第113話 玉手箱

「あのー、大丈夫ですか?」


 声をかけると、男はしばらくぼうっとしたままで返事をしなかったが、やがて我に返って「あ!」と答えた。


「ごめんなぁ兄ちゃんたち、無視してたわけじゃないんだよ!」

「わかりますよ、混乱してたんですよね」

「あぁえらく物分かりの良い兄ちゃんでよかったわ……っていうかワシ裸やんけ!?」


 今頃、自分が全裸だということに気付いたようだ。

 どのくらいの期間かはわからないが魔物になっていたのだし、目が覚めて、自分がどのような状況にいるのかも理解できない。

 ようやく正常な判断能力を取り戻したら、目の前には二人の人間と見知らぬ空間。

 混乱するのも無理はない。


「み、見苦しい姿で申し訳ないわ……。あれだぞ、普段から全裸なわけじゃないんだぞ? こうなったのにも理由があって……だんだん思い出してきたした……」


 男が記憶を辿った結果、彼の名前はハナオカで、普段は花火師をしていることがわかった。

 花火師とは、火薬を空へ打ち上げ、破裂させることで色や音を楽しむことのできる花火を制作する職業だそうだ。

 ガイドブックにも書いてあったが、これは観光客を楽しませるためだけに行うものではなく、カグヤノムラの人々が信仰している月の神に、感謝の意を表すためのものである。

 つまり、この村において花火師は神職にも似た意味合いを持っているのだ。

 開催が迫っている祭りにも、彼は花火を提供するらしい。

 しかし、数日前の風呂上がりに突如攫われた彼は、あれよあれよという間に身体に何かを埋め込まれ、八岐大蛇に変貌してしまった。

 だんだんと意識が薄れていく中、誰も襲わないようにと近場のダンジョンに潜り込み、階段を無理やり露出させて最深部に辿り着いたのだと。


「ハナオカさんを魔物にした犯人が誰かはわかりませんが、とにかく無事でよかったです」

「兄ちゃんたちのおかげよ……本当にありがとうな」


 ハナオカは目の端に涙を溜めながら頭を下げた。

 その時、彼の傍に何かあるのに気付いたようで、股間を隠しながらそれを手に取った。


「……なんこれ、見覚えのない箱だな」


 彼が手にしたのは、両手で持てるほどの大きさの長方形の箱だった。

 おそらく木でできているのだが、全体が黒く、艶々としている。

 さらに、表面には波や風といった絵が描かれているが、その中で1番目を引くのが、箱が開かないように留めてある赤い紐だ。

 なぜだか、妙にその紐を解いてみたい、中身を確認したいという欲に駆られる。

 もしかするとこれは――。


「魅了の魔術がかかっているのかもしれません」

「ってことは、開けちゃダメってこと? ハナオカさん、ちょっとその箱を――」

「御伽話の玉手箱みたいだわ。ちょっくら開けてみるか」


 声が届く前に、ハナオカは真紅の紐を解いてしまう。

 紐は萎びた花のように、時の移り変わりを想起させるかのように地面に落ちる。

 そして、何かに操られているような虚さで、彼は箱の蓋を開けてしまう。


「――ッ!?」


 一瞬、とてつもない魔力を感じた。

 誰の魔力かを感じ取る前に、感覚は消えてしまう。


「なんだ、中身は空かい。急に興味もなくなったわ」

 

 それ以外に特段変わったことはなく、開け放たれた箱には何も入っていなかった。

 少なくとも、物は入っていなかった。


「――な、何事ですか!?」


 背後の階段から声が聞こえた。

 振り返ると、川の階層で助けてくれた河童の姿。


「……魔物? 今はそれどころではありませんので、一撃で――」

「待ってミヤ! この人は大丈夫だから!」

「……そうなのですか? よく見れば妖怪の類のようですし、害はなさそうですね」


 やっぱりミヤは河童のことを知っていたのか。

 ……じゃなくて、問題は、どうして河童のが慌てて俺たちの前に姿を現したかだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る