【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
おっさんと衝撃の事実
第1話 プロローグ
自然は良い。
朝は小鳥の囀りで目を覚まし、窓から差し込む日差しに優しく包まれる。
そうして一日の活力を与えられ、加齢で重くなった身体を動かす。
自らの手で育てた野菜や狩った魔物の肉で朝飯を済ませ、昼前には出かける。
畑の様子を見るためだ。
夕方には家の近くを散歩して、暗くなる前に帰る。
夜は自作の露天風呂に入り、宝石のように瞬く星々を眺め感嘆のため息をつく。
都市部から離れた山に住んでいる利点がこれだ。
精神の充足感。心が洗われていくのが分かる。
雨の日は一日中家の中で本を読んだり肉体の休息に充てる。
今年で38だからな。年々体力の衰えを感じるのだ。
だが、現時点で今後一生を過ごせるだけの環境は整っているから不安はない。
衣食住はもとより娯楽もある。
本は山の入り口に大量に捨てられていたものを、狙っていた盗賊をぶちのめして掻っ攫ってきた。
暇な時には浮遊の魔法をかけた木の球を飛ばし、感覚を共有して山のパトロールもどきをするのも楽しい。
別に俺が購入した土地ではないが、俺はこのまま人生をこの山で終えたい。
――そう思っていたのに、俺の平穏な日常は突然終わりを迎えた。
ある日の朝、俺は無意識のうちに目を覚ましていた。
頭だけを動かして周囲の様子を探る。
まだ陽は上がっていないし、小鳥も眠っている頃だろう。
音も光もない。
それなのに目が覚めたということは、おそらくこの山に侵入者がいるからだ。
「……本当に?」
思考が口から零れ落ちる。
この山には、ある理由で俺が張った結界がある。
あまり強力なものではないが、わざわざこんな辺鄙な山の結界を破って侵入する意味があるだろうか?
その一点の疑問が頭の隅で燻っていたが、とりあえず俺は痛む身体を起こし、侵入者を探すことにした。
山の中腹にある家を出て、手頃な高さの木に登る。
そこから細かく周囲を見回すが、人の気配はしない。
「気のせいか? ……いや、相手の方が用心深いのかもしれない。鼓動で気配を探ってみるか……」
ゴーレムのように人為的に作られたものならまだしも、大抵の生き物は心臓がなければ生きていけない。
そのため、心臓はどんな生物にも共通して存在する。
鼓動の音を聞き分けることで、どれだけ上手く身を隠していても探知することができるのだ。
目を閉じ、意識を山中に走らせる。
これは……ツノの生えたウサギだな。
こっちはデカいトカゲ。
その近くで隠れているのが……。
「……これだ」
侵入者の場所を理解したので目を開く。
おそらく、トカゲを起こさないように身を潜めてゆっくりと動いているのだろう。
その割には鼓動が速い気がするが。
ああでも、相手にバレないように動くのって慣れてくると楽しいんだよな。
これは緊張というよりも好奇の鼓動だろう。
そう考えると、やはり侵入者はかなりのやり手らしい。
山の土地を何かに使おうと調査しにきたのかもしれないし、申し訳ないがちょっと脅かして帰ってもらうべきだろう。
木から木へと飛び移り、侵入者の方へ向かう。
10分ほど移動を続け、ついに侵入者の姿を捕捉する。
「……マジか?」
てっきり筋骨隆々の大男が凶悪な面構えで潜んでいると思っていたが、視界にいるのはそれとは真逆の若い女性だった。
しゃがんでいるため背丈はわからないが、緑色の美しい髪と溌剌とした顔立ち。
だが、そばで眠りこけているデカいトカゲを見て緊張した面持ちをしている。
そんなに恐ろしい魔物じゃないんだが、もしかして人里には現れない種なのだろうか。
だとすれば警戒するのも頷ける。
俺もこの山には来たばかりの時はボコボコにされたしな。
よーし、あの女性は悪い人じゃなさそうだし、そんなに神経質にならずとも大丈夫だと伝えにいくか。
全身に音消しの魔法をかけて女性に近づく。
……でも、どうやって声をかければいいんだ?
足を止める。
この山に来てから一度も他人と会話しなかったというわけではないが、それでもここ二、三年は誰とも会わなかった。
習慣づいていることでさえ、数週間やらなければ感覚を忘れてしまうものだ。
ならば人との会話なんて未知でしかない。
いきなり声をかけても不審者だと思われないだろうか。
何か良い感じの挨拶とか、そういうので場を和ませた方が良いのかも。
だとしても、俺にはなんて言えばいいのか見当も――。
――その時、俺の身体に衝撃が走った。
そうだ、あの本を参考にしよう。
山のように不法投棄されていた書物の中に『ワンダフルユーモア』というのがあった。
内容としては、日常生活のあらゆる場面を想定したユーモア溢れる会話が書かれている本だ。
最初に読んだときは笑い転げ、二度目は相手がそれを聞いてどう捉えるかという気持ちの機微、三度目は言葉の影に隠された深い意味に感心したっけ。
今まで読んだものの中でも最高クラスに身になる、そういうものだった。
いつか著者に会ってみたいが、ここにいたらおそらく叶わないだろうなぁ。
……とりあえず声をかけてみよう。
今回は「入門編」の「刺客を見つけた時」から一つ。
彼女は刺客ではないが、場面的には同じものが使えるだろうという考えだ。
分かりやすい洒落のような感じだから若者にも伝わるだろうし、きっと大爆笑だろうなぁ。
俺は引き続き音を消したまま、トカゲに集中している彼女の後ろから近付いてこう言った。
「おっと、刺客なのに死角があっていいのかい?」
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