第22話

プルルルル

 電話の音とともにバイブレーションが鳴った。嬉しい知らせだと思って、声を弾ませて出た。

「は、はい。さとし!宮島さん?」

『さとしのばかやろーーー! 頭冷やして考えろー』

 裕樹さんの声ではなかった。電話口の向こうは花鈴だった。随分前に紗栄とさとしの別れ話のことを聞いていたためか、花鈴は裕樹の横でお怒りだった。

「え、ちょっと待って。花鈴?」

『花鈴?じゃないよ。状況分かって連絡してるの?今ここにはいないけど、私、今、紗栄と一緒に働いてるんだよ?』

「ん? 紗栄、いるの? 近くに?」

『話を聞けー。今はいないよ。…焦ったいなぁ。話あるから家に来て! ラインで地図送るよ!』

 何故か、ずっと電話は裕樹の電話なのに、花鈴が話していた。夫婦だからか、共有してるのか、仲のいい夫婦だなと鼻で笑いながら、ライン画像で送られた写真を確認すると、加奈子が借りていた高層マンションと同じ場所だった。そのマンションは賃貸と分譲のミックスされた場所だった。26階から上の30階までは分譲マンションで、1階から25階は賃貸となっていた。部屋割りも全然違っていた。インターフォンを1階で押すと解除されてエレベーターに乗ることができた。ついいつものくせで25のボタンを押しそうだったか今回は最上階。30のエレベーターのボタンを押そうとしたら、締まりそうなドアが1階で開いた。

「あ、すいません。乗ります!」

 ギリギリでエレベーターのドアが開いた。嗅いだことのある香水が漂った。サラサラの髪が靡いていた。雪村紗栄がエレベーターに乗って来た。さとしは、以前と違う紗栄の風貌を見てドキッとした。ヨガやピラティスで腹筋や体幹を鍛えているためか姿勢がいいのと、縮毛矯正をかけた長いサラサラのロングヘア。服装も雑誌などでしか見たことないオシャレな服だった。

「さ、紗栄。」

「え、どちらさま?」

 サングラスをかけて、高級なブランドの服を身につけていた。髪も以前とは違う格好になっていることをすっかり忘れていた。慌てて、サングラスを外して、胸ポケットに引っ掛けた。

「俺だよ。」

 両手を広げてアピールした。

「…すいません。わかりません。」

 まるでスマホのAIのように対応した紗栄。顔を見ずにドアの方へ体を向ける。沈黙が続く。30階までこの調子になってしまう。ごくりとつばをのむ。

「あのー、大越さとしです。」

「……。」

 紗栄は沈黙を貫いた。そもそも、紗栄の両耳には小さなワイヤレスイヤホン付けていた。何か音楽を聴いてたようだ。不意打ちにイヤホンを外した。

「あ…」

「さとしなんですけど!」

「知ってます! かえして、それ。」

「やだ。」

「なんで!」

「無視したから」

「子ども?」

「うん。」

「ああ、そう。んじゃ、いらない。」

 また紗栄はドアを向いた。いじめっ子対策を学んできた紗栄、こうもあろうかと、バックにコードありイヤホンを付け直した。今はとにかく、音楽を聞きたかったらしい。さとしのことは全然眼中になかった。

「ねえ、俺だよ。俺。」

「は?だから何?」

 無邪気な子どものように顔を前に屈めて、こちらを見る。

「久しぶりに会って、それなの?」

「そうですけど、何か文句あるの?」

「うん。」

「私はもう、振り回されるのはたくさんなの。放っておいて。変に構わないで、もう、私たち終わったんだよ!」

 大人な対応ができない紗栄は過去を引っ張り出して、やり過ごそうとしていた。

「別に付き合う付き合わないの話じゃないじゃん。ただ、声かけただけでしょう。無視ってそっちが子どもじゃん。」

 逆ギレで今度はさとしが怒り始めた。

「はあ?」

「別にもういいですー。」

 ズボンのポケットに手を入れて拗ねた。ピロンと最上階についた。

「俺、ここでおりるから!」

「私もここでおりるの!先に行かないで!」

「どっちでも同じでしょ。どーせ、同じ家行くんだから!」

「え? なんで?」

 さとしは舌をペロっと出して、先に裕樹と花鈴の家に向かった。慌てて、紗栄は後をついていく。

 ピンポンとインターフォンを押した。

「はーい!中にどうぞ。」

 何やら、玄関が騒がしい。誰が先に行くか行かないかで揉めていた2人がいた。それを見た花鈴が呆れていた。

「ねえ、2人ともより戻したの?」

「まさか!」

 同時に同じセリフを言った。兄妹のような掛け合いで逆に仲が良い感じに見えてくる。目がお互いに血走っている。ふんっとお互いにそっぽを向いた。

「小学生か?」

 後から来た裕樹がツッコミを入れる。それぞれ、花鈴と裕樹に背中を押されて、リビングの方へ連れて行かれる。裕樹がコーヒーを淹れている。花鈴は椅子に座って洸を抱っこしていた。珍しく、洸はさとしに人見知りしていた。ダンマリでいつものおしゃべりじゃなくなっていた。初めて会うさとしに何かを感じていたのかもしれない。

「それで、さとしくん。電話で言ってたどん底ってどう言うことなの?」

 コーヒーが入ったマグカップをさしだして、話し出す。

「それが、話せば長くなるんですが、かくかくしかじかで…。」

 一通り、今までの出来事を紗栄がいる前で正直に話した。これから、仕事をしなきゃいけないのをどうしていくべきか相談しに来たと言った。

「お人好ししすぎるのも良くないよ。おバカだね、さとし。」

「おバカ!おバカ。」

 洸は真似をして話し出す。大人げないさとしは目で睨みつけると、小さくなる洸。

「ちょっと、洸くんをいじめないでよ。」

 かばうように紗栄は守る。

「ちぇ、俺は味方無しかよー。」

 右肩をポンポンとたたく裕樹。それを見た洸は真似をしてとてとてと歩いてお父さんと同じに今度は左肩をポンポンとたたいた。

「お?今度は味方になってくれんの?」

 洸に話しかけると、洸はびっくりして、紗栄の後ろに隠れた。裕樹は台所に行ってお茶菓子を取り出して、テーブルに出した。

「はい、イライラしたら甘いもの食べな!一緒にコーヒーもね。」

 紗栄は洸と一緒にお菓子を食べ始めた。とてもよく懐いてる。その様子を見たさとしは何だかヤキモキした。胸の辺りがモヤモヤするものがある。

「いただきます。」

 1人ポツンとお菓子をつまんだ。

「そしたらさ、さとしくん。紗栄ちゃんのマネージャーやればいいじゃない。俺はやっぱ、2人を担うのはだんだん厳しくなって来たから。紗栄ちゃんの仕事増えて来てて、最近大変なんだよね。どお?」

 いい名案だと花鈴は手を叩いた。

「絶対いやです。」

「なんでいやなの?」

「う、浮気するから。あっちに行ったりこっちに行ったり…」

 さとしは天井を見上げて、思い当たる節が見つからなかった。

「自覚症状ないみたいだよ?」

 花鈴は言う。

「でも、仕事だから、それは別でしょ?交際してないんでしょ?付き合う付き合わないは関係ないよ?」

「でも、不安…。」

 さとしは急に立ち上がる。これどうよと今の格好を改めて見せつける。

「ほら、ファッションセンス抜群でしょ?」

「そう言うことじゃなくて…。」

 呆れ顔の紗栄だった。

「んじゃ、社長に判断してもらおう。明日写真つけた履歴書持って来て、あと職務経歴書も書いてね。俺は電話しておくから面接の時間。確か明日は社長、外仕事は入ってないはず。」

 裕樹は早急に社長に電話した。確認取れたらしく午後から面接でアポが取れた。

「洸、さとしおじちゃんが、仕事したら、お父さんのお休み増えるよ?」

「え! お父さんといっぱい遊べるの?」

 すごく嬉しそうな顔になっていた。紗栄は複雑な表情を浮かべていた。もう、さとしには気持ちが向かないのに、仕事を一緒にすることにとても抵抗を感じていた。学歴も優秀で前職の仕事も肩書きがつくまで頑張っていたことも知っている。申し分ない優秀な人材を社長がイエスというに決まってる。紗栄は予感していたけど、本当に大丈夫か不安になってきた。また、交際しては傷つくのを恐れていた。もう、あんな傷を負いたくないと感じて、避け始めていた。しばらくは恋愛は必要ないとも思っていた。仕事が順調に軌道に乗り始め、雑誌やアパレル関係のモデルの仕事も増えて来た。双子ではないが、花鈴と一緒に仕事をもらえるようになっていた。時々、CM出演で個人的に出ることもあった。InstagramとTwitterのフォロワー数も着実に伸びを表して来た。そんな中、裕樹の仕事も多くなっていた。そんな時に仕事が分散されるのなら、願ったり叶ったりだった。

「…俺、明日の面接の準備しなきゃいけないんで、帰ります!」

 鼻息を荒くしていた。本気度が伺える。ビシッと敬礼してそのまま玄関の方へ行った。裕樹は後ろから1人で追いかけていく。

「んじゃ、東京の本社で面接だから新幹線で9時仙台発のチケット手配しておくからそのつもりで、仙台駅で待ち合わせしよう。俺も一緒に同行するよ。」

「本当に時間無いですね。写真撮りに行って来ます。確か駅地下2階にスピード写真あったような…あと、履歴書と職務経歴書?でしたっけ。転職するのそういや初めてですけど、ネットで調べて書いてきます。」

 裕樹はポケットから財布を出して、一万円札をさとしに差し出した。

「何かと物入りだろ? いろいろあって精神削られてるの、顔と全体見たら分かるから。さとしくん、痩せただろ?」

 本質をついた言葉に涙が出そうになった。

「そんな、受け取れないです。確かに前会った時よりかは、全然食べられてなかったけど…やっと決着つけられたんで、大丈夫です。和気藹々とした家族の中で俺が過ごすには申し訳ないと言うか…紗栄も何か俺に対して思うところあるだろうし。」

 ふとため息を漏らす裕樹。

「さとしくん。本当のこと、さっき話したんだろ?紗栄ちゃんも分かってるって…落ち込むな。まあ、多少時間は必要だろうけども、本気でマネージャーの仕事したら、受け入れてくれるから。相手を尽くす仕事だから紗栄ちゃん、心入れ替えるかもよ。君は以前尽くされすぎたんだろ? 今度は尽くしてやりなよ。」

「そうですね。仕事、無職のままじゃ昔の宮島さんになっちゃうから、この状況を、打破していきたいんで、よろしくお願いします。」

 深々とお辞儀をすると、やり切ったと思って、そのまま立ち去った。出していた一万円札は結局のところ、受け取らずに行ってしまった。昔の自分と比べられていることに多少疑問符を浮かべた。リビングに戻って、今日の夕飯はどうするか相談し合った。紗栄とさとしが険悪なムードで食事するにはまだ早かったんだろうと、裕樹はさとしが座っていた椅子を見つめる。紗栄を見て、笑いながら洸と遊んでいるが、まださとしとの関係に引きずっていたのかもしれない。

「紗栄ちゃん。さとしくんとこれから仕事をするわけで、改めて聞くんだけど大丈夫?」

 夕飯の準備は花鈴に任せて、食卓に座る。

「うーん、大丈夫と言われても…どう答えればいいか。」

「さっき、いろいろ話してたよね。結婚詐欺に合ったとか、自分本位じゃないとか…さとしくん、俺のところに来るって言った時に紗栄ちゃんのこと話してたわけよ。でも、話しててもここに来たから、さとしくんは本当に嫌いで別れたわけじゃないと思うんだよね。振られて複雑な気持ちだとは思うけどビジネスパートナーとして、割り切って接してみて。さとしくん、俺と似たところあるからうまくやれると思うんだよね。顔は全然違うけど。な?花鈴、俺の方かっこいいよな。」

 ビッグマウス発言を始めた裕樹。花鈴は呆れて両手の手のひらを上にあげて、何とも言えない対応をしてみせた。

「な、洸。お父さんの方、かっこいいだろ?さっきのおじさんより。」

「かっこいい、かっこいい!」

 子どもの褒め言葉に上機嫌になる裕樹だった。紗栄は上を見上げて、思い返したがどっちもどっちかなと考えてしまった。

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