アメンボとミツバチ
ある日、柊ちゃんに誘われた僕と曽根崎さんは占い館「ダスク」へと来ていた。もちろん柊ちゃんの目的は光坂さんで、それに付き合わされることに曽根崎さんが不満を表明する場面もあるにはあったが、文字数の都合上割愛する。
問題は、よく当たると話題の占い師に僕の前世を見てもらった時だ。
「……見えました。あなたの前世は、ミツバチです」
「え?」
「ミツバチ。忙しなく飛び回り、甲斐甲斐しくミツを巣に運び続けたミツバチです。故に現世でも、前世の名残りでまめに尽くしたがり……」
――僕の前世は、ミツバチ。
衝撃の事実に、僕は開いた口をどう塞げばいいかもわからなかった。
そして事務所に帰ってきて、その話を曽根崎さんにしたのである。
「前世とかいう確かめようのないものを引き合いに出してよく当たる占い師とは、笑わせるよな」
辛辣な評である。でもまあ、言っていることは分からないではない。曽根崎さんはキイと椅子の背もたれを鳴らすと、こちらを向いた。
「とはいえ、私も同じ人に見てもらったよ」
「前世をですか?」
「そうそう」
「へぇ、何だったんです」
「アメンボ」
「えふっ」
つい噴き出してしまった。微妙にありそうな所を突いてくるんじゃない。引き攣った笑いを堪える僕をよそに、奴は淡々と続ける。
「水面をスイスイ動き回り、順調に餌を捕らえて生きていたアメンボだったらしい。だがある日、心無い人間によって流された生活排水により浮くことができなくなって死んだ」
「うわぁ」
「アメンボは水の表面張力で浮いているからな。石鹸などといった界面活性剤を水にぶち込まれると、その力が弱まって沈むんだよ」
「そうなんですね」
「だから前世の影響により、自然破壊を嫌ったオーガニックな生活を心がけているだろうと言われた」
「実際どうなんですか?」
「意識したことすら」
「無いでしょうね」
食に頓着しない男がオーガニックにこだわるわけがない。あの占い師さんには、このオッサンがどう見えたんだろう。
事務所には夕刻の日が差している。少し眩しくて、まばたきをした。
「輪廻転生とは、元を辿ればバラモン教の思想らしいんだがな」
顔にくすんだ紅色の影を落とした曽根崎さんが、いう。
「今の日本人が感覚として理解しているのはおそらくそれが由来ではない。発展した仏教にこそあり、更には土着の……」
「そうだ、今日の晩御飯はきんぴらごぼうにしようと思ってたんですが、いいですかアメンボさん?」
「聞けって。いや誰がアメンボだ。見ろ、無事に徳を積んだ結果人間に転生してるだろ」
「アメンボが積める徳って何です?」
「毎日何か食って生き延びて、せっせと交尾に励んで子孫を残し世代を繋いだとかそんなんじゃないか」
「でも途中で溺れ死んでるじゃないですか」
「じゃあ童貞で死んだのかな。可哀想に、ただでさえ娯楽が少ないだろう中」
「しかも生まれ変わりは、こんなうすらとぼけたオッサンですよ。前世のアメンボも報われません。せめて今から婚活でも」
「やめろその見合い写真をしまえ。クソッ、前見た時より増えてる。また里子さんから貰ってきたな」
里子さんとは阿蘇さんのお母さんである。色々お世話になった人で、曽根崎さんが頭が上がらないうちの一人らしい。とにかくそう言われては仕方ないので、僕は渋々数枚のお見合い写真をキャビネットの中にしまった。
「……ミツバチとアメンボってことは、前世じゃ僕らの縁は薄そうですね」
そのしゃがんだ弾みのせいだろうか。ふと、突拍子も無いことを言ってしまったのである。慌てて曽根崎さんを振り返ると、何故か奴は両手をヒラヒラさせていた。
なんだそれ。羽のつもりか。
「馬鹿にしてんのか」
「なんでそうなる。こうすることで前世の記憶を引っ張り出してだな」
「アメンボは飛ばねぇだろ」
「わからんぞ。ミツバチの力を借りたら飛べたかもしれない」
「どういう意味です?」
「ほら、絵本なんかでよく見ないか? 違う虫同士が協力してどうこうなる話が」
「表現はちょっと引っかかりますけど、まあそうですね。ですが現実は違うでしょう」
「そこは寄生虫にまで範囲を広げれば……」
「それだとミツバチとアメンボって前提自体が崩れますが」
「んー……なら、君はその占い師から死因を聞いたか?」
「死因?」
変な質問をするものである。が、あいにくそうした内容は聞いていなかった。
なのでそう伝えると、奴はニヤリと口角を上げる。
「じゃ、そこだ」
「どこです?」
「私と君の縁だよ。つまり、君の死が私なんだ」
「……えええ?」
「アメンボは肉食だからな。恐らくなんらかの原因で私のいる池に落ちてきた君を、これ幸いと私が食べたんだろう」
「ええええええ」
「輪廻越しですまんが、ご馳走さまでした」
「いや手ぇ合わせんな。不本意ですよ、誰が認めるか」
垂れるその頭をはたく。が、ダメージはもしゃもしゃの毛に吸収された。
曽根崎さんが僕を食べた? アメンボとミツバチという関係性があったとしても、真っ平御免である。前世で自分を食った奴の下で働いてるなんて、なんか不吉じゃないか。
「……そうだな。さっきの話は忘れてくれ」
しかし曽根崎さんは、そんな僕の訴えを案外あっさり肯定した。そしてデスクに肘をついて、窓の外を見る。
「今生でも、君の命をもって私が生きながらえることがあっては敵わん」
その夜よりも深い黒の瞳の中に、一瞬だけ僅かな憂いを見た。けれどそれはすぐに、夕暮れの赤に染まって消える。
……よく当たる、なんて嘘っぱちですよ。前世も来世も関係ない、僕らはずっと僕らでしかないんですから。
そんな言葉が喉までせり上がり、けれど結局吐き出す勇気は無くて。沈んでいく夕陽を言い訳に、僕はキッチンへと逃げてしまった。
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