7話 次世代の霧島一葉


 いつものように、俺は編集部で働く。


 編集者は、言わずもがな多忙である。

 先生以外受け持っていない俺も、大小問わず様々な仕事を捌かねばならない。


 出版作業はもちろん、メディアミックスやグッズの監修、方々との折衝、販促活動など、やることは盛りだくさんだ。

 先生ほどの売れっ子ともなれば、なおさら。


 しかしこれも全て、先生の作品を世に送り出すためだ。

 珠玉の傑作を流通させ、霧島一葉ファンの多くの人々が喜ぶのなら、苦労は苦労にならない。


 ……まぁ、俺が毎月新作を書いて欲しいと言ったから、仕事が増えている側面もあるが。

 先生の作品がたくさん読めるのなら、それこそ負担にもならない。


 先ほど、『ファンタジー』の表紙が送られてきていた。

 今回はデザイナーと相談して、インターネットで見つけた新進気鋭のイラストレーターに依頼した。


 ビビッドな感性から、幻想的ながらもどこかポップな風景を描くのを得意としている人で、他にも候補は何人かいたが、『ファンタジー』の世界観にぴったりだと思ったのだ。


 オファーを出したところ、「あの霧島先生の作品に携われるなんて」と、二つ返事で了承してくれた。

 イラストレーター生命を賭けて臨んでいる様子で、気合の入ったイメージボードを何枚も描いてくれた。


 出来上がったものは予想を遥かに上回る出来で、『ファンタジー』の魅力をこの上なく引き立ててくれるだろう。彼女にお願いしてよかった。


 いくつか細々とした修正点をリストアップする。

 先生にもチェックしてもらうが、どうせいつものように素通りだろう。


 他にも色々な仕事を片付けていく。


 その合間に、いつものファンレター整理を始める。

 今日も相当の量が来ていた。


 「霧島先生の作品がないと死んでしまいます」「霧島先生の作品に出会って人生が変わりました」「この世には、霧島先生以外綺麗なものなんて何ひとつないのだと思います」「霧島先生にこの国の政治を変えて欲しい」――いつにも増してすごいな……。


 俺が先生の担当になって一年半経つが、ファンレターの内容がどんどん神がかっていく気がする。

 最初の頃は、先生の復帰作への感謝の念ばかりだったのに。


 次に開いたファンレターは、「霧島先生の正体を突き止めました」と、達筆な筆捌きで始まっていた。

 本文は、以下のようになっている。


 敬愛する霧島先生、いつも作品を拝見しています。あとがきも、インタビュー記事も、あなたが発信したものは全て。


 その結果、霧島先生の正体に辿り着きました。

 あなたの正体は、長野県千曲市在住の司書教諭、刑部おさかべ美智みちさんですね?


「…………」

 だ、誰だ……?


 手紙には冗長な文章で根拠が書かれていた。


 使っている口語に長野特有の方言が現れているとか、近所についての話が千曲市のある場所と完全に一致しているとか、作中に出てくる知識が司書教諭特有のものだとか。


 これだけ読めばもっともらしくはあるが、実際は方言ではなく普通の用法だったり、住宅街ならわりとどこにでもありそうな特徴だったり、別に司書教諭でなくたって知ってる情報だったりする。


 飼っている犬をボルゾイだと断定し、この条件に当てはまるのは刑部美智なる人物しかいないと結論づけているが、そもそも先生は犬を飼っていない。


 まぁ、近所の話も他の個人的な話も、先生が自分のことについて発信するものは嘘だらけなのだが。俺に丸投げしてきて、代筆したことも一度二度では済まないし。


 こうなってくると、刑部美智さんの安否が心配になってくる。今度先生にインタビューを丸投げされたら、飼っている犬はマルチーズだとでも書こうか。

 それはそれで別のマルチーズ飼いに変な疑いがかかりそうで、堂々巡りだ。


 俺は気が触れた手紙を剪定﹅﹅し、ほのぼのとしたものだけを残した。


 少しは先生に読んでもらえるといいのだが、望み薄だろう。




 * *




 一日の仕事を終えた頃には、ゴールデンタイムも終わりに近づいていた。


 夕食は家の近くのラーメン屋で済ませた。いつもと同じである。

 ちょっと物ぐさが過ぎるんじゃないかと思わなくもないが、食事のメニューを考えるのはなかなか疲れるのだ。

 だから、思考停止でラーメンにしてしまう。


 だが、そろそろ栄養の偏りが心配になってきた。いやラーメンは完全食のはずだ。炭水化物はもちろん、肉も野菜も入っている。


 そこから歩いて五分ほどで、俺の住む築云十年のマンションに着く。

 鍵を取り出して、扉を開ける。


 暗い室内。すぐ壁の照明スイッチを押し、鞄を床に置く。


 鳥かごの水を換えながら、白文鳥を眺める。


 文鳥は毎日同じものを食べても一向に飽きる気配を見せないから羨ましい。そもそもメニューなんて概念が備わっていないのだろう。


 一日中狭い鳥かごの中で特にすることがなく過ごしていても、全く不満そうじゃないし。


 俺には度し難い生活に思えるが、それは人間の勝手な価値観と尺度に過ぎない。文鳥だってきっと人間みたいな生活はしたくないはずだ。


 趣味だの気分転換だの、そんなのを楽しみにする必要が無い。


 趣味、か……。

 俺はベッドに寝転がる。


 もしも、もう一度『パールグレー』に並ぶほどの作品が生まれたら、どうなるのだろう。

 世間とか社会がどうとかというより、俺自身が。


 しかし、考えても詮なきことだった。

 あんなに人生を決定づけるものは、もう存在し得ないだろうから。




 * *




 鏡の前で、俺は襟を正し背筋を伸ばす。

 かっちりしたスーツだった。


 今日は都内のグランドホテルで文学賞の授賞式があった。

 著名な作家や関係者が集う、格式高い場。


 俺がここにいるのは先生が受賞したからに他ならないが、当の本人は当たり前のように出席していない。別に何か用があるわけでもない。今だって家でのんきにしているだけだろう。


 だがたとえ天と地がひっくり返ったところで、先生はこういう場には顔を出さない。

 居心地がいいわけではないけど、仕方ない。これも仕事だ。


 俺は先生の代理として登壇し、彼女の手紙を読み上げる。もっとも、先生がめんどくさがってろくに書こうとしなかったので、ほとんど俺が代筆したようなものだが。

 これではまさにゴーストライターだ。


 式はつつがなく終わり、その後は祝賀パーティに移る。


 立食形式で、和洋中多種多様な料理が用意されている。だが、ゆっくりそれらを味わっている暇はなかった。

 グラスを片手に、かわるがわる話しかけてくる人々の相手をする。


 先生の代理という身分上、決して失礼があってはならない。先生の顔にまで泥を塗ることになってしまうのだから。


「砂洲本さん」

 次に声を掛けてきたのは、女性だった。


 異邦の血の証である、絹糸のような金の髪。その長い髪をハーフアップにしてまとめている。

 白い肌に、灰色の瞳。唇にはローズピンクの口紅が引かれている。涼しげなドレスを身にまとっていた。


 美人だった。それも、誰の目も惹きつけるであろう、きらびやかで華のある美人。一度その姿を見たら、もう二度と忘れられないだろう。


 しかしそれとは関係なく、俺は彼女の名前を知っていた。


「はじめまして、わたくし、赤城あかぎ高陽かやのと申します」

 そう、赤城高陽。


 デビューから二年で、既にヒット作を連発している有名作家。その瑞々しい文章と、端麗ながらもどこかシビアな恋愛模様を描くことで人気を博している。


 女流作家ということで、キャッチコピーは「次世代の霧島一葉」である。まぁ、これはセンスが悪いとしか言いようがないが。


 しかし彼女の活動の幅はそれだけではなかった。現役女子大生作家という肩書と類まれなる容姿で、タレント業においても活躍しているのだ。ゴールデンタイムのレギュラー番組を持っているし、この間は写真集まで出していた。


 色んな意味で「話題の有名人」である。

 そんな彼女が俺に一体何の用だろう。


「実はわたくし、一度砂洲本さんとお話をしてみたかったんですよ」

「へえ……私と? どうしてまた」


「砂洲本さんって、北上きたかみ先生を担当されていましたよね?」

「はい」

 確かにそうだ。もっとも、先生の担当になってからは任を外されてしまったが。


「わたくし、北上先生の『雨が多い夏の日』が愛読書なんです」

「ああ、以前テレビ番組で仰ってましたね」


「ご覧になってくださったんですか?」

「はい。いつも拝見していますよ」


「それは……ふふ、光栄です」

 彼女は口元に手を当てて、微笑む。桃色のマニキュアが塗られた形の良い爪が、きらりと光を反射した。


「あの袋とじのギミック、感動しました! 砂洲本さんが考えられたんですか?」

「いえ、そんな……北上さんの提案ですよ」


「電子書籍が台頭する今、ああいった仕様を通すのも大変だったではないですか?」

「ええ、まぁ……周囲に恵まれました」


 凝った装丁の本のニーズもあるし、電子書籍にはない紙の本の強みを活かす手段のひとつだ。


「正直、売れ線の本ではないでしょう? 配本を望む書店もわずかだったはずです。だけど、書店を回って、置いてくれる書店の数を増やして……地道に活動されていたでしょう? その甲斐もあってじわじわと評判になり、最終的には十万部も売り上げた」


「営業部の領分に勝手に踏み入っただけですよ」

「ご謙遜なさらないでください。熱意がなければ誰もついてきません」


 なんだか背筋がむずがゆくなってくる。何が言いたいんだろう。


 赤城高陽は目を伏せた。

「とても伝わってきます。本や――作家のことを、真摯に考えていらっしゃる方なんだって」


 彼女の長い髪がするすると肩を滑り落ちていく。その首元から、ホワイトバニラの香水の匂いが広がった。


「わたくし、ときどき思うんです。小説とはつまるところ自己の探究ではないのかと。作家という肉を深く抉り抜いて出てくるもの、何にも阻まれない脳髄の発露こそが、真の小説だと」


 自己の探究。

 脳髄の発露。


 悲しいかなそれは、俺の価値観と完全に一致していた。

 まぁ、脳髄は物を考える処に非ず――なのだが。


 彼女は一枚のメモを差し出してくる。

「これ、わたくしの連絡先です。受け取っていただけますか?」


 赤城高陽は我が社から本を出したことがない。ここでコネクションを作っておくのは悪くない話だ。断る理由はない。


 受け取ると、彼女は嬉しそうな笑顔を見せた。

「ありがとうございます」


 連絡先を交換して、別れた。

 それが、赤城高陽との初の邂逅だった。

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