実はちょい世話焼きな一軍女子高校生の葛藤

市川京夜

第1話 カワイイ

石原玲香が生まれてから最初の記憶は、ママが殴られて食器棚に倒れ込む様子だった。

割れた皿が散らばり、ママのキレイな腕から血がスーッと垂れている。


私に父親なんて呼べるものはいない。呼ばせない。


「お前は不味くて安っちい飯しか出せねぇのかよ!」

倒れ込むママの肩に茶碗や大皿が投げつけられる。


「ご、ごめんなさい…でも、貴方がもっと我が家にお金を入れてくれれば」

「入れてるだろうがよ毎月1万円も」

「1万円だけで…食費に日用品なんてまかないきれないっていつも言ってるじゃないですか!子どもがいるんですよ!」

「やりくりってもんを知らねぇのか!女のくせに金のやりくりもできねぇ、口答えはする、腹立つヤツだよなぁ!」


ママのキレイな顔に振り下ろされる拳。


最初の記憶からしばらくの間は毎日この光景が刻まれた。

ママに精子を分けた男は、大柄で腕に龍のタトゥーが彫られ、大した稼ぎもないのに風俗やキャバクラに金をつぎ込み、家にはほとんどお金を出さない。それで私たち家族[2人]はろくな生活なんて出来るわけがなかった。


3歳の誕生日、ママは私を連れて別の家に引っ越した。別居だ。


畳5枚分にあまり綺麗とは言えないキッチン、トイレ、シャワー。立て付けの悪い玄関のドアからはすきま風がぴゅーぴゅー入ってくる。

それでも、新居での生活は初日から幸せだった。

ママが盛大に私の誕生日を祝ってくれた。大きなショートケーキに、唐揚げにフライドポテト。

その時は知らなかったが、スーパーのパートの時に、賞味期限が切れたケーキやお惣菜をママがタダで貰ってきたものだった。


「ママ!あのね!」

「なぁに?玲香ちゃん」


新居に来てからママは毎日笑顔だった。毎日私の話を聞いてくれて、毎日遊んでくれて、毎日美味しいご飯を用意してくれて、私は幸せだった。


ママが倒れたのは私が幼稚園生になる1週間前。過労だ。朝、キッチンの前で倒れるママを見つけて泣き叫んでいると、隣の部屋の大学生が騒ぎを聞きつけ、急いで救急車を呼んでくれたため命は助かった。


「玲香ちゃん、ゴメンねぇ。怖かったよね」

そう言いながら、病室のベッドに横たわるママは笑顔を絶やさなかった。ママをこんなに苦しめることはもう二度とさせたくない。


――大きくなったら私が、ママを絶対に守る。


私は、この時決心したのだ。


いざ幼稚園生。私は1人も友達が出来ずに年中になっていた。

病院にいるママにはいつも友達がいるとウソをついている。余計なことで苦しめたくないからだ。

友達が出来ないのは理由がある。みんなうるさい。子供っぽい。苦労を知らない。おばあちゃんが迎えに来るため、私にパパとママが居ないと決めつけバカにしてくる。そんな人達と関わりたいと思うことなどない。


でも、ある時友達がいないことが寂しくなってしまった。今まで強がってはいたが、友達同士で遊ぶ姿を見ると羨ましく感じていたのだ。

ブランコの脇ですすり泣いていると、1人の男の子から声をかけられた。


「 大丈夫?どうしたの?ハンカチ使う?」

「いらない。何でもない、あっち行ってよ」

ここに来てまで、私は強がる。


「でも、泣いてるとこ放っておけないよ」

「うるさい!何も知らないくせに、来ないでよ!」

怒鳴って顔を上げた時に、その男の子と目が合う。

くっきりとした凛々しい目をしていた。


「カワイイ」


「え?」


胸元の名札に目を1度やり

「れいかちゃんって言うんだ!今まで怖いイメージだったけど、お話してみたらこんなにカワイイんだね!びっくりしちゃった」


「え?カワイイ?」


ママ以外に言われたことが無かった。引き取ってくれているおばあちゃんおじいちゃんも言ってくれたことはあったが、いつも私は無愛想にしていたのでお世辞だろう。幼稚園でも同じような態度だったため、同級生にカワイイとも言われず、近寄られることもなかった。


「私…カワイイのかな」

「うん!モデルさんみたいだよ!」


モデルさん…か。モデルになったら私、いっぱい稼いで、ママのこと幸せにできるかな。


「僕、いかりまさや!友達になろうよ、れいかちゃん!」

雲のない快晴の空の下、ミンミンゼミがしきりに鳴いていた。


その日、いかりまさやという名前と、彼の言ってくれた「カワイイ」が、心に強く、強く刻まれた。

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