第161話 蝉時雨の再会
玄関の扉を開けた白雪は、目の前に夏の強い日差しに照らされた道と向かいのマンションの眩しさに、思わず目を細めた。
すぐ後ろから和樹も出てくる。
「今日も暑そうだな」
「そうですね……三十五度くらい行くとか行かないとか。暑いのにすみません」
「俺も行きたいと思っているから気にするな。とにかく駅に向かおう」
白雪の服装はベージュ色のノースリーブのワンピースに、帽子。
それに日除けのサマーカーディガンを羽織っている。
あとは日傘。
和樹はいつもの服装だが、ジャケットはない。さすがにこの暑さでは着ていく気にはならないのだろう。
白雪と和樹は二人並んで駅に向かった。
今日は、白雪の両親の命日なのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人で来るこの墓参りは、これで三回目。実は白雪自身も、命日に来るのは四回目だ。高校一年生の時は一人で来たが、その後、二年生の時からは和樹が常に一緒に来てくれていた。
この日は白雪はもう夏休みに入っているが、世間的には平日であり、和樹は無理だと思っていたのだが、和樹もしっかりと休みを申請していたらしい。
それが当然と思ってくれているのが、とても嬉しい。
電車で揺られること一時間あまりで最寄りの駅に着く。目的の寺まではそこからさらにタクシーで二十分。車の流れも順調で、予定通りに到着した。
時計を見ると、十時過ぎ。
とりあえずいつものように本堂に入りお参りをしたところで、後ろに人の気配を感じて振り返った。
「よお、久しぶりだな、白雪」
「え? ……おじい……様?」
「え?」
和樹も驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、間違いなく白雪の祖父、玖条定哉。白雪にとっては、実は中学卒業後、こちらに引っ越す前に会ったっきりだ。
京都の実家に何度か行くことはあったが、彼に会うことはなかったのである。
「どうしてここに……」
「そりゃ、白哉の命日だからな。まあ、三年以上墓参りにも来てない薄情な父親だが、さすがにいい加減来たくなったんだ」
そう言いながらも、三回忌、七回忌などの折には、儀式自体は京都でやったが、こちらにもちゃんと来てくれてはいたと聞いている。とはいえ、確かに毎年は来ていなかったのだろう。
次の十三回忌は来年。その時はこちらで白雪が主催するつもりだったので、次に会うとしたら、その時かと思っていたから、少し驚いた。
「あ、すみません。和樹さん。こちら、私の祖父の」
「ああ、白雪、紹介はいい。彼とは少し前に顔を合わせていてな」
「え?」
驚いて和樹を見ると、和樹も何とも言えない顔になりながらも、小さく頷いた。
それから祖父を見ると、こちらは少し悪戯が成功したような笑みを浮かべている。
とはいえ、普段京都にいるはずの定哉と和樹がどこで出会ったのか、まるで見当がつかない。
和樹は確かにたまに出張しているが、行先が京都だったことは――なかったように思うのだが。
「なに。彼が携わってるプロジェクトの協賛企業に、
「ああ……そういうこと、ですか」
だとしても顔を合わせる機会があったというのは不思議ではある。
玖条家の関連企業のいくつかには定哉の名前があるのは知っているが、事実上引退してるような状態のはずだ。
「まあとにかく墓へ行こう。白哉も待ってるだろうしな」
「は、はい」
定哉はそういうと、さっさと歩きだした。慌てて白雪と和樹がそれに続く。
「あの、祖父とはいつ……」
「今月の頭だな。理由は先ほど彼が話した通り、ではあるんだが……」
「私に教えて下さっても良かったと思うのですが……」
「すまん、なんか言いそびれていた」
さすがに『玖条』という珍しい姓で、関係者だと気付かない可能性はないだろう。となると、何を話したのかを言及されたくなくて黙っていたというのが一番無難な推測だ。
そうなると、とたんに何を話したのかが気になってしまうが、それに踏み込むのはさすがに違う。
三人は並んで白哉と雪恵が眠る墓の前までくると、軽く墓を掃除し、それから白雪がいつもの小さなハンバーグを墓前に供えた。
それを見て、定哉は何か思うところがあったのか――少し複雑そうな顔になる。
一通り終えてから、三人は静かに手を合わせた。
蝉の声がうるさいほどに響き渡っているが、それでもなぜかそれが静寂を感じさせる。
(お父さん、お母さん。私、とうとう大学生になっちゃいました)
両親がいなくなったのは、まだ小学二年生の時。その時から、なんともう十一年も経っていると思うと、驚くばかりだ。
あるいはもし両親が生きていたら――果たして和樹を紹介したらどういう顔をしただろうと思う。
なんとなく、母は喜んでくれそうだと思うが、父の反応が分からなかった。
生きていれば、今は三十八歳。
(和樹さんとは干支一回りほど違うんですね)
逆に言えば、そこまで離れてないともいえる。そんな人が義理の息子と呼ばれることには抵抗しそうな気がした。
もう反対すらできないだろうが。
ゆっくりと目を開くと、それを待っていたのか定哉がゆっくりと下がってから口を開いた。
「白哉は、本当に料理が好きでな」
定哉がそう言いながら、ゆっくりと寺の方に歩き出す。
白雪も和樹も、無言でそれに続いた。
「小学校の頃から、自分は料理人になってみたいというようになっていた。まあ正直に言えば、その夢は難しいだろうとは、本人も理解はしていたらしい。ただそれでも、料理を家でするのは続けててな。よく、俺や貫之にも振舞ってくれた」
「父が……ですか?」
「ああ。さっきのハンバーグ、あれ、白哉のレシピじゃないか?」
「そう……ですね」
「今度でいい。わしに白雪の料理を食べさせてくれないか」
「えっと……それは……」
さすがに和樹の家に居候している身では、勝手にそれを承諾はできない。
「いいんじゃないか、白雪。お時間がある時に、是非」
「おう、ありがとうな。そのうち連絡させてもらう」
そういうと、三人は墓参り客の待機スペースに入る。
ここは、空調も効いていて涼しく、かつ麦茶なども振舞ってくれる場所なのだ。
とりあえず三人とも一息を着く。
「月下さん、すまんが少し、白雪と話をさせてもらっていいか?」
「え?」
その提案に驚いたのは、むしろ白雪の方だった。
対して和樹は、あまり驚いた様子も見せずに頷く。
「分かりました。少し席は外しましょう」
「え、あの」
白雪の返事を待たず、和樹は待機スペースを出ていく。
ちなみに空調がある場所はもう一つあるので、そちらに行ったのだろう。
「えっと……おじい様。私に何か……」
「そうかしこまるな。別にいつぞやの貫之のようなことをすつもりは全くない。ただ、今後のことを少し確認したいだけだ」
そういうと、定哉は椅子に座る。
白雪もそれに倣って、向かい側の椅子に座った。
ここには他に人はいない。
外の蝉の声は今も響いており、それにわずかに空調の稼働する音が重なる。
「そうだな……まず聞いておきたいんだが、白雪、玖条家に戻るつもりはないんだな?」
その質問は予想は出来ていた。
そしてそれに対する、白雪の意思は明確であり――。
「はい。私は今の生活が続くことを望みます」
その白雪の言葉は、蝉時雨で満たされたその場所でもはっきりと、定哉の耳に届いていた。
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