第15話

 さとしは駆け足で車の後部座席のドアを開けた。後ろから紗栄が追いかけた。青天の霹靂のように頬を打たれた姿を見て、少しドキドキが止まっていなかった。

「こんなことがあろうかと、後ろにノートパソコン積んでおいてよかった。紗栄、車に乗ってていいよ。……って、パソコンはただ、車に置き忘れてただけど。」

 昨日の帰宅の際に、やっと仕事が終わって、自由の身だと仕事のことを考えたくないと思い、車の後部座席にノートパソコンを乗せたままだった。本来ならば車上荒らしにあったら防犯的によろしくない行動だったが、それすらも考えられないくらい疲れていた。パソコンを起動して、会社からのメールをチェックする。動画で後輩の大石ひとみから緊急事態だと言うことを報告受けた。スマホが繋がらないため、状況を伝えるために動画にするっという会社の決まりだった。さとしはすぐに大石に電話した。

『もしもし、大越だけど、今大丈夫?』

『あ、大越先輩、どうして、電話出てくれないんですか?こちらは今凄く大変な状況なんです。早く現場に商品を届けなくちゃいけなくて!』

 電話をしてすぐに向こう側が騒がしい音が聞こえてくる。慌てている様子が聞いて取れる。

『分かった。さっき、パソコンの動画メールを確認したから、今から俺が支社に行って足りない商品取りに行って現場まで持っていけば良いんだよな?』

『はい!そうですね。こちらでは他の取引先の大量発注手続きで手が回らないので、フォローお願いします。なおさら、スタッフがギリギリなんです。休日返上で申し訳ないですが、よろしくお願いします!』

『了解。大石、ひとりで無理しないで周りに頼って作業するんだぞ、いいな。』

『で、できる限り頑張ります。それじゃぁ。』

 さとしは、車に乗り込み、今度は本社の本部長に電話する。

『本部長、大越です。今、お電話よろしいでしょうか。』

『はい、斎藤だ。今、ちょっと会議中で手がはなせない。手短に頼む。大体の話は、エリアマネージャーの鈴木に聞いている。』

『忙しいところ、大変申し訳ありません。今回の後輩のミスは私が責任もって対応させていただきますことを連絡させていただきました。』

『了承した。手間をかけるが、あとは任せた。期待してるぞ、大越。んじゃ、切るぞ。』

 さとしは、電話を切ると、すぐにパソコンを開き、ネット検索し、足りない在庫状況を確認し、どこの店舗なら早急に現場に届けられるか考えた。

「えっと…イベント会場に間に合うよう場所……今日、人気モデル10人バレンタインファッションショーあるんだってさ。それで、会社のハート型風船を発注してくれたんんだけど、後輩のミスで100の風船が10しか届いてませんって話で取引先が気づいたのが今日だって話なのよ。これからその手配と現場にお届けするってこと。多分、膨らます作業も手伝わないと時間まで間に合わないかもなぁ。」

 紗栄は車の助手席で、タンブラーのコーヒーを飲みながら聞いた。さとしは、パソコンとスマホを見たり、ぽちぽちと検索して忙しくしていた。

「そうなんだ。大変そうだね。私、手伝おうか?」

「え、いいの? 同僚のスタッフは他のイベント会場の応援に行っててこっちに来られないのよ。県外だから、近いのは俺だけだから、助かるよ。んじゃ、車出すよ。シートベルトしめてもらえる?」

 紗栄は慌ててベルトをしめた。さとしは、ベルトを確認すると、車で10分で着く店舗に向かった。

 「お疲れ様です。メールで頂いてた風船50個は準備できました。あとの40個は40km先北店にあるそうです。全部準備出来なくて、すいません。」

 デパート内の5階に店舗はあった。立体駐車場にとめて、小走りでかけつけた。店舗についてすぐに店長が対応してくれた。さとしは、顔が知られていたようだ。

「お疲れ様です。早急な準備ありがとうございます。物があるだけでも十分です。期間限定商品だから仕方ないですよ。すぐにそちらの店舗行ってみます。」

「よろしくお願いします。」

 お互いに深々おじきした。紗栄は何も言わずに風船が入った段ボール2つのうち、1つを一緒に持って運んだ。駐車場に急ぐ。また、信号が多い道路を1時間かけて、次の店舗に向かった。その間、お腹が空いて、ドライブスルーのファストフードにより、適当に腹ごしらえをした。助手席で、飲み物の準備やフライドポテトを運転するさとしの口に何度も運んであげた。それだけでも、何だかほっこりした。本当ならば、おしゃれなカフェでパスタやハンバーグなんかをお互いに向き合って食べたかった。さとしの仕事都合で簡単な食事でせっかくのデートが台無しだと心の中で感じていた紗栄だったが、顔には出さず笑顔で取り繕った。我慢した。

「ここのポテトいつも食べるけど、美味しいよね。」

「本当、たまに食べたくなるよね。でも、紗栄、ごめんね、簡単なご飯になっちゃったね。」

 小さな犬が謝るように話すので、怒るのも出来なかった。紗栄は笑顔で返す。

「ううん。大丈夫。ポテトとハンバーガー好きだから。」 

 運転しながら、左手で右手を握ってくれる。そんな嫌な気分を和らいでくれた。もしかしたら、この気持ちにきづいてくれていたのかもしれない。空は曇っている。夜は晴れるのだろうか。イベント会場の天候が気になった。


ーー数時間後、イベント会場である仙台勾当台公園では、たくさんのお客さんで賑わっていた。出店もたくさんあり、東京と地元テレビ局の取材も入っていた。一足早いバレンタインファッションイベントで、チョコレートの宣伝でプチギフトが無料で配られていた。まもなく、豪華モデルのランウェイが始まろうとしている。寒空の下、司会進行の声が会場に響く。その頃、会場の舞台袖では慌ただしさがあった。

「ごめん、紗栄、それとってもらえる?」

 ハート型風船の飾り付けと、演者のモデルに持たせる風船と膨らまし続けて、約90個、後から応援に駆けつけたスタッフの大石ひとみも参加して、何とか開演の時間まで間に合ったみたいだ。東京から仙台へ営業としてまわってるこのイベントはさとしが勤める雑貨店SHOPLOOTが企画協賛しており、本社から莫大な予算が盛り込まれているものだった。会社の名前を広げることと、商品のアピールにバレンタインのイベントにかけていた。全国で東京、大阪、福岡、仙台、札幌と五か所で行われていた。東京ではアイドルとのダンスバトルイベント、大阪ではお笑い芸人の10組の漫才お披露目、福岡では、ゆるキャラと逃走中のイベント、札幌では雪まつりに合わせたコラボイベントがそれぞれ開催されて、仙台では10人のモデルファッションショーが行われようとしていた。舞台袖で準備をどうにか終えたさとし、紗栄、ひとみの3人は片付けに追われていた。

「お姉ちゃん?」

 片付けていると、ふと後ろから声をかけられた。

「ん? あ、花鈴、来てたの? あ、ああ。モデルファッションショーだからか!」

「そう、そうだよ。え、もしかして、さとしもいたの? うわ、久しぶりだね。」

 色艶やかな服を着た花鈴の後ろには黒いスーツをビシッと着た宮島がいた。さとしは、花鈴に声掛けられてすぐに、宮島の方へ足を進める。恥ずかしくて近づけなかったようだった。

「宮島さん、何ですか、そのスーツ。見違えましたね。」

 からかうように笑いながら言う。

「さとしくん、それどういう意味かな?」

 宮島はつけていたサングラスをずらす。夕方にサングラスはいらないか。スーツのポケットにひっかけた。男性2人が談笑している時、花鈴は紗栄に近づいて、小さな声で話す。

「ねぇ、さとしと付き合ってるの?」

「え?」

「…遅すぎた春? いつまでも交際してるんじゃなくて決着させなよ、お姉ちゃん。」

 顔を真っ赤にさせて、反応した紗栄に花鈴は悟った。何とも言えなくなった。

「ねえ、裕樹、私お姉ちゃんとランウェイ歩きたいんだけど、どうかな。この際、紹介しちゃうのは。」

「え? それは予定外なのとだから、無理なんじゃないの?」

「えー、だってさ、写真集売り上げに貢献できそうじゃん。世の中の人は飢えてるんだよ?刺激が欲しいに決まってるよ。私のInstagramも、マンネリ化してるし、フォロー増やしたいし、せめて、写真とかなら良いでしょう? ダメ?」

「うーん、仕方ないなぁ。紗栄さんが良いなら写真くらい良いじゃないの?」

 宮島は申し訳なさそうに、紗栄に写真交渉をした。やはり、コンプレックスがあるのか、紗栄は首を縦には振らなかった。

「お姉ちゃん、久々の再会なのに写真も撮らせてくれないの?」

「えー、だって、InstagramとかTwitterとかに載せるんでしょ。私、そんなに有名になれるほど美人じゃないし……。」

 自信なさそうに両手で断固拒否した。おもむろに花鈴はポケットから手鏡を出した。

「ほら、笑って。」

「え? こう?」

 手鏡には、紗栄と花鈴の笑顔が映し出された。いじめで辛かった中学生の頃、小学生だった花鈴がその時と同じに笑ってと言い、笑顔で2人の顔を鏡の中で見つめ合っていた。あの頃と変わらない仕草に妹の温かさを思い出した。大丈夫と励ましてくれた妹。今では地元の友達も近くにいない周りにはライバルばかりのモデル業。唯一味方なのは夫でもあり、マネージャの宮島だけ。紗栄よりも辛いことの多いはずなのに励ましてくれる。何故か頬に涙が伝う。

「お姉、昔より綺麗になったね。前は芋っぽかったのに……って何泣いているの?」

「ううん。ありがとう。これでもエステとか、プチ整形して二重まぶたにして努力は惜しまないよ。」

 花鈴より素材は劣っていると自負している紗栄は人一倍化粧などのお手入れには気を抜かなかった。綺麗の言葉にどこか安心さえもあった。指で涙を拭った。

「ほら、見てよ。昔より私たちは双子みたいになってるって。大丈夫だから、写真撮ろう。」

「そうかな。うん、わかった。なるべく可愛い角度で撮ってね。」

 そう言うと、横にいた宮島が黒い大きなバックから自撮り棒を取り出して、花鈴に渡した。

「準備が良いね。ほら撮るよ。はい、チーズ。」

 アップでなるべく目が大きく見えて、二重顎にならない角度で撮った。後にこの写真がバズることなど、思いもしなかったことだろう。

「あとさ、姉ちゃん。さとしにリードつけて繋いでいた方がいいかもしれないね。ほら見なよ。」

 スマホでの写真撮影が終わると、花鈴は舞台袖のテント付近で今回出場するモデルたちがさとしを取り囲んでいた。高身長で頭脳派、外見もそこそこ整っていたさとしは、よってたかる肉食女子に今にも食べられそうな勢いだった。

「ねぇ、芸能界には興味ないの?」

「いやぁ、特には……。」

「えー、その髪型ってどこの美容院?」

「いや、本当、普通の床屋です。」

「何かもったいないよね。」

「本当だよね。彼女とかいないの?」

 核心につく質問が飛び交った。モデルで高身長には意表をつかれる。さとしは生つばをのんだ。近くには紗栄が聞いているはずだから余計なこと言えないし、どちらの答えも何だか恐怖を感じた。案の定、数メートル先で、咳払いをする紗栄の声が聞こえてきた。

「あ、すいません。仕事が残ってますので、またの機会にLOOTの我が社をよろしくお願いします。それでは、失礼します。」

「えーーー、いろいろ聞きたかったのにー。」

「本番始まります。準備お願いします。」

 テレビ局のアシスタントディレクターが声をかけた。会場はお客さんでいっぱいになっていた。司会進行のアナウンサーと芸人のパンサー尾形さんの姿が見えた。バレンタインデーにちなんで、バレンタインデーキッスの曲が流れ始める。開演前に紗栄とさとしで必死に準備した大量のハート型の風船がところ狭しと並べられている。雑貨屋SHOPLOOTのマークで飾られている。スポンサーなこともあり、看板にも社名が書かれていた。会場は盛り上がりを見せていた。さとしは満足げだった。

「やっぱりリードをつけておきたいくらいだわ。」

 紗栄はさとしの横でボソッと呟いた。犬のようにリードをつけておけば、変な女の人のところにも行かないだろうともくろんでいた。優しすぎるあまりに割り切ることができないそういう性格のさとしだった。

「え? 何言った?」

「なんでもないよぉ。」

「ふーん、そう。」

 モデル10人がハートの風船を持ってランウェイを歩き出す。声援が止まらない。今年の冬ファッションとともに颯爽と歩く姿はカッコ良かった。花鈴も妹とは思えないくらい大人で想像以上に期待できるモデルに成り上がっていた。さとしも紗栄も魅了されていた。その彼女と知り合いであり家族であることが誇らしかった。

「そろそろ、帰るか。」

「もう、大丈夫なの?」

「あぁ。とりあえず発注分は日時に間に合うように準備できたわけだし、俺の仕事はミッションコンプリートしたわけよ。お疲れさん。」

 当然のようにあたかたも同僚のように右肩をたたかれた。慌てて、紗栄はさとしの後を追う。歩きながら、スタッフカードと青いネクタイを外した。地下駐車場のエレベーターの中でそのネクタイをふざけて、頭に結んで見せた。

「これ、どう?」

「うん。むり。」

 紗栄は速攻嫌がった。学生時代にはふざけることを一切しなかったさとしは、成人して、親元を離れてからおふざけすることも覚え始めた。やはり、親が教師だと我慢することが多いんだろうと寛容に受け止めた紗栄だった。

「仕事、大変だね。後輩の尻拭いとか、上司のパワハラとか、すごいね、よくやってるなぁって思うなぁ。」

「……うんまぁ、一応ね。俺も肩書きついてしまったもんだからやらざる得ないのよ。大して給料の差もないんだけどさ、職場の輪を保ちたいからさ。ボランティア精神だよね。あ、てか、あれは、パワハラじゃなくてDVだよね。元彼女って……面倒なことに巻き込まれたわ。」

 さとしは、頭の後ろに手を組んだ。歩きながら、車へと戻る。

「私の予想なんだけど、その上司から好意を寄せられて断りづらかったって感じ?」

 助手席に乗り込んで話し始めた。

「うん、まぁ……きっかけはそうなんだけどさ。本当いろいろあって、最後は俺の仕事ぶりが気に食わないとかいわれて…私よりも昇格するなって転勤されました。まぁまぁ、ちょうど離れられてよかったかな。別れて一緒の職場はキツイにもほどがあるもんね。あの方は何を考えているか分かりません。」

 ふーとため息をついて、車のエンジンをつける。後ろの座席からモコモコブランケットを取り出した。

「はい、寒いからこれかけて。んで? おなかすいたよね。どこ行く?」

「んじゃおしゃれなレストランでお願いします。」

「ですよね、そう来ると思った。お昼はファストフードだもんね、申し訳なかったなって思っていたから。ディナーは奢らせてください。」

 ぺこりとお辞儀すると、車を駐車場外へ移動させた。街灯がキラキラと輝く時間になっていた。2人は夜のオシャレなレストランへと向かった。

 紗栄は元彼女の別れ話を聞いて、何だかモヤモヤな気持ちを背負っていた。

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