第一部 四章 近付く距離

第25話 初詣

 白雪の説明があった一月四日は彼女は素直に帰ったが、翌朝に『お礼をしたいので夕食を作らせて下さい』という連絡があった。

 ああいうことがあった後なので白雪の好きにさせたほうがいいと思い、了承すると――なんと二日連続でやってきた。


 ダイニングテーブルに並んでいるメニューは、今日は中華風である。

 使っている食材はどれも一般的なはずなのに、高級中華ではないかと思えるレベルで美味しい。

 それでいながら、栄養バランスもよく考えられているメニューである。


「ありがたいと言えばありがたいんだけど、まさか今後毎日というつもりは……ないよね?」

「さすがにそれは……。ただ、学校が始まるまでは……と思ってるのですが、ご迷惑でしょうか」

「学校はいつから?」

「来週ですね。今年は休みが少し長いんです」


 カレンダーを見ると、明日の七日が金曜日で、そのあとまた三連休だ。学校はその週明けからということだろう。


「迷惑ってことはないんだけど……あんまり連続されると、これに慣れて自炊で満足できなくなりそうで怖い」

「そうしたら毎日作りますよ?」

「いやいや、そういう問題じゃないから」


 白雪の距離感のある種のバグっぷりの原因は分かったが、それを白状した後の白雪は、もはや開き直っているようなところがあった。

 だが、白雪にとっては、和樹を父だと思っているということを隠さなくてよくなったとはいえ、和樹にとっての白雪は、まだ家族だと言い切れるほどにはなっていない。

 彼女が高校生だということを理解していても、時々見せる表情にはやはりどきりとさせられるものがあるのは、否定できない。

 少なくとも今はまだ、以前のように一週間に一回くらいがちょうどいい距離感だとは思う。


「まあ、学校始まるまでは……とりあえずいいとするけど、そのあとは以前通り、でね」


 白雪は残念そうな表情になるが、ここは和樹としても譲れない。


「わかりました。残念ですが。あとそういえば……明日はどうします? 金曜日ですが」

「あ、そうか」


 年末年始を挟んだので忘れかけていた。

 世間的にはもう平常通りになりつつある日程だ。


「うーん。でもまだ学校始まってないなら、今回は見送りでもいいかと……ああでも、食事を作りには来てくれるのか」

「はい、そちらはもちろん」


 なぜもちろんなのかと思うが、多分言っても無駄だろう。


「あとそういえば……和樹さん、初詣って行きました?」

「いや。二日に行こうとして挫折した」


 ここから歩いていける距離にあるそれなりの神社に行こうとして、あまりの人出に挫折した。あの時は友哉も一緒だったわけだが、挫折の理由の半分は彼にある。

 友哉が一緒だと恐ろしいほど人に――特に女性に――囲まれることが多いのだ。

 友哉も普段はその躱し方には慣れているが、初詣のあれほどの人混みでは、さすがに遠慮したいらしい。


「でしたら、よろしければ、土曜日にでも一緒に行きませんか。私も行ってなくて」

「あれ。実家では行かなかったの?」

「実家は元旦の早朝に行く習わしなんです。ですが、私が着いたのは早朝とはいいがたく……」


 それならやはり、前日のうちに帰っておくべきだったのではと思ったが、おそらく白雪は実家での時間を歓迎していない。初詣も、実家の人たちとは行きたくなかったのだろう。


 そもそも考えてみれば、『実家』とは言うが、彼女の両親はすでにいない。となれば、実家といいつつ、それは親戚の家か何かだろう。

 そこの人たちとの関係性は分からないが、あまりいいものではないのだろうとは推測できる。そのあたりの事情は結局聞けていないが、白雪が話す気になったらでいいと和樹は思っているので、無理に聞き出すつもりはなかった。


「なるほどね。まあいいけど……なら、平日のがすいてるだろうから、明日でもいいかな?」

「え? お仕事は……」

「別にどうにでも調整出来る身分だからね。わざわざ混んでいる週末に行くこともない。明日は打合せの予定とかもないし」

「わかりました。行くのは……近場で?」

「……と思ったけど、白雪って去年までは京都の方だったよね」

「はい」


 昨日お土産として八つ橋をもらったので、彼女が京都方面に帰省していたのは分かっている。

 また、高校になってから一人暮らしを始めたという事は、それまでは京都にいたはずで、つまりこちらでの正月は初めてだろう。

 せっかくこちらにいるなら、こちらの有名どころを案内してあげたくはなる。


「じゃあ、少し電車で移動するけど、こっちの有名どころ行こうか。まあ明日ならすいているだろうし、電車で一本で行けるし」

「どちらでしょう?」

「鶴岡八幡宮」


 白雪がぱっと嬉しそうな顔になる。


「ぜひお願いしたいです。行ってみたかった場所の一つです」

「じゃあそれで。時間は――」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 翌日の九時。

 やはり時間きっかりに白雪は和樹の家にやってきた。

 出かける準備を終えている和樹も、すぐに玄関から出る。


「おはようございます、和樹さん」

「おはよう、白雪。……なんか気合入ってる?」


 今日の白雪の服装は、全体的にシックな印象でまとめている感じだ。

 細かいところは和樹にはわからないが、普段の彼女がどちらかというとまだ子供っぽさを感じさせることが多い――清楚な幼さというべきか――のに対して、今日は大人っぽさを全面に出そうという印象だ。

 普段まずアクセサリなどはつけていないのだが、今日は腕に細いゴールドチェーンのブレスレットがついていて、それがさらに雰囲気を底上げしている。


「あ、その……一応、デートなのかな、と思いまして」


 指摘されて、白雪が恥じらうように頬を染めた。

 その仕草の可愛らしさは、和樹ですら一瞬呆けてしまうほどの破壊力がある。


「父親とデート……ってまあ、あるか」

「妹でもいいですよ?」

「そのあたりかなぁ」


 二人並んで駅に向かい、目的の電車に乗る。

 ここから三十分かからずに目的の鎌倉駅には着く。

 平日のこの時間の下り電車なので、座れるほどではないが人はかなり少ない。

 ただそれでも、和樹は人の視線を集めていることに気が付いた。

 集めているのは和樹ではない。白雪だ。


(距離が近すぎてつい忘れそうになるが……とんでもない美人だよな、白雪)


 電車の中でも、ちらちらとみられている。

 当の白雪はその視線に気づいていないのか、楽しそうに窓の外を見ていた。


「こっちの方に来るの、初めてです。いつも学校と家の往復だけでしたし」

「友達と出かけたりは?」

「あまり。休みにまで会うという友人は……今のところいなくて」


 恋人などの存在ついては聞くだけ無駄だろう。

 さぞ人気はあるのだろうが、考えてないのは明らかだ。

 そうしている間に鎌倉駅に着いて、二人は駅を出た。

 駅を出て少し歩くと、すぐに参道に出る。


「これが表参道である若宮大路わかみやおおじで……真ん中にあるのが段葛だんかずら。歩行者はまあこれを行くが普通かな」

「これが……」


 大きな道路の中央が一段高くなっている段葛は歩行者専用で、元は鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の時代に造られたとされる道だ。

 無論今あるそれは現代になって作り直されたものではあるが、だとしてもどこか歴史的なロマンを感じる。

 今でも鎌倉駅から八幡宮までいくならこの道を歩くのが定番で、正月の間は大変な人混みらしいが、さすがに七日目、しかも平日の昼間なのでそこまでの人はいない。


 二人はそこを並んで歩く。

 だがここでも、白雪は注目の的だった。行きかう人々の誰もが振り返っている。

 さすがに今度は白雪もその視線に気づいたのか、少し居心地が悪そうにしていた。

 やはり、人が多い場所は避けるべきだったかと思ったら――突然白雪が腕を絡ませてきた。


「し、白雪?」

「こうしてれば、少なくとも一人じゃないとわかってもらえるでしょうから」

「……まあ、親子には見えないだろうが」

「恋人か兄妹、でしょうかね?」

「無難に行けば後者だろうな」


 恋人がいたことはないのでよくわからないが、誠と朱里を見る限り、恋人同士ならもう少し甘い雰囲気もあるだろうと思う。

 白雪は白雪で、この状態に満足なのか、終始楽しそうにしているので、和樹としては若干の居心地の悪さはあったが、その程度は許容することにした。

 ほどなく境内に到着し、お互いに参拝を済ませる。


「何を願ったんだ?」

「一つは健康と平和ですね」

「無難だな。他にも?」

「秘密です。言うとご利益なくなるとも言いますし」

「最初のはいいのか」

「そっちは誰でも願うことですし」


 ということは、その願いは個人的なことということだろうか。

 まあそれ以上詮索する気はないので、会話はそこで切って、来た道を戻り始める。


「せっかくここまで来たんだし、どこかで食べて帰るか」

「お時間大丈夫なのですか?」

「ああ。今日は特に問題はない。どこか行きたいところはあるか?」


 すると白雪は少し思案顔になる。


「その、もしよろしければ、なのですが……。江ノ島って近いでしょうか」

「江ノ電ですぐだな」


 少し寒いが、せっかく平日の昼間に出てきたのであれば、そのあたりをめぐるのは悪くない。まだ時間は十一時前。あちこち行く時間は十分にある。


「じゃあ、行ってみるか。今日は湘南巡りだな」

「いいのですか?」

「まあせっかくここまで来たしな。たまにはいいだろう」

「……はいっ」


 嬉しそうに笑う白雪がとても可愛らしく見えて、和樹は思わず視線を外す。



 結局その日は、夜近くまで出歩いていたため――江ノ島でイルミネーションをやっていたのが遅くなった最大の理由である――白雪が夕食を作る時間もなくなり、二人で外で食事となった。

 白雪は終始、楽しそうにしていた。

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