第8話 マドンナvsクソ上司


 ガタンッ


 俺と山下さんの話がひと段落したとき。

 重々しくブラインドが下げられていた社長室の扉が、乱暴に開かれる音が響いた。


 別所部長である。


「クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが……」


 ぶつぶつと呪詛のように言葉を吐き散らかしながら、営業部のデスクに歩いて来る。怖い。かなりの時間、社長と話していたそうだけど、やはり進退についてだったのだろうか。


 他の社員がウワサしていたのは、降格はまず間違いないだろうとか、地方の支店に飛ばされるんじゃないかとか、最悪クビになるかも、など色々だ。


 社長と別所部長は元々、大学の先輩後輩という間柄だったそうだ。


 先に卒業した社長がこのDイノベーションを立ち上げ、上昇気流に乗った会社に数年後、別所部長が入社した。

 持ち前の押しの強さ(というより傲慢さ)と社長の後ろ盾で、瞬く間に営業部のエースとなり、今では営業部を仕切る部長の椅子にふんぞり返っていた男。


 俺が入社してからの四年間だけでも、何度もパワセクアルとハラスメント放題。大小様々な問題を起こしていた。しかし、社長直々の対応で内々に済まされたり、被害にあった人を体よく地方に移動させたりと、色々と腑に落ちない対応で彼は守られてきた。


 だが今回ばかりは、社内だけで終わるレベルの問題ではない。

 果たして、別所部長にはいったいどんな処分が下ったのだろう。


「みんな、ちょっと手を止めて聞いてほしい。ヘイ、リッスン」


 俺が別所部長の動向を目で追っているところに、社長の声が響いた。

 皆、そちらに注目する。


 ちなみに社長は典型的ベンチャー社長。

 ツーブロックオールバックの髪型に、白Tシャツの上にラフに着こなしたセットアップのスーツ、足首出して白スニーカー。そして極めつけは、時折会話の端々に入り込むカタカナ言葉。


「今回のイシュー(問題)については、もうみんな知っていると思う。今回、別所くんには新しくオフィスを開く京都支店に、営業リーダーとしてコミットしてもらうことになった。これは決して、ネガティブなチョイスではなく、ポジティブなムーヴだと伊野部いのべは確信している。別所くんはこれから有給を消化しながら移動の準備を整えていくことになると思うけど、引継ぎとかフォローとか、みんなも頼むね」


 社長はまるで舞台上で演技をしているかのように、セリフを読み上げる感じで言う。完全に演出が過剰である。

 ちなみに伊野部というのは社長の苗字。社長は一人称が自分の苗字なのだった。どうしてそうなった?


「今は会社として、逆風が吹いていることは伊野部も認める。ただ、困難なフェーズに遭遇したときこそ、会社としての真のバリュー(価値)が問われると思う。そして、そのカオスから真のイノベーションが生まれるんだと、伊野部は確信している。新しい局面に向けて、各自全力でフルコミットしていこう!」


 話していて気持ち良くなってきたのか、さらに感情を乗せて社長は語る。

 いや、イノベーションと伊野部がかぶってるし、全力とフルコミットが重複表現になってますけど。


「じゃ、よろしく!」


 快活に場を締め、社長は秘書らと共にオフィスから出て行った。おそらくは今回の騒動を鎮静化させるため、取引先を回ったりするのだろう。


 社長が退出すると、いつものオフィスの喧騒が戻ってくる。

 俺もいい加減、二日酔いから頭を切り替えて仕事に集中しようと思い、視線をデスクの方へ向ける。

 と。


「……クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが……」


 別所部長(もう違うけど)の呪詛は、まだ続いていた。

 ……まぁ、社長はポジティブ、みたいな言い方をしたけど、本人からしたらプライドを折られたとしか思えないだろう。


 営業リーダーというのは、ウチの会社では部長の二ランク下のポジションだ。

 平社員の一つ上、と言った方が分かりやすいかもしれない。

 一応、新入社員や俺のような万年平のダメ社員を指導する立場ではあるのだが、給料は部長の半分以下というウワサ。


 別所部長は今、かなりの屈辱を味わっていることだろう。

 自業自得ではあるのだけれど、ある意味では酒の失敗だ。

 そう思うとちょっと可哀想な気も……あんまりしないか。でも俺も気をつけよ。


「……あぁ? なんだ、京田。オレを嗤ってやがるのかッ!?」

「え、ええええッ!?」


 視線を切った途端、別所部長がナゾの難くせをつけてきた。

 いやいや、むしろちょっと同情的になっていたところなのになんで!?


「オレはなぁ、無能なオメェの尻拭いでストレスがハンパなかったんだよぉ! 飲んで暴れるぐらい、誰だってすることじゃねぇかッ!」


 部長は席を立ち、叫びながら俺に向かってくる。

 いや、普通の人は暴れないでしょ!?


「なのによぉ、馬鹿にしたような目ェしやがってクソがぁ! 言いてえことがあんならハッキリ言えばいいだろコラァ!?」

「…………え、えっとぉ……」


 スーツのジャケットの襟をつかまれ、俺は思わず委縮する。

 ひぃぃ股間がひゅっとなる感じ!


 必死に思考を巡らし、俺はなんとか言うべきことを見つけた。


「お、俺が会社に入りたての頃、その、指導してくださってありがとうございました!」

「……っ!?」


 入社したての一か月間、俺はこの人の下で営業を学んだ。

 ぶっちゃけると、この人には当時から怒りとムカつきしかない。その一か月間もパワハラばかりされてロクなことを教えてもらえなかったし。


 しかし、会社に入ったばかりの初っぱなに、別所部長というザ・理不尽を乗り越えたことで、四年間仕事を続けられる下地ができたのかも……なんて、ふと思った。


 なので、一応、念のため、一社会人として曲りなりにも、ということで。

 一言、礼ぐらいは言っておこうと思ったのだ。


 が。


「それはテメェ、嫌味か!? オレへの当てつけか?!」

「いや、そんなつもりじゃ」


 逆効果だったぁぁぁぁ


「や、やめ……」

「ふざけやがって! ぜってぇ許さ――」


 ばっちーーーん

 と。


「いい加減、恥を知りなさいッ!」


 別所部長は、思い切りビンタを喰らった――山下さんの。


「大地さんを目の敵にするの、もうやめてください! 恩義も素直に受け取れないなんて、無知で無能なのはあなたの方でしょ!!」


 毅然とした態度で、山下さんは言い切る。勤務中とは言え、皆の注目が否応なくこちらに集まる。


「なんだぁ……山下、お前マジでこんなのがいいのか? 目、腐ってんのか!?」

「腐ってません。鮮度抜群です」


 顔をずい、と寄せて睨みを利かせる別所部長。そして一歩も退かない山下さん。

 まるでプロレスラーのにらみ合いだ!


「大地さんに謝ってください」

「なんで京田のことでお前に指図されなきゃなんねぇんだッ!?」

「私と大地さんは運命共同体なので」

「はぁ?……訳わかんねェこと言ってんじゃねェ!!」

「ここまで言ってもわからないんですか? 本当に無知無能ですね」


 そこまで言って。

 山下さんが、すっと息を吸ったのがわかった。



「私、大地さんと付き合ってますんで」



 ふとこぼれ落ちた、爆弾発言。


「「「…………え?」」」


 聞いていた全員の、時が止まる。

 俺の思考も、止まる。


 ええええええええええええええええええええええええ


 声に出さず、心の中で悲鳴を上げた自分を褒めてやりたい。

 俺って山下さんと付き合ったっけ!?


 ど、どうしてこうなった!?


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