第91話 最後の夏休み
白雪の前期の中間考査は、まず満足できる結果だった。
ちなみに今回一番躍進したのは、雪奈だ。
彼女は初めて、総合点で上位十位に入ってきた。
俊夫は当然のように二位。
佳織も、今回は情報実技がそれほど足を引っ張らなかったのか、四位。
つまりこれで、生徒会役員全員が上位十位以内に入ったことになる。
なんでも、これは史上初らしい。
引き継いだばかりの生徒会はもう動き始めているわけだが、勉強で無駄にプレッシャーをかけているのでは、とまで言われているらしい。
さすがにそれはないとフォローしておいたが、相手がどう受け取るかは分からない。
とはいえ、受験生の夏休みは、基本的に勉強が第一である。
雪奈と佳織も、この夏は学習塾の夏期講習を受けるらしく、予定のほとんどは埋まってるらしい。
最後の夏に一緒に過ごせないのは少し残念ではあるが、こればかりは仕方ないだろう。ただ、花火大会の日程――今年も土曜日――は、夜を空けてほしいとだけお願いしている。どうするかは、まだ迷ってはいるが。
白雪自身は夏期講習などは当然だが申し込んでいない。
自由に使えるお金は少なからずあることはあるし、申し込むことはできるだろうが、そこまで無理に勉強しなくても、今のところ受験は何とかなる見込みだ。
ちなみに、第一志望は央京大、つまり和樹の母校である。
ここ数ヶ月進路については色々考えたが、やはり和樹に教えてもらった情報系をより学んでみたいという思いが一番大きいと思えた。
それに、ややひねくれたやり方だが、こちらでないと学べない学問を選ぶことで、京都に連れ戻されるのを防げないかという思惑もある。
その点、和樹も属していた央京大の情報学部は、他の大学にはないアプローチをしているコースがあるのもあって、白雪としてもとても興味がある。
自分自身、システムエンジニア向きかと言われれば、それは違う気がするが、システムの活用を考えるというアプローチはとても興味があるのだ。
夏休みに入ってから、和樹の家に行く頻度はほぼ毎日になっている。
だいたい朝の九時前に行って、昼食と夕食を一緒に食べる。
白雪自身は大抵はダイニングテーブルで勉強をしているし、和樹は当然仕事をしていて、お互い話すこともない。
そして、お昼を食べてから、白雪は夕方――昼よりはまだ少しだけ気温が下がっている――から買い物に出て、夕ご飯の買い物を済ませてきてから、夕食を作って一緒に食べてから帰るが、帰るのも夜の九時とかになることも多い。
つまり一日の半分、何なら起きてる時間のほとんどは和樹の家にいることになる。
和樹の家に行かないのは、彼が出張で一日以上留守にする場合だけで、打ち合わせなどで外に出る場合に、留守番を任されていることも多い。
多分、雪奈辺りだと『通い妻じゃん』と言いそうだと思うし、自分もそうだという自覚がある。
「本当に……そうならいいのですが」
それでも、この暮らしがとても素敵な思い出になるのは間違いない。
ちなみに今、和樹は家にいない。
仕事の打ち合わせで昼ごはんの後に家を出ていて、帰ってくるのは六時頃とのことだ。
今日は特に暑く、夜も気温が下がらず熱帯夜になるとのことなので、多分暑い思いをして帰ってくるだろうから、夜ご飯は冷やし中華の予定だ。
それに、和樹が帰りに
時刻を見ると、夕方の四時を少し回ったところ。
和樹がいると、時々和樹を見て少し気が散ることもあるのだが、いないと逆に過度に集中してしまい、予定していた勉強はすでに終わってしまっている。
それに、だいぶ疲れた気もした。
「んっ……ちょっと……身体が固まってますね」
手を組んで大きく伸ばすと、コキコキと鳴ったような気もする。
少し首を回してほぐすと、凝り固まった肩や首に少しだけ痛みも感じた。
そうしてふと下を見て――自分の胸が見えて、少しだけため息が出る。
春先に下着を買いなおす際に測りなおしたが、結局、去年から今年にかけて、ほとんどサイズが変わっていないことが判明した。
どうやらこの辺りで打ち止めらしい。
佳織に言わせると、『胸なんて大きくても肩が凝るだけです』ということだが、それはある人の言葉だと思う。少なくとも、標準的な――雪奈くらい――大きさがあればと思うが、どうやらそれも望み薄らしい。
それで自分の魅力が損なわれることは多分ないだろうが、ないよりはあった方が、少なくとも標準的には欲しかったと思うのは、贅沢な望みなのだろうか。
よく、好きな人に、という話は聞くが、だとしたらそれは実現不可能だ。
そんなことを頼んだら、確実に正気を疑われるに違いない。
それに、和樹がそんなことは気にしないタイプ――とまで考えて、そもそもそれ自体の仮定に意味がないことに気付いて心が沈んだ。
余計なことを考えているとさらに気持ちが沈みそうなので、勉強に戻ろうとするが、どうにも集中力が戻りそうにない。
しばらく無理に参考書を見ていたが、全く頭に入ってこないので諦めて参考書やノートをしまうと、ソファに移動してその身を沈めた。
「なんか……眠いですね……」
集中しすぎて脳が疲れたのか。
空調が効いていながら夕方の少し弱くなった陽射しが射しこむリビングは、どこか春の暖かな陽射しの中を思わせる気持ちよさだ。
なまじソファに座ってしまったので、急速に意識が朦朧としてくる。
「ちょっと……だけ……」
なんか夫の帰りを待ってる間に眠ってしまう妻ってこうなのかな、などと脈絡もない考えが一瞬浮かび――白雪は眠りに落ちていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
グラグラと、身体が揺すられたことで急激にに意識が浮かび上がってきた。
まだ目を閉じているので、視界は暗い。
ただ、何か声が聞こえてくる。
「おい、白雪、大丈夫か?」
「ふえ? あ、和樹さん、おはようございま……す?」
ぼんやりと開いた瞳に映ったのは、和樹の姿。
「……え?! す、すみませんっ。寝てたみたいで?!」
がば、と起き上がろうとしたのがまずかった。
和樹が顔を覗き込んでいたので、危うくぶつかりそうになり――和樹がかろうじて間に手を挟んだが、それでも白雪は止まれず。
「痛っ」
バチン、というような音を立てて、白雪の額が和樹の掌にぶつかった。
ただ、手が挟まっていなければ、確実にお互いの額が衝突してたので、文字通り間一髪だったと言える。
「あぅ……あ、す、すみません、和樹さん、大丈夫ですか!?」
「いや、俺より白雪は……大丈夫か?」
「あ、はい。その、それほど痛かったわけではないので」
額同士が衝突したら、今頃お互い悶絶していただろうが、和樹の手が間に挟まったことで、衝撃はあったが痛みはそれほどではない。
「寝ていたようだが、少し疲れたのか? 受験勉強は分かるが、無理は良くないぞ」
「だ、大丈夫です。その、眠気があって寝てしまったのは事実ですが……」
時計を見ると六時半。
ダイニングテーブルの上には、見慣れた焼売の袋が置いてある。
「す、すみません、すぐ食事の準備します」
帰ってくる時間に合わせて準備する予定だったのに、すっかり寝過ごしてしまったらしい。
慌てて立ち上がろうとして――バランスを崩してしまった。
「ふぇ!?」
床に転ぶ衝撃に思わず身体を固くしたが――その衝撃はいつまでたっても来なかった。
恐る恐る目を開くと、和樹の腕が、白雪の腰を支えてくれていた。
「す、すみませんっ」
「焦らなくていいから、ゆっくりな」
「は、はい……」
分かってはいたが、思った以上の安定感だ。
半ば抱き着くようになっている事実に、顔が紅潮するのが分かる。
その真っ赤になった顔を見られないように、白雪は立ち上がるとキッチンに向かった。
「疲れてるなら無理はしなくても……」
「いえいえ、大丈夫です。うっかり寝ただけで、むしろそれで大幅に回復してますから」
和樹の方を向かずにそう応える。
顔を見てしまえば、多分真っ赤になっているのがありありと分かるだろう。
白雪は和樹に背を向けた状態で大きく深呼吸をすると、心を落ち着かせた。
「すみません、顔だけ洗ってきますね」
そういうと、洗面台の方に向かう。
鏡で見た自分の顔は――やはり真っ赤だった。
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