第108話 三度目の年末年始

 テレビからは、年末恒例の歌番組が流れてきていた。

 それを聞きながら、蕎麦をすする音がダイニングに響く。


「今年のお蕎麦も美味しいです、和樹さん」

「そりゃよかった。白雪の天ぷらも本当に美味しい」


 今日は大晦日。

 和樹と白雪は、結局三年連続で大晦日を一緒に過ごしている。

 例年と違うのは、去年までは元旦早朝に帰省のために早起きをしていた白雪だが、今年は帰省しないので、のんびりできるというところだ。

 もちろん、受験勉強のためだから、そう遊んでいられるわけではないし、実際、今日も夕方くらいまでは勉強をしていたらしい。


 ただ、今年も大掃除はやるというので、それには和樹が手伝いを申し出た。

 去年やってある程度勝手が分かってるのもあるし、さっさと終わらせるに限る。

 一方で和樹の家の大掃除は、白雪は勉強してる様に、ということで手伝わせなかったが、その反動か、その日の夕食は豪華だった。


 ちなみにクリスマスからこっち、白雪は冬休みに入ってるわけだが、ほぼ毎日和樹の家に――大掃除以外は――入り浸っている。

 ただ、さすがに勉強に集中するためか、ダイニングではなく奥の部屋――美幸と一緒に泊まった部屋――で勉強しているらしい。

 机は、小さな折り畳み式のものを貸している。


 和樹の方でも、実は年末でも多少仕事が入っていた。

 いよいよあと半年ほどで央京大での仕事が始まることになる。

 そのための引継ぎはまだ完了していない。


 とはいえさすがに大晦日なので、白雪は夕方にこっちにやってきた。そして、年越し蕎麦と白雪お手製の天ぷらで夕食となっている。


「なんか……二年前みたいですね」

「そうだな……ああ、そういえば去年は白雪が朝から押し掛けたっけ」

「そ、その節は……失礼しました……」

「鍵を渡したのは俺だしな。まああれ以後、さすがにやってないから別にいいが」

「ご迷惑だと思われるのは、嫌ですし」


 実のところ、迷惑というほどではない。

 ただそれでも、さすがに朝に女子高生が家にいる状況はさすがに良くないと思う。


「でも……今年は一つ、お願いが」

「お願い?」

「今日は、ずっと一緒にいたいです。初日の出、一緒に見たいなって」

「いや、それは……」

「今日だけです。ダメ……ですか?」


 白雪が少しだけ上目遣いで和樹を見てくる。

 白雪が意識してそれをやってるかは分からないが、その破壊力はすさまじいものがある。この『お願い』を拒否するのは、罪に問われるのではないかという錯覚――とまでは言わないが、断ってはならないとすら思わされる。


「……今日だけ、だぞ」

「はいっ」


 白雪が本当に嬉しそうだ。

 父親としてはこれで正解だと思う一方、どう考えても本当はまずいというのもまた、分かってはいるのだが、おそらく問題にはならないだろうと思うことにした。

 実のところ、これまでの二年以上の交流がなければ、間違いが起きてもおかしくないと言い切れる状況だろうが、白雪が家族として信頼しているからこその願いであり、それを裏切ることは和樹にできるはずもない。


 食事が一度終わってから、和樹が片付けをするのと、白雪は一度部屋に戻っていった。その間に、和樹も風呂に入る。


 白雪が戻ってきたのは、二十二時過ぎ。

 そして、なにやら色々持ってきていた。


「これは……?」

「実質徹夜するってことですから、食べ物を色々と。おつまみ的なものです」

「受験生が何やってるんだ……と言いたいが、まあ……白雪なら大丈夫か?」

「大丈夫です。これで落ちるようなことにはなりません」


 きっぱり言い切られては、和樹としても拒むのは難しい。

 それに実際、今日はもう十分に勉強していたとはいえるだろうから、とやかく言う事でもない。


 二人はそのまま定番の歌番組、そして年越し番組を見て――そして。


「明けましておめでとうございます、和樹さん」

「明けましておめでとう、白雪」


 このやり取りも今年で三回目。

 思わず二人で吹き出してしまった。


「今年もよろしくな、白雪」

「……はい。ありがとうございます、和樹さん」


 ほんの少し。

 ほんの少しだが、なぜかその言い回しが和樹には引っかかった。

 何か聞くべきことがあるように思えたが――その前に、白雪がスマホを見せてくる。


「あの、今年もできれば鎌倉に行きたいのですが……このお店が興味あって」


 白雪が見せてきたのは、鎌倉で話題になっているお菓子の店。

 クルミをたくさん使ったお菓子が有名らしい。


「まあ、初詣は行くつもりだったしな。ただ、今回はさすがに一日遊んで、というわけにはいかないぞ。まあ、合格したら考えてもいいが」

「それはそれで、ですが。合格祈願的な」

「まあ……いいか。四日でいいな?」

「はい」

「っていうか……今日を含めて正月はどうするつもりだ?」

「今までと同じつもりでしたが……さすがにお節料理をしっかり作るつもりはないんですが」

「……でき……るんだよな、そりゃ」

「はい。でもさすがに、受験生なので」


 白雪が作るお節料理というのはそれはそれで魅力的だが、さすがにそれを受験生にやらせるわけにはいかない。

 そもそもお節料理というのは、基本的に年内に作っておくものだ。


「まあ……お節料理的なものを買ってくるのはやってもいいが……」

「あ、でも明日はお雑煮を作るつもりは」

「まて。いつ寝るつもりだ?」

「……あ」


 どうやら本気で忘れていたらしい。


「えっと、じゃあ初日の出を見た後一度帰ります。それで、夕方にお雑煮作りにまた来ます」


 どうやら意地でも徹夜をするつもりらしい。

 そして、白雪は一度キッチンに入ると、なにやら手早く調理して――。


「というわけで、おつまみ第一弾。エビとマッシュルームとブロッコリーのアヒージョです」

「相変わらずの手際だな……」


 とはいえ、とても食欲をそそる匂いがあたりに漂っている。

 こんな時間に食べるのはどう考えてもよくはないのだが、一年に一回くらいは良いかと思う一方、白雪が受験生なのに、と思うが――。


(まあ、すでに受験が終わってる可能性もあるのか)


 正月明け早々に推薦入試の結果発表がある見込みで、つまりほとんど結果は出ているはずだ。

 それに合格さえしていれば、白雪の受験は終わる。


 それに、この合否の発表が年末年始を挟むというこのスケジュールは、本人的にも非常に中途半端な気持ちになる。

 それを紛らわせたいという気持ちは、分からなくもない。


「ま、いっか……お、美味いな」

「はい、こちらのパンをつけて食べるといいですよ。あと、チーズ垂らすのもありです」


 いつの間にか、フランスパンが切られて並んでいる。

 さらにチーズフォンデュなどに使うチーズまで用意されていた。


「白雪、むしろこっちが今日のメインか」

「かもです。なんか……楽しくて」


 気持ちは分かる。

 深夜テンションに加えて、多分だが白雪は徹夜するということ自体初めてなのだろう。


「ま、たまにはいいか」


 とりあえず暇つぶしのテレビ――はあまりお互いに興味のある番組がなかったので、結局ひたすら話し続けていた。

 話題は意外に尽きないもので、和樹の大学時代の話から、白雪の高校の話、さらにお互い行ってみたいと思っている場所など、話題はあちこちに飛ぶ。


 合間合間に白雪が美味しいつまみを出してくれるので、お酒が入ってるわけでもないのに、お互いずっと楽しく話していた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「別に……普通の日の出のはずなのですよね」

「そうだな。特別な意味を見出しているのは、人間側だ」


 朝の七時前。

 ついに東の空から太陽が見え始めた。

 二人がいる場所は、マンションからさらに山の上に登った場所。

 高台にある公園だ。

 この辺りでは一番高い場所である上、東側が開けているので、かなり遠くまで見通せる。

 同じことを考える人は他にもいるようで、何人かの人が同じように東の空を見ていた。


 ふと見ると、白雪が太陽に向かって手を合わせ、真摯に祈っている。

 和樹もそれに倣う。


(白雪の合格――いや、それは彼女の実力なら多分問題はない)


 それよりも問題は、その後。

 高校卒業という節目に、白雪に訪れる変化は、おそらく白雪にとっても厳しいものになるだろうという予感は、今では確信に近い。

 それは、に近い感覚。

 だからこそ――。


(白雪が望む未来を、掴んでくれることを――)


 和樹はただ、真摯にそれだけを願っていた。

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