第29話 誕生日とバレンタイン

「来週の月曜日、うちに来ないか?」


 いつもの金曜日の講義と食事が終わって、白雪が帰る前に和樹から呼び止められた言葉は、白雪にとって予想外のものだった。


「月曜日、ですか?」


 普段ならまず会うことはない曜日だ。

 最近たまに土曜日か日曜日のどちらかにお邪魔することもあるが、平日にはまず来ることはない。


「……何の日か忘れてるようだが。誕生日だろ、白雪の」

「あ」


 そういえば、正月のあの時、誕生日を聞かれて答えていた。

 白雪の誕生日は二月十四日。

 世間的にはバレンタインで盛り上がる日程だが、その日が白雪の誕生日なのだ。

 この日程故に、白雪はバレンタインで盛り上がれなかった。盛り上がるような相手がいなかったというのもあるが。


「せっかくだから、誕生会をしないかと思ってね。まあ翌日も学校があるからあまり遅くまでというわけにもいかないが」

「いいんですか?」

「もちろん。家族の誕生日くらいは祝わせてくれ」


 思わず飛び上がりたいほどに嬉しい。


「お願いします。じゃあ、頑張って料理を……」

「待て待て。白雪が作ってたら意味がない」

「あ……」


 気合を入れて料理を作ろうと思ったが、確かにその通りだ。

 無論、誕生会を開いて祝ってもらうためにもてなすという考え方も、国によってはあるとも聞くが日本では一般的ではないだろう。


「まあ、食事に関しては俺は自信がないから、あまり期待されても困るが、まあ外の力も頼るつもりだ。たまにはいいだろう」

「わかりました。では……楽しみにしています」


 月曜日は早く帰ってこよう、と決める。

 どうせバレンタインデーだから学校は浮ついているだろうが、少なくとも男子生徒にあげるチョコを用意するつもりはない。

 雪奈や佳織にはあげるつもりだが。


「じゃあまあ……学校終わったらで、十七時くらいでいいか?」

「はい、わかりました。遅れそうなら連絡しますね」

「ああ、頼む」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その翌々日の日曜日。

 白雪は自宅のキッチンにいた。

 目的はチョコレートの作成だ。


 男子生徒にあげるつもりはない。というか、義理チョコだろうが勘違いされたら面倒になるし、普段親しく話す男子生徒はそもそも皆無だ。

 なので、特に親しい雪奈や佳織にだけはあげることにしていているが、そちらは既製品で済ませる。

 ただ、和樹にあげる分は手作りする。というか、もともとそのつもりだった。


 バレンタインで手作りチョコとなると、小学一年生で父に贈った時以来だ。

 あの時は母に手伝ってもらってチョコクッキーを作った。

 かなりいびつな形で、実は後で食べたらとんでもなく苦かったが――父は美味しい、といって食べてくれた。

 あれ以来、バレンタインでチョコをあげたことはない。

 そもそも同性の友人にあげるのも初めてだ。

 雪奈と佳織の様な友人は、小中学生では――玖条家に入ってからはいなかったのだ。


「材料はこれでよし、と」


 菓子作りも一通りはできるし、作業に不安があるわけではない。

 ただ、小学校一年生以来、つまり実に九年ぶりに異性にあげるチョコレートということで、緊張していないといえば嘘になる。


 和樹はおそらくそれほど甘いお菓子は好きではない。

 男性は、なぜ甘いのが苦手な人が多いのだろうというのは不思議だが――父もそうだった――それは考えても仕方がないので置いておく。

 そもそも和樹の場合は、チョコレート自体あまり食べているのを見ない――お菓子などが置いてある場所にもチョコレートを見たことはほとんどない――ので、それほど好まないのだろう。

 そうはいってもせっかくのバレンタインであれば、チョコレートで勝負したいということで、選んだのは、抹茶生チョコレートである。

 コーヒー味と迷ったが、今回はお茶にした。来年はコーヒーにするつもりだ。


 作り始めてしまえば緊張もほどける。

 別に作るのが初めてというわけでもないので、三十分ほどでほぼ完了。

 あとは冷蔵庫で冷やすだけだ。

 一時間あまり冷やしてから取り出して、最後に抹茶パウダーをまぶす。

 それをきれいな箱に入れて包装して、作業は完了した。

 一つ味見をしたが、文句なしに会心の出来だった。


「明日が、楽しみですね」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「はい、雪奈さん、佳織さん」

「え、姫様、くれるの!?」

「既製品ではありますけどね」

「ありがとうございます~。じゃあ私からも」

「え。佳織、用意していたの? 私、してない……」


 放課後、そんなやり取りが行われていた。

 なお、遠巻きに見ている男子生徒が見え隠れしているが、無視している。


「私もあげる人なんてそういないですからねぇ。はい、雪奈ちゃんにも」

「ありがたや……」


 雪奈はなぜかチョコレートを掲げて拝んでいる。


「雪奈さんは誰かにあげないんですか?」

「うーん。まあ今度義兄になる人にはあげるけど」

「今度、義兄に?」

「うん。今度の四月にお姉ちゃんが結婚するの。旦那になる人って、うちの隣に住んでる人で、ずっと家族ぐるみの付き合いでさ。私も昔から遊んでもらってるからその人にはあげるけど、それくらいかなぁ」

「なんとなく背徳の予感」


 ごす。

 雪奈のげんこつが佳織を直撃した。


「い、痛い……」

「アホなこと言ってない」

「それにしても……お姉さんがご結婚って、ずいぶん早い……?」

「まあ早いといえば早いけど、お姉ちゃん大学出てるよ。私と八歳違うからね」


 思ったより年齢差がある姉妹だった。

 そういえば、ちょうど自分と和樹と同じ年齢差か。

 二十四歳なら結婚年齢としては早過ぎるというほどではない。


「おめでとうございます、雪奈さん」

「ありがとー。姫様に祝福されるとなんかお姉ちゃん幸せになれそう」

「それは関係ないと思いますが」

「気分だからいいの」


 結局雪奈は『明日チョコ持ってくるから!』と言っていた。

 一方的にもらうのは女子として悔しいというのは、なんとなくわからなくはなかったが。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「いらっしゃい、白雪」

「お邪魔します」


 十七時きっかりに和樹の家を訪れた白雪は、リビングに通されて少しだけ驚いた。

 料理が並んでいるのは想像していたが、普段自分があまり食べないものが多かったのだ。


「これは……」

「まあ、普段白雪が作ってくれているレパートリーに含まれてないだろうってものをチョイスした感じだ。弁当持って行ってるだろうから、サンドイッチはあるだろうが、ピザとかハンバーガーってのはないだろうと思ってな。嫌いだったら申し訳ないんだが」

「いえ、そんなことは。でも確かに……そういう料理はあまり食べないですね」


 ハンバーガーはファストフードで買うものという認識があり、そして白雪はそういう店にはまずいかない。

 まだ両親が健在だったころに数回ある程度だ。

 ピザは興味がなくもないが、さすがに自家製ピザは――やろうと思えば大型オーブンがある白雪の家ならできるだろうが――やる気はしない。


「でもこのハンバーガーって、小振り……ですよね?」


 食べた記憶はほとんどなくても、直近でも見たことはある。普通直径十センチ程度はあるものではないだろうかと思うが、これはその半分程度だ。


「うん、まあミニサイズだ。と言っても、パンズやパティは買ってきたものだけど、美味しいはず」

「え? じゃあご自分で?」

「まあそうだな。普通サイズのハンバーガーだと、一つでお腹いっぱいになってしまうだろうけど、これなら複数食べられるだろうから、いろいろ楽しめると思って。あとはパーティっぽくなるかな、と」


 確かに見た目に楽しいし、色とりどりでにぎやかだ。

 よく見ると挟んであるのも定番のハンバーグとチーズであったり、小さなカツであったり、レタスにアボカド、トマトなどもある。


「料理得意じゃないっておっしゃってましたけど、そんなことないって思いますよ」

「まあ……挟むだけだからな。あとでケーキもある。まあ買ってきたものだけど」


 白雪が椅子に座ると、洒落たグラスにわずかに泡立つ飲み物が注がれた。


「え、これって……」

「大丈夫。アルコールは入ってない。まあそれっぽい味がするってだけだが、気分だけだね」


 和樹も同じものを注ぐ。


「それじゃあ、十六歳のお誕生日おめでとう、白雪」

「ありがとうございます」


 グラスの飲み物を飲むと、ほのかな甘みとレモンの酸味が美味しい。

 食べ物は繊細な味付けとはいかないが、それでもどれもとても美味しかった。

 意外に野菜も多くて、栄養バランスも悪くない。


 一通り食べ終わると、和樹が席を立って――白雪がやろうとして止められた――ケーキを出してくる。

 こちらは小さなチョコレートケーキのようだ。

 それに数字の蝋燭を立てて火を点けると、和樹がパソコンを操作し――おなじみの誕生日の歌のメロディが流れる。

 歌うのは少し恥ずかしいのか、和樹は手拍子だけだが――それでも嬉しかった。

 歌が終わると同時に――白雪が一気に蝋燭を吹き消した。


「お見事。じゃあ、食べようか」

「はい」


 和樹がコーヒーも出してくれたので一緒に食べる。

 コーヒーの苦みとケーキの甘みが絶妙のバランスでとても美味しかった。


「ありがとうございます。こんな素敵な誕生日……小学生以来、です」

「それはよかった」


 伯父に引き取られて以降、誕生日をまともに祝ってもらった記憶はない。

 紗江が祝ってくれはしても、彼女はあくまで玖条家の使用人なので、このような場を設けることまではできず、ケーキをこっそりくれたくらいである。

 伯父は全く祝ってくれなかった――祝ってくれても嬉しいとは絶対思えないだろうが。


「あと、はい。誕生日プレゼント。まあ今回は……趣味に合うかどうかは自信がないんだが」


 きれいなリボンで口を縛られていて、一抱えほどもある大きな包みだ。


「開けてもいいですか?」

「うん、まあどうぞ」


 リボンを丁寧にほどくと、中から出てきたのは大きなウサギと猫のぬいぐるみだった。


「わ、可愛い……」

「気に入ってもらえた……かな?」

「はい、とっても。でも、なんかその、和樹さんにしては珍しいチョイスですね」


 クリスマスの時はボールペンだったのに比べると、今回は完全に女性向けと言い切れる内容だ。


「まあさすがに誕生日プレゼントまでああいうのでは、と思ったのと……妹が同じ年の時、ぬいぐるみが誕生日プレゼントに欲しいと言ってたのを思い出してね。その時、高校生にもなって、と言ったら何歳でも嬉しいから、とか言ってたから。白雪が美幸ほど子供っぽいかというと、違う気はしたけど」


 いろいろ悩んでくれたらしい。


「ぬいぐるみを買う和樹さんを想像すると、ちょっと楽しいです」

「別に普通だろう。まあ妹へのプレゼントだって言って包んでもらったわけだが」

「でも実際、たいていの女の子は何歳になっても、可愛いぬいぐるみは嬉しいですよ」

「白雪も?」

「もちろんです」


 改めてぬいぐるみを見ると、どちらもとても可愛い。

 お揃いのリボンが首のあたりについているので、何かシリーズなのかもしれないが、白雪にはわからなかった。後で調べてみようと思う。

 今の話だと、選んだのは和樹自身なのだろう。意外に可愛いもののセンスもいいらしい。


「ありがとうございます。大切にしますね」


 二つのぬいぐるみを抱きしめる。

 どちらもふわふわで、肌触りも抜群だった。


「あ、そうだ。私からも……」


 ぬいぐるみを一度袋に戻して、カバンから昨日作ったチョコを取り出す。


「誕生日ですけど、バレンタインでもありますし。どうぞ、チョコレートです」

「……ありがとう。けど、自分の誕生日にバレンタインって微妙だな、実際」

「そこは……まあ否定しませんけど、でも、プレゼントもらってお返しが出来るというのは、悪くない気分ですよ」

「早速いただいても?」

「はい、どうぞ」


 丁寧に包みが解かれ、蓋が開かれた。

 中には、格子状にきれいにカットされた、抹茶色のチョコレートが並んでいる。

 その一つを、和樹は付属されている楊枝で取り出して食べると、少し驚いたような顔になる。


「美味いな、本当に。これ、手作り?」

「です。甘いもの、あまり得意ではないと思ったので、お砂糖かなり控え目です」

「うん、合ってる。が、これならいける。すごいな」


 嬉しそうにもう一つ食べる。和樹はそこで蓋を閉じた。


「うっかりすると一気に食べてしまいそうだ。ありがとう」

「お気に召して何よりです」


 思わず頬が緩む。

 これだけ楽しい誕生日は、白雪の記憶にもほとんどない。

 その嬉しさがたとえ期間限定であっても、白雪はこの楽しさを一生忘れないでいたいと思っていた。

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