蹇蹇匪躬?
閉鎖されたガレージから絶え間なく水音が響いている。
生体兵器の体液は人体に有害で、それを全身に浴びた相棒は洗浄の真っ最中だ。
セルパンさん、めちゃくちゃ嫌な顔してた。
「……生体兵器の駆除が避けられる理由が分かった気がします」
「あのビジュアルと後始末がね……」
くたびれた印象を受ける客間の長椅子に体を沈み込ませる。
生体兵器の駆除を完了した俺たちは、ひとまず地上に戻った。
首謀者が逃げ込んだ横穴には、これから当局が調査に入るらしい。
「それでHEKIUNは購入できそう?」
俺の対面には、長椅子に浅く腰かけるアルビナ先生。
両手で持ったカップは空だ。
疲労が顔に滲んでいて、ちょっと心配になる。
「少し足りなかったんですけど、ブライアン隊長が色を付けてくれました」
「金銭関係にはシビアな彼が? 珍しいね」
地上へ戻る道中、クレジットが足りないと嘆く俺とゾエを見てブライアン隊長は、ぽんっと出してくれた。
有無を言わさない空気で。
「また依頼する、と」
「ははは……抜かりないね、彼」
先生の疲れた笑みにつられて頬が緩む。
しばらく、生体兵器の駆除は勘弁したいなぁ。
「あの子は、どうしたの?」
大きな赤い瞳が、もう1人の同行者を探す。
ゴーストの組み込まれたティタンを遠隔操縦するゾエは、セーフハウスにいる。
今頃は──
「煤だらけの機体とフレイムスロワーのことで、ちょっと」
顛末を聞いたヘイズから金銭感覚についての説教を受けてる。
フレイムスロワー先輩は命の恩人だが、衝動買いは良くなかった。
「Vさんも行かなくて大丈夫?」
「後で説教があるって言われました」
悲しいね。
必要経費って弁明したら、ガレージの肥やしを増やすなって怒られた。
確かに生体兵器以外に使うとは思えないもんな。
対空火炎放射器という可能性が──難しいな。
射程が短いって辛いわ。
「彼女が説教かぁ……想像もつかないや」
先生は何とも言えない笑みを浮かべた。
前から気になっていたことけど、ヘイズの二つ名って絶対に良い意味じゃないよな。
何をしたんだろう?
「ヘイズって、そんな尖ってたんですか?」
「尖ってた……うん、尖ってたね」
先生は天井を見上げて、言葉を繰り返す。
それから姿勢を正し、神妙な表情を浮かべて口を開いた。
「戦場で会ったが最後、コクピットに杭を打ち込むまで追ってくる白い狐」
歌うように。
「初心者クランだろうと、依頼があれば躊躇なく全滅させる弁えない傭兵」
呪うように。
「それでいて、生身の戦闘技能も高いから暗殺も難しい…」
そこまで言い切ってから、先生は口を一度閉じる。
かたかたと換気扇の回る音が客間に響く。
「すごいプレイヤーなんだよ」
「はへぇ…」
もう言葉にできない。
俺の友人は、ハリウッドに主演する凄腕のヒットマンか何かか?
尖り具合がAP弾より鋭いわ。
「……きっと敵も多いだろうけど」
小さく溜息を吐く先生は、遠い目をしていた。
敵──それはアルビナ先生も抱えている。
ストーカーや粘着行為をしてくるプレイヤーの存在だ。
俺のせいだと思うと、非常に申し訳なくなる。
「アルビナ先生」
「何かな?」
改めて先生の名前を呼ぶ。
初めて話を聞いた時は言いそびれたが、これだけは伝えておきたい。
「何か手伝えることありませんか?」
「と、突然だね……どうしたの?」
驚いた表情も可愛い──雑念よ、去れ!
「俺のせいで迷惑かけてるので、せめて何か手伝えないかな、と」
雑念を払い、俺の持てる最大限の誠意を込めて言う。
先生は目を瞬かせてから、困ったように微笑んだ。
「気にしないで……って言っても難しいか」
配信者の宿命だと先生は言った。
でも、それで納得できるかと言えば、できない。
恩人が困っていたら、助けるのは当然だろ?
「本当に大丈夫だから」
それでも先生は、やんわりと断った。
初心者に何ができるという話ではある。
ストーカーを全員ぶちのめして終わるわけでもない。
しかし──
「それより、あの子から目を離さないで」
優しげな微笑みを消し、ごく真剣な表情で先生は告げた。
「…ゾエから?」
それはヘルパーとしての言葉ではなく、もっと別の意図を感じた。
「うん、お願い」
言われるまでもなく、ゾエから目を離すつもりはない。
今回みたいな妙な連中もいるとなれば、尚更だ。
だから、回答は単純明快。
「任せてください」
「ありがとう、Vさん」
小悪魔な笑みで全てを隠す先生が、何を考えているのか?
自分と瓜二つな容姿のゾエを、先生は気にかけていた。
「私は良い生徒を持ったね」
それはヘルパーとして当然の行いと思っていたが、おそらく違う。
一歩踏み込むべきか、悩む。
「時間も遅いし、そろそろ解散しよっか」
「あ、はい」
俺が答えを出すより先に、先生は席を立つ。
ふわりと銀髪が靡き、鼠色のオーバーコートが揺れる。
「先生!」
イーズギル26の前まで来て、俺は先生を呼び止めた。
「力になれることがあったら、言ってください」
鬱陶しく思われてもアピールはしておく。
お世話になった恩は、やっぱり返したい。
そのうちヘイズにも利子をつけて返す。
「…分かったよ」
先生は困ったように笑い、小さく手を振り返す。
その背中が見えなくなるまで、イーズギル26の前で見送った。
「また何か抱え込んでやがるな、あの小娘」
ガレージから現れたセルパンさんは渋い面で、先生の消えた雑踏を睨む。
「V、何かあったら…」
「力になりますよ、必ず」
「…そうか」
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