更衣室ですよね?」
「すいませーん。間違えました。」
花鈴だけそそくさといなくなろうとした時。
「おい、花鈴。1ヶ月も何してたんだよ? 裕樹さん、心配してるんだぞ。」
「……。」
さとしは、山岸に声をかけて、2人にさせてもらうよう頼んだ。
花鈴は逃げるように女子更衣室に行こうとする。
慌てて、腕をつかんで引き戻す。
「待てよ。話がある。ここに座って。」
山岸は黙って廊下に行く。
扉を閉めると、花鈴は仕方なく、男性更衣室の黙って椅子に座った。
「花鈴、なんで?」
「なんでって何?」
「子ども2人残して、逃亡まがいのことするんだよ。」
「逃亡なんてしてないよ。社長にはきちんと許可取っていたよ。裕樹には言わないでって念を押して言わなかっただけ。私、悪くないよ。悪いのは裕樹よ。というか、夫婦の問題に関わってこないでよ。」
「俺は、一応お前の兄だし、義理だけど。甥っ子の洸のことだって大事にしたいから! 関係ないことはない。」
「血もつながらない人が兄貴ヅラしないでよ。洸なんて私に興味はないわ。母としてみてないもの。深月だって、パパ、パパって私には近寄ってこないもの。裕樹だって、深月のことばかり見て、私なんて眼中にないわよ。子供なんて産まなきゃよかったって思ったわ。」
「…思っても言うなよ。」
「は?」
「子供産まなきゃよかったなんて、思ってても言うなって言ってんだよ。世の中には子供欲しくてもできない人がたくさんいるんだよ。贅沢すぎるんだよ。」
「は? そう言うけど、私は? 私だって親がいて子供だけど、誰からも相手されてないんだよ? 私のことは蚊帳の外で子供子供って! 子供が欲しいならくれてやるわよ! 願ったり叶ったりだわ。」
泣き叫びながら、答える。
精神状態は情緒不安定。
花鈴はわかっていた。
本当は自分はダメな親だと。
仕事なんてこんなに忙しくしたくなかった。
忙しいが故、深月に授乳をしていたのが、深月と離れすぎていたことが原因で母乳が出なくなってそれがストレスになり、ホルモンバランスが崩れて、通常の考えができていなかった。
乳腺炎にもなって痛くなり、授乳をやめたことにより生理がもどり、裕樹と京都で別れた後、大量出血で貧血で倒れ、腹痛や頭痛も起きていた。
花鈴が体調不良ということに気づかないまま、助けてくれたのは裕樹の代わりをマネージャーとして勤めていた山岸智也(やまぎしともや)だった。
細かいことに気づいてくれて支えてくれた。
中学時代に渡米して、ハーバード大学に通っていたエリートな人だった。
親元から離れて過ごしたところに境遇が一緒だったことに意気投合した。
風貌はレゲエソングを歌うかと思うようなドレッドヘアをしていた。もちろんマネージャーの仕事のため、スーツだったが、ミスマッチな格好だった。
さとしには真似できない格好だった。
「そっか、花鈴はそう思って子育てしてたんだな。」
その一言で見放されたと感じた花鈴は、さとしに泣きながらしがみついた。
「私だって、私の好きに生きる自由はあるでしょう! 頑張って、親から離れて今の地位を築いてきたの。別に嫌いで子供たちと離れたわけじゃない。子供たちが私を捨てたの。もう、いらないって…。裕樹も私は妻として見てない。しばらく、離れた方がいいって思う。」
さとしは、悟った。
この状態で花鈴は洸も深月も相手はできないだろう。
心がものすごく病んでいる。
正常な判断ができていない。
無理に一緒にいたら、子供たちに危険が及ぶかもしれないと感じた。
苦渋の選択で健康的な判断ができたときに元の生活に戻れるかもしれないとその先を見据えた。
そこへ、裕樹が騒がしいことを聞きつけて中に入ってきた。
花鈴を見て、すぐに裕樹は無言でギュッと抱きしめた。
深月と洸もいなかったことも良かったんだろう。
集中して花鈴を見ることができた。
「無事でよかった。」
思ってもない言葉を聞いて、花鈴は頬に涙を伝う。
完全に怒られることを考えていた。
「私なんて、必要ないと思ってた。」
「なんで? 花鈴は洸と深月の母親だろ? 俺の妻なんだろ?」
「……でも、無理。私、裕樹、許せない。一緒にいるの辛い。」
気持ちが不安定だった。
韓国人のカタコトのように話し出す。
「どうして? 嫌なことあったら、直すから。」
「そういう問題じゃない。私は、今、智也と一緒にいたいの。ごめんなさい。」
子供のおもちゃのように、今はこのおもちゃで遊びたいのというような、気持ちにまっすぐ素直に言った。
裕樹は何とも言えなくなった。
もう、花鈴はこちらに眼中ないことに気づく。
気の迷いで、いろんなところを見たいとかいろんなことをしたいと感じているんだろうなと広い心で花梨の気持ちを受け止めた。
「んじゃ、離婚する方向でいいんだね。」
気持ちをすぐ切り替えるように裕樹は後ろを向く。
「うん、そうしてもらえると助かります。仕事も智也がマネージャーしてくれるって言っているから。」
「わかった。社長にもそう伝えておく。」
裕樹の背中はとても寂しそうだった。花鈴はすっきりしたようで、気持ちは清々しくなっていた。
その現場を見ていたさとしは複雑な気持ちでいっぱいだった。
「すいません!まもなく撮影入りますので、着替えをしていただいていいですか?」
スタッフが半分開いていたドアから声をかけた。
ご機嫌になった花鈴は、女子更衣室へ移動し、着替えを始めた。
波瀾のやり取りにドキドキした山岸は、これでよかったのかと少し後悔していた。
着替えようとするさとしに話しかける。
「あの…俺、よかったんですかね。」
「知らないよ。あんたが花鈴に誘惑したんだろ?」
「誘惑なんてしてないですよ。ただ、仕事を全うしただけ…。」
「ま、今、花鈴の精神状態がね…。相手できるのが、今のところあなたしかいないので、よろしく頼みます。俺、義兄として、これ以上何もできないんで…。」
そう言うと、龍二に渡された服を素早く着る。
ダークカーキ色でラウンドネックのプルオーバー長袖に袖を通した。
ウチでは着ない服を着るとテンションがあがる。
ズボンはカジュアルなチノパン。
鏡を見ながら確認する。
普段は野菜や肉、ボウルなどのキッチン用具に囲まれて、自分の姿なんて見るのは髭を剃る時くらい。
こうやって自分を見ると老け込んできたなと感じた。
このモデルの仕事もいつまでできるのだか、不安になってくる。
仕事はカフェの方で十分満たされているのだが。
「お待たせしました。撮影に入ります!。」
花鈴はタイルチェックのオーバーサイズのシャツを白Tシャツの上に羽織っていた。
下は黒のパンツスタイルを履いていた。金髪に染めたばかりの髪がやけに目立つ格好となっている。
事務所の指示もなく、勝手に脱色してきたようだった。
花鈴は何か変わりたかったのかもしれない。
束縛されたくない思いが強く出てきていた。
花鈴は、清々しい気持ちで撮影に挑むが、さとしは何だかモヤモヤのままスタジオに入っていく。
それでも気持ちを切り替えて、営業スマイルを心掛けた。
こう言う仕事をしていると、今の心情を推し殺して、表現しないといけないため、どこかでスイッチの切り替えをしないと心が病んでいく。
さとしは、慣れれば大したことはないのだろうけど、ずっとやりつづけるのは無理だろうと感じ始めた瞬間だった。
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