夢幻交渉人

此木晶(しょう)

猿夢列車、或いは探偵志望の事件録未満

 リズミカルな振動が伝わってくる。一定に間隔で繰り返される、赤子が母親の体内で聞いていた心音とそっくりとも言われることもある、レールの継ぎ目を車両が跨ぐ振動だ。

 揺り篭と例えられることもあるだけあって、ゆらゆらとした感覚さえある。まあ、実際揺れている訳だけれども。

 パチンという感覚と共に夢へと目覚める。

 車内の明かりは薄暗く、しかも今時珍しいことに裸電球で灯りに惹かれたらしい蛾が何度も体当たりを繰り返していて軽妙な振動音に重なるように軽い突撃音を響かせている。

 モトネタ的には、遊園地で走っているような猿の顔がついた機関車だったとは思うが、俺自身そういうのが実際に走っているのを見た覚えが最近はないので、古びているとはいえ一般的な電車になるのも仕方のない話なのだろうか。猿要素はどこに出掛けた?

 とは言え、雰囲気は十分にある。

 舞台としては上々この上なくと言った所だろう、用意した存在にとっては。

 現に今も向かいの席で惨劇が繰り広げられようとしている。

 まずアナウンスが流れた。

「次は活け作りー、活け作りー」

 俺から見て右、進行方向からは一番遠くに位置する場所に座っていたサラリーマンがビクッと体を震わせた。

 疲れた顔をしたサラリーマンだ。色々大変なのだろう。痩けた頬に青白い肌。一度朝日を存分に浴びた方がいい、健康のためにも。

 そんなサラリーマンにワラワラと小さなヒトガタが殺到する。小さな子供がたまに抱いている赤ちゃん人形くらいの大きさか。

 手足が若干短いからかよたよたという印象もぬぐえない。全体的には靄掛かっていてよく見えない。まあ、見ようによっては可愛いとも言える、とも言えなくもないだろう。ただし、両手にギラギラ光る抜き身のナイフを持っていなければの話ではあるのだけれど。

 そのヒトガタの幾つかに会釈をされたので、こちらも返しておく。

 そうこうしている内に、サラリーマンはヒトガタに覆われていた。

「待って………痛っ…………やめてく…………」

 声が途絶え、覆っていた人ヒトガタも瞬く間に、文字通り潮が引くが如くいなくなる。

 後に残されたのは一口サイズに切り揃えられて大皿に盛り付けられた生肉だ。ボタンかバラの花の如くな飾り盛りと無駄に凝っている。いや、何だか以前見たときよりもシュールだね、これ。

 本来ならば、『続きはまた明日』的なアナウンスがあって中断と相成るのだけれど、今回は違うらしい。まあ、宜なるかなだろう。

「次は、抉り出しー、抉り出しー」

 アナウンスが流れると同時に元サラリーマンの隣にいたスーツ姿の髪の長い女性が怯えたように席を立とうとした。そう、立とうとした、だ。

 いつの間にか小さな影が女性の足を掴んでいた。更には、肩や太もも、髪にも纏わりついている。ガリバー旅行記ではないが、あれでは身動きすらとりづらいだろう。標本よろしく座席に固定された女性は、泣き叫ぶ。

『止めて~』と。

 何を止めるのか? など改めて問うまでもないだろう。答えはもはや明白な話だし、なんなら答えの方から歩み寄ってくれている。これっぽっちも有難いなどとは言いがたいやつではあるのだけれど。

 手に大きな針のような千枚通しのようなとにかく細長い尖ったなにかを持ったヒトガタが猛然と女性へと駆け寄り少し手前で踏み切った。高く跳ぶ。とは言え、せいぜい女性の膝に届かないか位だ。それでも人間換算すれば十分異常に過ぎる運動能力なのだけれど。更には、足に纏わりついているヒトガタの頭を蹴り再度跳躍。

 この場合、身軽さに感心するべきなのだろうか、それとも踏まれても物ともしない足場にされた方の首の強靭さに感心するべきなのか。

 そんなどうでも良いことに気を取られている内に、跳躍したヒトガタの手を、肩に乗ったヒトガタが掴み更に上へと引き上げる。

 勢いよく女性の顔の真ん前に飛び出す。ギラリと針が煌めいた。

 一振るいで、女性の両眼から眼球を抜き取る。貫いた眼球2つを高く掲げ、落下を始める。それを女性の体を押さえつけていたヒトガタたちが円陣を組んで受け止めた。一度トランポリンのように打ち上げられヒトガタは宙で体勢を整え、着地したのは、肩車をしている影の肩の上だった。

 うん、雑技団かな?

 前に見た時よりも随分と悪趣味というか、露悪的と言うか。やっている側としてはおそらく多分エンターテイメントのつもりなんだろうと思う。

 どんな表情をしているか全く分からないんだけど、どう考えてもドヤ顔しているとしか思えない。いや、確かに文句はつけたけれどね。その結果と言うのが意図していたものとはかなり果てなく異なっているとしか言いようがない訳だ。

 あー、どーしたもんだ。

 錯覚ではないこめかみの痛みを感じ始めて頭を抱えたくなる。

 まあ、嘆こうが諦めようが容赦なく事態と言うのは進行していく訳なのだけれど。

 暗い眼窩を晒す女性は、涙の代わりに鮮血を流しながら、身動きひとつしない。

 そして、アナウンスが響く。

「次は挽き肉ー、挽き肉ー」

 いや違った。肉声だ。一定の範囲内に収まらない波長の音をふるい落とす機械を通した整えられた音ではなく。息づかい或いは聴こえないけれど確かに揺れている領域外の音を伴う生の声だった。

 革靴が床に当たる固い音、それにモーターの回る低い音が混じる。金属同士が擦れ会う耳障りきわまりない不快な音も。

 眼窩より血を流す女性の次で立ち止まったのは、紺色の制服ー車掌の格好をした猿だった。

 ちょうど座席に座っていると視線の高さに頭が来る。目深に車掌帽は被っているものの、その毛深いに過ぎる姿を人間と見間違えるの者は、まずないだろう。

 なる程、猿要素ここになったのか、と真っ先に思ってしまった当たり本当にどうしようもないとは思うのだけれど。

「お客様」

 猿の車掌が語り出す。明瞭で低く落ち着いて、耳に残る声だった。

 本来ならば、ここで目が覚める。『次は逃がしませんよ』との声と共に。

 助かったと誰もが思うだろう。同時に、再び呼ばれた時自分はどうなってしまうのか、不安は不安を呼ぶだろう。

 呼ばれなければ、どうなるのかわからない。

 呼ばれてしまえば、どうなるかわからない。

 次を知る者は見つからない。それが意味するところは、なにもわからない、だ。

 呼ばれて無事であれば黙っている必要はない。ならば見つからないのは呼ばれたものが皆死んでいるからかと言えばそうとも言えない。誰も呼ばれていないのかもしれないからだ。

『次』を告げられたものをカウントし、推移を計測すれば見えてくるものもあるだろうけれど、得るものは少ないだろう。多少の減少はあるだろうけれど、そんなものは誤差の範疇でしかない。

 少なくともここしばらくで『次』を経験した者はいない筈だからだ。基本的には。

 なので。 或いは、だから。

 その例外が喚き出す。

「ねぇ、ちょっといいかな? 君が持っているミンチマシーンが、僕を今から挽き肉にするであろうことは、容易に想像はつくんだけど、ただちょっと小さすぎやしないかな? ほら、いくら僕がか弱い女の子だといっても指の直径は1センチは越えていると思うんだ。だけどその器械の投入口は割り箸なら入るかどうかと言う大きさだろう? 些かというか、かなり無理があると思うんだよ、僕は」

 一気に宣うたのは、ハンチング帽を被った、よく、とてもよく見知った顔だ。指差し指摘する度に、所々毛先の跳ねたセミショートが揺れる。

 文句を口にしている割に、瞳は好奇心に輝いている。そこに恐怖心など欠片もある筈もなく、唯々本人曰くの真実を求める崇高な志とやらがただ漏れていた。実に傍迷惑な話だけれど、そうとしか言い様のないところが本当にどうしようもない。

「それから、先程の活け作りになった彼と抉り出された彼女なんだが、どうにも見覚えがあるんだ。僕はね、昨日もここで同じ様に君に挽き肉と告げられたんだよ。今日と全く同じものを見届けた後に。僕が知る話では、確かに目覚めることで逃れられる。けれどね、次は逃がさないと告げられるんだ。だと言うのに僕はそんな事は一言も告げられていない。さて、これはどう言うことなんだろうね?」

 猿の車掌がこっちをチラチラ見ている。あー、うん。真面目に聞いているふりをしないとかえって話が長くなるんで、そんな縋る様な視線を向けられても俺にはなにも言えないんだけどね。

 お仲間に助け船を出してもらえばいいんじゃないかな? と見てみれば眼窩より血を流すスーツの女性は何故かよく分からないが寝ているふりをしていた。ふりと分かるのは、じりじりと3人目から離れるように移動しているからだけど、いやそれなんの意味があるんだろうね。ほら、やってる傍から捕まった。

「そこの君。君だって見てはいないな、だが聞いていただろう。僕は確かに昨日もここにいた。そしてその時君もいた筈だ」

 両肩押さえて前後にガックンガックン動かし始める。目はないのでよく分からないが、多分あれは目を回している。いつの間にか血を流す代わりに口から泡を吹いていた。大丈夫ではなさそうだ。隣じゃ皿に乗った切身が皿ごと逃げ出している。どうやら余程酷い目に遭わされたことがあるようだった。

 極力、直接手を出すのは控えようと考えていたのだけれど、どうやらそんな悠長な事を言ってもいられない位には酷い有り様だ。

「あー」

 不本意ながら席を立ち、未だヒートアップし続ける3人目の頭に一撃加える。

「いい加減にしてくれると嬉しいかな、和戸素子!!」

 無論拳骨を落とすなどと言う後から何言われるかわからないような方法ではなく、ハリセンで。なんでも良かったのだけれど、多分先日覗いた研究室で先輩が見せてくれた形状記憶金属紙とか言う研究中の新素材でできた技術の無駄遣いとしか言いようがないハリセンが記憶に残っていた為だろう。なので音は派手だが、然程痛くはない筈だ。まあ、認識次第なので本人が痛いと強く思えば痛いと感じるだろうけれども、そこまでは正直責任を持てないし、持つつもりも更々ない。

「ピニャ~!!!!」

 およそ花の女子大生が出しちゃ不味い類いの悲鳴をあげたのは和戸素子。ちょっとした俺のやらかしやらなにやらで縁を結んでしまった自称探偵、俺に言わせれば単なるトラブル誘因体質な同期生だ。

 本当に何とかしてくれないだろうか、どうしてこう厄介ごとに首を突っ込んでくるのか。本人に自覚がないところが何より厄介なのだけれど。

「ひたはんだ《したかんだ》……」

 恨みがましい目で見られた。いや、知らないって。色々しゃべり倒している和戸素子が悪い。

 女性をとりあえず解放した和戸素子はこちらに向き直り。

「ワトさんと呼んでくれと言っているだろう!」と吠えた。

 猿の車掌の頭にはてなマークが浮いていた。黒々と開いた眼窩を晒したままの女性がコテンと首を傾げる。気持ちは分かる。

 この期に及んでこれは正味正直理解に苦しむ発言だ。まあ、いつもの事なんだけれども。

「呼んだ覚えは一度としてないんだけど?」

 いや本当に。ニックネームで呼ばれたいとかなんとか毎度の如く言われるが、それを叶える義理はないんだけど。そろそろ諦めてくれないかな。

「まあいい。なぜ夢人君がここにいるんだい。いや、愚問だった。ここが猿夢であるならば、夢魔である君がいるのは何ら不思議じゃない。つまりだ。君は僕の活躍を直に目にするためにここにいると言うことだね!」

 よくため息を堪えたと褒めて欲しい。変わった奴に振り回されるのは昔からではあるけれど、だからと言って馴れているかと言われれば、馴れるか、そんなもの! としか返しようがない。

「全然、全くもって、これぽっちも、そんな訳がないってのは、和戸素子の方が分かっているんじゃないか?」

「はっはっはっ。また、つれないことを言うね。君が僕の助手なのは自他共に認めるところだろう」

 和戸素子が色々好き勝手言っていらっしゃる。あー、今猿の車掌が気の毒そうな目で見ているのが見えてしまった。気のせいかスーツの女性も同情の色を浮かべているような気がする。いや正直、同情するくらいなら、そちらで和戸素子を貰って欲しいのだけれど。特定の層には、十分以上十二分に恐怖の対象となることを保証する。

「いいからおとなしく座ってくれると嬉しいかな。色々説明はするからさ」

 割とすわった目だったお陰か和戸素子が珍しくも大人しく頷いた。

 さてはて、本来ならば猿夢の演者達に演技指導めいた事をしてお仕舞いの心積もりだったのだけれど、和戸素子の悪行が想像以上だった訳だ。まず第一に和戸素子と言う想定外のバグを取り除かないと修正も、削除も更新も出来ないというのは、本気でバグが過ぎるんではなかろうか。喚ばれてもいないのに、なんで14回も続けて夢に紛れ込むなんて芸当が出来るんだろうね。

 詰まるところ、事の起こりはこんな感じだった。とは言うものの、何処を始めとするのか何て問題もない訳じゃないので、それこそ一番始めにも触れることにしよう。

 小学校の低学年の頃だったと思う。幼馴染みの文華が怖い夢を夢を見たと言うので悪夢退治と洒落込んだ。まあ、いつもの事だったので正確なところは覚えていないのだけれど。

 文華はすぐに怖い夢やら悪夢やらを見て怖くて眠れないと言い出すのに、何故か怪談だの本当にあった怖い話だのそういう系統の話が好きで、見たり聞いたりしては怖い夢を見たと泣きついてきていた。なので、悪夢退治と相成る訳だ。一応此方は半分とはいえ夢魔の血が流れている、ある意味専門家ではある訳なので。

 そんな感じで乗り込んで、実力行使で黙らせた。実際問題、大分不穏な方向に変化していたので、話し合いではどうにもなりそうになかったというのもある。

 妖怪だとか都市伝説というような口の端に上る存在は、時代時代で形を変える。かつて水神と崇められた存在が零落し河童となったように。より正確に言うならば、流行りに思いっきり流される。古くから語り継がれているならばともかく、百年程度ならばちょっとしたことで姿形まで変わりかねない。都市伝説なんて月単位で変化する。語られなければ存在できず、語られ過ぎれば存在がぶれる。かくも面倒極まりなく、そして人はとかく過激なものを好む傾向にある。

 文華が無事だったのは、本当に偶然。1度目が偶々迷い込んでしまったからだっただけのこと。

 あの時の『猿夢』は、形こそ遊園地の小さな猿顔の機関車だったけれど、中身は迷い込んだ者、招き入れた者悉くを鏖殺せしめんとする殺人機械めいていた訳だ。

 そんな風に形を変えてしまえば、※※※※※を例に挙げるまでもなく、待っているのは極まった恐怖の果てに続く忌避による忘却だと言うのに。

 なので、問答無用で殴り飛ばした。

 文華以外の出演者全員を線路脇に正座させたのは、流石にやり過ぎたと今は反省はしている。間違っていたとは欠片も思ってはいないのだけれども。

 とにかくそのまま、消えたくなければやり方を改めろ、このままだと良くて自然消滅、順当に行って退魔集団による調伏、最悪歪みに歪んで存在そのものが別物になるかだ。それが嫌なら、招いた相手全員心底脅かして、恐怖の夢として君臨してやれ、と。まあ、こんな感じで色々偉そうに語った訳だ。それ以降の自分のやらかしを思うと、よくまぁ言えたもんだな、としみじみ思う。頭を抱えて悶えても何も変わらないのでとりあえず、若気の至り、今後の糧と致します、ということにしておこう。

 色々言い含めて、その時は解散となった。それから軽く10年は経過している訳なのだが、その間文華が再び迷い込むこともなかったし、特に悪い噂も聞かなかったのでほぼ記憶から消えていた。

 だけどこの間伝言が届いた。今時珍しい入鋏するタイプの切符の裏に『救援求む』と書かれたとてつもなくシンプルなものだ。

 思い出すのにしばらくかかった事を責められる人はほとんどいないと思う。差出人不明で誰だか当てろと言うのはよっぽど親しい相手でもないと無理じゃないだろうか。俺はそんな相手ほとんどいないけどね。

 切符にデザインされている妙にかわいくデザインされた猿のマークでなんとか思い出し、知らぬ仲でもないしと招待を受けたのが今日の事で、招かれた瞬間に頭を抱えたくなった。向かいに座ったサラリーマンとスーツの女性は問題なかった。見覚えがあるような気もしたし、人でないのは一目でわかる。問題なのは3人目。見覚えがあるどころではなく、問題アリの顔見知り、和戸素子だったのだからもうどうしようもない。

 内心の動揺はなんとか押し込めて、事態を静観することにした。いやまあ、あれだ。

 根本的な原因を何とかしないと何度も何度も繰り返すだろうという実に嫌な予感があった訳だ。特にこういうのに限ってよく当たるのは一体何の嫌がらせだろうね。

 始めから事情を聞いておけというのは全くその通りなのだけど、精々他の夢の侵略、悪くても軸がぶれての暴走位だろうとたかをくくっていた。暴走にしても、助けを求める余裕があるのだから大事ではないだろうと思ったのだけれど、まさかそれとは別ベクトルで酷いことになっているとは思いもしなかった……。

「という訳で、今に至るんだけどね」

 ざっくりと昔の事は誤魔化しながらも、説明を終える。

「つまり君は、昔馴染みからクレーマー対応を頼まれたと?」

「至極シンプルに装飾を取っ払って纏めるなら、そう言うことだろうね」

 無言で胸ぐら捕まれて前後にガックンガックン揺すられた。やーめーろー。

 きっかり1分揺すぶられて、どうにかこうにか抜け出すと、座席にへたりこむ。いやもう視界がぐらぐら揺れてて何の話していたのかすらよく分からない。気がつけば、出演者全員が集まってきている。

 猿の車掌に女性、刃物を持った小さなヒトガタ達と千枚通しを持ったヒトガタを中心とした一団。どうやら別のチームだったらしい。それといつの間にか元に戻ったサラリーマン。それと、和戸素子。

 そろそろ幕を引けということなのかもしれない。はて、上手く出来るかね?

「さて、そう言う訳だから……」

「待ちたまえ」

 かなり機嫌の悪そうな和戸素子が声をあげた。気持ちは分からなくもないけれど、出来ればもう大人しくしていて欲しいんだけど?

「少し時間をくれないか。このまま蚊帳の外と言うのは悔しいからね」

 ここで強引にでも和戸素子を抱えてこの場をおさらばしていればよかったのかもしれない、と後になって思う。が、この時はあとで絡まれるのとここで多少時間をとられる事を天秤にかけて。結果、後者の方がまだマシと思ってしまった。

「詰まるところ、この夢、夢でいいんだよね? において私以外の登場人物は皆、そこの夢人君 に準じるような夢魔の類という認識で間違いないかい」

 微妙にトゲがある物言いだ。まあ、よく似たものなのは否定しないが、一応半分は人間の血が入っているので半夢魔にしておいて欲しい。

「間違っていないみたいでなによりだよ。目的は、死を意識するくらい恐怖をもって自分達を強く認識させる事だと思うのだけど、ここでひとつ確認したい。それは恐怖でなくてはならないのかい?」

 なんでこう、変な所で察しが良いのか。全くの見当違いなら今後も含めて放置で何の問題もなかったのだけど。

「なら、活け作りのサラリーマン。君は全力で逃げたまえ。逃げる君を彼らが華麗に捌く。先ほどの技術は素晴らしいと思う。しかしだ、血も骨も内蔵も綺麗に消え去っていては、出来合いの皿に置き換えられてしまったように見えて勿体ない。人が1人捌かれたのだという現実を大仰なまでに見せつけるべきだ」

 サラリーマンが成る程という風に手を打つ。

 いいのかそれで? いやまあ、捌かれることそのものが役目として与えられている以上、役目に沿っている限りはどのような形であれ許容範囲内ではあるのだろう。

 包丁を持ったヒトガタ達も互いに頷きあい手にした包丁を高く掲げる。かなり気合いが入ったという風に見える。

「抉り出しのOL君は、もっと理不尽に巻き込まれてしまったのだと隣に座る誰かに理解させた方がいい。立ち上がり泣き叫ぶ、凄絶に凄惨に陰惨に。確かに位置が高くなる分、抉り出しの担当に欲求される技術は跳ね上がるだろうが、なに君たちならばなんなく上手くやれるだろう。すでにあれだけの事が出来ているんだ心配すらせずに、見守らせてもらうよ」

 女性が感極まったように肩を震わせる。いつの間にかもとに戻った瞳が血とは別の物で潤んでいた。目指すところは恐怖であれど、そこに至る道筋を認められたから、ということでいいんだろうか? 確かに感想を聞く機会などまずあるものではないのは確かだけれど。だからと言って、この場で十人くらいが肩車で作った梯子を千枚通し持ったままで駆け上がろうとするのは、どうかと思う。いや、それを笑顔で受け止めようとするなよ! にわかに始まったあまりにあまりな稽古風景に頭痛が酷くなる。

 そろそろ終わってくれないものだろうか。

「猿の車掌君。君は自身の存在がどういうものなのか考えたことはあるかい? いいかい。君は、一番最初に存在を示し、そして最後引導を渡す為に現れる告知者だ」

 概ね正しい。今は引導は渡さないし、かつては猿ですらなかったけれど、その本質は車掌の姿からも想像できるようにこの場の絶対者とでもいうべきなんだろう。だから、彼の言葉は真実となり、彼の行動は正当化される。

 本当に、普段はぶっとんだことしか言わないのに、どうしてこういう時だけ本質とでも言うべき核をこうも的確に言い当てるのか。つくづく厄介極まりない。

 和戸素子のある意味独壇場は続く。本当は止めた方が良い。良いのだけれど、今止めてしまうと、聴衆が納得しない。確信と自信をもってそう言いきれる。当然だ。都市伝説を含む怪異だとか妖かしだとか語られることで存続し語られることで変質するのは、前にも言った通りなのだけれど、同時にまず変わる事のないものもある。それが和戸素子の言い当てた本質だ。

 正確に言うならば、それが変わってしまったらもはや完全に別の何かに変性してしまっている。だからこそ、彼らは和戸素子に心酔している。ぶれてはいけない核を言い当てられたが故に。

 だから。

「君はただこちらに歩いてくればいい。車掌なのだろう。切符を拝見しますと、『挽き肉ですね』と告げればいい。その後ミンチマシーンが運ばれてくるんだ。其処らで目が覚めるのならばモーター音を響かせ、ブレード部分も回転させよう。巨大なのもいいな。投入口は敢えて透明なカバーが掛かっているのも雰囲気があるね」

 立て板に水の如く、言葉を連ねる和戸素子。比例するように聴衆の熱気は上がっていく。いやはや、何というかそろそろ後が怖いとか言ってないでとりあえず止めた方が良さそうだ。

 本質を言い当てることはそれそのものは何ら悪いことではない。むしろ普通は正しいとさえ言えるだろう。ただ和戸素子の場合手にした本質に対する扱いに問題が散見する。

『名探偵、皆を集めて、さてと言い』何て言うけれど、あれは探偵が自分で事態の収集をつける自信があるか、何があろうとなんとか出来る戦力を有しているからこそ可能な芸当だ。

 意地の悪い言い方になるけれど、和戸素子にはそんなものはない。それに触れることの意味や結果を推測せず、ただただ分かったからと無邪気に披露する。大半は、まあ問題はないだろう。だけど、百に1つ、千に10は破滅に触れてしまうとするならば? そんな地雷源の上でタップダンスをするような真似を毎度毎度何故だか隣でやらかされる身としては、勘弁して欲しいとしか言いようがない。

 なら、好き勝手させるななんて声も聞こえてきそうだけれど、実の所すでに何度か試みた後だったりする。結果どうなったかは、何となく想像してもらえるのではなかろうか。

 端的に言えば悪化した。百に1つが十に1つになった。どうにか行動を抑制するように動くと、すり抜けた案件が悉くヤバめのものばかりという有り様だ。たまたますれ違ったサラリーマンが落としたハンカチを何かおかしいと和戸素子が言い出して尾行を始めた挙げ句そいつが前から探していた悪夢に取り憑かれた殺人犯だった時なんか、余りの理不尽さに何もかも放り出したくなった。そんな訳で、好きで勝手をさせている訳でなくやむを得ずの方針なのだという事は理解して欲しいと思う。

 とは言えだとは言え、そろそろ止めることとしよう。独自の判断ではあるけれどいい加減安全基準を越えつつある。早急に緊急に世界が滅ぶなんて事はないけれど、このままだと和戸素子が夢に取り込まれかねない。確かに引き取って欲しいとは考えたけれど、本人が心底望んだ訳でもないのに放り込むのは信条に反する。

 いや、望んでないよね? 頼むよ、本当。

「そろそろ行こうか、和戸素子」

「どうして?」

 思ったよりも呼び掛けは響いた。

「許容範囲外なんだけど」

「そうかそれなら仕方がない。皆も聞いた通りだ、ここいらで御開きとの御達しだ」

 ついでに想像以上に素直に和戸素子が受け入れた。拍子抜けとは思わない。寧ろ手遅れだったかな? と不安になった。満足するまで持論を披露したということは、それだけ良いにしろ悪しきにせよ影響を残している訳で、後が怖いという奴だ。今回はそんなに酷いことにはならないと思いたいけれど、楽観視しすぎるのは良くないだろう。もちろん、悲観が過ぎるのも良い訳ないので何事もバランスが肝要だ。なので後で精々バランス取りに奔走するとしよう。

 猿の車掌に断りをいれて緊急停止のボタンを押す。意外なほどやんわりと列車が停止するのを待って、フラット扉に力を入れてこじ開けた。

 列車の外には、唯々闇が拡がっていた。奈落とでも言うべきか、空は昏く視線を落とした先の地上もまた昏い。辛うじて線路が敷かれて続いているのは分かるけれど、果たして地面がそこにあるのかすら判断に困るくらいに塗り潰されている。

「あまり覗き込むものではないよ。よく言うだろう、『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見ているのだ』って」

 和戸素子が得意気に言ってくる。それを言うならば、深淵もまたこちらを覗いているのだ、なんだけどね。それは兎も角。

「じゃ、行こうか」

「待って、待って、待って。夢人君、君一体どこに行こうとしてるの!?」

「何処って、帰るんだろ? 出口ここ」

「ここって、なにもないじゃない!!」

 猿夢としてならば、夢から醒めるというフェードアウトで問題なかったんだけど、明らかに異分子として認識されたから強引に出ないと目覚められないんですけどね?

「手は握っててやるから、がんばれ」

「そう言うとこだぞ、夢人君ー!!!」

 騒ぐ和戸素子の背を押して外へ出る。ぎゃーって悲鳴は無視して、虚空に落ちる寸前に猿夢の演者達を見た。誰も彼もがやる気に充ちている。頭痛いなぁーと思うけど、同時に猿の車掌と目があった。その明らかに人間とは異なる瞳を、そこに宿ったものを見て、まぁ大丈夫かなと気楽な感想を抱いた。まあ、楽観が過ぎるとも思うけれど、多少はね。

 また来るよと片手をあげて、和戸素子と一緒にトプンと境界に沈む。


 後日、和戸素子に詰められた。

「突き落とすことはないだろう。心の準備というものが必要だというのに」

「無事帰れたんだから問題ないだろ。それよりも何度も繰り返し、飽きるくらいに言ったと思うけど、いい加減迷ったら余計なことをせずに大人しくしていてもらえるととても嬉しいんだけどね?」

 あからさまに目を逸らされた。自覚はあるらしい。が、改善するつもりがないのは続いた言葉でよく分かった。

「お互い様ということにしてあげよう」

「どう考えても俺が被ってる被害の方が大きいと思うんだけど」

「感じ方というのは人それぞれで異なっているからね。一面的な見方をしていては分からないよ」

「はいはい、言ってろ」

 1度くらい助けずに放置しては駄目だろうか? 駄目だろうなぁ、放置した方が怖いし。

 ちょっとした葛藤をしていると問いかけられる。

「彼らはどうだった?」

「ん?」

「君の事だから、様子を見に行ったんだろう?」

 ああ、と得心する。

 確かに様子を伺いに行った。中々にすごい事になっていた。

 サラリーマンは大作映画のオープニングもかくやといった逃走シーンを演じ、けれどあっさりとバラバラの肉片に変えられる。骨と化した後もたとえ一歩でも足掻く姿は物悲しく、けれど誇りに充ちていた。嗚呼、その姿は、見た者に勇気を与えるだろう。そしてそんな彼でも無理だったのだという絶望を。

 スーツの女性は、眼球を抉られる最後の瞬間までその身に降りかかった不幸を嘆き、恐怖に震える。けれど、迷い込んだ3人目には貴方は逃げろというかのようにまとわり襲い来るヒトガタに抵抗する。その姿はどこか気高い。だからこそ見た者に恐怖を植え付ける。

 ヒトガタ達は言うまでもない。己が持てる技術全てを用いてサラリーマンを捌き、スーツの女性の眼球を抉る。その動き、その連携に思わず見惚れずにはいられない。禍々しくも華々しく。絶望が形を持ったが如く。

 猿の車掌は言葉少なだ。

 淡々と義務的に行き先を告げる。選択の余地などなく押し付ける。その言葉は真実だ、たった1つだけを除いて。

 斯くて彼はこの場において絶対者となる。『次は逃がしませんよ』という彼の言葉はいつまでも纏わりつく恐怖となるだろう。その『次』がたった1つの嘘なのだけれど。

 本当に何と言えば良いのか。元ネタから考えれば酷い話だとしか表現のしようがない。

 ただまぁ、その本質と言うか核と言うべきか、変わってはいけない部分はしっかりと守られているようなので多分問題はない。物語なんて時と共に形を変えて当たり前ではある訳だし。今後この変化がどのように語られるようになるのか楽しみでもある。

「そうだね。まあ皆楽しそうだったよ」

 色々思う所はあるのだけれど、言葉にしてしまえばこんなものではある。省略しすぎだと言われそうだが、『秘するが花』なんて言葉もある訳だし、言葉にした時点で何かずれてしまうのも確かだ。

「それは良かった」

 歌うように口にした和戸素子の口角は弧を描いていて、いつも好奇心を溢れさせている瞳は珍しく静かな光を宿していた。そうなにもかも見透かしているような……。

 それが不意に消えて。

「僕もまた見たいな」

「絶対にやめてくれ」

 思わず懇願したのだった。

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