バッドエンドの続き

ガビ

第1話 朝飯と仕事

<兄> ♠️

何故、人間は目覚まし時計が鳴ったら起きなくてはならないのか。

そもそも、あのやかましい音から1日が始まっては有意義な1日になろうはずがない。

睡眠は、生きるための最重要コンテンツであり、その意味では、働くことと同じくらい不可欠だ。

それを邪魔するってのは、重罪なのではないだろうか。

どう思う? 妹よ。


「スー・・・スー・・・スー・・・」


幸せそうな寝息を立てている妹。

俺の背中をガッチリホールドして、無いはずの胸があるのではと錯覚するほどに密着している。そのため、俺は身動きひとつとれない。

さっきまで、目覚まし時計の犯罪性に腹を立てていたが、今は、身体の自由を奪う妹に腹が立ってきた。


「おい。もう8時半だぞ」


普通、こう声をかけられても、覚醒まで時間がかかり、「あと5分ー」と90年代の漫画でしか聞いたことのないことを言うのが世の中の兄全体が夢見る、理想の妹の姿だが、俺の妹は、「おい。もう8」の時点で目をぱっちり開ける。

怖い怖い。

美人が突然目を全開にしたら怖いって。

しかし、早く覚醒するのは悪いことではないので、言えずにいる。

こいつに恋人ができて、朝チュンした時が心配だ。

まぁ、現状その心配はいらないようなので、気が向いた時に言えば良いや。


「おはよう。兄さん」


そう言って、まっすぐ洗面台に向かう。すぐ起きられるだけでなく、すぐに動けるやつなのだ。

俺は、脳を少しずつ覚醒させるためにラジオをつける。聞いても聞かなくても良いおしゃべり聞く。

10分程聞いていると、徐々に脳が動き始める。

俺はノロノロと立ち上がり、着替えを始める。

着替えながら、昨日は原稿をどこまで書いたかを思い出す。あー。さすがに何も決めずに書き始めたのはキツかったか。

パソコンの電源を入れて、昨日、己が書いた駄文を読む。

しかし、書けば書くほど自分の学のなさが恥ずかしくなる。

俺が10代の頃に憧れた小説家達は、間違ってもこんなガキっぽい文章は書かない。

そんな俺が辛うじて小説家と名乗っても許される金額を出版社からもらえている理由は、書くのが無駄に早いからである。

昔から、物を書くのだけは早かった。

早かったというだけで、決して上手いわけではないのだが、15歳の哀れな俺は、自分は天才だと勘違いをして、大手出版社の新人賞に大量を駄文を送ってしまった。

しかし、どうしても小説家になることを諦めきれなかった俺は、あらゆる賞に応募し続けた。

その結果、今の出版社から、審査員特別賞という救済措置のような賞を頂きデビューすることができた。

これからは、文章を書いてお金をもらうんだ。

そう思ったら、気が狂ったように毎日原稿を描き続けた。

俺なんかの才能じゃ、周りの天才達に一瞬で食い殺される。そんな不安を紛らわすには、書くしかなかった。

とにかく書き続ける。締め切りを破るなんて言語道断。小さなアイデアも、書きながら物語にしていく。その方法しか、俺が生き残る方法がなかった。

そんなある日、突然妹がやってきた。


「あーあー。やっぱりこうなったかー」


呆れ顔でそう言う妹は、今日から一緒に住むという。

久しぶりに見た妹は、髪を金色に染めて、俺には名称すら分からないお洒落な服を着ていて、高校生の頃の妹とは、かなり雰囲気が違っていたが、家族ならではの安心感があった。

ふと、部屋を見回すと、おびただしい量のゴミが乱雑に転がっている。


「まずは、片付けから」


妹が凛とした表情で言う。


「はい」


2ヶ月ぶりの人との会話だった。



朝食は、妹が作ってくれる。

月曜、水曜、金曜がサンドウィッチで、火曜、木曜、土曜が白飯と味噌汁だ。日曜は、昼近くまでお互い寝ているから食べない。

今日は火曜なので、白飯と味噌汁の日。

キッチンから、味噌汁の匂いがする中、俺はようやくリビングに入る。


「もうできるよ」


「ありがとー」


2人でゆっくり食事をする。

会話はない。

お互い、朝は得意ではない。朝の平和なラジオだけが響く。

家族あるあるで、しょっちゅう一緒にいる故に、無理して喋らないが、無言の時間が苦痛ではない居心地の良い空間。

ずっとこのままでも良いと感じるが、そうも言っていられない現代日本。

活動しなければ。

今日は、担当さんと10時から打ち合わせ。

遅刻しても、ニコニコ笑って許してくれそうだが、そういう優しい人を待たせるのは、心が痛むので、早めに準備しなくては。


「ご馳走様。美味しかった」


「ん」


あと30分ほどで出なくては。

少し、急いで支度をする。

妹は、今日の大学の講義は午後からだからか、のんびりと漫画を読んでいる。あ、読みたかったやつだ。

気になっていた漫画の表紙の誘惑に耐え、一応、外に出ても許される格好になった。


「いってきます」


「ん?早いね」


「うん。戸締まりよろしくな」


「ウィ」


返事と受け取っていいか判断に迷ったが、あまり時間の余裕もないので、出発する。


「...」


毎度のことだが、外は少し緊張する。



池袋駅東口から徒歩8分の喫茶店。

開業と同時に入店。

昔から、時間ぴったりに目的地に着くように行動することに決めている。

遅れるのは論外。しかし、早く着き過ぎてしまっても、相手にいらない気を使わせてしまう可能性がある。そのため、待ち合わせ時間ぴったりに到着するのが、最適だと考えた。

今日も10時ぴったりに店員さんに促されて、テーブルにつく。

ちなみに、担当さんはまだ、きていない。

向こうから打ち合わせをしたいと言ってきたのだが、編集者は激務だ。俺程度の作家なんか待たせるのも仕方がない。

とりあえず、ブレンドを注文して持ってきた文庫本を読む。

辻村深月さんの『善良と傲慢』

エグい程面白い。

俺も26だし、主人公達の悩みが他人事とは思えなく、一緒に傷つき、一緒に考えている。頼むからハッピーエンドであってくれよ。

読み進めること20分、そろそろクライマックスというタイミングで、聞き覚えのある声がする。


「先生!お待たせして申し訳ございません!」


ぶっちゃけ、あと10分は遅刻してくれても良かったのに。

名残惜しく文庫本を閉じる。


「とんでもない。お疲れ様です。空梨からなしさん」


就活生のようなぎこちないスーツの着こなし方は、俺が出会った3年前から、変わっていない。よく言えば若い。悪く言えば幼い印象の彼女は、カバンからパソコンやら資料やらを焦って取り出そうとするものだから、いらんものまで出てきている。

ポケットティッシュ、化粧品、ペットボトル、レシート、お菓子、etc・・・。

20秒程、使えない時のドラえもんみたいな状態が続いたが、やっと資料を取り出すことに成功してた。


「重ね重ね申し訳ございません!さて、空白の打ち合わせにまいりましょう!」


空白。

俺の新作のプロットの名前。


「初稿、読ませて頂きました!」


謙った笑顔でそう言う空梨さんの手元には、付箋だらけの原稿用紙。


「では、気になったところを挙げていきますね」



そこから2時間、空梨さんからの作品の矛盾点、文法の誤り、表現の分かりづらさを指摘してもらい、それらをまとめた資料をもらった。

世間のイメージでは、小説家の仕事は原稿を書き上げたら終わりだと思っている人が多いと思うが、そうではない。

いや、中には担当編集が口を出す必要がない、完璧な完璧な原稿を書き上げ、後は出版社に製本してもらうだけの天才もいるが、俺は、それからもう一段階、仕事がある。

それが今日のダメ出し会だ。

言っておくが、俺はこの仕事が嫌いではない。

俺のような学のない奴が小説家で食っていこうとするのならば、一流大学を出た編集者に改善してもらはないと、とても世に出せるクオリティにはならない。

大事なのは俺が書きたい物を書くことではない。読者に楽しんでもらうことなのだ。

そのためには、まずは出版するに値するものにしなければ話にならない。この作業は、一人でも多くの読者に届けるための仕事であり、修業だ。


「ここは、談らくを分けた方が良いかと。あと、2章でいきなりキャラの距離感が詰まり過ぎているので、間に短いエピソードを挟むべきかと」


「はい」


「・・・相変わらず、先生は私はなんかの意見を素直に聞いてくれますよねー。私、こだわりのシーンも削っちゃってません?」


「こだわりのシーンは、無いので」


空梨さんは、野良猫の顔に猫じゃらしを近づけつけてみたけど、その瞬間逃げられた時のような悲しい笑顔になった。

しかし、すぐにいつもの、にへらとした笑顔に戻り、「さて、もうお昼ですねー。何か奢りましょうか?」と、メニュー表を広げる。

ただで飯が食えるのは、大変ありがたかったが、「すみません。妹が夕ご飯作って待ってるんで」と断ってしまった。



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