一人ポツンと

タヌキング

粛々と

ある日、妻に先立たれた。

健康で元気な人だったが、食道癌で亡くなった。

そんなわけで、私は家で一人ぼっちの老人である。

妻が亡くなって寂しくて泣いたが、半年もするとそれも落ち着いて、日々を漫然と過ごしている。

後追い自殺するのも一つの手かと思ったが、どうせいずれ死ぬのだから、焦って死ぬ必要もあるまい。



朝起きて、自分で朝食を作り、それを自分で食べる。


『ちゃんと家事と自炊してくださいね』


それが彼女の遺言なのだから面倒だが仕方ない。

けれど彼女の作ったレシピ通りに味噌汁を作ったつもりだが、どうにも味が一段落ちる。

焼き魚も、炊くだけの白米に至っても、どうも味気ない。

それは単に私の料理の腕がイマイチなのか、同じ食卓に妻が居ないからなのか・・・きっと後者だろう。

散歩をしたり、映画を見たり、ゲートボールをしても、隣に彼女が居ないというだけで、あまり楽しくない。



時折、一人息子の家族が遊びに来てくれる。様子見がてらの形式的なものだろうが、孤独な老人にとっては訪れてくれるだけで嬉しいものだ。

だが息子とその嫁との会話は続かないし、孫二人は揃いも揃ってパッドでYou Tubeを見ている。何となく気まずい沈黙が始まり、息子家族が帰っていくのが定番の流れである。妻が生きていてくれたら、明るい笑顔で次々に話題を出してくれるのだろうが、居ない人の話をしてもしょうがない。


「そんなに頻繁に来なくても良いぞ。」


と、いつかの帰り際に私が言ったことがあったが、息子は苦笑しながら


「バカ言うなよ、来週また来るよ」


と言ってくれたのが嬉しかった。



ある日、夢を見た。

高校時代の自分が、放課後の教室に忘れ物を取りに帰った時、夕日を浴びながら銀色のフルートを吹く彼女を見た。

普段は活発で元気な彼女が、物憂げな表情でフルートで綺麗な音色を奏でている姿に心奪われた。

今になって思えば、その彼女を動物園に誘ったことが、私の色事においての一番行動的になった時かもしれない。

その彼女が妻になる人なのだが、イチイチ説明すると野暮ったいな。

夢が終わると私は隣を見た。前までそこで寝ていた彼女が居ないことに肩を落とし、虚無感でその日は一日ボーっとしていた。



二人で一緒のタイミングで死ねたらベストだったのだが、生憎人の寿命というものはそんな調整は効かない。

きっと彼女が居ないのに生きている意味があるのだろうか?と日々自問自答しながら、私は人生を終えることだろう。

隕石が落ちてきて死ねたら楽なのだが、そうそう隕石も落ちてきそうにないので、今日も彼女が居ない日々を淡々粛々と生きるのである。



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一人ポツンと タヌキング @kibamusi

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