鹿島歴史史観
鹿島紗都
日本人はどこから来たのか?
昔からよく言われている「日本人の祖sンはどこから来たのか?」ではあるが、遺伝学、地理学、などを紐も解いていくと結構簡単にわかります。
日本人の血液型が1つに偏っていないことから、単一の祖先がずっと存在したというのは、おかしいのです。またよく言われるA型は農耕民族の系統を色濃く残しており、炭水化物で太りやすい。またB型は遊牧民の系統を強く残しており、乳製品によって太りやすいという傾向からも、多くの民族がミックスされているというのが正しいのだろうと思われます。
地学的にはユーラシア大陸の端に当たり、南方から暖流が北上している、寒流が南下していることからも、どちらからやってきても不思議でないというのは、当たっていそうです。稲作文化などは、大量の水を使用することから、半島軽油というより、中国南部から沖縄経由と考えた方が可能性は高いです。水田の遺跡、登呂遺跡など太平洋側に近い地域ですので、中国南方もしくは、タイなどのインドシナ半島あたりから伝来したというのが妥当に見えます。
中国北方でないのは、黄河流域では元々、大河が少ないために麦を主食とする文化が発達していることからも、半島経由ではなく、南方の人たちが日本海流に乗ってやってきた先に、今の静岡、和歌山、高知や南九州があったと考えるのが妥当と思われます。
最近は遺伝子的に調べると、日本人は中国南部やシベリアの方面に現在も存在する少数部族、または南太平洋の国々の人たちに近いものがみられるらしいです。
またなぜかオリエント(今のアラビア半島付近)の人たちとも言語的に近いものは存在するようです。
ただしなぜか近所の半島の人たちだけが、日本とも中国系とも遺伝学的には遠いというのが数年前の遺伝子の比較の論文で発表されています。
早い話、日本とは東に行くには厳しい状況であったたため、様々な方向からやってきた民族の混在した土地と考えるのが妥当であろうと思われます。
同時に半島の人たちと遺伝タイプに違いが大きいのは、この国と隣国の間に、長い間交流が少なかったというのが結論ではなかろうかというのが私の私見になります。 実際歴史をさかのぼると、仲の良かった時代がほとんどなく、ここ数十年戦闘がなかったのが不思議なくらいに見えるのが私的な感想とさせていただきます。
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