長年片想いだった幼馴染と「再会したら結婚しよう」と約束して転校したら、転校先ですぐに再会しちゃった話

そらどり

長年片想いだった幼馴染と「再会したら結婚しよう」と約束を交わして転校したら、転校先ですぐに再会しちゃった話

 幼馴染の沙耶香さやかと離れ離れになることになった。


 家がお隣同士で家族ぐるみの付き合いをしていたのもあって、紗耶香とは幼少期からの付き合いだ。

 成績優秀で運動神経抜群、おまけに容姿端麗という、天から二物どころか三物も賜ったような完璧美少女。そのせいで、全てにおいて平凡な俺は彼女からバカにされてきた。


 ニマニマと余裕綽々な態度で見下されるのが日常茶飯事で。

 「さとるはまだまだ子供ね~」と同い年のくせしていつも子供扱いしてくるが、数々の勝負において敗北し続けてきた俺は何も言い返せない。ひたすら辛酸を舐めることしかできなかった。

 

 それでも紗耶香を嫌いになれなかったのは、俺が彼女に密かに想いを抱いていたからだろう。

 ふとした時に垣間見せるあどけない笑みに惹かれて、どんなに酷い仕打ちを受けても許せてしまう。まあ要するに、惚れた弱みというやつだ。


 唯一無二の幼馴染であり、長年片想いしてきた相手。

 告白する勇気なんて持ち合わせていなかったものの、この先も紗耶香との関係を続けられるならそれでもいいと思っていたのだが……


「まさか、二人そろって転校することになるとはな……」

「あはは、だねー」


 引っ越し当日。最後の挨拶ということで、俺達は玄関前で会っていた。

 

 つい先月のことだ。終業式を終えて帰宅した俺に待ち受けていたのは、父親の転勤の都合で転校するとの知らせだった。

 しかもそれだけではない。俺だけに留まらず、沙耶香までもが転校してしまうというのだ。


 正直今でも信じられない。この先もずっと一緒だと思っていたし、離れ離れになるなんて想像すらしていなかったから。

 現実を受け入れられず、こうしてズルズルと当日を迎えてしまった俺に出来たのは、細々と言葉を紡ぎ出すことだけだった。


「そういや聞けず仕舞いだったけど、引っ越し先ってどこなんだ?」

「うーん、詳しくは分からないけど、ここからかなり遠い場所みたい」

「遠い場所……」

「そ。だから多分、こうして会えるのも今日が最後になるかな」

「……そうか」

 

 今日が最後、その言葉が重くのしかかる。

 今でこそSNSを用いれば簡単に連絡を取り合えるが、面と向かって再会となると物理的に難しくなる。

 転校して時が経つにつれて、俺よりも新しい友人を優先し始めるだろう。しばらくすればこっちのことなんて忘れていって、数年後には連絡を取り合うこともなくなってしまうのかもしれない。

 だから彼女の言う通り、こうして会えるのも……


「……寂しくなるな」

「そうね」


 厭世的に目を伏せる俺に対し、紗耶香の返事はどこか弾んでいるように聞こえた。

 転校先での新たな出会いに早くも思いを馳せているのだろう。完全に憶測の域だが、それ以外に理由が思い浮かばず、事実だと受け入れて心臓がキュッとなった。


 と、そこで紗耶香の母親が、助手席の窓から顔を出して娘に呼びかける。

 どうやら引っ越し業者の準備が一足先に整ったらしい。軽く手を振り返すと、紗耶香は「じゃあ元気でね」とだけ言い残して踵を返した。


「ぁ……」


 思わず漏れた吐息は虚しくも届かず、彼女の背中は少しずつ遠のいていく。

 伸ばした指先の向こうでは、先んじて乗車していた両親と談笑する彼女。期待を胸を弾ませているその姿が、こちらにはもう無関心であるかのように目に映ってしまった。


 もう二度と会えない、その受け入れがたい現実がようやく呑み込めて―――


「沙耶香ッ!」


 焦燥に駆られたからだろう、気づけば俺は、柄にもなく大声でその背中を引き留めていた。

 振り返った紗耶香は、驚いたように目を丸くしている。だがそんな彼女の表情に構う余裕などなく、俺はずっと隠してきた想いを晒した。


「好きなんだお前のことが! いつも上から目線でムカつくけど、でも時折見せる笑顔は可愛いし、仕草とか顔とかスタイルとかも全部好きだし、あとはえっと……と、とにかく! ずっと前から好きだったんだ! だ、だから、再会したら俺と結婚してくれェ!」

「聡……」


 余すことなく全てを吐き出して、ようやく自分がしでかした過ちに気づく。

 公道のど真ん中で愛の告白という、恋愛ドラマでもなかなか見ないことを図らずも成し遂げてしまった。

 家族やら業者やら歩行人やらの視線に耐え切れず、顔を真っ赤にする俺。一分一秒が途方もなく感じられるような中で羞恥に悶えていると……紗耶香はどこか満足そうに微笑んだ。


「いいよ」

「えっ! ほ、本当か!?」

「うん。だから……約束。忘れないでね?」


 あどけない笑顔だけを残すと、紗耶香は車の後部座席に乗り込み、ついに行ってしまった。


 だけど、去り際を見届ける俺の顔に未練はない。自分の気持ちは伝えられたし、それに……彼女も同じ気持ちだったのだと分かったから。


「……再会したら結婚、か」


 その約束を果たす時が、数年先になるか数十年先になるかなんて分からない。

 それでも、次に会う時までにはアイツにバカにされない男になってやろう、と心に決める俺であった。




◇◇◇



 

 ……とまあ、ドラマの最終回なら感動すること間違いなしの別れがあったわけだが、今となってはとんだ茶番だった。

 どうしてかって? それは……


「おっはよ~、公衆の面前で愛の告白を披露しちゃったさ・と・る・くん♪」

「…………」


 転校先の教室に、当然の如く紗耶香がいたから。

  

 遡ること引っ越し当日。紗耶香の乗った車を見届け、どこか達成感に満ちた顔で戻って来た俺に対し、両親は「え? 引っ越し先一緒だけど?」とあっけらかんとした顔で告げてきやがったのだ。

 当然ながら「へ?」と呆気にとられる俺。しかもそれだけに留まらず、その事実を彼女もご存じだったとのこと。


 つまり、離れ離れになると思っていたのは俺だけ。

 後生の別れだと思って暗い表情をしていた俺であったが、紗耶香からしてみれば「ひとり勝手に勘違いしてやんのーw」といった状態だったわけである。


 これほどまでに生き恥という言葉が似合う状況はない。早とちりした挙句の果てに告白して、ずっと隠してきた想いを自ら明かしてしまったのだから。

 そのせいで、引っ越して数週間が経った現在でも、相変わらず紗耶香からバカにされる日々が続いていた。


「あの時は本当にビックリしたよ。ちょっとからかったつもりが、まさか告白されちゃうなんて」

「うぐッ……そ、そもそも、お前が騙してこなきゃ告白なんて……」

「事前に確認しなかった聡が悪いんでしょ。あ、それとも……大好きな私と離れるのがショック過ぎて、それどころじゃなかったのかなぁ~?」

「そ、れはその……」

「まぁそうだよねぇ。なんせ『再会したら結婚してくれ』って恥ずかしい台詞を言っちゃうくらい、好きで好きで堪らないんだもんねぇ~」

「ぐぬぅぅぅッ……!」


 憎たらしいほどニマニマとバカにされてしまうが、全て正論なので何も言い返せない。

 両親に予め聞いておけば防げた話だし、そうしておけば「今日が最後」という紗耶香の言葉にも騙されずに済んだはずだから。


 確かに、あの時は冷静さを欠いていた。

 でも仕方ないだろう。だって最後の別れだと思ってたんだぞ? 気が動転してしまっていても何らおかしくないじゃないか。


「ねえねえ、今どんな気持ち~? 机と睨めっこしてないでちゃんと教えてよ~」


 それなのに、紗耶香はその事情含めてめちゃくちゃバカにしてくる。

 教室で、クラスメートからジロジロ見られているというのに、それはもうメスガキみたいにニタニタニタニタと心底楽しそうに……


 もう子供扱いとか弱みを握られたとかそういうレベルじゃない。今の俺は、完全に彼女専用のオモチャへと成り下がっていた。


天城あまぎさん。悪いんだけど、分からない問題があるから教えてもらえないかな?」

「えぇー? せっかく今いいとこなのにー」

「今日提出しなきゃいけない課題が終わってなくて。天城さん、頭いいからさー」

「もぉ、仕方ないなぁ」


 気の毒に思って助け舟を出してくれたのだろう、クラスメートの女子がそう言って割り込んでくると、紗耶香はしぶしぶ応じる。

 彼女が去って一人になり、一息ついていた俺の元に、入れ替わるようにして友人が近づいて来た。


「お疲れ。毎度のことながら災難だったな」

「そう思うなら見てないで助けてくれ」

「イヤだね。幼馴染の美少女から散々に煽られてるお前を見るの面白いし」

「おい」


 堪らずツッコミを入れると、友人から「冗談だって」とケタケタ笑い返された。

 こっちは弄ばれる日々で気が滅入っているというのに。そのあまりに無関心な態度に眉をひそめていると、その友人は紗耶香の方を見やりながらおもむろに呟く。


「でも実際、聡のことどう思ってるんだろうな?」

「なんだよ急に?」

「いやだってよ、お前と話してる時の天城さんってすげえ楽しそうじゃん。素が垣間見えるっつーの? 他の奴と話してる時はそんなことねえんだけどさ」


 そう言って友人は首を傾げるが、幼馴染である俺にとっては、思わず溜息が出てしまうほどの戯言だった。


「あのなぁ、アイツは昔っからああいう奴なんだよ。自分より下の奴をバカにするのが好きなだけであって、恋愛感情なんてもんは別に―――」

「っつーわりには、普通に勉強教えてるんだよな。ほら」


 友人に促されるがままにその方を見やれば、確かに、紗耶香は数学を教えていた。しかも懇切丁寧に。

 

「いや、あれは例外というか……」

「この前もクラスメートの相談に乗ってたし。人を見下すどころか、めちゃくちゃ面倒見が良いよな」

「…………」

「お前にだけだぜ? 天城さんがああいう態度取るの」


 「つまりそういうことだろ?」と言いたげに目配せされるが、それでも俺は素直に頷く気にはなれなかった。

 

 実のところ、紗耶香も表に出さないだけで俺のことが好きなのでは、と密かに期待していた。

 ずっと幼馴染としてやってきたわけだし、友人の言う通り、俺と話す時の彼女は本当に感情豊かに見えたから。それなりに彼女を理解していたつもりだったのだ。


 でも、今となってはそれも節穴だったと認めざるを得ない。

 覚悟を決めて臨んだ告白も、紗耶香にとってはどうでもよかったらしい。むしろ俺をバカにするためのダシにしか思っていなかったに違いない。

 もし好きだったら、こんなバッドエンドには至らなかっただろうから。


 あの満足げな微笑みは嬉笑ではなかった。勘違いして胸の内を晒した俺があまりにも愚かで、バカバカしくて、思わず漏れてしまった嘲笑だったのだ。

 それなのに勝手に両想いだと舞い上がって俺は……


 約束を忘れるな、だと? 忘れられるかよこんな黒歴史。


「……別に。幼馴染なんだから、それくらい普通だろ」

「そーゆーもんかねぇ」


 期待をぶっきらぼうに払いのけるが、友人はそれでも納得できないようで。

 首を傾げる友人を横目に、俺は紗耶香の方を無意識に見やるのであった。



 

 ……と、こんな日常がしばらく続いたわけだが。転校して数か月が経った頃、いつものように帰宅した俺を待っていたのは、耳を疑うような知らせだった。

 どうやら、紗耶香の父親が再び転勤することになったらしい。それも転勤先は海外で、いつ日本に帰って来れるか分からないとのこと。


 つまり……本当の意味で紗耶香と離れ離れになることになったのだった。




◇◇◇




「まさか、こんな短期間にまた転校とはな」

「……だね」


 放課後の帰り道。重い足取りで並んで歩いていた俺達だったが、時に紗耶香の表情は見るからに暗かった。


「年末には日本を発つんだって?」

「……うん」

「じゃあ年明けにはあっちの高校か。あ、てことは転校の手続きも済んだのか?」

「……まだ。多分、明日には……だと思う」


 どうにか気を紛らせないかと話題を振ってみるものの、返ってくるのは歯切れの悪い返事だけ。細々と、消え入りそうな沙耶香の声に居心地の悪さを感じ、とうとう話題が尽きてしまうと、俺達の間には何度目か分からない静寂が流れ始めた。


 正直、ここまで憔悴し切っている紗耶香を見たのは初めてだ。

 自信満々に、気丈な振る舞いでからかってくるのが常だというのに、転校が決まってからの彼女は塞ぎ込んで瞳を潤ませるばかり。それこそ、今にも泣き出してしまいそうなほどに。

 一度目の転校の際はもっと飄々としていただけに、尚更意外だった。


(もしかして……って、んな訳ねえか)


 一瞬、変な期待が脳裏をよぎったが、すぐに頭を横に振る。

 今となっては過ぎた話だし、俺の一方的な感情だったことはこの身をもって証明済みだ。フラれたようなものなんだから、これ以上未練がましく期待を寄せるのは情けないと思った。


「まあ、これで良かったんじゃねえの?」

「え?」


 あくまでも幼馴染として。自らにそう言い聞かせるように、俺はあっけらかんと口を開いた。


「クラスメートと離れ離れになるのは残念だけどさ、沙耶香は人懐っこいからあっち行ってもすぐ慣れるって。それに、俺がいない方が清々するだろ? こっちとしても二度とバカにされずに済むし、お互い良いこと尽くめだな」

「…………」 


 紗耶香は相変わらず押し黙っていたが、返事など初めから求めていない。それ以上は何も語らず、代わりに彼女よりも前へと歩みを進めた。

 今だけは顔を覗かれたくない。精一杯の強がりを見せたのだから、弱みを悟られるわけにはいかなかった。


「……全然、良くないよ」


 紗耶香が何か独り言ちた気がしたが、聞き返そうとは思わない。振り返らず、閑寂が吹き抜ける帰路を途方もなく歩き続ける。

 しばらくして、彼女の自宅前に到着すると、俺は小さく手を振った。


「じゃあ、元気でな」

「ぁ……」


 結局顔を合わせないまま、別れの言葉だけを残して立ち去る。

 今すぐ顔を見たい。もっと話したい。ずっと一緒にいたい。……そうした本音から目を逸らして、逃げるように歩調を速めて。


 これがお互いのためなのだと、そう自分に言い聞かせながら俺は―――


「待ってッ!」


 不意に制服の袖を掴まれ、俺は立ち止まる。

 思わず振り返ってしまえばそこには、身体を縮め、縋るような目でこちらを見上げる紗耶香の姿があった。

 

「紗耶香……?」

「ヤダ、離れたくないの……! 今までずっと聡が隣にいたからやってこれたのに、いなくなられたら私、私……!」

「えっと、それってどういう……」

「だからっ、好きなの! 聡のことが! ちょっとくらい察してよバカァ!」

「え―――」


 好き? 俺のことが?


 思ってもみなかった突然の告白に、思考がフリーズしてしまう。それこそ、バカ発言が頭からぶっ飛んでしまうほどに。

 好かれているはずがないと思っていた。だから容赦なくバカにしてくるのだと得心していた。

 なのにどうして……


「好きて……今まで散々俺をバカにしてきておいて、そりゃおかしいだろ」

「そ、れは……」


 当然の疑問を投げ掛けると、紗耶香は気まずそうに口元をまごつかせる。時折視線を彷徨わせ、しおらしく肩を竦めるその様子は、普段の彼女からはとてもじゃないが考えられなかった。

 だがしばらくして、彼女は赤みを帯びた表情でボソッと。


「だ、だって、構ってほしかったから」

「構ってて……」

「昔の聡って友達と遊んでばかりで私のこと見てもくれなかったでしょ? それでその、挑発とかしてみたりして……でもそしたら今度は引くに引けなくなっちゃって今に至るというか……」

「……もしかして、勝負しようって持ち掛けてきたのも?」


 紗耶香は恥ずかしそうに頷く。それを見て、俺の顔が熱くなっていくのを感じた。


 今でこそライバル関係にある俺たちだが、そもそも勝負を持ち掛けてきたのは彼女からだった。

 でもあれはてっきり、自分の優秀さを見せつけたいがための行動だと思っていたのに。


(は、はは……なんだよそれ……)


 振り向いてほしいからちょっかいを掛けてきていたとは、なんて可愛らしい理由だろうか。しかも、戻るタイミングを失って小悪魔を演じ続けていたとか。不器用にもほどがある。

 あまりの愛おしさにニヤけてしまいそうになっていると、羞恥に耐えられなくなったのだろうか、表情を隠すように彼女が胸元に顔を埋めてきた。


「その……あの時はゴメン。せっかく告白してくれたのに、あんな風にからかって」

「いや、いいんだ。両想いだったのが嬉しすぎて、なんかもう、そんなのどうでもよくなった」

「私も嬉しかった。本当は飛び跳ねたくなるくらい嬉しかったの。だから……この先もずっと一緒にいたい」

「ああ、俺も」


 紗耶香が声を震わせて漏らした本音に添う。すると俺達は、示し合わせたわけでもなく相手の背中へと腕を回していた。


 そうだ、叶うならばこの先もずっと隣にいたいに決まってる。

 でも、そう願ってもどうにもならない現実は刻一刻と迫っていて、それをちゃんと理解しているから、こうして少しでも相手の温もりを感じていたいと思う。 

 次に会えるのはいつかなんて分からない。だから、どんなに遠くにいても思い出せるように、どれだけ時が流れても色褪せないように、こうして少しでも……


「ひとつだけ、聡にお願いがあるの」


 どれほど時間が経っただろうか、紗耶香が意を決したように顔を上げた。


「なんだ?」

「何年先になるか分からないけど、でも絶対に日本に帰ってくるから。だから……隣の席は空けたままにしててほしいなって」

「それって……」

「……再会したら結婚してほしい……です」


 もう随分と昔に思える。まさか転校前に俺が告げた台詞を、こうして告げられる立場に回ろうとは。

 そのせいか、聞いていただけなのに妙なこそばゆさに駆られてしまった。


「ね、ねえ、黙ってないで何とか言ってよ……」

「あ、悪い」


 羞恥に後追われて顔を赤くした紗耶香からそう言われ、ハッとする。どうやらかなり待たせてしまっていたらしい。

 慌てて謝ると、俺は馳せる気持ちを落ち着かせ、改めて彼女と向き合った。


 ……返事なんて初めから決まっているけど、こういうのはちゃんと言葉にして返したいから。

 

「こちらこそ、お願いします」

「っ! ……うん!」


 待ち望んだ返事に、沙耶香は満開の笑みを咲かせる。それにつられて、俺も自然と笑みをこぼした。


 これが最後の別れ。

 だけど約束したから、心から誓い合ったから、惜しむ必要はない。どうせなら笑って送り出してあげたいと思った。


(それに、泣き喚いてたら、せっかくの雰囲気が台無しだからな)


 募りに募らせていた初恋が実ったのだから、もう少しだけこの余韻に浸っていたい。それが俺の我儘でないことは、彼女の目を見ていればすぐに分かった。

 吸い込まれそうなほどに煌びやかで、とろんと潤んだ瞳……気づけば俺達は、引かれ合うようにして顔を近づけていた。

 

「その……転校してしばらく会えなくなるから、ね?」

「ああ、分かってる」


 ゴニョゴニョと言い訳を口にするが、辞めるつもりはないようで。小さく頷いてやると、彼女は目を閉じて全てを委ねてくる。

 だから応えたい、そう思い俺も静かに目を閉じながら顔を近づけ……

 

 だが、ある人物の登場によって、その余韻は一瞬にして冷めた。

 

「転校? いったい何の話?」


 聞き慣れた声に驚き、慌てて顔を離して振り返る。するとそこには、紗耶香の母親が立っていた。


「お、お母さん!? もう帰って来て……というか、今の見て……!?」

「今というか、二人が抱き合ったあたりからずっと見てたけど」

「だったらすぐに声かけてよっ!」

「そうしようと思ったわよ? でも、ここまで二人だけの世界に入られたら流石にねぇ」


 顔を上気させた紗耶香の理不尽なクレームに、母親は「あらあらまあまあ」と頬に手を当てている。

 だがそんなことはどうでもいい。それよりも今、聞き流してはいけない言葉を耳にしてしまった。


「ちょ、ちょっと待ってください! あの、さっきのはどういう……」


 二人の間に割り込み、俺は恐る恐る尋ねる。すると、紗耶香の母親はあっけらかんと口を開いた。


「ああ、そういえば聡くんにはまだ言ってなかったわね。転勤の話なんだけど、元々お父さんが単身で行く予定なのよ」

「え!?」

「短期間で何度も転校となれば紗耶香に負担が掛かるからって。……でも、紗耶香は予め知ってたはずなんだけど」

「へ……?」


 母親からの予想外の言葉に、紗耶香は素っ頓狂な声を上げた。

 

「まさか聞いてなかったの? 夕食の時にお父さん言ってたじゃない」

「あ、あの時はショックでそれどころじゃなくて……」

「まったく……聡くんに一途なのは結構だけど、聡くん離れできないのも考えものねぇ」

「そ、そんな子供みたいな言い方しなくても―――」

「枕元のぬいぐるみに聡って名付けてるのは?」

「そっ!? れ、は……」

「いつも幸せそうに抱いて寝てるわよね。それに、寝言であ~んなことやこ~んなことも」

「あ、うぁ……」


 早とちりだけでも十分恥ずかしいというのに、なんて鋭利で非情な追い打ちだろうか。

 ただでさえ上気していた顔をますます蒸発させる沙耶香に、横目で見ていた俺は同情せざるを得ない。てか、俺以上に生き恥晒してるなコイツ。


 と、そこで紗耶香の母親がおもむろに腕時計を見る。


「あら、もうこんな時間。そろそろ夕食の下ごしらえしないと」

「え? ちょ、この状態で二人にするんですか!?」

「あとは若い二人でごゆっくり~ふふ」


 必死の引き留めも報われず、散々場を引っ掻き回した張本人は微笑みを残してドアの向こうへと消える。

 だが当然、残された俺達が元通りイチャつけるはずもなく……


「……あーじゃあ明日には再会するわけだし、帰って婚姻届けの準備でもしとこうかなーなんて」

「……て……やる」

「へ?」

「聡を殺して私も死んでやるぅぅ~~~ッ!!」

「ちょ、一旦落ち着イダダダダッ!?」


 愛しの幼馴染に首を絞められながら臨終を迎えるとは、なんて幸せ者なんだろうか。いや、実際に心中するつもりはないし、生き恥同士この先も一緒に生きていきたいんだけど。


 少しずつ意識が薄れゆく中、どうすればこの恋人を落ち着かせられるのかと思案する俺であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

長年片想いだった幼馴染と「再会したら結婚しよう」と約束して転校したら、転校先ですぐに再会しちゃった話 そらどり @soradori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ