翡翠の音色、銀の鷹
@snow_tea
第1話 完結まで
涼しさは優しさ。
肺を透明に染める涼しい夏の風は、草原の民にとっては、どこまでも優しい。
だからだろうか、ヘナは、初夏が好きだった。まだまだ雨季のじっとりした、髪がおでこにへばりつく空気が、キラメく夏の太陽と共に一気に爽やかに突き抜ける薫風となる。愛馬と共に草原をかけると、辛かったあの日々が琥珀糖の中に閉じ込められた光のように淡く、遠くに消えゆく……
「このままでは孫が死んでしまう…… 作曲してほしい」
目の前にしわが深く刻まれた長老がいる。
その人は頭を下げて、ヘナに深く敬意を表している。しかし、ヘナはその老人の顔が想像ついた。苦い顔だろう。この村の大人(ダリン)(長老)である彼は、ヘナのことを快く思っていなかった。ヘナが幼いころに両親は死に、爾来ヘナは村の人に助けられて生活してきた。決して裕福ではないこの村に。育ててもらっただけで幸運だったとヘナは思う。ホントだよ。
何もできない少女だったのにね~~
大人は無駄飯ぐらいのヘナと思っている節があったので、そんなヘナに助けを乞うのが嫌なのだろうと合点する。ん、まあ、うーん、同じ状況ならそう思うかな――って!
「ガラに何かあったの?」
長老の孫娘とヘナはマジで仲良しだった。親友でいいくらい。
「ガラの髪が泥色になってしまっている…… このままガラが歌うことが出来なければ、もうサマンでもガラの命は繋げない」
ヘナは驚く。だってさ、この前はぜんぜん普通だったよ!?
「髪を緑に染めてごまかしていた。俺の庫(くら)から染料を持ちだしたようだ。やつれているのに、強情な子だよ」
その言葉にいてもたってもいられず、老人に声も掛けずに駆け出す。そのままヘナは愛馬にまたがり、高速でガラのいる木で校倉造みたいな屋敷へ突進する。
その勢いで、部屋の中にいた少女が半身を起こす。我が親友、ガラだ。
「……もう、何? 迷惑でしょ」
そう言ってニヒルに笑う。しかし、やつれているのは明白だった。
「もう! なんで髪色をごまかすの! どうして? そんな? 分かったから、アタシが曲を書いてあげる」
ガラはその言葉に答えない。目線はヘナに向けているが、瞳の輝きが薄れている。ヘナはショックを受ける。彼女は普段もっとカッコイイのよ。寝床にいる女じゃない。
髪色も確かにくすんでおり、もっと言うと毛先が黒く染まり始めていた。
――墨髪。
ヘナを含めたここ、図慕狼部(ズボログルン)の一族には、歌を歌って、沈んだ人々を慰めることの出来る医者のような存在〝歌うたい〟が時々生まれる。ガラはその一人だった。しかし、ガラには曲を作ることは出来なかった。そういう時は歌う曲を用意するヘナのような譜面弾きがいる。
ヘナが一人前になってもこの村にいるのは、そういう役割があったためだ。歌うたいは歌を歌い続ける必要がある。歌えないとついには亡くなってしまう宿命なのだ。その前兆が、ガラの本当は翡翠色の透き通った美しい髪が黒く染まる墨髪である。
え? ちょっとマッテ? なんか思い出したんだけど、え、急に思い出したん、ダケド、私以外にもいるよね? 譜面弾きって?
「アタシの他にあんたの曲を作る人はどうなってんの、ね?」
ぷいと顔を背けるガラ。背中が丸まっている。全く素直に答えない。
「ねえ?」
「……私の心に響かなかった。から、誰もいない。だから一縷の望みでじい様があなたのところに行ったんだと思う」
そうなのだ。歌うたいのオニ面倒くさい、いや難しいところは、その人が心の底から気に入った歌でないと、この歌うたいたちは、力が発揮できないのだ。
それは人々を癒すことが出来ないと言うことである。
困ったやつらである。
しかし、こういった時こそヘナは燃える女であった。むむむっとやる気が起こる。
「じゃ、あなたの気に入る曲をアタシが書くから。よろしく待っといて」
ガラは、少し何かを考えている風であったが、ついになんとか挙げた右手と背中でヘナに返事をした。根は素直な子なのだ。
ヘナには自信がある。それは元の世界でも作曲をしていたからである。
彼女は、日本でOLをして毎日やり過ごしていた、日本人である。
普通の人だった彼女は、普通の女子大に進み、普通に就職した。そこから3年、どおってことはない、会社と家を往復するだけの毎日。一つだけ違ったのは、昔からボーカロイドが好きだったこと。
中学生の時にボカロが好きだった友達から「ウミユリ海底譚」を教えられて、爾来ボカロなしの生活は考えられない。だってサ、ボカロだよ!? あの、えっと、あの、ボカロだよ!? もう絶対、片時も聞かなかったことの無い音色は、青春で彼女のすべてだった。モウ、ホントにもう聞いて、インストールした? 電気の声がするよって、感じ。大好きだった。
プロセカもしたし、ボカコレもピアプロも毎日30分聞いて5分休んでを守って、守って深夜マデ聞いて、学校の勉強も疎かにせず、文武?両立した。
Youtubeもニコニコも毎日毎日毎日チェックしたし、有名ボカロPさんの配信ラジオもホントに欠かさず見ていた。
そのうち、ボカロPさんの言葉で勇気をもらい自分でも……曲を作るようになったのは高2の冬。
最初は作り方すらわからなかったケド、島村楽器さんのホムペで見て、ミクちゃんをお迎えして、ピアプロスタジオも買って、キューベースも頑張って手に入れた。
おこずかいはほとんど消えたケド。最初は全く満足できなくて、こんなゴミみたいな曲をミクちゃんに歌わせてホントごめんなさい、許してください死ぬから本当にごめんなさいすみませんでした、って感じだったけど、何とかTwitterのフォロワーさんも10人くらいになって、30人くらいになったときは、嬉しすぎてベッドで~~泣いた。
そんなワケで、転生して以降、曲作りはお手の物なのだ。しかもヘナにはボカロソングを作曲出来るグッズがあった。
それはどこからど~見ても薄い石板のようなもので、普通、日本ではスマホという。中にはボカロとピアプロスタジオとキューベースなんかのアプリが入っておりまとめて作業できる。直感的にイジるだけで曲が作れるのだ。モトの世界でもこの世界でも楽器が弾けず、コードも覚えられないヘナにとっては嬉しすぎて、ホントに泣いちゃうくらいの幸運だった。えッ、えっ〜って感じ。コレがあればこのセカイにも、ボカロのよさを広められると思った。
ヘナが転生するとき、市役所みたいな場所で申請書を書いた。順番待ちの列が長く、番号札25番を持っていた時にフト思いついて特記事項欄に音楽をやり続けたいから、自分が持っている作曲アプリ入りのスマホをそのまま使えるようにしてほしい、記憶を保持したまま生まれ変わりたいですどうか神様的な人? 心からお願いします~~とお願いした。
ムシが良すぎると思ったが、窓口の冷たそうな女性は眉毛を上げただけで、「これだけでいいですか」と言って通してくれたのだった。え、なんかめっちゃアタシの意見通るやん、ど~せなら、世界を統べる力なんかをもらえばよかったとヘナは思う。
だからヘナっちはこの草原と森林の世界でも変わらずボカロ曲を作曲できるのだ。かっこいい。
ボカロソングを草原の風に乗せられること。そんなヘナはほかの譜面弾きとは違う魅力のかたまりだ。真似できない。ガラ以外にも歌の依頼が来ることも実はそれなりにある。だからこそ、ヘナの父母が残してくれた小さな家には結構遠くの国から来たグッズがいっぱいあるのだ。
でも、アタシの曲を歌ってくれる人は何人かいるけれど、やっぱり一番うまく表現してくれるのはガラ。だから、いつもホンキだけど、ガラにはそれだけじゃない特別な思いを向けていたと思う。
……歌うたいと譜面弾きであること。長老の娘と親なしの娘であること。チーズ好きとキイチゴ好きであること。翡翠色の髪と蜂蜜色の髪であること。アズキ色の瞳とスミレ色の瞳であること。ヘナのことを大事にしていることと、ガラのことを大事にしていること。
世界の端にある図慕狼部の端にある凍林村の端にあるそんな二人の友情。
ヘナは作曲に取り掛かる。
ヘナの曲作りはまず、一杯の紅茶を飲むところから始まる。木でできた古くさいが頑丈で落ち着く我が家に戻った後、遠く森の国から砂漠の道を通ってやってきた青銅製の湯沸かし器とポットと、東南にある大酒国の窯で作った白く輝くティーカップ、南海の果てにある島の砂糖、シナモン。そして聖から輸入したルビー色の高級茶葉と、我が図慕狼部でとれた牛の乳。最高級品ばかりのハーモニー。
譜面に向き合って手に入れたものばかりだ。
甘いミルクティーを飲んで一服するヘナ。リラックスが肝心、よし、優しい心になった。
まず、ガラに歌ってもらうのだから、ガラのいじっぱりな心をよく考え、ガラの翡翠の心に寄り添わなくてはいけない。なにか辛くて悲しいことがあったから髪が夜の色に染まるのだ。ヘナがよく知る、ガラの悩みは何か。
例えば、夢。ガラはよく、いつかはこの村を出で、遠く西の果てにあるという神の国に行ってみたいと言っていた。その時の瞳の輝きは、ヘナでも見とれてしまうくらい美しかった。ヘナもガラも、もうかわいい少女と呼ばれる時期は過ぎている。ドキドキ!とかいって騒ぐお年頃ではない。まだ、我々はきれいな美少女なんだからねとガラは言い張っていたが、もう、結婚してもおかしくないのだ。
アタシは孤児で性格も悪い、男に合わせるなんてメンドクサイから結婚相手なんていないが、ガラは村で重要な立場の家の女性だ。当然結婚するだろう。そうすれば彼女の夢はかなわなくなる。そのことで絶望してしまったのか。
あるいは、歌。歌うたいは2回生まれる必要がある。最初に、煌びやかな髪を持って生まれること。ヘナのような平凡な髪でなく緑、赤、青、オレンジ、紫、不思議な髪の毛が歌うたいの素質を持つと言うことである。これが1回目の誕生日。もう一つの誕生日は、歌うたいとして生きる決意をしたとき。歌うたいは職業であって職業ではない。生き様なのだ。生涯歌い続ける覚悟を持つこと。これが条件。しかし、途中で歌わなくなる人も多く、女性として独り立ちをする頃に一番歌を止める人が多くなる。そういう人生を選ぶと西の果ての天狼山脈に上り、天に歌うたいを止めることを告げなければならない。そうすれば髪は癌(くす)むが、墨髪にはならずに済む。ガラの母親も歌うたいだったが、結婚と同時にやめてしまった。だから彼女のきれいな空色は、今は曇り空の色になっている。やめる必要は必ずしもなかったようなのだが…… ガラも歌をどう表現するのか、どう歌い繋いでいくかに困っているのだろうか。
そして、孤独。ヘナの気付かない孤独があったのか。何か心に抱えていたのか。吐き出すこともできず、歌に託すこともできず、ただ、縮こまっていく一方なのか。心を落ち着けることが出来ず、居場所も見つからない。それはしんどい気がする。ガラの歌唱の才能はヘナも認めている。でないとガラに曲を提供したりしない。けれど、ガラは蒼い世界に一人ぼっちで放り込まれていると感じているのだろうか。
ヘナにはどれもありそうだと思えた。勿論、ガラのことは昔からよく知ってる。しかし、ガラの感情はこれだと決めつけることは出来ない。
もし間違えていたら、ガラが死んでしまう。そんなことは出来ない。
ガラを無理やり叩き起こす曲を作らないといけないのだ。
全部作ろうと思う。
全部の曲をガラに持って行って、ガラの胸に火をともすのだとヘナは思った。
スマホを開き、ボカロっぽいリズム音源がたくさん入っているアプリを開く。ヘナは気が済むまでそこに入っているループ音源を聞きまくる。そしてリズムを聞きながら愛馬にまたがり、林を馬の背に揺られて散歩する。こうしているとよいメロディを思いつくのだ。川を越え、池を超え、林が鬱蒼としてくるあたりで、
電撃的にリズムが浮かぶ。タタタンタタタタンタタ。
すぐに似たリズムをアプリから探し、AI作曲アプリを開き、そこにリズムを移して、編集画面で指示を与えていじって浮かんだリズムど~りに作曲させて合わせる。一応世界が違うから適用されないとは思うが、ここのリズム音源、AI作曲ともに著作権フリーのものばかりだ。偉大なボカロPさんたちの好意で、2万に及ぶリズムとAI機能たちがタダで自由に使えるようになってるのだ。
早速、出来たオリジナルメロディをつなげていって、2分ほどの曲にする。
ボカロの曲は、ダダッ、ダッダダというリズム、3回半音下降するフレーズ、四つうちドラム、イントロで上げてAメロで落としボーカルにスポットを当てる曲がテンプレだとヘナは学んだが、今回も基本はそれに沿う。
慣れたリズムが一番表現しやすい。
さらに音をつけ足していく。
むかし曲作りに慣れた頃に、オーディオインターフェースやモニターヘッドフォン、モニタースピーカーも揃えたし、マルチ音源やMix、マスタリングソフトもミクちゃんに最高の音を聞かせて、歌ってほしくて何とか使いこなしたあの頃。動画の作り方も覚えた。
この世界では動画は作れないから絵でボカロを表現するのは難しいけど、曲作りなら同じようにボカロ曲の魂を込めることが出来る。スマホにも編曲に必要なモノはすべて入っている。使いこなせるマジ最高のスマホ。
音をつけ足して、ガラの歌声をイメージ、ギター、ベース、ドラムで構成、印象的なところだけピアノと図慕狼部伝統の太鼓楽器パヱンでアクセントをつける。聞きやすいよう整えて、Mix、マスタリングアプリで最後のリズム、ピッチ、エフェクト調整を指先ひとつで行う。
ここは出来に直接影響するため一番神経が張り詰めるが、なんとかガラの心情をうまく出せると思う。声は勿論ミク。
ガラがどんなふうに落ち込んでいても、優しく包み込んであげられるように、3曲作った。雰囲気が違うと怒られた場合に備えて、それぞれのアレンジ曲も一応用意しておいた。
完成。ヘナにとってはもう手慣れたものだ。願いは一つ、アタシの曲がどれかでも、ガラの真心、気持ちに寄り添えていること…… アタシの頑張りはガラのためにあるんだから…… 親友なのだ。彼女は。意地っ張りで、元気で、優しくて、クールな彼女の心を歌に込めたのだ。
ヘナが大学に入った年に初めて「業間休みにせーのっ!」が10万再生を突破し、ボカロP〝雪紅茶〟としてVOCALOID界隈で知って頂けるようになった。そのころから一般企業様からお仕事を頂けるようになり、狂喜して曲を納めて、喜ばれてまた別の仕事に繋がってと、セカイが広がった。まるで、プロセカを初めてやった時みたい。
嬉しかった。長い言葉じゃなくていい、大好きですのただ一つをニコニコ、YouTubeでコメントしてくれるだけで、眺めるだけで昇天した。
その頃の気分、その頃の真剣さを思い出す。
ガラが死ぬかもしれない今、彼女の心を呼びさますには日本でなら100万再生くらいはいかないといけない。100万の好意がなければ、人一人を黄泉がえさせることなんてできない。そんな歌だとヘナは思う。「龍を見た日」「草原少女の旅」「ぼっちユメウタ」を引っ提げて、ヘナにはもう一ついかないといけない場所がある。
サマンのポラシェのところだ。
草原を馬と人が行く。
ヘナと愛馬ヨルだ。
作った曲をガラは聞いて覚えるわけではない。ガラは体で覚えるのだ。具体的にはサマンという仕事があり、譜面弾きの曲を祈祷で歌うたいの体にしみこませる儀式がある。
ここの世界、特に草原に住む人にとってはよくある風習だ。サマンも歌の仕事ばかりでなく、探し物を見つけたり、ケンカの仲裁や、おまじない、人生相談、健康の祈祷、占い、よく聞く薬草を煎じる、神と交信し死人と喋ったりする。その中に歌うたいに関わる仕事もあるのだ。
最初はヘンダナーと思っていたが、草原で暮らすうちに、なんか、なれてしまった。ヘナの見るところ、確かにこの世界には日本と違って、目に見えない力が信じられ、存在し、使いこなしているようだった。
ポラシェはヘナ、ガラと同年代の男性で黒髪に鷹の目を持っている。服はサマン特有のゆったりしたローブのような生成りの衣装にハットをかぶっているが、この世界では珍しく川でよく洗濯をしているようで、いつも清潔だった。
サマンは村はずれに住んでいるが、ポラシェは見た目が見苦しくないので、女性によく依頼を受けている姿を見る。そしてメンドクサイことにヘナとは正反対のところに住んでいるのだ。ホントにモウ、やになっちゃうケド、仕方がない。
ヘナの住む林を抜け、川を越え沼地を超え、草原に入る。あと30分も揺られれば祈祷師の家につくところで休憩。ガラの髪が完全に黒くなるにはまだ一旬の余裕がある。休むのは飲み水をコクコク飲む目的もあるが、他にも理由がある。
草原の小高い丘に立つと、声が四方に響く良い場所がある。ヘナは自分の声は死ぬほど嫌いだったが、だってマジでもう、キモいもん、最初スマホの録画機能でとった声なんて、マジでくぐもりすぎて、ベトベトシタ声で、地獄だった。なんかホントになんか、嫌な声すぎて爆発したかったよ~~ でも、そこの声を遠くに運んでくれる丘で歌うのは嫌いではなかった。
ヘナは歌う。
声が響く。
空が明るくなったような気がする。川がのせせらぎが澄んだような気がする。草が風にそよいで嬉しそうにしている。キモいアタシの声でこんなに素敵なことになるのだから、ガラが歌ったら、爆発すると思う。地球。
そうして3曲まとめて気持ちよく歌っている。あ~~、マジで、ホントにサイコー。ちょっとだけ、アタシって、歌うたいもイケんじゃねって勘違いする。そんなわけない。テヘッ、舌を出してみる。アタシキモすぎ――
その時だった。――遠くの小道から騎乗し高々槍を持った男性がぽっつりとヘナの下にやってくるのが見えた。槍? 何故?
「キミの歌、いい歌だったぜ。一着、服を作りたくなったぞ」
男性は銀色の髪をなびかせる。ショートヘアだ。鷹の瞳を持つ。
青と赤の、ハミガキをしたような目の覚める服を大人っぽく着こなしている。足元は乗馬用のブーツだ。しかし、手には長大な槍を握り、青鹿毛の馬に跨っている。
ヘナはずいぶんビビッたと思う。日本でだってこんな人にはついに出会わなかった。わき目も振らずポラシェの元に行くべきだったと急速に後悔する。しかし、ガラのためにここでやられるわけにはいかない。
「あなた! 誰ですか?」
失礼ですよ、……とは言えなかった。
「これは失敬、私はシル、風檁部(スーリンシロ)のシル。服の仕立てをしている」
ん? 仕立て? ってことはファッションデザイナーなの? は? え、なんか槍抱えてマスケド……
「アンタの歌は、イメージが膨らむ。この大空のような歌だな」
そう言ってシルは笑った。ヘナより大人に見える。
「私は故国で歌うたいが歌った歌を元に服を仕立てる仕事をしていてね。声が聞こえたものだから」
そう言ってシルは、はははと笑った。
そういえば、そんな仕事もあった。この草原地帯では、趣味のために着る服は相当な高級品なのだが、貴族などは、帷幄の裡に膨大な仕立服を貯(ため)込み、着飾りながら歌うたいの歌に酔いしれるという。ボカロでいうところの動画、ビデオクリップのようなものだ。歌の世界を表現するために、絵とアニメ、映像があるように、この世界では服がその役割を果たしているのだ。
しかし図慕狼部ではかなり珍しい。広大な草原の西部にある、図慕狼の大人が住む灰城には、仕立てが何人かいると言うことは風に吹かれて教えてもらったことがあるが、ヘナやガラの住む凍林村(トゥアリィ・ムクン)にはいないし、近隣でも見たことがない。
頑張って都会まで旅をすれば会えたとは思うのだが、日本での生活に疲れていたヘナにその気力はなく、この村でのんびりダラダラ過ごしてきたのだ。だってさー、やっぱり休みたいじゃん。風だって、草原だってめちゃきれいダシ。
シルは初めて出会う人種だった。これに踊り子が加われば、ボカロ曲が完成するとヘナは思う。踊り子は曲に合わせて踊る仕事だが、まったく確かなことに、踊ってみたと変わりがないのだ。ヘナはボカロP、ガラは歌ってみた、シルは……作ってみた? これに踊り子までいれば、踊ってみたも手に入る。なんかもうなんか、凄くない?
「……そうなんですね。アタシも仕立て屋さんなんて珍しい人に会えて嬉しいです。お互い、良かったですね。では、急いでいるのでこれで」
シルを怖がったヘナがやっとそう言って、愛馬に跨ろうとした時、シルがヘナの顔面に槍先を突き出して威嚇する。
「悪いが、付き合ってほしいことがある。我が風檁部の壽嶺城(スリシロ)に共に来てほしい。頼みがある。やってくれるね」
凄まじくキレイな笑顔だった。ヘナは見惚れてしまう。しかし、
「いや、申し訳ないけれど、友人が危篤なので急いでいるんですけどね。あの、行ってもいいですか。」
「今日か」
「……一週間後です」
「なら大丈夫だ。往復で5日ほどだから間に合う。日にちに余裕があるのに危篤と言うことは墨髪なんだろう。体の病と違って急変はしない」
シルは不敵に笑うと、こう付け加える。
「今、封印されて動けないものがいる。歌の力が必要だ。試したが並みの歌では駄目なようだ。歌で気付いたが、キミは最速音の女神(サラスヴァティ)だろう」
うわと思う。一番聞きたくないあだ名だ。なんかすごい凶悪だから。ボカロ曲に影響をうけているアタシは早いリズムの曲が多く、歌うたいが苦戦することが多いためそんな変なあだ名をもらっているのだ。どうも広く知れ渡っているらしい。
「キミの歌は、他で聞いたことがない。封印を解けるかもしれない」
何とか抵抗しようと思って、
「でも、サマンがいないと、歌を伝えることは出来ませんよ」
「おお、そうなんだ。探す必要がある。ポラシェというサマンを知っているか」
「……聞いたかも」
顔面蒼白になり、思考がぐるぐる回る。知りませんと言って後でバレたら槍で八つ裂きにされるかもしれない。さりとてポラシェの家に行くところでしたと正直に言っても状況が好転するようには思えない。
「地図は持っているのだが、精度が低くてな…… もし私を助けてくれたら、それだけの礼はする。勿論、君が助けようとしている歌うたいにも礼を出そう。余裕があるとはいえ、待たせたことになるからな。キミは外国から物を取り寄せるのが好きだと聞く。必要な砂金をあげよう。私のでよければ望みの歌で服も仕立てよう。私を助けてくれ」
馬から降りているシルは頭を下げる。 ……かわいそうだとは思う。心から困っているんだろうとも思う。しかし、
「このままでは私の親友は死んでしまうかもしれない。彼女を死なせるわけにはいかないんだ」
シルの言葉を聞いてはハッとする。この人も私と同じなんだ……
親友を救いたい。自分の手で救えるかもしれないヘナと違い、シルは自分ではどうしようも出来ない。だから頼んでいる。もし、ポラシェがいいと言ってくれるなら……
「ポラシェの家に行きましょう。話はそれからです」
ヘナはそう言って笑った。シルは真剣な顔で頷いた。
話は決まりだ。後は愛馬ヨルに跨り草原を突っ走るだけ。
2頭と2人は駆け出した。
草原の空気は冷たい。遮蔽物は無いから太陽は激しく差し込むが、湿気がないから、意外とカラッと乾燥している。風が吹きさびすと、頬が切れてしまうと思うほどになるが、今2人はそんなことも気にせず、草原を横断する。
少し経って、ポラシェの住む寺に着く。
数百年前に先人が作った寺に住み着いている。寺自体はお堂があるだけだが、周りに木でできた家がくっついており、これもまた相当な年数がたっているが、ポラシェはさして修理することもなく、使っていた。
声が聞こえるから、お堂で祈祷をしているのだと思う。邪魔するのは気が引ける。
ヘナはそう思い、扉をくぐると祈祷の言葉を挙げる男の後姿を見やる。すると男がぐるりと後ろを向いた。
黒髪に黒目の男。髪はつやっぽくきれいだ。僧侶と違い、サマンは剃髪の習慣がない。顔は整っているが、やや冷たい印象を見るものに与える。紺色の和服っぽい衣装に身を包んでいる。一番上には袈裟のようなものをつけている。クールでカッコいいとは思う。
「ヘナ? 祈祷中だが」
ポラシェは微かに笑った。手には数珠を持っている。
「だから、ただ、私は待っていた」
「む、そうか。確かにな。……すまない」
その言葉はやや虚空を滑って伝わってくる。空間を持たせるだけのコミュニケーション。肩をすくめたヘナは、
「何に対するお願いをしていたの」
「天(テングリ)に。ところで、ヘナが俺のところに来たということは、歌うたいに歌を沁み込ませようということかな?」
「うん。ガラに」
ポラシェは黙り込む。どうしたんだろう。
「……そうか。ガラの歌か。そうか。……相変わらず仲がいい。祭りで披露でもするのか」
やっと顔を上げたポラシェ、言葉は辛うじて普通の調子だが、何とも言えない辛い顔を浮かべている。やっぱりどうしたんだろう。
「そうか、知らないんだね。ガラ死にそうなの、墨髪になってしまって」
不思議に思うが、ヘナは事実を伝えるのを優先する。
「墨髪。真か?」
ポラシェがもっと辛そうな顔をする。少し目のあたりが濡れている気がする。
「うん。そう」
「申し訳ないが、俺は、手助け出来ない」
ヘナがポラシェの様子を気にかけていると突然、ポラシェが言い放つ。
「ちょっとどういうこと?」
影のある笑みを浮かべ、顔を背けながら、皮肉気にいう。
「どうしてもだな。たぶんうまくいかない」
ヘナがさらに言葉を重ねようとした時、
「では、すまないが、私の用事を頼まれてほしい」
ずいっと話に割って入った。銀髪の男、流石に槍はない。
「貴殿は?」
「私はシル。東にある風檁部に住む」
闖入者に不満げなポラシェが黙ってシルの顔を見る。沈黙が続く。するといきなり、
「風檁部(ブーラングルン)のシルか? 屠龍(アファイムドゥリ)と名高い。風檁突騎を率いる男性。鷹の瞳と狼の心臓と雷の槍を持つ?」
余りにも急だったのでヘナが一番驚いた。
「邪悪な龍を殺したその男の成りも野盗の様に残忍だという話があったが、……どうも嘘らしい。ヘナと知り合いか」
「……まあ、ソウだケド……」
余りにも仰々しい肩書ばかりで驚く。肯定の音色も弱弱しくなるもんだ。シルの方は見ず、ヘナにポラシェは真面目な顔で問いかける。やっぱりきれいな顔だと思う。
「こいつの頼みは何だ?」
「……シルさんの親友が、ええっと封印されている親友がいて、アタシの歌があればなんとかなるかもって……」
なぜか、本気の表情のポラシェの前では、いつものような普通の態度が取れない。何だか、弱気な、まるで乙女の様になってしまう。なんかめっちゃ悔しいが、体がそう反応してしまうので、仕方がない。考えて言葉を吐くようになってしまう。
「そんなことだろう。ヘナの気持ちはよくわかる。ヘナ、親友という言葉に屈したな。いいか、こいつはそんなにいい人じゃないぞ。少なくとも龍を殺している。いいのか、ほっとく手もあるぞ」
ヘナは静かにポラシェの話を聞く。いつもポラシェはいい人なのだ。サマンなだけある。ヘナの態度にため息をついて言う。
「それでもというなら、手伝ってもいい。ヘナがそう望むなら俺の手助けがいるだろう」
ヘナの顔を見てしょうがないといった様子。
「ガラのことは」
「ヘナがシルを助けられるなら、まだ少し余裕があるんだろう。ヘナとガラの仲がいいのは俺も知ってる。親友を助けるために早く終わらせて戻ればいい。俺は役に立たんだろうが」
静かに控えていたシルがその言葉を聞いて、言う。
「ご助力願えるか」
「どうもそういうことになったらしい。ならば疾くぞ」
ポラシェはそう言って皮肉気に鼻を鳴らした。彼の心も決まったようだ。
3人は馬を飛ばして図慕狼を超えた風檁部に向かった。
シルの親友のいる壽嶺城は意外と現代的だった。ヘナの言う現代だ。何かものすごくスタイリッシュなのだ。ここまで2日、食事も最低限に、やっと着いた。
白亜に輝く威容は壮大で、聞くところによると煉瓦で城壁を作った後に、白砂で壁を塗りこめているらしい。図慕狼部はあまり都市がないが、風檁部は図慕狼より都市が多く、城もきれいだと思う。
封印されているシルの親友は、城の中心にある天蓋付きの寝台に寝かされていた。体の周りに高貴な花がまかれている。何だかいい香りもする。どうやら城の主が寝る部屋のようだ。どことなく中華の宮廷のような部屋だと思った。
ここまでヘナは封印を解くための曲を頭の中で考えていた。「緑林姫の憂」が曲名、それを披露するときが来た。じゃあとポラシェに歌を披露すると、シルが止める
「それは私が聞いていた曲ではないな。悪いが草原で聞いた曲にしてくれ」
いや、それはガラのために作った曲なのだから、ガラのためにしか思いがこもっていない。それでは申し訳ないから、新曲を作ったと告げると、彼女の言葉に不快そうな顔をするシル。
「そんなことはどうでもいい。私が感動したのは「龍を見た日」という曲だ。きっと私の親友、マーヴラも気にいる。それにしてくれ」
は? と思うヘナ。いや、だからこの曲はガラにしか使えないから意味がないって言ってるでしょ。あのさあ、失礼でしょそんな曲。ちゃんとした曲を馬の背に乗られて作ったんだからそれを聞いてよ。アンタも曲聞いて服作ってるなら分かるでしょ、作曲した人の思い。そう言おうとしたがシルの鋭い眼光に止められる。猛禽類のような激しい敵意をヘナに顕す。うーん、怖い。ヘナは逆らえない。ぶつぶつ心の中で文句を言い。
言いつけ通り、龍を見た日をポラシェに披露する。ポラシェはそれをゆっくり味わうと、封印されているマーヴラとかいう親友に向き合い、呪文を唱える。するとポラシェの手が熱を持ち、その手を横たわった女性の額に当てると女性が微かに雷を帯びる。
ポラシェのこの姿を見るたびに、ヘナはこの世界には本当に魔法があるのだなと実感する。日本にも魔法はあったがこんなに地味じゃないもっと激しい魔法ばかり見ていた気がする。それに比べるとショボい分、真に迫っているきがする。本当の呪文とはこれくらいのものなのだろう。
20分経ってポラシェが言った。
「無理だな。歌が彼女に沁み込まない」
理由を問いただす2人に答える。
「彼女の体が冷えすぎている。この人は歌うたいだろう。体の中の活力がない。きっと無理をしたんだ。シル、あなたのためかな。その結果体が氷の様に固まっている。よくない。温めなければ……」
ヘナは少しだけホッとした。やっぱり曲が良くなかったんでしょ。やっぱりマーヴラのことを考えた曲にしないと…… ねえ?
「どうすればいい」
シルの心底冷えた言葉にポラシェが応じる。
「東台山(トゥアデムマカドラ)に上るしかない。そこには温泉がある。そこにつかるのが一番早い」
何故そう言えるとシルが示した疑念に、寺院の書物で読んだと返す。
「他には?」
「……お湯をかけるとか? この様子だと2年はかかるが」
「山に登ろう。どれくらいかかる」
真面目な顔の二人。ヘナは一寸考えるが、ここまで来たら腹をくくろうと思う。
「急げば3日。」
地図を机の上に水で描くポラシェ。昔JKの頃にファミレスのテーブルでそんなようなことをやったなあと思い出す。ガラとはやったことがなかった。ガラの髪色が翡翠色に戻った時にバカ話しながらやろうかなと思いを馳せる。
「では急ぐとしよう。すまないが温泉につかったらすぐに封印を解きたい。同行してくれ。マーヴラは私の馬に縛り付けていく」
ふたりも異存はない。救いたい命だし、ガラのことを考えれば決断は早い方がいい。愛馬には無理してもらうことになる。少しだけ心にとげが刺さった。
東台山は図慕狼部と風檁部の北にある。北嵌(ほくざん)の宮廷と慕狼諸部を2つに遮る高い山々の峰のふもとにある霊山が、東台山であった。これより東はヘナたちの住む世界。西側は砂漠と草原に閉ざされた荒涼とした北嵌の世界が広がっているとガラに聞いたことがある。本当かは知らない。でもあの子は物知りだった。アタシもこの世界では割と頭がいい方なのだが、ガラも負けていないと思う。
3頭の馬は山に向かって全速力で駆ける。普段みんな手綱などは握らず腿だけで指示を出すが、マーヴラを助けるためにあまりの速度で進むため片手は馬の銜から伸びる綱を握っている。さらにシルはマーヴラを背中に括り付けている。大変だ。
走る間に、飛び去る景色はもうずっと前から草原は緑色が幾分褪せて、ごつごつした岩場になってる。ヘナはついていくので必死だ。遊牧民族に生まれたから一通りのことは出来るように成長したが、すごく乗りこなせるわけではないのだ。
愛馬ヨルから振り落とされないかだけ心配だった。
岩場は続き、坂が続くようになる遠くには山が聳えるが、坂の先にも山山がある。草はまばらであまり気持ち良い景色ではない。
峠を越えた時、背後から突如襲撃、みなドキリとする。
敵は野盗、このあたりの常識で皆騎馬だ。敵はすぐ弓を放つ、瞬間高速移動した3頭はひゅるりとかわす。敵は続けて放つが皆よける。矢がなくなった敵は諦めて帰った。
ヘナが安全を確信し一息ついた時、状態がふらりと揺れ、支える馬もバランスを取るため左にずれた。そこまでだった。逃げたと思った敵が先回りして弓矢を隠し持っていたものか、放つ、瞬間、ヘナが開けた隙間からポラシェに当たり落馬、ポラシェの体は後方に去り砂埃に包まれる。
しかし、野盗は先頭を進んでいたが反転し戻ってきたシルの槍が唸ったことで全員撫で切りにされ、小康状態が戻る。シルの頬には飛び散った血が付いていた。銀髪とのコントラストで色気を感じる。ヘナは慌ててポラシェのところに戻る。ダンゴムシのように縮こまった彼の脇腹から血が滲んでいた。
「大丈夫」
ポラシェはそれだけ繰り返し馬に乗ろうと、のろのろ動きを続ける。そんなワケないでしょ。ヘナは止めようとするが、ポラシェは言うことを聞かない。
たまりかねたシルがヘナの許可も取らずにヘナの馬の背に乗せヘナは2人乗りになった。
ヘナは操縦が苦手だが、この際そんなことは言ってられない。異存はなかった。
明らかにスピードが落ちたものの、ポラシェが血で服を染めていくだけで、新たな負傷はなかった。二三の雑魚どもはシルの独擅場だった。
数時間後、馬を酷使し、ついに息も絶え絶えに東台山に到着した。
東台山は6つの峰からなる巨大な山山だった。それぞれに多くの僧伽からなる寺寺が並び立つ。温泉があるのはそのうち最も高い山のふもとにある門前都市の外れだった。
さっさと封印されたマーヴラを星屑色に輝く温泉に放り込んだシルは寺に用事があると言ってすべてをヘナとポラシェに任せてしまった。えっ、とヘナは思ったが、ポラシェの顔面は蒼く、玉のような脂汗がどろりと流れ放題だったが、シルには構わず、最低限の止血を寺院内でした後、マーヴラに付き添って、改めて呪文を唱えようとする。ヘナは、シルがいないことを幸いと、自分がマーヴラのために作った曲をポラシェに聞かせる。しかし、ポラシェははっきりと拒絶する。
「シル殿がはっきりと「龍を見た日を」いい曲と言っているなら、それを使うべきだ」
「でも、これはガラのための曲だよ」
ヘナは訳が分からない。ガラ用のボカロソングを使ったからうまくいかなかったのではないかと思う。しかし、やはりポラシェは動じない。
「シルの親友に使ってはいけないという律(ヴィナヤ)はない。避けなさい、歌を沁みこませる」
「でも、やっぱり譜面弾きとしての思いが……」
「ヘナの気持ちは本当によく分かるが、ここは歌うたいに歌を届けてきた私を信用してほしい」
そうぴしゃりと言ってポラシェは低い声で、呪文を唱える。これが5時間続くという。ヘナはすでにすることはなかったが、ポラシェを思い、そばでずっと飲み食いせず、付き添った。
その甲斐あって、きっかり5時間後には息も体調も絶え絶えの男と、二人の姿に寄り添っていた疲労困憊で気絶一歩手前の一人の女性が残された代わりに、マーヴラが覚醒した。
その瞳は透明なほど弱弱しかったが。
マーヴラは空色の髪だった。なんとか覗き見た瞳も空色で、確かに瞳の中には雲が流れている。歌うたいはずるいくらいきれいだと思う。ガラの母に似てると思った。
ポラシェは様子を見ていた僧侶らに寝所に担ぎ込まれ昏倒、その場にはマーヴラとヘナが残された。
「……歌声が聞こえる」
マーヴラがポツリと言った。
ヘナは激しい失望感を覚えた。この人は、アタシがガラのために作った曲で目覚めるのか。ガラがかわいそうだと思う。なんでアタシの思い通りの歌で目覚めてくれないんだろう。
「あなた、シルの友人?」
「いや、頼まれてあなたを助けに来た」
「……あなたの曲がアタシを救ったのね。心が温かいお湯につかっていると、あなたの歌が聞こえた。ありがとう」
マーヴラは微かに笑う。
「礼を言われるべきは、サマンのポラシェの方よ。ずっとあなたのために頑張っていたから」
「そう。……ところで、あなたもしかして、黒色の髪の女の子の知り合い?」
マーヴラは手を胸に当てて考え込むしぐさをする。
「はい? どゆこと?」
「歌声が聞こえる。その人が小屋で歌っている。でも歌でない? 旋律に乗った美しくか細い叫び声」
ヘナは直感した。ガラがアタシに助けを求めている。マーヴラが目覚めた今、すでにここにいる理由はない、戻らねば。でもなんでマーヴラには聞こえたのだろう。
「どうして聞こえるの」
「目を閉じれば聞こえる。みんなできる」
しかし、どれだけ凝らしても、ヘナには聞こえなかった。ヘナはずっと悲しくなった。親友の声が聞こえないこと。
もう猶予はない。
しかし、愛馬は疲れ切って動けない。ポラシェがいなければ歌をしみこませられない。
どうすればいい。走って戻るか。
ヘナが立ち上がった時、ヘナの胸に何かがふわりと乗る。布? いや、服だ!
「これも持っていってほしい。キミの曲からイメージして作った」
シルがいた。
そしてこれは、シルが作った服?
「寺にある鮮やかな布ばかり集めて作った。きれいだろう。その黄色いのは龍を見た日、その青いのは草原少女の旅」
間違いない。シルがわざわざはさみと針と糸で拵えたのだ。
黄色い服は草原の夕暮れ色に輝く黄金の布をちりばめており隙間から微かに銀色がのぞくしなやかな宮廷風の服。青い服は漆黒の夜空にラピスラズリを縫い付け、バサッとカットされたところから深い森の緑が現れる胡族のようなドレス。すごいきれい。
ヘナはガラの安否とここまでの長い旅で極限に近い精神状態であったが、それでも感動した。自分の曲ために誰かが服を作ってくれる。そんなことは初めてだったからだ。もしかしたら、初めて自分の曲に動画がついた時が匹敵するかもしれない。
ヘナは本当にうれしかった。
でも、シルが作ってくれたことはそれ以上に特別な感じがしてもっとうれしかった。自分の歌を聞いて感動してくれただけでもうれしいのに、褒めてくれて、さらに服まで作ってくれた。こんなこと今までになったと思う。
「急造品だからあちこち甘いけどね。キミに服を作ることは約束だったから」
シルは照れ臭そうに笑った。もしかしたら、ヘナに渡す服を作るために寺にお願いをして布を用意してもらったのかもしれないと思った。
「じゃあ、キミの親友のところに戻ろう。無断で悪いが、キミが作った曲を寺院に奉納させてもらった。寺院がキミの曲を儀式で使えるようにするかわりに寺の住職が女温術をかけてくれる約束をした」
シルはちょっとバツが悪そうな顔で伝える。
「じょうんじゅつ?」
「なんというか、千里の距離を一里にする業だ。これならすぐに帰れる。東台山まで来てしまったから馬で駆けてもガラが完全に墨髪になるのには間に合わないだろう」
確かに、すでに5日経っており、今から休まず走り続けてもガラの命は尽きてしまうかもしれない。渡りに船だ。
「……ありがとうございます!」
「キミと約束したから。キミの親友のところに戻すと。ただ、条件があるそうだ。私も聞いていない。直接和尚に確かめてほしい。ガラが命を落とすことのないようにマーヴラがガラに呼びかけ続けてくれている。マーヴラもガラを助けたいんだろう」
マーヴラの思いにヘナは胸を打たれた。早く行動せねば目覚めたばかりのマーヴラも疲れ切ってしまう。マーヴラを墨髪にはさせられない。それに、そんな術があるならポラシェも一緒に行けるかもしれない。
早速ヘナは住職の下に行く。温かい暖炉のすぐ側に座っていた。
和尚は虎の瞳に鯨の肌を持つ巨漢であった。袈裟と穏やかな動作がかろうじて坊主であることを示している。ヘナが大伽藍でお経を唱える彼に近づくと、知っていたようにぴたりと読経を止めて、莞爾の笑みを浮かべヘナに問う。
「風檁支鹵(スーリンシル)殿と共にいるのはなぜだ? 彼はここに来るまでに男を幾人か殺している。つまりは人殺しだ。なぜ図慕狼赫那(ズボロヘナ)殿はそれを受け入れているのか? それに真摯に向き合ってくれれば、私の術で凍林村(トゥアリィ・ムクン)まですぐに還そう」
ヘナは硬直した。予想外の質問、というわけでもないが、困ってしまう質問。和尚は寺院建築の粋を集めたこの壮大な空間でただヘナを見据えて言葉を続ける。
「拙僧は、勘違いしているわけではない。シル殿は服の仕立て屋であると同時に槍使いでもある。彼の中ではそれは両立している。きれいな布を見てキラキラする自分も、正義のために槍を振るって敵を薙ぐ自分も同じ自分だという。随分質素で、都合が良いと思うが、それは彼の高貴な生き様なのだ。しかし、貴殿は違うだろう。譜面弾き、歌うたいではあっても、人殺しの気性ではない。血が出るのは嫌だろう。なぜ、シルとともに行動するのか、答えてほしい。言い方を変えてもよい、歌と殺人は両立するのだろうか。」
ヘナはずいぶん考え込んだ。
答えはすぐに出せないと思う。多様な考えを色々と考えて色々な鑑に照らし合わせて色々と試行錯誤してからひとつの答えにする。ガラに歌って元気になってもらう歌だって1曲でなく複数用意した。だからそのうちのひとつが引っ掛かり、シルが気に入り、マーヴラが目覚めたのだと思う。
同じように思考しても和尚の質問に納得する答えが見当たらない。
歌が好きだから、シルが曲を気に入ってくれて、それで人助けが出来る、マーヴラを助けられると思ったから。でもポラシェには警告を受けていた。シルは危険だと。 なんでシルのことをアタシは信じたんだろう? すぐ人を斬るような人ではないと思うがいい人ではないかもしれない。
シルに何があるから? 分からない……
しかし、自分で考え抜いて答えを出すしかないのだ。
「ごめんなさい。正直に言ってわからない。シルはいい人でもあるし悪い人でもあるかもしれない。わたしは、譜面弾きとしてシルに服を仕立ててもらったのはとても嬉しい。でも確かに、マーヴラさんを助けるために結果、野盗の命を奪ったのも事実。私には答えを決めきれない。確かに考えた上での行動ではない。野盗の命を奪う前に出来ることがあったのかもしれない…… 今答えを一つに決めて、あなたに話してしまうと、キット嘘の答えになる。いつか、ちゃんと、答えるから。アタシの歌はみんなに感動してもらうためのものだけど、シルさんのような人を否定する歌も作りたくはない、と、思う」
和尚は黙って微かに初音ミクのように笑った。
それは肯定の意味だったのか和尚が手をかざした途端、ヘナとポラシェは共にガラの家の目の前に突然現れた。シルの服も持っている。
驚く2人。特にポラシェは驚愕の表情を浮かべている。
「山で修行をしていた頃にそういう術があることは聞き及んでいたが、本当にこんな距離を導けるんだな……」
ヘナは気もそぞろにガラのいる家に入る。もうほかのことには構ってあげられない。ガラの命を救ってまたあのいつもの歌声を聴かせてもらうのだ。
しかし、ポラシェは動かない。
不審に思ったヘナがワケを尋ねると、観念したように、やっと重い口を開く。
「ガラが墨髪になった原因はおそらく私だ」
「……どうして」
無意識にポラシェを追及するような口調になってしまった。
ポラシェは黙り込むが、ガラの家の前に広がる広大な草原と遥か奥の空に聳える青い山を見ると、やがて口を開いた。
「ひと月ほど前、私はガラに告白された」
ぎくりとするヘナ。告白なのか…… 最近、ガラがポラシェとあまり話さなくなってきたと思っていたが、そうか、そういった意味では恋で悩んでいるというアタシの考えは正しかったことになる。言ってくれればよかったのにとは言わない。ガラはそういうことはアタシにはひけらかさない人だった。
「好きだ。結婚してほしいと言われた」
結婚(ゲルレルト)…… それはヘナにとってひどく異世界の言葉に聞こえた。実際彼女は日本にはいないから、異世界の言葉ではあるのだが。
ここに住む人にとって少女の時代が終わるということは結婚を意味する。高貴な家の令嬢でもない限り〝未婚〟の期間は長くはない。ヘナだって孤児で変わり者の譜面弾きだが、結婚しなければ、きっとガラのおじいちゃん、つまり大人(ダリン)がその内に相手を紹介してくれるんだろうと思う。嫌だなと思う。
それはヘナにとって、いや彼女が日本にいて、上嶌里穂(かみしまりほ)だった頃に理由がある。
里穂が雪紅茶Pとして活躍するようになって少し経った大学3年時に父が亡くなった。落ち込んだ母を支えるため、単位を取得するので大学には行っていたけど、動画投稿やお仕事を控えていた時期があった。大学が終わるころにはまた活動を再開して、そんな時、あるボカロPに出会った。その男性は知識も豊富で品もよく、お洒落で、作曲もリリックにも真剣だった。私の知らない音楽を自在に操る彼に惹かれ共に作曲するようになった。OLとしての生活に慣れ、ボカロPとの二足の草鞋が馴染むころには、居て当然の存在になった。
里穂には彼が必要だったんだと思う。
しかし、裏切られた。
彼は、私のことはどうでもいいと思っていたようだ。私を踏みにじった。ボカロPとしての活動がやっと羽ばたき、本格的に音楽の世界で日の目を見ようとした時に、作曲した曲をすべて自分のものだと嘘をつき、私を蹴落としたのだった。勿論、私は必死にそれは嘘だと言って回ったが、相手にされなかった。彼には優秀なサポート役の編曲担当が他にいて、その女性の彼をかばう言葉に皆騙されてしまったのだった。
それに、ただボカロが好きなだけの女より、色々と細かいことをこなせる彼女の方がお似合いだとも思った。そうしてすべてがどうでもよくなり、身を引いたのだ。会社もやる気がなくなり退職し、今までで稼いだお金を使って世界旅行に行こうと豪華客船に乗ったところ、南極海を航海中に波にあおられて、船体が転覆しそのまま死んでしまったのだ。えっ、ちょっとマッテ、ここで死ぬの!? と思ったがすでに遅く、海の底に沈んでしまった。
気付いたら市役所のようなところにいて、紙の束を渡されて、そこに色々な風景の画像があったが、草原の素敵な場所を選んだら、この世界に転生したのだ。
だから、ポラシェの気持ちは分かる。
「私はサマンだ。宗教家として結婚するつもりはない。私はすでに天(テングリ)の生き方を志している。そう伝え、しかし、同じ村に住むものとして、友人としての関係は変わらない、これからももっと続いていくとガラに伝えたのだが、彼女はずいぶん落ち込んでしまったようだ。しかし、私はサマンとしての生き方を変えることは出来ない」
きっと、ポラシェの決意は変えられないと思う。けれども、アタシはガラの気持ちもよく分かる。振られているから。前の世界では助けられなかったけど、この世界でアタシにはガラのために出来ることがある。
「分かった。でもガラのことはアタシに任せてほしい。あなたはガラの命を救って」
やっぱりいろいろ言っていても、体を刺されても来てくれたポラシェが断るわけはなかった。
ガラは部屋の中で項垂れていた。髪はすでに漆黒で、この髪を硯で擦ったらいい墨汁になると思う。墨髪はすでに頭へ達している。本当だったらもう息はない。
しかし、ガラは、「声が聞こえる、空色の声が聞こえる。起き上がりなさいって言っている」とつぶやき続けていた。マーヴラが呼びかけてくれているのだ。もはやガラは気力のみで生きている。ポラシェとヘナは曲の準備に入った。曲はシルとマーヴラがいいと言ってくれた曲『龍を見た日』『草原少女の旅』だ。これに賭けてみる。
シルがくれた素敵なドレスもある。ガラにも明るい黄色のドレスを着せて(もちろんポラシェはその間は出ていった)、アタシも青いドレスを着た。シルが仕立ててくれたお揃いだ。マーヴラはずっと呼び掛けてくれているし、ポラシェもアタシもガラにもう一度素敵な歌を歌ってもらえるようにそばで呪文を唱えている。どうか、ガラ! 目を覚まして!
ついに祈りが天に届いたのか、それともヘナの曲が最高だったのか、ポラシェが呪文を唱え始めてから12時間、ついにガラの目が覚めた。髪の色は黒いままだが。
ヘナは一拍おいてホッとした。すると同時に怒りがこみあげてくる。
「こら、ガラ、あんた男に振られたくらいで情けない! もっとシャキッとしなさい。アンタが思ってるより人生嬉しいことばかりなんだから」
ヘナは一気にそう言うと、ガラの顔をはたいた。遠くから空色の少女が「いやちょっと、せっかく起こしたんだからまた気絶したらこれどうすんの」という声が聞こえる。
「……起きた」
ガラはそういうと、体を伸ばして運動をし、やっと立ち上がった。そしてふらふらと家のドアから外に出る。
山山と草原、遠くに煙る中に馬が走る。野生だろうか。
「……分かった。もう、男のことで悩むのはヤメにする。この草原を駆け巡ったほうがずっと楽しい」
ヘナが黙っていると、ガラが大きく息を吸って、大きく息を吐いた。ガラの体を取り巻くドレスが太陽の光と合わさり黄金に輝く。そして、彼女が歌った。
「どってことないふだんのおはなし 穹蘆をでて空みあげれば あなたはどこかに出かけてる……」
龍を見た日だ。言葉を紡ぐたびにみるみるガラの髪の毛が黒から翡翠色へと戻る。いつもの透明な緑色だ。ヘナはこれほど美しい歌を聞いたことがなかった。きっとマーヴラも同じだったのかもしれないと初めて思った。
ガラに向けたガラの思いを、マーヴラも感じることが出来る。ほかの人の気持ちを理解して感動することが出来る。歌にはそんな力がある。
シルは分かっていたのかもしれない。
でもヘナはガラの方がマーヴラよりこの歌を歌うのがうまいと思う。やはり、アタシとガラは譜面弾きと歌うたいとして、最高の組み合わせなのだと思った。でも、そこにはポラシェがいて、シルの衣装があって、そして、マーヴラの歌い方もあって。
それは図慕狼部(ズボログルン)の果てにある小さな村での話だけれど、ヘナにとってはかけがえのないものを見つけたのだと思う。
翡翠色のガラが思う存分歌うと、ヘナの隣に立った。そしていつものちょっとぶっきらぼうな可愛い声で言った。
「ねえ、私が年を取ってしわしわになって、それでも今と同じようなドレスを着て、声も透き通った色じゃなくなって、変な声で歌っていても、それでも私のために歌を書いてくれる?」
ヘナはガラに親指を向けていいねの形にした。
「もちろん。アタシが結婚して、アンタが結婚しても、逆にならなくても、ずっと書いてあげる。だからガラもアタシの曲を歌って」
――親友だから、とはやっぱり恥ずかしくて言えなかった。
しかし、ガラは彼女らしい静かな笑顔を見せてくれた。
シルもポラシェも微笑んでくれたはずである。
最後に、今回の騒動がひと段落着くと、ヘナはポラシェに特別に頼んで1頭の銀色の鷹を用意してもらった。結構お金がかかったが、約束通りシルが砂金を送ってくれたのだ。律儀な人だと思う。それを有り難く使わせてもらった。ヘヘーン、ガラには出来ない贅沢!
交易で手に入れた紙と筆を使って手紙をしたため、鷹に結ぶ。この鷹は遥か北にある東台山までの道筋を知っており、必ず届くのだという。
相手は、ガラの元まで送ってくれた和尚さん。シルのような生き方は正しいのかというあの時の質問に答えていなかったから。
ヘナは手紙を結ぶと、鷹を青空の中に放った。
――銀の鷹は足に括り付けられた手紙など一顧だにせず空を悠悠と飛ぶ。
ヘナの手紙なのだから無視せずにちゃんと手紙を読めばいいのに。
そこにはこう書いてある。
「翡翠の音色が聞けたから」と。
しかし、山を目指す鷹の瞳はそれを知らず、ただ蒼天を突き進んでいる。
了
翡翠の音色、銀の鷹 @snow_tea
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