第2話

 深夜2時。変な時間に目が覚めてしまったけれど二度寝もできないし、かといって大学の課題をやる気にもならない。


 そんなわけで俺は部屋を出る。右に行けばエレベーター、左に行けば非常階段がありどちらからでも外に出られる。


 俺は眠気覚ましと非日常感を求めて左に進んだ。


 非常階段の重たいドアを開けるとブアッと4月の深夜の冷たい風が吹き込んできた。


 重ね着した方が良かったかなと思いつつも部屋に戻るのが億劫なのでスウェット一枚で俺は階段を降りる。


 マンションの3階から2階に繋がる非常階段。そこを通せんぼするように一人の女性が座っていた。俺に負けず劣らずの薄着。薄手の白いTシャツの背中には黒い下着がくっきりと浮かんでいる。


「あ……あのー……」


 俺が声をかけるとその人はゆっくりと振り返った。白っぽい金髪のボブカットに猫目の可愛らしい人。頬にある黒いアザが気になるけれど、俺がどうこう言える人ではない。ただ俺はここを通りたいだけなのだ。


「なんですか?」


「通っていいですか?」


 その女性は左右を見て自分が幅いっぱいに階段を専有していたことに気づいたようだ。立ち上がって踊り場まで退避してくれた。


「あぁ……すみません。どうぞ」


 女性は謝りながら俺を通してくれる。


「いえ……すみません」


 よくよく考えると俺が謝る必要はないのだけど、顔にアザを作り、缶ビールを片手に持った彼女がここに座っていたので、やんごとない事情を察してしまって俺も謝ってしまった。


 そんなことを考えながら彼女の横を通り過ぎる時、レモンのような柑橘系のキツイ香りがした。


 ◆


 コンビニで買い出しをして戻ってくると女性はまだそこに座っていた。


 今度は正面から俺が来たので立ち上がって3階側の踊り場に避けてくれる。


「いるのが分かってるんですからエレベータで戻ってくれればいいのに」


 女性は不愉快そうにそう言う。


「いるのが分かってるからこっちから来たんですよ」


 俺はコンビニの買い物袋からレモンサワーを取り出して女性に投げ渡す。


「あ……な、なんですか?」


「話、聞こうかなって」


「やめといた方がいいですよ。こんな時間に薄着で外にいて顔にアザを作って酒飲んでる奴なんてヤバい奴しかないんですから」


「ま、いいじゃないですか」


 俺が踊り場に座り込むと女性はため息をつきながらも少しだけ笑う。そして階段をゆっくりと降りてきて、最後の一段を椅子代わりにして俺の前に座った。


「芝山花恋です。花の恋と書いてカコと読みます」


「栗原未来です。それで……なんでこんな時間に?」


「彼氏と喧嘩したんすよ。喧嘩というか……まぁ一方的に殴られたんですけどね。インターホンに知らない女が写ってて浮気が発覚、追求したらゴツン、です」


 やっぱり顔のアザは殴られて出来たものだったようだ。


「別れないんですか?」


「携帯回線、どこ使ってます?」


 質問に謎の質問で返された。


「euですけど……」


「それをcodomoに変えろって言われたらどうですか?」


「面倒ですね……」


「それと同じです。不満はあります。というかマジで嫌いですし離れたいですし逃げたいです。でも出来ないんですよ。現状維持が一番楽なんです。引っ越しやら口座やら色々と手を付けないといけないことが多すぎて。それなら嫌いな金髪をプリンにならないように嫌嫌維持してご機嫌を取りつつ、無難に生活する方がいいんです」


「それは……然るべきところに相談したほうが良い案件な気が……」


「何もしないのが一番です。逆上して殺されるよりはマシですから」


「そっ……そんなに……」


 結構ヤバい人が彼氏らしい。


「まぁ……根っこからごっそり変えられるならそうしたいですよ。戻れるものなら戻りたいですね」


「戻れたら変わるんですか?」


「えぇ。ぶん殴ってやりますよ。けどそんなこと現実には起こりませんからね。頭の中でシミュレーションしながら酒を飲んで憂さ晴らしをするのが精一杯なんです」


「そっか……」


 俺もそこまで聞いたら何かを手助けする気にはならない。自分のレモンサワーを取り出して蓋を開ける。


「乾杯」


 弱々しい声が聞こえる。顔が隠れるほどボサボサの髪の毛を整えもせずに芝山さんが缶を前に突き出してきた。


 俺もそれに合わせて乾杯をする。


 そしてレモンサワーを口に含む。シュワッとした感覚と若干の苦味、そして檸檬の爽やかな風味が口内を満たした。


 深夜の酒はかなり来るのもがある。一口飲んだだけなのに俺は酔いが回ったようで頭がクラクラしてきた。

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