触れるのを忌避したのは
「景清君、握手をしよう」
大きな手が僕の目の前で揺れる。その向こうで曽根崎さんが妖しい笑みを浮かべている。僕は彼の行動と表情に一切の真意を読み取れないまま、首を傾げていた。
「いきなり何ですか?」
「できないか?」
「やろうと思えばできますけど、理由もないのに握手するのもどうかと思って」
「単純な親愛の情だよ」
「アンタが言うと殊更しらじらしいですね」
「失敬な」
曽根崎さんは手を下ろした。早々に諦めてくれたのにはホッとしつつも、やはり意図がわからない。僕は持ってきたお茶を彼のデスクに置くと、話を続けた。
「よくあるじゃないですか」
思い出していたのは、小学生の時の自分。
「突然握手しろと言われて従ったらギューッと強く握られたりとか、相手の手が汚れていたとか。こういうの、脈絡ないと思ってるのはこっちだけで相手には何か狙いがあることが殆どだと思うんですよね」
「お、鋭いな。君の危機管理能力が成長しているようで何よりだ」
「まあこれでも二十一年生きてますし」
「私は三十一年だ」
「張り合うな張り合うな。絶対今の負けず嫌い発揮するとこじゃないだろ」
差し込む西日の中、曽根崎さんは先程まで僕に差し出していた自分の左手を見つめている。その姿に、僕は亡くなる直前の人がじっと自分の手のひらを覗き込む手鏡現象を思い出していた。
「……ケガレという概念がある。様々な宗教や土着信仰に見られる不浄の定義だ」
不浄という単語に僕の心の奥が反応する。曽根崎さんはやっぱり自分の手を見つめている。
「特に手は、不浄にまつわる部位として象徴的な場合が多い。衛生感にも繋がるが、神社の前に手を清めるのは常識だろ? ヒンドゥー教では右手が神聖な手とされている。最も身近なところでは、手を介して不浄を他者に押しつけようとする鬼ごっこかな」
「ああ、手で触れることで鬼が移るって考えですか」
「これはいささか極端な論だが、触れるというのはつまり、相手の持つ不浄を我が身に取り入れることと同義なのだろう」
曽根崎さんの手がまた僕に向けられる。
「”脈絡がないと思ってるのはこちらだけで、相手には何か狙いがあることが殆ど”」
それは、さっき僕が言った言葉だ。
「君が私の手を取らなかったのは正しいよ。ここに伝染するケガレが込められていない可能性は決してゼロじゃない。相手に触れることは即ち不浄の交流だ。自らの身の安寧を第一に考えるなら、誰にも心を許さず手を取らないのが一番だろう」
「……」
「嫌味でも皮肉でもないよ。そうして生きるのは、ある意味正しい」
曽根崎さんは、いつもどおり淡々と言葉を述べる。だけど僕は、その裏に隠れた感情に気づいてしまった。
「……困った人ですね」
曽根崎さんの手を取る。両手で掴んでやったので、本人はいたく驚いたようだが。
「何も疑わず手を取ってもらいたいならそう言えばいいんですよ。そんな遠回しに試さなくたって」
「……試したわけじゃ」
「でも曽根崎さんは、僕が手を差し出したら迷わず取ってくれますよね?」
返事はなかった。僕は、彼の真っ黒な瞳を見つめていた。
「アンタの日頃の行いが悪いから警戒するだけで、僕だってちゃんと手を取りますよ」
呆れ半分、もう半分は僕にとって少し都合の悪い感情で吐き捨てる。
「だから、ふてくされないでください」
「ふてくされてない」
「ふてくされてるでしょうが。アンタ意外に声に本音が出るんですよ」
「出てないったら出てない」
「こどもか!」
実際こどもっぽい人なのである。少々厄介な雇用主が気まずそうにそっぽを向くのを、僕は手を離さぬままで笑ってやった。
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