8話 魚尾を追う


 授賞式の後、俺はいつものように先生の家に来ていた。


「今日の授賞式、業界の著名人が揃っててすごかったですよ。新進気鋭の作家に会える貴重な機会でしたし。古鷹ふるたか創介そうすけとか、秋月あきづき美生みきとかいましたよ」


「ふうん」

 先生に今日あったことを話すが、全く興味がなさそうである。


 ただ、俺が作った料理を口に運んでいる。……パーティに行っていれば、ホテルのごちそうがいっぱい食べられたのだが。


「そういえば先生、先日は『パールグレー』の原稿ありがとうございました。家宝にしますね」

「…………」

 先生はじっとりとした目で俺を見る。


「砂洲本くん、君はときに……」

「え、なんですか?」

「……いや、別に」

 一体なんなんだ?


「それはともかくとして……箱根の原稿、机の上に置いてあるから」

「あ、はい」

 早速取りに行き、目を通す。


 タイトルは既に『サイコキラー』と題されていた。

 その名に違わず、常人とは違う神経を持った殺人鬼がテーマの物語だった。


 話が生臭くならないよう、現実から上手くアレンジされているが、言われてみれば確かに先生の過激なファンがモデルになっている感じだ。


 彼女からはファンがこんな風に見えているのか? 冗談じゃない。

 とはいえ、すっかり読み耽ってしまう。


 今更口に出すのも野暮だが、やはり先生の作品は面白い。

 箱根では横にいてほとんど同じ体験をした俺は、絶対にこれを書けないだろう。


「やっぱり先生の作品はすごいですね。どうしたらこんな傑作が書けるんですか?」

 思わずそんな愚問を尋ねてしまう。


「作家志望みたいなことを言って……どうしたんだ?」

「ちょっと気になって……」


「ふうん……まぁ一つ言えるのは」

 彼女は腕を組む。


「私は父からある程度の文章作法を教えられたが、しかしあんなの全部役に立たないよ。大衆小説はそんなの関係なく、売れるものは売れるしな」

 彼女はきっぱりと言う。あんまりな物言いだった。


 俺にだっていち読書家として小説に関しては一家言あるが、口を噤む。

 別にこの人と意見を戦わせる気もないのだった。


 先生ほどの人に、その道の話で勝てるとも思えない。言葉なんて内容は重要でなくて、肝心なのは誰が言うか、なのだった。


 とはいえ、やっぱり小説には美しい構成や文章が必要だろう。

 俺は先生の作品のそこにも惚れ込んでいるのだし。


「そういえば、今日赤城高陽に会いましたよ」

「赤城高陽?」

 先生は眉を上げた。


「会ったのか? 彼女に」

「はい」

 頷くと、先生はさらに問いを重ねてくる。


「どうだったんだ?」

「どうって、どうもしませんよ。テレビで見るのと同じ顔です」

「へえ」


 彼女はじっと俺の顔を見た。自分の担当編集者の顔をしげしげと眺めたところで、別に赤城高陽の顔は分からないとは思うんだが。

 

 先生は、傍にあったリモコンから乾電池を抜くと、また取り付けるという行為を繰り返していた。分からない。よっぽど暇なのだろうか。


「それはそうと、赤城高陽さんがですね――」

 俺は、彼女が「真の小説」について話した内容に触れた。


 先生には作家としての美学が足りない。

 だから、赤城高陽の言葉を少し誇張し、その美学をかくも素晴らしいもののように話した。


 これで先生も少しは感銘を受けてくれるといいんだが……。


「……やっぱり女子大生がいいのか?」

 全然話を聞いていなかった。


「砂洲本くん、私のことをアラサーだと言いたいのか?」

 わりと気にしているらしかった。


「言いませんよ……大体先生がアラサーだったら俺もアラサーになるじゃないですか」

「そうだな、自分に不利な説は採用しないのが肝要だ」

 先生はうんうんと頷いて、ひとり納得する。


「それで、次の作品の話なんですけど――」

「ああ」

「先生は何か書きたい小説とか無いんですか?」


 そう訊いた瞬間、彼女は呆気に取られたような表情をする。こういった表情をすると、どこか幼く見えた。

 しかし、いつまでもそうしているはずもなく、ふっと目を逸らす。


「……どうしたんだ、いきなり」

 ん? 俺はそんなにまずいことを訊いたのか?


「砂洲本くんは読みたい小説とかないのか?」

「え、色々ありますけど……」


「だったらそれでいいじゃないか」

「……分かりましたよ」

 俺の読みたい本、ねえ。


「やっぱりここは原点回帰ですよ」

「はぁ……」


「たまには初心に帰った作品も書いてみませんか?」

「君は『パールグレー』が好きなだけだろ?」

 ずばり言い当てられてしまった。


「『パールグレー』みたいなものはもう書けないよ」

「書けない? 先生が?」


 それは意外だ。先生に書けない小説なんて存在しないと思ってた。

 だが、最高傑作が世にふたつあってはいけないのかもしれない。


「……君はどうしてそんなに『パールグレー』が好きなんだ?」

 先生が呆れたような顔で訊ねて来る。


「正確に言うと、好きという言葉は適切じゃないんです。『パールグレー』は俺にコペルニクス的転回をもたらしたバイブルなんです。先生にもそういったもの、ありませんか?」

「いや……」


「人生を決定づけたものがあるとするならば、それは『パールグレー』に他なりません。だからこそ『パールグレー』は大きな存在であり続けるんです。最早好悪の領域には存在していないんですよ」


「全く分からないな」

 先生は匙を投げるように首を振った。


「な、なんてことを言うんですか。折角真面目に話したのに」

「君は本当に理解しがたい人間だよ」

 全く……理解してもらおうと思った俺が間違っていたんだ。


「私がもう一度『パールグレー』のようなものを書くとしたら」

 彼女は、そこで言葉を切った。

「霧島一葉が死ぬときだろうな」




 * *




 赤城高陽と出会って、少し経った。

 彼女とは、メールでなんてことのないやり取りをする程度だった。


「砂洲本さんがわたくしの担当編集者だったら……って思っちゃいます」

 携帯のディスプレイには、彼女が書いたそんな文章が映し出されていた。


「今のわたくしって、小説家としては邪道な売り方をされているでしょう?」

 赤城高陽は、作家業がインテリタレントの箔付程度に収まっている、という捉え方ができるのも事実だった。


「『次世代の霧島一葉』なんて言われていますが、それもとってつけたような呼び名で……。そんな売り方をされている時点で、霧島先生にとても及ばないのは明らかですから」


 その呼び名は、趣味が悪いと思わざるを得なかった。

 そもそも先生に比肩し得るものなんて、存在しないのに。


「わたくし、作品だけで評価されるようなものを作り上げたいと思っているんです。作者が誰とか関係ない、純粋な名作を」


 俺は少し、おお、と思った。

 もしかしたら、彼女はタレント売りが本意ではなくて、作品だけで勝負したいのかもしれない。


 しかし商業的に仕方なく、そのビジュアルを活かした芸能活動を行っているのかもしれない。


「でも、なかなか理解を示してくれる編集者さんがいなくて……」

 メール越しにでも、憂いに満ちた彼女の瞳が容易に想像できた。


「砂洲本さんに担当してもらえる作家は幸せでしょうね。今後乾行社と仕事をさせていただくときは、ぜひ砂洲本さんに担当していただけたら……なんて思っちゃいます」


 俺は、返信を入力し始める。


「私もぜひ赤城さんと仕事ができたらと思っていたんです」

 社会人としての台詞だった。


 それから、赤城高陽と幾度かやりとりをしたが、結局仕事の話はまとまらなかった。

 本腰を入れて話を進めていたわけではないので、当然の結果だったが。


 とどのつまり、彼女の作品に惹かれなかったし、何か書いてもらいたい企画も思いつかなかったのだ。

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