騙され騎士の逆転譚 嘘を真にする能力で騙される程に成り上がる

くらげもてま

嘘をつかれる

1. 嘘をつく兵士

 空は快晴だった。だというのに、城下町の目抜き通りに人はほとんど出ていなかった。


 剣や盾など、戦争の道具を満載にした馬車の列だけが凄まじい土埃を巻き上げながら通り過ぎていく。


「ゲホッゲホッ!」


 たまたま側を歩いていた一人の青年がマトモに土埃をくらい、情けなく咳き込んだ。


 御者は一瞥さえしない。もしも青年が貴族の服を着込んでいたら振り返って謝罪していただろう。

 

 無視されたのは青年の服がみすぼらしかったからだ。

 

 もっとも彼の胸にはとある名門貴族のバッジが輝いていたのだが、御者からは見えなかったらしい。


 それどころかバッジのことを思い出した青年は、それを胸から強引に剥ぎ取ってしまった。


「はあ……俺って不幸だな……こんな家紋も、今の俺には何の役にもたたねえし」


 青年――名をヤマという――がため息を吐く。


「せめて静かなのが救いだぜ……」


 しかし静けさも長くは保たなかった。


 「ギャァギャギャァー!」という凄まじい鳴き声が通りの端からつんざいた。


 続いて「ギナーオ!」という悲鳴。


 ぎょっとしてヤマが振り向くと、黒い生き物が寄ってたかって何かを攻撃しているらしい。


 おそるおそる近づく。ぬらぬらした黒い翼、クチバシと爪、ぎょろりとした丸い瞳……それはカラスの群れだった。攻撃されているのは子猫のようだ。


「ちぇっ……野生動物すら俺の敵か……」


 ヤマは物音を立てずに通り過ぎようとする。

 

 ただのカラスといえど凶悪な爪と獰猛なクチバシを備えた危険な生き物に違いない。しかもそれが群れている。下手に手を出せば殺されかねない。


 その間も子猫は次々とついばまれ、爪で切り裂かれ、あちこちから血が吹き出している。ヤマは思わず目をそらした。


(そりゃかわいそうだけどよ、野生の掟ってやつだよな……あばよ猫ちゃん……)


 抜き足、差し足、忍び足でヤマはその場を後にする。


 通りには他に誰もいない。もちろんあの子猫を助ける者もいない。子猫はあと五分も経たないうちにカラスに殺され、彼らの昼食となるだろう。


(もし俺が無敵の戦闘系スキルを開花させてればな……アシュのクソ野郎さえいなけりゃ……恨むならあいつを恨んでくれよ……)


 子猫は必死で抵抗しているのか、「ギナーオ! ギナーオ!」と凄まじい声を上げていた。しかしそれも次第に弱まっていく。


「……」


 カラスの鳴き声だけが次第に大きくなっていく。


「……やっぱ見捨てるとか無理だろ!」


 ヤマの忍び足が……止まる。拳を握りしめ、振り返って駆け出した。


「こんなだからアシュには騙されるんだよ俺は! あーもうこんなことしてる余裕ねえんだぞ!? このお人好しの馬鹿野郎!」


 驚いたのは、いよいよ獲物にトドメを刺そうとするカラスたちだった。


 いつもなら見ているだけで何もしてこない人間共、そのうちの一匹が、いきなり奇声をあげながら飛び込んできたのだから。


「うおおおおお! 狙うならもっと心が傷まないやつにしろよおおおおお! ネズミとかさああああ!」


 スライディングの要領だ。子猫の上に覆いかぶさり、せめて顔面諸器官を攻撃されないようヤマは顔を地に伏せて頭を抱える。


「ギャァギャギャァー!?」


 猛然と怒り狂うのは獲物を奪われたカラスたちだ。子猫の毛や血にまみれた爪や嘴を、今度は闖入者の人間に突き立てる。


(ホントはドラゴンとか退治するはずだったのに……! なんでカラスに殺されかけてるんだよ俺!?)


 鋼鉄の甲冑、動きやすい鎖帷子、頼もしいブロンズ兜、そのどれか一つでもあればいい。だが今のヤマには何もない。


 爪が背中を切り裂く。嘴が腿に突き刺さる。ヤマにはただ耐えることしかできない。耐えて、耐えて、耐えて……不意に痛みが消えた。


(俺死んだ……?)


 そうではなかった。懐に抱きかかえた子猫の温かさが、まだ生きていることをヤマに教えてくれた。


 カラスの獣臭と自分の血の臭いに混じって、ふわりと花の香りがする。


(死んでない……かな……?)


 恐る恐る顔をあげる。


 カラスの黒翼はもうどこにも見えなかった。


 見えたのは、風をはらんで揺れる白いローブ。そして、ナイフを手にして息を切らす誰かの影。


 ――エメラルドの瞳をはめ込まれた、精巧な少女の人形。


 ヤマの脳裏にそんなイメージが浮かぶ。だが人形ではなかった。フードの下から覗くエメラルド色の瞳は、どこまでも人間らしい動揺に揺れていた。


「あーもうこんなことしてる暇ないのに! このお人好しのバカ私!」


 吐き捨てる少女に、ヤマはよろよろと立ち上がって礼を言おうとする。


「マジで死ぬかと思ったぜ。ありが――」


 だがヤマが言い終えるより早く、少女はもう背を向けている。呆気にとられるヤマ。


 カラスを追い払ってくれたのは彼女ではないのか? だとしたらなぜ逃げるんだ!?


「ちょっと待ってくれよ! 君が助けてくれたんだろ!?」


 ヤマの叫びが虚しく響く。


 少女は振り返らず、瞬きする間に路地へと消えた。後にはわずかに花の香りだけが残るだけだった。


 ヤマは呆然と立ち尽くすことしかできない。と、その頭ごなしに野太い男の声が響いた。


「おい、そこの薄汚え浮浪者!」


 振り返ると、ギラつく剣と鎧で武装した男たちがヤマを見下ろしていた。


「あのー、もしかして俺のこと言ってます?」


「他に誰がいるんだ? それより貴様、エメラルド色の目をした女を見なかったか!?」


「……誰か探してるんすか?」


「お前には関係ない! 下民らしく聞かれたことだけ答えればいいんだ! いや、待て……」


 男が言いよどみ、突然に猫なで声になる。


「その娘はなんだよ。なにか見なかったか?」


「盗賊すか」


「そうだ。王城から大切なものを盗み出しただ」


 ふう~~とヤマはため息をつく。


(嘘をついている、かぁ……わかっちまうんだよな、俺……)


 なぜ確信できるのか? それはある種の副作用と言えた。ヤマの発芽させたスキルの副作用。


 ようするに、ヤマには相手の嘘が見えてしまう。


 ちょうど相手の嘘が文字のように浮かび上がり、嘘を司る黒い天使が「だよ、が嘘だよ。」と示してくれる、そんなイメージで。


(ま、盗賊って感じじゃなかったしなあの子。もっと高貴な感じだった。あんまし顔見えなかったけど)


「おいどうした、見たのか? 見てないのか? とぼけるなら叩き斬るぞ!」


「……そーいえばさっきあっちに走ってった女の子がいたかもー」


「ようし向こうだ! 逃がすな、追え! 追え!」


 騒々しく消えていく男たちをヤマは浮ついた気持ちで見送る。指さしたのは少女の逃げていった方とは真逆の方向だ。


 背中が痒い。どうにも嘘をつくのは性分に合わなかった。なまじ他人の嘘が見える分、余計に。


「ま、嘘付きには嘘付いてもバチ当たらねえよな。それにあの子には助けてもらったし」


 そんなヤマのぼやきに「なーお」という間抜けな声が応えた。傷だらけの子猫が、傷だらけのヤマを見上げている。


「ちぇ。お前のせいでひどい目にあったぜ。次からは襲われるなよ! じゃあな」


 立ち去ろうとするヤマの足がつんのめる。子猫がズボンの裾に噛みついていた。ごろごろという甘えるような鳴き声。


「なんだよ、餌なんかねえぞ」


 しかし子猫はなおもヤマを離さない。ズボンの裾に噛みつき、かと思うと直ぐ側に落ちていたズタ袋を手でぺしぺしと叩く。どうやら先の男たちが落としていったものらしい。


「その袋になんかあるのか? マタタビでも入ってんのかね?」


 ヤマが手に取ると、ちゃりんという小気味よい音がなる。


 慌ててズタ袋に手を突っ込むと、ひんやりした硬貨の感触がした。


「うおっ!? 三枚もある! しかも金貨だ! すげえ! おまえ幸運を呼ぶ猫ちゃんなのかよ!?」


「なーお」


「……返したほうがいいかな?」


「なーお」


「だよな! もう行っちまったしな!」


 上機嫌になって歩き出すヤマ、その後ろをぽてぽてとついてくる子猫。


「そういやおまえ、何て名前なんだ?」


「なーお」


「じゃ、ナオでいいか」


「なーお」


 ふと気がつくと太陽は頭上高くあり、ちょうどお昼時だった。


 一つ隣の屋台通りから漂ってくる香ばしい匂い。


 ぐぅ、とヤマの腹の虫が情けなく鳴いた。

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