第二部 一章 和樹の過去
第133話 新しい環境
大学が始まって一週間が経過した。
白雪はこの一週間、とにかく大学のカリキュラムの理解と、なんの講義を選択するかについて悩んでいた。
ちなみに、美雪とは基本的に行動を共にすることが多い。というより、朝もほとんど一緒に行っている。もちろん、孝之も一緒だ。
大学の講義は、必修である英語や第二外国語――ドイツ語を選ぶつもりだ――、体育、それに情報学概論等はすでに枠が決まっている。
それ以外は広く選べるが、教員や学芸員、あるいは司書を目指すのであれば、そのための必修も増える。
白雪は教員になるつもりはあまりないが、司書は少し興味があるので、一年時にとれる講義は履修しておくつもりだ。
ちなみに美雪は学芸員に興味があるようで、そちらの講義を選択しているが、あとの講義はほとんどが被る見込みだ。専攻が同じだから、当然といえば当然だが。
また、情報学部は元が文学部から分離した学部のため、文学部の講義も選択できる。そのため白雪は、単なる興味でいくつか趣味レベルの講義も選択するつもりだった。この辺りは和樹からの情報だ。
「意外に面白い講義が多いんだよ。面倒になったら、別に単位取らなくてもいいから、純粋に楽しめる」
そういう考え方があるとは思わなかった。こういう情報は、本当にありがたい。
人によっては、すでにサークルに所属してそこの先輩から情報をもらっているようだが、白雪は今のところサークルに属するつもりはないのもあって、そういう情報には疎い。この辺りは美雪も一緒だ。
なお、孝之は法律系のサークルにすでに入っているらしく、そこから情報を得ているようだ。当然だがそのサークルに属するのは法学部の人ばかりなので、白雪は美雪に有用な情報はほとんどない。
なお、大学にも『クラス』という概念はある。
専攻が同じであれば、基本的にクラスが同じになり、一部の必修科目はその単位で受講する。無論、美雪も同じクラスだ。高校のように学級委員がいたりということはないが、必然的に顔を合わせる頻度は高くなる。
そうなると当然出てくるのが――。
「玖条さん、履修する講義は決めたかい?」
必修はもう講義が始まっているが、それが終わった直後に、声をかけられた。
高校入学直後にも多くいた、白雪に異性として興味を持つ男性である。
確か同じクラスの男子学生だ。
ちなみに、情報学部の管理情報学専攻のクラスは、学生数は三十人。男子学生が十八人、女子が十二人とやや偏りがある。
なまじ、高校の時は『玖条家の令嬢』という、ある意味では『盾』があったので、そういう輩は少なかったわけではないが、多少抑制はされていた。
名家の令嬢という立場は、やはり多少気後れさせるものだったらしい。
だが、大学ではそれは知られていないし、白雪はすでに玖条家を事実上勘当された身だ。無関係といってもいいだろう。
「いろいろ考えてますが、全部はまだ決めてません」
とりあえず当たり障りのない言葉でやんわりと拒絶する。
「せっかくだから同じ講義を受けないか」
「……何故でしょう?」
「その、お互いを知るためにさ」
ここまで言われて、完全にナンパ目的だというのが分かる。
とたん、とても煩わしいとすら感じた。
同じクラスでこのようなことをやるその精神性は、さすがに辟易する。
高校ではここまで露骨なのはいなかったが、やはり大学生となる違うのだろうかとも思えてくる。
「結構です」
「そう言わずに。週末にちょっと会いたいしさ」
男子学生が強引に白雪の腕をつかもうとしてきた。
反射的に、白雪は腕を引いた。
空振りした手を、男子学生は残念そうに見たが、顔を上げた時、その顔が凍り付いた。白雪も、男子学生にそうさせるだけの顔をしてる自覚がある。
「そう気安く、女性に触れるのは好ましいとは思えませんよ」
「ご、ごめん。その、つい」
「そういう行為は、とても迷惑です」
それだけ言い切ると、つい、と踵を返して講義室を出た。
「ちょ、待ってくれ、玖条さん」
「しつこいよ、君」
間に入ってくれたのは、美雪だった。
「か、春日さん……」
ちなみに、美雪も白雪に負けず劣らぬ整った容姿の持ち主だ。
ただ、彼女は学校が始まって二日目に、口説いてきた男子学生に対して、新入生代表を務めた人物、つまり斎宮院孝之が自分の許嫁だと宣言している。
あらゆる意味で、さすがに彼を押しのけて割り込もうという気概のある男子生徒はいないらしい。
「そういう男は嫌われるよ、ホントに」
美雪はそういうと、白雪の手を取って歩き出した。
「あ、ありがとうございます、みゆさん」
「白雪ちゃんもズバッと言っちゃえばいいのに。好きな人がいますって」
「それは……そうなのですが」
だが、白雪としてはそれを大学で言ってしまうのは抵抗があった。
今はまだいいが、六月以降、和樹に伝わってしまう可能性があるからだ。
そうなると、和樹はおそらく自分以外だと思うだろうし、挙句余計な気を回してくる可能性もある。
そうなると、白雪としてはとてもいたたまれない。
それなら、好きな人がいるという事実を伏せておく方がマシだと思えるのだ。
「まあ……それは分かるけどね。でも、私は月下さんに会ったのはあの一回だけだけど、なんでそんな
「拗れてるって……」
「いや、だって一緒に住んでて付き合ってないって、そりゃ、もっと年齢離れてればわかるけど、八年でしょ? 普通に付き合う男女の年齢差としてはあり得る範囲だよ?」
こればかりは、最初の話をしていない以上、美雪にも理解はしてもらえないだろうし、さすがにそれは恥ずかしいので、今のところ話すつもりはない。
「なーんかまだ隠してる気がするなぁ。まあ、無理に聞く気はないけどさ」
そういうと、美雪はスマホを見る。電源を付けただけなので、時間を確認したようだ。白雪もふと腕時計で時間を見ると、ちょうど昼過ぎ。
「白雪ちゃん、今日はどうする? 帰る?」
「午後の講義をまたいくつか見てみたいですから食事します。学食ちょっと混んでるかもですが」
非常に巨大な学食を持つ央京大だが、それでもさすがにお昼時は混む。
とはいえ、それでも五分も並べばいいからいい方だろう。
「私もかな。孝くんは今日は午後は帰っちゃうらしいから。許嫁の私を置いていくから、私は白雪ちゃんと浮気します」
「あ、あの……?」
「じゃ、食事いこ」
相変わらずのノリに圧倒される。
ただ、それが決して嫌ではない。
実際、美雪がいてくれてよかったと思う。
一人では、先ほどのような場面でもうまく対処できなかったかもしれない。
その分、何か別のトラブルが起きる気もするが――それは多分、許容範囲だと思うことにしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最寄りのバス停まで同じ白雪と美雪は、そろってバスを降りた。
すでに夜になっている。
結局あの後、最後の時限の講義で気になるものもあったので、そこまでいたら、すっかり暗くなってしまった。
時刻を見ると、もう午後七時を回っている。
「遅くなっちゃったけど、最後の『神話学概論』はちょっと面白かったね」
「ちょっと今までにない視点でしたよね、あれは」
「問題は履修すると遅くなることかなぁ。でもま、面白いものを取らない手もないか」
美雪はどうやら履修するつもりらしい。
「じゃ、今日はこれで。また明日ね」
「はい、また明日」
バス停には少しだけ美雪の方が近く、美雪がマンションに入るを見届けてから、白雪は家に向かう。
エントランスに入り、郵便受けを確認した。
帰ってくるときの癖のようなものだが、たいていは和樹が先に回収している。
ただ、和樹は今日は出先に出ていて、帰るのは九時近くになると言っていたので、まだ郵便物は入っていた。
入っているのはダイレクトメールが数通。それはいつも通りだったが、滅多に見ない珍しいものを見つけて、白雪の手が止まる。
「往復……葉書?」
返信用の葉書がついたあれだ。
存在は知っていても、今時見ることは極めて稀で、悪いと思いつつ中が見えてしまった白雪は、その書かれた文字を読み取ったとき、首を傾げた。
「十三回忌法要……」
差出人、つまり施主は長谷優一。故人の名は父親である長谷秀夫とある。
住所は長野。和樹の故郷だろう。
十三回忌法要ということは、今から十二年前に亡くなった人ということだ。
「十二年前……あ」
和樹は現在二十六歳。今年の十月で二十七歳になる。十二年前というと、十四歳。中学三年生だ。
ふと、彼が中学で修学旅行に行っていないことを思い出した。
通常中学生の修学旅行は三年生の春。
おそらくはこの時期だ。
単に偶然一致してるだけか。
なぜか言い知れぬ不安を感じつつ、白雪は郵便物をまとめると、エントランスを抜けて、マンションに入っていった。
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