第2話 いつも通りの日常 その2
少し辺りを見回すと、お目当ての席をすぐに見つけ出すことができた。
教場の前の方。変わり映えのしない人々の中で、彼女だけは圧倒的な存在感を放っているからだ。
俺はゆっくりと「定位置」に向かい、相席予定の人物に声をかける。
「おはよ、三上」
「おはようございます、黒木くん」
「お、おぉ……」
腰ほどまである、艶やかな黒髪が揺れる。
次に、猫のような大きな目が俺を見つけ、薄い唇に小さな笑みが浮かんだ。
髪が短ければ、もしかすると男性か女性か見分けがつかないであろう、整った顔立ち。
シミ一つない白い肌は、とうに溶け去ったはずの雪を連想させ、それを見ているだけで心臓が動きを活発化させられる。
き、今日も可愛さが振り切れてる……。
端正な顔立ちなら「可愛い」より「綺麗」じゃないかと思うかもしれない。
しかし、確かに理知的な雰囲気がありつつも、彼女の大きな目は、笑顔を見せる時に細くなるのだ。
その様は紛れもなく「可愛い」そのものであり、そんな三上は奥ゆかしいでも、可憐でも、淑やかでも、清楚でも表し切れず、可愛さと綺麗さを合わせ持った彼女に似合う言葉を俺は知らない。
百人中五百人が恋に落ちるような完璧な挨拶を前に、俺の脳内から送られてくる「席に座れ」という信号は、たちまち消え失せてしまった。
あるのはただ、呆けたように立ち尽くす俺の姿だけ。
「どうかしたんですか?」
「え!? い、いや、なんでもないよ」
「そう……ですか? 夏はまだですけど、今日はよく晴れてるから熱中症になるかもだし、水分取らなきゃだめですよ?」
抑揚は少ないが、不思議そうに目を丸くする彼女を見て、あわてて席に座る。
そりゃあそうだろう。挨拶してきた友達が放心していたら、誰だって不思議に思う。
というか、この年にして席に座れないほどにボケ始めてると思われたら大変だ。
「本当になんでもないよ。遅れそうになって、公園から走ったから息が上がっちゃって。地味に階段もキツいしな」
「四階まで上がるのって意外と疲れますよね〜。私も体力不足を毎日痛感してます……」
「だろ? 俺なんて一年ぶりに全力で走ったから、明日は筋肉痛確定だよ」
「ふふっ……ちゃんと湿布貼ってくださいね」
体調の良さを伝えるためにも、身振り手振りを交えて会話する。
なんとか誤魔化せたようだな。
俺と三上は一年生の頃に知り合い、それから一緒に講義を受ける仲である。
そして、何を隠そう彼女は恋人……だなんて言えたら格好いいものだが、残念ながらただの友達止まりだ。
というか、俺と三上じゃ釣り合いが取れなさすぎる。
ほら、よくドラマなんかで「学年一の美少女」というやつがいるだろう?
それが彼女だ。
正確には、もう一人か二人そういう存在がいるのだが、俺の個人的な好みを加味すると、彼女は学年一どころか、学校一の美少女である。
三上の美貌と発する雰囲気は、誰が見ても、その個人的趣向を反映した上でも明らかだった。
大学生になって、二十歳になってタガが外れている者でさえ、三上に声をかけるのは躊躇ってしまうほどだからな。
落ち着いた佇まいに、雨上がりの森の木漏れ日のような美しさ。
街中で目にするからまだしも、神聖な場所に立っていたら神様かなにかと勘違いしてしまいかねない。
それに比べて、俺……黒木直輝は、ごく普通の、それも普通の中でも下の方の存在だ。
身長は170くらい。筋肉質でも肥満体系でもなく、黒髪で特に特徴もない。
特技や人に話せるような経験もほぼほぼ皆無に等しい。
趣味といえば、読書と散歩、映画鑑賞くらいなものだ。おじいちゃんかよ。
……とまぁ、容姿だけとってもこれだけ格の違いを見せつけられるわけだ。
それじゃあ、なんの取り柄もない俺が、どうやって三上と友達になれたのか……それについてはまぁ、色々あった。
詳細は割愛させてもらうが、ともかく、2人を天秤に乗せたら、俺は大気圏をぶち抜いて宇宙進出してしまうだろう。有名人になりたくなったら、ぜひ彼女と天秤ではかられてみようと思う。
「そういえば、何かしてたんですか? 黒木くんが遅れそうになるなんて珍しいですよね」
「あぁ、最近買った本がめちゃくちゃ面白くてさ。SFなんだけど……」
「SF! めっっちゃすごい最新のスーツ着て潜入調査するやつですよね?」
「まぁ、そういうのもある……かな? あー、最近映画になってた気がするな……とにかく、隣の公園から急いできたんだよ」
「あの公園、かなり広いですもんね。噴水なんかもあるし、つい長居しちゃいます」
最新スーツの話が若干気になってはいるが、今は置いておこう。
「そうなんだよな。今日は天気もいいから、眠気もあって……ふあぁ……」
「あら、講義中に寝ちゃダメですよ〜」
「大丈夫。寝ないよ……多分」
「もし寝てたら、スタンプたくさん送って通知いれてあげます」
「えらく現代的な起こし方だな……」
「実は現代人ですからね」
だが心配はいらない。こんな綺麗な子が隣にいたら、睡眠呪文でもかけられない限り、そうそう眠れるはずがないからだ。
そして、彼女の目の覚めるような美しさのお陰で去年は単位を落とさなかったと言っても過言ではない。
正確には、せめて間抜けな顔は見せまいと、必死に瞼を開けていたから、だな。
「そういえば、来週提出のレポート進んでる?」
やっとのこと思考能力が戻ってきた俺は、バッグからレジュメを入れたファイルを取り出しつつ三上に問いかける。
「もう終わりましたよ〜。黒木くんは終わりましたか?」
「いや、まだなんにもやってないんだよな。まだ大丈夫だと思っちゃうと、全然気が進まなくて……」
「片手間にやるには、調べ物とかあるから大変ですもんね。でも、ちゃんとやらないとダメですよ?」
俺の顔を浅く覗き込む姿にどきりとして、思わず目をファイルに落としてしまう。
否定せず、律儀に答えてくれる優しさも俺の心の癒しだ。
そして、先程の会話でもうお気付きかもしれないか、三上が優れているのはルックスだけではない。マメで、勉強もめちゃくちゃできるのだ。
その証拠に、俺がまだ手もつけていない課題を、三上は当然のように終わらせていた。
俺が不真面目なだけだって?
まさか、大学生は適度にサボるものなのだよ。
何も、講義をそのままぶっちぎるだけが怠けではない。課題の期限が迫っているのにも関わらず、一人もくもくとゲームをプレイすることも大学生の醍醐味である。
話を戻すが、三上は学業面でも優秀だが、それを鼻にかけることもない。
提出一週間前に課題を終わらせているなんて、俺なら自慢したくて仕方ないのに。
前世でどんな徳を積めば、ここまでの完璧さが手に入るのだろう。
世界を救ったのか、はたまた何かの分野の常識を塗り替えたのか。
それを卒業論文のテーマにするのも良いなと思ってしまうほどのハイスペック。
だからこそ、せめて友達であり続けるために、多少の努力はしなければならない。
「……頑張るかぁ」
「じゃあ、後で一緒にやりましょ? いつものファミレスで、イタリアンプリンで手を打ちます」
「本当か三上、ぜひ――」
「え、澪もうレポート終わったの!?」
ぜひお願いします。そう言おうとした時、はっきりとした、活発そうな印象を与える声が飛び込んできた。
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