彼女が眼鏡をかけない理由

@enoz0201

彼女が眼鏡をかけない理由

「眼鏡をかけるって、要するに瞳の前にものを隔てるってことでしょ。それってなんかこう、世界と自分の間に壁を作ってるみたいで、嫌」

「またよくわからない理屈を…」


 いつも通りの朝。いつも通りの青空。いつも通りの通学路。

 何もかもいつも通りで、最早退屈なまでに変わらないある日のこと。

 僕はいつも通り、彼女を頑張って説得していた。

 何を。

「屁理屈こねてないで、眼鏡くらいかければいいのに。別にコンタクトでも何でもいいけど、目悪いだろ」

 そんなひどく小さなことを、些細なことを、彼女に説いている。

「だーかーらー、かけないって言ってるでしょ? 毎日言ってるでしょ? あんたに言われる度にそう言ってるでしょ?」

 彼女は、目が悪い。視力が低い。割と幼い頃から、ずっと。

 だというのに、彼女は眼鏡もかけないしコンタクトもつけない。頑としてつけない。なんでかと聞くと、

「私はありのままの世界を受け止めたいの。モノを介した視界なんてまっぴらよ」

「人は自分の目で世界を見つめるべきよ。このぼやけた現実を受け止めなくちゃいけないの」

 なんて、よくわからない言葉が帰ってくる。今の年齢がジャストなので、中二病的なアレなのかとも考えたけど、それにしては期間が長すぎる。彼女とは保育園からの幼なじみで、割と出会った初期から眼鏡アンチだったはずなのだ。確か最初はちゃんと眼鏡をかけていたはずなんだけど…いつからやめたんだっけ…。

「わっとと」

 と、少し目を離した隙に、彼女が歩道に設置された電柱に正面からぶつかりそうになっていた。今回は直前で気づいて回避していたが、こんなことはしょっちゅうで、そして二分の一くらいの確率で気づかず衝突する。僕が止められる時は止めてるけど、一緒じゃない時はどうなってるか、考えただけで恐ろしい。

「眼鏡が嫌いなのはわかったけどさあ、危ないからコンタクトくらいはしなよ。本当に、心配してるんだよ? 来年は受験だし、何より再来週は試験だし。怪我して受けられないってなっても困るだろ?」

 ため息をつきながら再度忠告しても、彼女は聞き入れる気などないというように、「ふん」とそっぽを向いた。

 視界を外したせいで危うく先にあった自販機に当たりそうになったのは、言うまでもない。



 そんな調子で彼女は、相変わらず危なっかしい様子で通学路を進んでいった。

 河川敷の上の道から転がり落ちそうになったり、また電信柱に衝突しかけたり、コンクリートロードに違法駐車された自転車をなぎ倒しそうになったり。その度になんとか食い止めたけど、それ故に余計一人の時の彼女が心配になった。

 いやほんとに、よく今日まで無事だったよな…というかこの町、道狭すぎるよなもうちょっと歩道広くしろよ…。

 …思わず、町に対しても愚痴ってしまった。



 放課後。

 学校は彼女の友達が気遣ってくれるから、僕が気を張る必要はない。でも学校までの道のりでとんでもなく神経を使ってしまった僕は、なんとか怒涛の授業ラッシュを戦い抜き、ほっと一息をついていた。

「…って、もうこんな時間か」

 ただ、少し息をつき過ぎたらしい。見ると、教室の時計はもう5時を指さしていた。息をついていたというより、もうほとんど寝ていたんだろう。通学と授業の疲れで。

「今夜はもっと早く寝よう…」

 呟きながら今度は視線を彼女の席に動かすと、こちらもまた教室に居残っていた。夕日が差す窓際で、それを意に介さず友達と楽しそうにおしゃべりしている。恋バナか何かなのか、話も盛り上がってるようだし、この分だと今日はみんなで帰るだろう。また何かにぶつかりそうになっても、友達ズが教えてくれるはずだ。

 安心してリュックを背負い、教室から去る。ほとんど人がいなくなり静寂に包まれている、建物の向きのせいで日も入っておらずやたら寒い廊下を、少し急ぎ足で通り抜ける。

「あ」

 と、下駄箱まで来たところで、気づいた。

「そうだ。今日持って帰ろうと思ってたんだ」

 二学期の期末テストが、再来週から始まる。科目数はそこそこあるので、早い内に勉強を始めておかないと間に合わない。今朝彼女に言ったばかりのことを思い出して、いつもは置き勉している副教科の教科書を、教室に取りに戻り──、

「ねえねえ、ずっと不思議だったんだけど。なんで眼鏡もコンタクトもつけないの?」

「あれ、言ってなかったっけ」

 …物凄い現場に出くわしてしまった。

 教室に入る二歩前の位置でも、彼女達の話し声は十分に聞こえていた。話題は、彼女が眼鏡をかけない理由。僕ではない人間の言葉で、それが問われている。

 中二病を疑ったりはしたけど、同様に、いやそれ以上に、僕に話した理由がそもそも全部嘘だという可能性も考えてはいた。それなら、第三者によって、僕がいない(と思われている)状況で聞かれたなら、彼女は本当の訳を話してくれるのではないか。ここで耳をそば立てれば、本当の理由が聞けるのではないか。

「いやでも…」

 でも、これは所謂「盗み聞き」というやつだ。まず普通に良くないことだし、しかも女子中学生の雑談を男子中学生が盗み聞きするというのは、なんというかこう、他の場合より何倍も罪深い行為な気がする。犯罪の匂い……はしないけど、普通にアウトな気がする。

「でも…」

 二回目の逆説。道徳的に良くないのではないかという迷いと同じくらい、聞きたい気持ちも大きかった。大袈裟だが、彼女が眼鏡をかけないでその辺を歩いているのは、場合によっては命に関わる危機にすら直結しうる。幼なじみとしてそんなことを放置はできない。本当の理由を知れば説得の材料になるかもしれないと、そう思う自分もいる。

「ねえねえ、聞かせてよ」

「えー?」

 ど、どうすれば…どちらがいいんだ…。

「そういやあたしも知らなかったな。何でなん?」

「別にいいけど」

 ぼ、僕は…僕は…は…。

「普通にかけてるよ、眼鏡」

 は…、

「は?」

 え?

「家とかだとかけてるよ、眼鏡」

「そうなの!?」

「だって危ないじゃん」

 は???

 思考がはてな一色に塗りつぶされる。塗りつぶされると同時に、「なんなんだこいつ」とか、「じゃあなんで僕の前ではあんな頑なにかけずよく分からない理由まででっち上げるんだ」とか、判明した不可解な事実に対する冷静かつ緊迫した思考が巡らされる。

 いや、本当に分からない。

「ど、」

 どうして、と。

 思わず身を乗り出して、教室に姿を見せて、言ってしまうそうになった、その時。

「かけてないのは、あいつの前だけ。だって、言われたんだもん。眼鏡かけてない方が可愛いって」

 …あ。

 彼女の恥ずかしそうな、いじらしい声が聞こえて。その刹那、遠い思い出が、記憶に蘇った。

「あいつと私、幼なじみなんだけどさ。私ずっと目悪くて、だから眼鏡してたんだけど、プールの時は当然外してて」

「で、ゴーグルとったら、あいつが言ったんだよ。眼鏡ないともっと可愛いなって、言ったんだよ」

「だから、つけてないの。…あいつは、もう忘れてるみたいだけど」

「でも、いいんだ。あいつと一緒にいれば、危なくても知らせてくれるし、守ってくれるから」

 …ああ。確かに、そんなことを、言ったような気がする。

 あの夏の日。初めて見る彼女の素顔は、弾けるような笑顔は、いつもの何倍も可愛くて。今だったらそんな無責任で恥ずかしくてあと眼鏡女子過激派に怒られそうな台詞は絶対に言えないけど、かつての僕は頭が空っぽで、何も考えてなくて。

 思ったことを、その場で、伝えたのだった。

「え〜何それ〜! めっちゃ胸キュンじゃん〜!」

「茶化さないでよ〜!」

 話を受けて年相応に大盛り上がりする女子達の声を聞き流しながら、僕は頭を抱える。自分の無責任で、でも今からすると無謀さが羨ましい、そんな一言。彼女はずっとそれを覚えていて、そのことも信頼されてることも嬉しいのだけれど、でもやっぱり危ないから眼鏡くらいかけて欲しい、そんな気持ち。

 …うむ。

「なんというかこう、拗れてるな。主に僕が」

 小さな声で言って、ひとつ息をついた。



「えっでもそれならコンタクトでよくない?」

「コンタクトは普通につけるの怖い。だって目に…ものを…無理!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女が眼鏡をかけない理由 @enoz0201

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る