【全7話】ルピナス食堂

蕪 リタ

一角兎のお好み丼の日

 揺れるしっぽを携えて、今日も定位置である赤レンガ屋根のかわいらしい家にある丸窓の縁に座る。陽の光に反射した額の石が、ルフィナの好きな甘酸っぱいララの実のように輝いた。


「……おはようメロ」


 目を擦りながら近づくルフィナの頬に、日光で温まったふわふわの体を擦りつけた。ふにゃりと笑む顔の瞼は、まだまだ開かなさそうだった。


「ふあ……あったかいね」


 まだ寝ぼけてるな……

 ボフッと音をたてて、顔一つ分小さい愛しい人を腕の中へ閉じ込めた。


 顎に手を添え持ち上げれば、果実を齧るように唇を貪った。絡めとった舌は、熟れた果実のように甘い。フッと口の端から漏れた吐息ですら、甘く愛しい。

 チュッとリップ音を鳴らして離すと、伝う銀糸の先には頬をリノの実のように真っ赤にさせて目を瞠る彼女。どうやら目が覚めたようだ。めちゃくちゃ可愛いな、もう。


「そろそろ慣れたら?」

「…………ムリぃ」


 ルフィナは真っ赤な顔を隠そうと、俺の服の胸元に顔を埋めた。


 聖獣としてこの地に生を受け、愛し子にこんな感情を抱くなんて……誰が思うだろうか。世界を統べる女神様すら御しきれない感情を自覚した時には、つい森の一つを燃やしてしまった――あの時は、森の再生にルフィナへ迷惑をかけてしまった。


 迷惑をかけても俺を受け入れてくれた愛しい人は、人型姿の俺の腕の中で悶えている最中。愛しすぎて、思わず艶やかな紅玉の髪にそっとキスを落とした。ああ、こんな風に愛しい時間をともに過ごせるなんて。ルフィナをあの国には、その選択だけは感謝しかないな。

 いまだ悶えている愛しい人の頬を撫で、朝食に行こうと手を引いた。



 ***



 一度聞いたことがあった。洒落た名前、落ち着きのある内装。なのに、出すものはこの店に似合わない丼物と汁物のセットのみ。内容は仕入れた物で多少変わるが、このセット以外出さない。


 それはなぜなのか。


 店主はまだ若い。二十……いや、学生を卒業したばかりの十代かもしれない。それくらい見た目は若い。可愛い妹分だ。

 そんな彼女の得意料理は、店の用心棒である無愛想男曰“王都にある洒落たカフェで出るようなメニュー”らしい。通いはじめてから一切見たことはないが。まあ依頼であちこち動き回るハンター俺たちにとっては、いつもボリュームのある丼物を出してくれる上に旨いので、なんら不満はない。


 ないけど、気になる。


 だってさ、どこぞの“お嬢様”って見た目の女の子が作って出す物と、それを出す店がアンバランス過ぎて。


「ブランドさんたちおまたせ! 今日は一角兎のお好み丼に、緑ツバードとオークベーコンのスープだよ」


 出された盆の上には、香ばしい匂いを漂わせた削り節とノリ菜が揺れる丼に、脂ののったピンクに朝採れなのか色の濃い緑と所々浮いてるキビの黄色が目立つ春らしい色合いのスープが鎮座していた。


「削り節の下は……なるほど、玉子にソースですか。だからこんなにも香ばしい香りが舞うのですね」

「ああ、今日も美味しそうだな」


 右の眼鏡や左のキザ野郎の言うように、確かに旨そうだ。これは冷める前に頂きたい。

 聞きたいことを後回しにして、湯気立つスープの器へ手を伸ばした。


 盆を下げ、狩りへ行く前に一服する俺たちに茶を出してくれた店主。丁度良いと、先ほどの疑問をぶつけた。


「なあ、ルフィナちゃん。なんで、この店は“丼物”しかださないんだ? ルフィナちゃんの丼はいっつも旨いし、店だってルフィナちゃんに合わせて可愛いのに。他のメニューは出さないの?」


 確かにと横で頷くダリオの見た目は、俺と同じハンターには見えない。店主に負けないくらい整った容姿は、どこぞの“高貴な方”のようだ。実際らしいが。ま、口から出るのはいつだって“女を口説く言葉キザなセリフ”しかないから、気後れせずにハンターとして普通に接している。

 そんなダリオの口から息するように口説き文句キザなセリフが出る前に、ルフィナちゃんの声が聞こえてきた。


「だって、お客さんにはの作ったご飯、おなかいっぱい食べてほしいし。丼なら大盛り前提でいっぱい作れるでしょ? それに……」


 ほっほかのは……大切な人だ、けで、いいかな……って小声になって俯く彼女の耳は、リノの実みたいに真っ赤だった。可愛いな……斜め後ろでドヤ顔の無愛想男さえ目に入らなければ、良い目の保養なんだが。あ、メロ! わざと視界に入ってくんじゃねえッ!!

 ドヤ顔用心棒に目の保養時間を奪われた俺たちは、会計を済ませて次の依頼へとそそくさと足を扉の外へと向けた。


 

 あの時食べた丼は、弾力のある兎肉を噛めば噛むほど旨味が肉汁とともに口いっぱいに溢れ、玉子の甘さを引き立たせる甘辛ソースの後味がその肉汁をも甘く引き立たせていた。

 今日のメニューは、あの時と同じ一角兎の丼にナスの味噌汁だ。可愛い少女から綺麗な女性へと成長した妹分に盆をもらい、懐かしい思い出とともにナスの味噌汁へ手を伸ばした。

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