第29話 気持ち イイ想い 前編

「お、お邪魔します……」

「違うし!! そこはママのお部屋! ウチの部屋はこっちなのに!! 覚えてないの?」

「う、ごめん」


 彩朱の家どころか、彼女の部屋に入ったことがあったのは初めて出会った頃のみ。それ以降、ほとんど外で遊んだという記憶しか残っていない。


 彩朱の家の道順も正直言って覚えていなかったが、親に教えてもらって何とか事無きを得た。


 そして今、彩朱の家にお邪魔したわけだが。どうやら夜遅くじゃないと親は帰って来ないらしく、彩朱と二人きりという事実を知る。


 それはともかくとして、家に上がってすぐに彩朱は俺を試すかのようなことを聞いてきた。


 彩朱の部屋はどこだクイズなわけだが、


「一番仲良しなのに、ウチのお部屋を覚えてないなんて! そういうナカくんにはしっかりお仕置きするんだからね!」


 部屋の場所を覚えていないだけなのに、お仕置きされるのが確定してしまった。


 それにしても、


「俺のことをまだそう呼ぶの?」

「また言ってる!! ウチの前でそういう態度を見せるんなら呼んであげないんだからね!」

「――あ」


 そういや俺って言ったら駄目だったな。


「その前に、僕の名前はナカじゃなくて――」

「あたるくんってことくらい知ってるし。でも、でもね、ウチだけがナカくんって言い続けたいの。駄目……かなぁ?」


 そういえば恋都も街香も、俺のことはちゃんとした名前で呼んでいた。もちろんあの子も。


 そう考えると彩朱だけがずっと幼い頃からの呼び名を変えていないことになる。その頃から俺との約束を忘れずにきたってことだろうか。


「い、いいけど。それならせめて本名を彩朱っぽく変えて呼ぶとか、それでもいいと思うよ?」


 幼い頃に呼んでいた名前で呼んでくれるのは彩朱らしいものの、今は高校生。彩朱も俺も成長しているし、愛称よりも本名であればそっちのほうがより近しい関係になれそうな気がする。


「ナカくんって呼ぶんじゃなくて、ウチなりのアレンジを?」

「うん」

「それって、ナカくんって呼ばれるよりも嬉しいの?」

「今は本名の方がしっくりくるからね」

「ふーん……待ってね、考えるから。その間に冷蔵庫に入ってるお茶を持ってきてくれる? お部屋で待ってるから」


 彩朱の中の俺は、家の中に何があるのかすら全て知っているって認識なのか。何とも言えないが、キッチンの場所は玄関から入ってすぐのところだったし問題無い。


 難なく冷蔵庫を開けて彩朱の部屋に入ろうとすると、勢いよくドアが開く。


「しっくりくる呼び方思いついた~!」

「――うわっ!?」

「きゃぅっ!?」


 幸いにしてペットボトルのお茶だったのでこぼれはしなかったが、部屋を勢いよく飛び出してきた彩朱と正面衝突してしまった。


 だが受け身を取った俺はお茶を放り出し、廊下の床に思いきり手をつく格好になった。ペットボトルのお茶はごろごろと床を転がっている。


「いつつ……」

「……っ。ナ、ナカくん……もしかしてここで?」

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