第52詩 『薄赤たる名産品の葡萄酒は移り行く街の象徴として舌の上で仄かに温もる』
バレーノが【バルバ】の街に留まってから二週間が経過する。この二週間で街が劇的に活気を取り戻した……ということはないけれど、着実に、堅実に、街の人全体で【バルバ】を良くして行こうと、少し変わる。
その小さな変化は、街並みを眺望したときの紙切れや瓶破片などのゴミや健康被害に繋がりそうな砂塵の清掃活動。
これはバレーノの感想だけど、空気が美味しくて吸いやすくなった。喉元や声帯への悪影響を嫌う彼女の、吟遊詩人である彼女による率直な体感……それは街の人にとっても、ポジティブになり得る要素になる。
そしてもう一つ。変化というよりは再開を目指す事柄でもあって、この日はかつて【バルバ】の名産品であった醸造酒の試飲を、バレーノはジーナに頼まれる。
「はいどうぞ」
「わー……綺麗な色合いですねっ」
「そう言ってくれると嬉しいね。んーただこれは、私の個人用で作ってたやつだから……昔の味や薫りに比べると劣るかも……そこはごめん」
「……いいえ。今日はあくまで試飲ですから。これからもっと美味しい【ウヴァ】のワインを、作るための第一歩ですから」
相変わらずの白いローブ姿で、弦楽器のブリランテを背負ったままのバレーノはカウンター席に座り、店主の定位置にはかつて看板娘だったジーナが、【ウヴァ】のワインを注いだグラスをバレーノの手前に差し出す。
【ウヴァ】のワインは透き通った水質のクリアな赤ワインで、【バルバ】の街のフラッグであるワインレッドよりも赤々しさが薄明のようだ。ただ薫りは【バルバ】の街の環境下のせいか、やや素材の真骨頂を阻害する雑多な強酸が鼻に付く。しかし仄かな温もりは確かなもので、バレーノはしばらく堪能してから顔を上げる。
「……頂いてもいいですか、ジーナさん」
「もちろん」
バレーノがワイングラスの取っ手を優しく掴み、ゆらりくらりと水面を渦巻かせて、再度薫りを嗅覚で感じた後、唇をグラスのフチに付けて【ウヴァ】のワインを口腔に含み、舌の上の味蕾はその味を全身に伝える。
「……なるほど。わたしは普段あまりお酒を飲まないし、初めての【ウヴァ】の果実だったので、どんなものなのか不安がありましたけど、クセの少ない、色合いに似た透明度がある優しい味……ですね。非常に飲みやすいです」
「……そう。【ウヴァ】のワインが王都でも評価された良いところはね、普段あまりお酒を好まない人も、【ウヴァ】のスッキリとした味なら大丈夫って、言ってもらえることだったんだ……」
「へー、だからこんなに温かい味なんですね」
「うん……元々この果実には糖度が少なくて、飲料にも食用にも適さないってされていたのを、【バルバ】の先人の職人たちが知恵を振り絞って完成させたワインなんだよ。私は酒屋の娘として、その過程を知ってたんだけど、結構複雑な工程を踏まなきゃ行けなくて、なかなか量産となるとまだ難しいけど……いずれまた、あの頃の味や薫りを再現して、【バルバ】の街の復興に一役買うと信じれる味だと、私は思う」
「だから【ウヴァ】のワインは【バルバ】の名産品なんですね。しかもこれで未完成な状態なんだ……わたしも楽しみです」
それからバレーノは二口目、三口目と、あまりワインを飲み慣れていないと一目で分かる速さで飲み進めて行く。
そんな様子にジーナは微笑み、これがバレーノによるお酒の嗜み方なんだなと、粛然と見送っていた。
「……たまにはワインも良いものですね」
「……今日は、ハメを外しちゃう?」
「え? いやいやそれは……わたしは吟遊詩人ですから……お酒を飲む側よりも、お酒を飲む人が更に盛り上がる演奏をする側なので。それにこのあと、まだやることがあるから——」
「——そうだったわね。【バルバ】の街の規則を変える節目に、バレーノちゃんみたいな歌い手さんが居るのは、この街にとっても素敵なことね——」
吟遊詩人、歌唱、演奏、などの音楽用語が交わされても咎めるどころか、彼女自身からも話題に挙げるジーナ。それは【バルバ】の街にまた音楽が復活する前兆のような会話だ。
「——じゃあお腹空いてないバレーノちゃん? 何か作ろうと思えば作るけど?」
「良いんですかっ! わたしもうお腹ペコペコだったんですよー」
「ふ……ちょうど良いわね。どんなのが良い? 要望くらい叶えるわ」
「ならこのワイン合って、喉や声帯にあまり刺激のない料理……って、ちょっとわがままでしたかね?」
「ううん。酒屋のお客さんなんてみんなそんなものよ。店内で酔って大暴れしないだけマシ……ていうのは私の悪癖でもあるんだけどね。まあこの場所では、いつもより自分本意になっていいってことよ」
そんな過去のエピソードからの持論を展開しながら、ジーナはバレーノが要望した即席のメニューを調理して行く作業に入る。
冷蔵保存していた食材を取り出して、テキパキとした慣れた所作で、【ウヴァ】のワインに合う喉元への刺激が少ない料理をバレーノの目の前で披露する。
座ったまま、ワイングラスに口を付けたままバレーノは改めて思う。ジーナは【バルバ】の街のギルド長で、かつては酒屋の看板娘だったんだと。他者の気持ちを汲み取ることに長けた女性だと。
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