第98話 後片付け

「お疲れ様でしたーっ」


 幾人かの声が唱和した。

 花火大会も終わった夜九時過ぎ。

 さすがに高校生組はもう帰るべき時間ということで、お開きの時間となった。


「皆さんお疲れ様でした。雪奈さん、佳織さん、唐木さんは……次は学校でしょうか」

「そうだねー。三年は登校日ないから、学校始まってからかな」


 白雪は塾に通ってないが、三人は塾の夏期講習で予定はかなり埋まっている。

 今年に関しては夏に会って遊ぶ、ということはお互い自粛となり、受験が終わったらたくさん遊ぼう、という約束をしていた。

 もっとも、白雪の状況がその時にどうなっているかは全く不透明だが。


 これで去年までなら勉強会を開くなどして、白雪の家に来てもらうということも可能だっただろうが、さすがに三年生の夏休み以降だと、もうそういう状況ではない。

 お互い志望校は絞ってきているから、その対策にそれぞれ集中していくべきだ。


 もっとも、今年もクラスは文化祭に参加する気満々な様子だったが――息抜きとしてはいいのかもしれない。


「それじゃ、姫様、またね。でも、ホントに片付け手伝わなくていいの?」

「はい、大丈夫です。大半は食洗器に入れるだけですし。それにもう遅いですしね」

「じゃあ姫様、お言葉に甘えます。本当に食事、美味しかったです」

「ありがとう、佳織さん」

「ありがとうございました、会長」

「唐木さん。私もう、会長じゃないですよ?」


 指摘された俊夫が「あ」と呟いた。

 もっとも、俊夫には『会長』と言われる方がしっくりくるのは否定できない。


「じゃあ皆さん、お気をつけて」

「はい、またねー、姫様~」

「本当にありがとうね、白雪ちゃん。あと、兄さんはちゃんと手伝うようにっ」

「分かってる。お前もさっさと帰れ」

「酷い~。兄さんが冷たい~」

「おー、よしよし。朱里さんが慰めてあげよう。こんなひどいお兄さんは放っておいていいからね」


 それを見た和樹がなんとも言えない顔になっているのが、むしろ白雪には面白かった。

 本当に、どれだけ仲良くなっているのだろうというのは驚かされるが。


「本当に美味しかったです。玖条さん、ありがとうございました」

「こちらこそ、沙月さんが来てくださって、楽しかったです」


 沙月との話は、ある意味では色々自分を見つめなおす理由にはなった。

 ただ、それだけに――やはり自分は、沙月のようになれないと思えてしまう。

 どこまでも後ろ向きな自分に呆れてしまうが。


 やがて、全員がエレベーターに消えると、白雪は振り返った。

 その先にいるのは、和樹だ。


「じゃ、片づけるか」

「私一人でも大丈夫ですが……」

「手伝わないと、あとで誰に何を言われるやら、だしな。あの広い台所なら、二人でやる方が効率もいいだろ」

「はい。じゃあ、お願いします」


 食器類は全部台所に運んでもらったが、さすがに十人分だ。

 この家の食洗器は和樹の家にあるものよりやや大きいとはいえ、さすがに一度には回せない。

 とりあえず入れるのが難しい大皿は手洗いとし、小さなお皿は食洗器で洗うことにする。

 ある程度の汚れは落とした方がいいので、和樹がぬるま湯ですすいで、白雪が次々に効率よく食洗器に入れていく。


「呼んでよかった、か?」

「そうですね。本当に楽しかったです」

「そうか。ならよかったが」


 和樹がそう言いながら食器を渡してくれた。


「ちょっと警戒しすぎたのかもしれません。もっと早く……と思わなくもなかったですが……」


 食洗器の食器の位置を調整しつつ、白雪は言葉を探す。


「でも、この家は確かに広くてみんなを呼ぶにはいいですが、やはり私は、和樹さんの家が好きです」

「そうか」


 一通り入れ終わったので、食洗器は先に回し始める。

 その後は、二人並んで洗い物を開始した。


「来年もできるかは……さすがに分からんが」

「そうです、ね……」


 そもそも、大学に進学させてもらえるのか、という疑問もあったが、実はこれだけは現状では保証してくれた。

 先日、伯父の秘書から、大学進学の意思の有無を問われ、即座に行くつもりだと解答したら、受験費用含めて、必要とされる経費が追加で口座に振り込まれてきたのだ。

 学習塾に行くだけの費用という事かもしれないが、現状白雪は塾に行ってないので、むしろ過剰と思える金額だった。

 この口座自体は白雪の個人口座なので、少なくとも振り込まれた金額を後で勝手に取り戻される心配はない。


「でもまずは、大学に合格しないとですからね」

「白雪の実力なら、大丈夫だとは思うがな」

「でも、油断大敵ともいいますし」


 実際、第一志望である央京大の情報学部はかなりの人気で、同大学の他の学部より難易度は高いし倍率も高い。

 おまけについ先日、産学官連携の大規模なシステム構築プロジェクトに関わることが発表されていて、それで注目も浴びているらしい。

 情報系では、最高ランクの国立大より難易度が高くなるという話もあるという。

 ただ、実は公募推薦も受け付けているので、白雪はまず、そちらに挑戦してみるつもりだ。


「今は私にできることをするだけです」

「そうだな。頑張れ」

「とりあえず、今は洗い物ですが」


 白雪の言葉に、和樹が思わず吹き出していた。

 つられて、白雪も笑う。


「そういえば、白雪は塾とか行かないんだな」

「考えは……したのですが。ただ、参考書や問題集でも何とかなると思えたので。そういえば和樹さんは塾に通われたのですか?」

「いや、俺も通ってない。ここからなら有名な塾も多数あるけどな。まあ成績はそこそこだったから、行かなくても何とかなるかと思ってな」


 それに、と和樹は言葉を続けた。


「受験のためだけに勉強するのはどうかって思いはあったな。まあ結局必要だからある程度は仕方ないが……大学に行ってから、何なら社会に出てからだって、勉強はずっと必要だよ。今も思い知ってる」

「そんなに……ですか?」

「ああ。俺が専門にしてる情報分野は文字通り日進月歩だが、他の分野だって同じだ。そういう意味では、やはり学生という身分は羨ましいよ。勉強だけしていていいなんて、社会に出たらすごい贅沢だと思い知らされる」

「そんなものですか」

「ああ。だから今のうちに、やれるだけのことをやっておけ。学生のうちにな」


 ただ、一番したいことは――多分叶わない。

 和樹と一緒にずっといたいという、その、一番の願いだけは。


 ふと、沙月の言葉が思い出された。

 自分で幸運を捨てている。

 そうしてはいないつもりでも、いわれてみればそうかもしれないとは思わされる。


 和樹と今こうしていること自体、ある種の奇跡。

 小さな偶然が積み重なった結果だ。

 それを『幸運』というなら、確かに幸運なのだろう。

 ただ、十年前、『幸福』と、そして幸せにあろうとする気持ちそれ自体を、白雪はすでに失ってしまっている。

 諦めてしまっている。


 あるいは、和樹がこの気持ちに応えてくれるという保証があれば、もしかしたらという気持ちはある。

 ただ、それはないと、白雪は分かっていた。

 和樹にとっては、白雪は家族であっても、恋人ではない。

 だから、この関係を変えること自体、おそらくそう考えてしまうこと自体が、和樹への負担になる。それに応えてもらえるか分からないし、少なくとも高校生である今の白雪では応えてもらえないという確信がある。


 自分がもっと大人だったらと思ったことは、一度や二度ではない。

 ただ、そうだったら自分の立場はおそらく今と全然違うものであり、和樹と知り合うことはあり得なかったのは確実。

 だからこれは、どうしようもない『運命』なのだ。


「どうした、白雪。考え事か?」


 動きが止まっていたのだろう。

 和樹の声に、白雪は我に返った。


「あ、はい、その、ちょっと考え事です」

「疲れてるなら休んでいていいぞ。俺だけでも十分だし」

「いえ、大丈夫です。もうちょっとですし」


 一瞬、和樹に任せてしまえばもう少し時間がかかって、それだけ和樹がここにいてくれる時間も長くなる、などと考えてしまっていた。

 そんなことをしても意味はないし、そもそも和樹に負担を強いるのは本意ではない。


「まあ、大丈夫ならいいんだが」

「んー。そうですね。じゃあ終わったら、ちょっと肩揉んでください。さすがに……疲れましたし」

「分かった、お安い御用だ」


 あっさりと請け負ってもらえたので、思わず予想外の幸運に、心が浮き立った。


「あ、いいのですか?」

「今日は白雪が一番頑張ったからな。そのくらいいいさ」

「じゃあ、是非お願いしますっ」


 その、ささやかなご褒美がとても楽しみになった白雪は、その後あっという間に洗い物を終わらせてしまっていた。

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