第12詩 『隆々たる痩せぎすの武闘派付き人は家族と街人を護るために迷い悩み愛を注ぐ 11小節目』
バレーノは手短かにあった布団を敷き、そこにウンベルトの娘を丁重に下ろす。一方のウンベルトは妻であり、同じく気を失っているエレナをなるべく揺らさないように寄り添いつつも、バレーノの言葉の真意がどういうことなのかと呆然とする……時折り猟獣のドッグを流し見て。
「それよりも、まずは応急処置ですね。毒物がどれほどのモノなのか、赤ちゃんへの致死量にはならないのかどうか、わたしはわかりません。ウンベルトさん、ドッグの牙に塗られた毒は赤子に対しても大丈夫な物質なのでしょうか?」
「おい……いやそうだな。毒といってもそれほど強力な成分ではなかったはずだ。そもそも毒と言うよりは麻酔と呼ぶべき代物で、医療用でも使われている薬品だ。それに悪人を殺すのではなく、懲らしめるための用途だしな……ただ、娘くらいの子に噛み付くのは、全くの予定外で……本当にお前が言うように、ドッグが娘に噛み付いているのなら、基準値を上回っていることも十分に考えられる」
つまり通常ならドッグに噛み付かれた程度で誰かが死に至るケースは稀だ。しかし赤ちゃんに投与される想定がなされていないためのオーバードーズ……年齢や体格に不相応の過剰摂取の疑いがある。
「なるほど……ならわたしの手持ちの救急セットで、傷口を塞いでもよさそうですね」
「お、おいそれじゃ娘の身体から薬品が抜けないじゃないか。それにドッグは獣だ。傷口を塞げば、人間には適応しない唾液が混ざったことによる感染症のリスクもある」
「ウンベルトさんのご指摘通りです。ただわたし、この極力露出を控えたローブ姿からも分かるかもしれませんが、過去にとある神官に同行した慈善活動の一環で、それなりの治癒術を有しています。なので娘さんの場合は、先に傷口を清潔にしたまま塞ぎ、細菌が混入しないようにする方がベストだと判断しました……【バルバ】の街の人に言うのは気が引けるけど、この街はとてもじゃないですが、ゴミや破片がそこかしこに散乱としたままなのでね……これとこれでいいかな——」
傷口を塞ぐ理由を話している間に、バレーノはドッグによる咬傷を深さを確認し、ポーチから包帯や絆創膏を取り出す。そしてウンベルトが危惧していた薬品の過剰摂取と人間以外の生物から噛まれたことによる感染症、そのどちらにも効能があるバレーノの治癒術を披露するときが巡る。
彼女はまた厄介ごとが回り回ってやって来そうだと覚悟し、邪魔が入るであろうことも理解しながらも、胸元でクロスさせていた肩掛けのストラップを外し、肌身離さず背負っていた弦楽器のブリランテを構える。
それこそがバレーノの治癒術。
音楽には精神的だけじゃなく、物理的にも癒す能力があると。
「——では僭越ながら、一曲弾かせていただき——」
「——なっ!? お前何を考えてんだっ! おいやめろっ!」
「しっ! 静かにウンベルトさん。奥様と娘さんの身体に障ります——」
「——黙れっ!」
すかさずバレーノは大声で咎めないでと、彼女自身の人差し指を唇に当てる。しかしそんな制止も聴かずにウンベルトは、双眸を見開き、奥歯が砕けるほど軋み、憤然としたまま近付き、ブリランテのネックをへし折る勢いで掴み掛かる。
「なっ……ウンベルト、さん。離して、ブリランテから、離して」
「言ったはずだ。この街で歌も演奏も規則に抵触する……罪人になると。最初のは街の外で、お前も知らなかっただろうから多少は大目に見てやった……だがっ! これは明らかに故意だっ! ジーナや俺たち【バルバ】の人間への叛逆行為だっ! オルタシアに危害を加えるつもりか! 【滅びの歌】で苦しむみんなを、蔑み嘲笑うのとおんなじだっ!」
「違う……わたしはそんなつもりじゃなくて——」
「——だったらそのお前の無自覚で身勝手な行動がっ! 音楽を封じてまで過去と向き合おうとしたみんなの、【バルバ】といういつ無くなってもおかしくない街を必死に繋ぐ望郷を、軽々しく壊すんだっ! だから……もう勘弁してくれ、他所様のお前と【バルバ】は、きっと一生……相容れない」
それは面と向かって、やや刹那げに、ブリランテを介したバレーノとウンベルトによる価値観の相違の応酬。
どうしてそこまで音楽を嫌うのか、遠ざけようとするのか。バレーノはいつかの問いの明確な解答が返ってきたような気がした。
「……わたしだって分かっているんですよ。今ここで演奏することが、【バルバ】の街にとって不適切だってことくらい」
「分かっていて、その変な楽器を握るのか」
「はい。このフォルムが変かどうかは主観だと思いますがね。まあそれは置いといて、ブリランテが奏でる旋律は、ウンベルトさんの娘さん……オルタシアというお名前でしたかね? その彼女の身体を、必ずや癒してみせます……なので弾かせてもらいますよ」
「……俺が言っても聴かないみたいだな?」
「ええ。例えわたしが罪人になろうとも、最悪絞首刑や火炙りに処されても……ウンベルトさんと敵対することになったとしても」
「なら、容赦はしない。【バルバ】の街の用心棒役として、ギルド長の側近として、規則を破るお前を捕らえるだけだ」
「……吟遊詩人として、望むところですよ」
するとブリランテのネックを握っていたウンベルトの隙をつき、バレーノのブリランテと共にウンベルトから距離を取る。そのまま治癒術の結晶体となる旋律を奏でようと三弦に指を掛けようとした矢先、宣言通りバレーノを捕縛しに来たウンベルトの魔の手が刺し伸び、バレーノは演奏を一旦後回しにしてなんとか回避する。これはもう、戦闘と言っても過言じゃ無い室内での諍いとなる。
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