第45話

 ソファに腰掛けて、スマホを耳に当てた。





 コールが静かに聞こえる。




 何度鳴らしても出ない。




 そもそも、さとしの電話番号をたけしに教えていないため、迷惑電話だと思われているかもしれない。




 20秒以上コールして出ないため、一度通話を切った。




「出ないな。仕事中なのかもしれないな。とりあえず、このままここにいてもいけないから、うちに帰るか。洸、車に乗せないとな。」




 紗栄は、休憩室にある洸の荷物をまとめて、帰り支度をした。




 さとしは洸を抱きかかえて、駐車場の車まで運んだ。




 時々寝言を言っていたが、全然起きる気配がない。



 ジュニアシートを後部座席に置き、シートベルトをした。




 横に首がカックンと倒れた。




 タオルをくるくると、巻いて、クッションのようにし、適切に元の位置に戻した。



 そっと、手を離した。



 クゥーとイビキをかいて寝ていた。



「あ!」 




 さとしは花鈴達に電話するのを思い出して大きな声を出してしまったが、それでも起きなかった。




 ヒヤヒヤして、両手で口を押さえた。



 仕切り直して、電話をした。




「もしもし、さとしですけど、今、電話いいっすか?」




『おぅ。どした?』




 3コールして、裕樹がすぐに応対した。




「今、マンチカンにいるんですけど、喜治さんが入院することになったので、俺のウチで洸を預かることになりましたって言う連絡なんです。」




『え?喜治さん、どこ具合悪くしたの? 大丈夫?』




 動揺を隠しきれてない。



 さとしは続けて話す。




「盲腸らしいです。1週間くらいの入院でマンチカンも臨時休業するって優子さんから連絡ありまして、洸も見ることができないからということでして…って俺の仕事って、今のところ大丈夫ですよね。」



 

 洸に聞こえないように駐車場の真っ暗な外で電話をしていると荷物を抱えた紗栄がこちらに来ていたため、片手でトランクのドアを開けてジェスチャーで入れるよう指示した。




 紗栄は持っていた大きなバックを後ろに積み入れた。




 そっと静かに車のドアを閉めて、車のエンジンを、かけた。




『とりあえず、今はさとしの仕事は調整して休みで良いんだけど、花鈴の方は来週までグルメ番組とパワースポット巡りの番組を京都でするから、帰れないんだよね。うーん、もし可能なら、そのまま洸のこと見ててもらえる?俺だけなら3日後に帰れるよう、調整かけてみるから、坂本さんも一緒に出演する番組でマネージャーいるから何とかできるかもしんない。大丈夫そう?』




「分かりました。3日後ですね、となると、金土日で、月曜日には戻れるってことですね。」




『申し訳ないな。カフェも土日お客さんたくさん来るんだろ?洸のこと見れる?』



「大丈夫ですよ、紗栄に懐いてますし、何とか。俺には懐きませんが…。」



『洸はライバルだもんな。大丈夫ならいいんだけど、頑張って。んじゃ、また何かあったら連絡して。こっちの仕事はとりあえず休戦ってことでいいからな。』



 ふと、さとしは思い出したことがあった。妹の深月はどこにいるんだと疑問に思った。



「あれ、深月ちゃんはどこにいたんですか?」



『ああ、深月? こっちに一緒にいたよ。ママのそば離れたくないって言うから仕方なく連れて来てた。洸は、反抗期なのか一緒に行きたくないって駄々こねたから優子さんに預けてたのよ。本当は一緒に連れて行きたかったんだけどね…マンチカンのお店でレゴブロックしてた方が良いって言うこと聞かなくて…。って悪い。明日も早いからこの辺で、あと、よろしく頼むよ。』




 裕樹は、電話を切った。



 それを聞いたさとしは、何となく洸が可哀想に思えた。




 親からも妹からも離れてずっと1人でブロック遊びしている姿を想像するだけで寂しいだろうなと言う気持ちが沸いた。



「さてと、もう9時だな。早く帰って風呂入らないとな。と言うか、忙しすぎてお客さんに出すご飯は作っても、ご飯食べるの忘れてた。うちになんかある?」




 電話を終えて、助手席に座った紗栄。首を横に振る。



「ごめん、何もない。ご飯も炊いてない。」



「だよな。コンビニで適当に買って帰るか。」



「私、焼き鳥食べたい。あと、お酒も飲んで良いかな?」



「うん。別に良いけどさ。酔っ払って明日寝坊しないでね。明日は俺、久々にキッチンはいるし、混むよきっと。」



 モデル業をはじめてからの初のキッチンの仕事はマンチカンと違って既にSNSやメディアでSATOSHIがここで働いてると分かってしまっている。



 宣伝も兼ねているため、行列になるだろうと考えていた。




「…だって、いろいろあり過ぎて、眠れないんだもん。」




「でも、眠れないからって、寝酒は体に良くないぞ。俺が、寝かせてあげるから。」



「は?どうやって?」



「それは、秘密。全部言わせるなって。」



「うわ、なんか変なこと考えてる?」




 そんな他愛もない会話もできる時間が紗栄にとっては微笑ましかった。



 さとしが東京に行ってしまってるときは遼平以外会話する人がいなかった。




 なんだかんだ言って、本音で話せて気が知れて心落ち着いているのは付き合いの長いさとしなんだと改めて実感した。




 車は真っ暗な夜道を走り抜けていった。



 洸は、疲れすぎてご飯も食べずにベッドに入ったまま朝まで起きることは無かった。



 食欲よりも睡眠欲が強かったんだろう。


 2人にとってはいろんな意味で好都合だった。


 天使のような笑顔が見れるし、それより何より久しぶりに東京から帰ってきての2人きりの時間を満喫できていたからだ。



 新婚生活まだまだ1年と半年。


 東京と仙台を行き来するさとしは、まるで七夕の織姫彦星のように、毎日会えなくて帰ってきた時は嬉しさはひとしおで、離れた時間が恋人に戻った時のようで、会いたくても会えない気持ちが大きくなる。



 さとしがいない間、目の前にいる遼平が代わりを務めるかと思ったが、やはりそれは見た目とか体だけで気休め程度にしかならなくて、本当に心からの好きな人、愛する人ではない。


 都合の良く寂しさを埋めるための時間を過ごしてくれる人なんだろうなと感じてしまった。



 もちろん、遼平もその気持ちを知った上で関わってきたつもりだった。



 でも、どこか罪悪感にさいなまれている。遼平は日常の生活の中でどこか寂しげで悲しげな表情をさせていた。



 彼女のくるみがそばにいても、心の穴が埋まることはなかった。





ーーー


 雲の切れ間から朝日が煌々と輝き出していた。


 反対側の空には白い月が半分顔を覗かせている。

 


「おはようございます。」




 小さい黒いバックを片手で背中に背負った遼平は、裏口からカフェのスコフィッシュフォールドのお店に入った。


 バイクは裏口ドアのそばにとめておいた。



 暴れる洸の服を着替えさせている紗栄が裏口の近くを通り過ぎる。



「あれ、遼平くん。おはよう。今日、出勤日だっけ?大学行くんじゃないの?まだ午前中だよ? あ、こら、待て、洸、ほら服着替えて!」



「やだーーー。」


 逃げ回る洸。


 遼平は、両手で洸を捕まえようとしたが、逃げられて、キッチンにいるさとしに向かった。



 ドンと体がぶつかる。



「おい、洸。こっち来たら危ないだろ?包丁とかあるんだから、あっちで着替えなさい!」



 イライラが募る。



 さとしはパンツ一丁の洸を高々と抱えて、リビングに連れて行く。




 それでも暴れ回る洸。



 危なく落ちそうになる。



「お。遼平! 今日、大学だろ? 良いんだぞ、無理すんなよ。単位取れなくなるぞ。」




 洸を抱えたまま、さとしは話す。




「いや、ほら、今日、すごく混むだろうなって思って、Instagramのコメント凄い入ってたんで、仕事しますよ。お2人、大変かなと思って…あと、その子、まさか、お2人の子どもっすか? いつ生まれた??」



 紗栄が慌てて間に入る。


 遼平は早すぎる出産だなと驚いた。



「違う違う。まさか! 妹、花鈴の子だよ。甥っ子。今、両親とも仕事で京都行ってるから預かることになったの。お仕事できるよ、この子。小さなアルバイトくん。」



 遼平は、納得した。



「ああ、甥っ子ね。俺は谷口遼平。君、名前なんていうの?」



「洸! 宮島洸くんです!ぎゃー。」


 さとしは、洸を肩の上でぐるぐる

 振り回していた。


 キャキャッと喜んでいた。


 ジェットコースターのようで、楽しいようだ。



「洸くんね。…そういや、外、見ました? お客さん、結構な行列でしたよ。」



 紗栄とさとしは、外の様子をカーテンごしに見てみた。



 見ないうちに長蛇の列になっていた。



 駐車場は満杯で、路上駐車する人もいる。



 山の中にあるカフェのため、広い道路にはなっていたが、さすがにこれはマズイと、さとしは急いで前もって作っておいた整理券を配ろうした。




「さとしさん、やめといた方がいいです。俺、行きますから、中で待っててください。さとしさんが、外に出たら…。」



 さとしの走り出す腕を止めて、外に出た場合を想像すると、人だかりができて、整理券どころでは無くなりそうと予測した。



「あ…俺が配ったら、確かに混雑しそうだな。整理券どころじゃないかも。んじゃ、遼平に頼む。」


 

 手に持っていた100枚の整理券を渡した。猫のスコフィッシュフォールドの写真と番号が載せられている可愛い券だった。



 捨てられてそうな一枚の紙にもこだわっている。



 お客さんが気に入りそうな心を鷲掴みできるさとしを尊敬した。



 遼平は一人一人に感謝を込めて、整理券を配った。



さとしと紗栄は、2人がかりで、洸をどうにか着替えさせて、ごはんを食べさせた。 



 紗栄はエプロンを、さとしはコックコートに着替えて、お店の準備に追われる。



 洸も一緒に小さなエプロンと大きなコックの帽子をかぶって準備をした。



 お店のお手伝いが出来ると張り切っていた。




「ごめんね。子ども用の帽子がなくて…大きいけど、可愛いから大丈夫かな。」




 紗栄は洸と同じ背の高さになるようにかかんで、帽子を被せなおした。なでなでと頭を撫でた。



「僕も、さっくんに負けないから。紗栄の手伝いするんだもん。」



 さとしに対するライバル魂が洸を燃やした。



 目二つに炎が浮かぶ。




 小さな戦士だった。




「呼び捨て? ちょっとおばちゃん抜けてる。…疲れたら、リビングでビデオ見てて良いからね。好きそうなDVD用意してたから。声かけて。」



 

 紗栄は起き上がって、レジの両替の準備をした。作業しながら、



「洸は、頑張らなくても、大丈夫。いつでも、洸の味方だからさ。」



「え? さっくんよりも?」



 ませたことを言う洸。



 さとしよりも上でありたかったようだ。



「はいはい。そう言うことにしておこう。」


 

 大人の言うことは大抵が子ども騙しで嘘を言ってるってこともお見通しなのを小さな洸でも分かっていた。



 それでも、なぜかさとしには負けたくなかった。




「ねえねえ。」



 

 レジ横で紗栄の腕を引っ張り、同じ高さに合わせて、不意打ちにホッペにチューをした洸。



「ありがとう。」



 また、紗栄は洸の頭を撫でた。



 小さな子でも想いはあるんだと、嬉しく感じた。



 ホールでテーブルに椅子を上げていたものを下す作業をしていたさとしと遼平は、ラブラブな洸と紗栄をじっくり見ていた。


 テーブルと椅子の準備を終えて、



「ライバル増えたなぁ。なあ、遼平。」



 遼平の肩をポンと叩く。



「え、あ、え?」




 動揺を隠せない遼平は、ドギマギして、返答に困った。




「ごめん、開店前で申し訳ないんだけど、ちょっと来て。」





 さとしは、裏口のお客さん達から見えないお店の裏側の影のところに遼平を呼んだ。




「なんすか?」



 遼平は、裏口のドアを閉めたと同時に景色が一瞬にして、変わった。

 

 目の前に青空が見えた。


 

 無言でさとしは遼平を左頬をグーで殴った。


 殴られて、天を見上げていた。



「気づいてないとでも思ったか?」




「え?」




 殴られた頬を抑えて、

 体半分起こした。


 座ったままの状態で




「いや、いい。何も答えなくても構わない。…ただ、遼平の力で紗栄が元気になったことは確かだから、それには礼を言う。ありがとう。俺ができないことを補ってくれたことには感謝する。」



 そっと、右手を差し出した。遼平はそのままさとしの手を借りて立ち上がった。



「悪ぃ。もう気が済んだ。それで許してやる。けど、少し力が強かったかもな…もう、紗栄に手出すなよ。」



 さとしの右手は慣れないパンチで赤く腫れていた。



 遼平の左側の頬近くの口が少し切れていた。左手でそれを拭った。



「…すいませんでした。」


 こうなることが、何となく予想ついていたのか、遼平はさとしをとがめることはせず、深々と頭を下げた。



 暴力はいけないことだが、パンチ一つで許してもらえるならと、遼平は気持ちを切り替えた。


 

 裏口のドアを開けて、中に入っていったさとしは、数分後、もう一度半分ドアを開けて話す。



「服着替えたら、すぐキッチンこいよ? 仕込み終わったらホールな。」



 いつも通りの対応に戻った。


 

 言い終えると恥ずかしくなったのかドアをパタンと閉めた。





 遼平の着ていた服が私服だった。


 多少ズボンがぬかるんだ地面の泥で汚れてしまったが、仕事には影響しないだろうと不幸中の幸いだろうと感じた。




 遼平が休憩室に行くとテーブルの上にはご丁寧に上下の私服が綺麗に畳まれておいてあった。



 汚れた服では帰れないだろうとさとしの気遣いだった。  

 何も言わずにさっと置いている。

 

 少し身長は違ったが、遼平にとっては充分だった。



 モデルであるさとしからの私服を借りられるだけで、嬉しかった。



 ロッカーに入れておいたコックコートに急いで着替えて、借りた私服をロッカーの中に入れた。



 整理券配布とは言え、いつも以上のお客さんの数。



 鏡を見ながら、顔にバシバシと両手で叩いて、気合を入れた。



 ロッカーの扉がバタンと閉まる。

 

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