第2話 副業、開始


「かぁー、全然ダメだぁ」


 会社からほど近い、繁華街の片隅にある小さな公園にて。

 俺は滑り台の先っちょに座り込んで、頭を抱えていた。


 山下さんの電話に癒され気合を入れ直してから、はや数時間。

 もう夜の帰宅ラッシュも大きく過ぎた時間である。


 俺は最後の追い込みをするならこの辺りしかないと考え、ローラー営業を仕掛けた。この地域は人が多く、大小数々のダンジョンが存在し、ダンジョンビジネスを生業なりわいとしている事業所も数多い。


 ビルの上から下、路地の右も左も、俺はしらみ潰しに扉を叩き、頭を下げまくった。


 しかし、玉砕。結果はゼロ。

 ほとんど話すら聞いてもらえなかった。


 本当、向いてねぇんだなぁ……。


「はぁ……ジタバタしても仕方ないか」


 俺はいよいよ諦めて、スーツの内ポケットから社用スマホを取り出す。

 時間を確認すると、もう納会開始から一時間半が過ぎていた。


「やべ……」


 さらに、社内チャットのDMで山下さんから『(´・ω・`)ショボンヌ』という顔文字が送られてきていた。

 なにこれ可愛い。つか山下さん顔文字使うとか古風!

 おっさんに優しい!


 ……じゃなくて。


「でも今さら行ってもなぁ」


 居酒屋の飲み放題は終了三十分前のラストオーダーが基本だ。現状、残念ながら行くだけ無駄、ということ。店には、ここからであれば徒歩で数分だけど、だからこそ冷静に考えたいところ。


 だいたい、このタイミングで顔を出すと強制的に二次会に付き合わされる(社会人あるある)。で、うちは二次会は自費。


 しかも「男は駆けつけ三杯だから」だの「上司に注がれた酒は一気しろ」だの、令和の時代にあり得ないアルハラが十八番オハコの別所さんが、オラオラなノリで絡み酒してくるに決まっている。


 それを想像するだけで、もう若干のストレスだった。


 うーん。

 行くメリットないぞ、これ。


 酒は好きだし別に絶対会社の人とは飲みたくない、というわけでもないけれど、期末のタイミングであることを考えるとさすがに気が滅入る。それこそ成績の話になんかなったら、俺自身が一番いたたまれなくなるし……。


「……本当ごめん、山下さん。今日はおいとまさせていただきます」


 俺は謝罪の意味を込めて、スマホの画面に手を合わせて頭を下げた。

 あとでちゃんと謝罪のメッセージを送っておかなくては。

 それと今度、仕事中にお菓子でも送ろう。


「そんじゃ……少し潜って帰るか」


 気持ちを切り替える意味も込めて、つぶやく。


 社用スマホで勤怠管理を操作して『退勤』する。そして内ポケットから入れ替わりで自分のスマホを取り出す。

 サクッと指を走らせ『ダンジョンデータ』というアプリを立ち上げる。


 ちなみにこれもダンジョンビジネスで成功した企業が開発したアプリだ。

 非常に使い勝手が良く、アプリを起動した段階でGPS信号に連動し、近隣のダンジョンの規模、難易度などが表示される優れもの。


 ダンジョンの存在が当たり前となった今、こういったアプリケーションは日夜増え続け、進化している。


「結構、《上級ハード》が多いんだな」


 アプリ画面を見ると、中々難易度の高いダンジョンが存在していることがわかった。


 これは未確定の情報だけれど、ダンジョンは人が多い場所に発生しやすく、かつ難易度も高くなりやすい性質があるそう。

 繁華街で人が集まりやすいこの辺りに高難易度ダンジョンが多いのも、そのせいかもしれなかった。


 よく確認すると、なんと難易度が《超上級エクストリーム》のダンジョンがあった。普段は会社に近いダンジョンには潜らないようにしているので、見落としていた。まさかこんなにアクセスしやすい場所に超上級があるとは。


 ダンジョンは難易度が高ければ高いほど、レアなドロップが見込め、稼ぎが大きくなることが多い。まぁその分、ネームドの魔物が出たり、イレギュラーや罠が増えたりするので、当然危険度も増すんだけど。


 気を取り直し、俺は背中に背負しょった大きめのバックパックから、常時持ち歩いている携帯用のダンジョン装備一式を取り出す。


 未整備の洞窟型ダンジョンに潜る場合は、灯りが非常に重要。で、次にヘルメット、というのが装備の鉄則だ。


 俺は《ダンジョンスキル》の『暗視』が発現したのでライトを使用する必要はなくなったが、それでも予備の小型懐中電灯は必ず持ち歩くようにしている。


 洞窟の暗さは、街で感じる暗さとは比べ物にならない。

 純粋な、闇。


 何も見えず、伸ばした自分の手すらどこにあるのかわからなくなる。

 それが洞窟型ダンジョンの一番の怖さだ。灯りのない状況で魔物と出くわせば、それはもうかなりの確率で“終わり”を意味する。


 そう、ダンジョンはあくまでも危険と隣り合わせの場所。

 副業とは言え一探索者として、これだけは絶対に忘れてはいけない。


 俺はビジネススーツの上から、小さく畳めて便利なプロテクターを、肘と膝に装着する。

 こだわるなら靴もコンバットブーツに変えたいけれど、さすがに荷物になるので持っていない。なのでよく歩く外回りで愛用している、ギリ革靴っぽく見えるトレッキングシューズのまま。


 最後に、顔を覆い隠すバイザーの付いた漆黒のヘルメットをかぶる。これもかなり荷物になるが、ヘルメットは灯りの次に重要だ、持ち歩かないわけにはいかない。


「…………」


 うん、わかってるわかってる。

 ビジネススーツにフルフェイスヘルメットって、正直変質者にしか見えないよね。

 早くダンジョンに潜らないと、通報されてしまうよね。


 俺は人目につかないようそそくさと移動し、いざ、目的地である超上級エクストリーム級のダンジョンへ向かった。


「このダンジョンは企業管理か」


 ダンジョンに着き、入り口付近に監視カメラと警備用ドローンが設置されているのを見てつぶやく。

 カメラやドローンと言ったコストのかかるもので出入口が管理されている場合は、ほぼ十中八九、企業管理のダンジョンである。


 今はいないようだが、警備員が待機する詰所つめしょも設置されていることを考えると間違いない。ここは夜はドローン稼働に任せて、人件費を削減するというスタンスなのかもしれない。


 詰所を過ぎ、大きく口を開けたダンジョンの入り口に立って深呼吸する。

 冷たく、湿り気のある洞窟型ダンジョン独特の空気が、スッと胸を満たす。


「さて、副業開始だ」


 もはや通過儀礼のようになっている決意の言葉を述べ、俺は一歩を踏み出した。


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