白雪姫の家族

和泉将樹@猫部

序章 二人の出会い

第1話 事故未遂

 最後のキーをたたいた後、ほぼ反射的に保存処理を終えて、月下つきした和樹かずきは長時間同じ姿勢だったためにややこわばった体をほぐすべく、大きく伸びをした。

 それから大きく息をく。


 何度も仕様変更が入って本当にギリギリになってしまったものの、どうにか終わった仕事の成果――ファイル群を圧縮してひとまとめにすると、指定されたサイトにアップロードする。

 インジケーターが少しずつ伸びて、やがて完了を知らせるダイアログが出ると、もう一度大きく息を吐いた。

 その後、準備していた作業完了を知らせるメールを開き、送信ボタンを押下。

 コンマ数秒のタイムラグを経て、『送信完了』のダイアログが画面に表示される。


「終わったぁ」


 ふと時計を見ると、時刻は日替わりまで一時間半ほど。

 一昔前ならともかく、現代では深夜残業だのなんだの言われる時間だが……フリーランスである彼にはあまり関係のないことだった。

 もっとも、普段はこんな遅くまで作業していることはまずないのだが、今回の仕事は面倒だった。問題点は後で検討しておくとして、今は――。


「食事もしてなかったか……外に行くしかないな」


 誰がいるわけでもない以上、言葉にする必要は欠片もないのだが、一人だからこそ逆に言葉にしてしまうのが人間だろう。

 なにはともあれ、空腹を訴える自分の体の欲求に従うことにした。


 パソコンの電源を落として、パーカーを羽織り、財布をポケットに放り込む。

 世間的には、いわゆる秋のシルバーウィークとも呼ばれる期間の直前くらいだが、今日は季節を先取りしたような寒気が流れ込んだらしく、やや肌寒い。

 この時間に外食と言っても、営業しているのはコンビニか二十四時間営業のチェーン店、居酒屋くらいだが、差し当たって腹を満たすだけなら問題はない。


 残念ながら行きつけの店、というものはない。

 本当は家で済ませたいところだが、それはできない。

 あいにく備蓄していた食料がほとんど切れているのだ。

 今週は集中して仕事依頼にとりかかっていて、買い物にもほとんど行っておらず、今日の昼食で非常用としていた即席麺最後の一つを食べてしまったので、今は文字通り何もない。

 よって、家で作ろうとすれば材料から買ってこなければならない。

 駅前のスーパーであればまだ開いているだろうが、この時間から買ってきてそれから作るとかなり遅くなる。

 時間的に考えても、今日は外食で済ませた方が楽だ。


 マンションのエントランスを抜けて、歩道に出る。

 とりあえずどこへ――と考えたところで、この時間にはまず見ないものを見た。


 制服を着た少女――女子高生か。さすがにこの時間に中学生はないだろう。

 学校が遅くて、こんな時間になったのか。

 日本の治安がいいとはいえ、いくらなんでも遅すぎる。


 和樹の住むマンションは片側一車線の通りに面しているが、その道路に信号はない。

 きょろきょろと左右を見ているところを見ると、横断歩道を渡ろうということか。

 あまりの物珍しさに注目してしまったが、あまり見ているとむしろ不審者にされかねない。

 とりあえず店のある方へ歩き出そうとして――強烈な悪寒に襲われた。


 和樹はこの感覚を知っている。

 直後、反射的に走り出した。


 その、一瞬後。

 先ほどの制服を着た少女が、まさに横断歩道を渡っているところに――車が突っ込もうとしていた。

 ここはちょうど、坂の最も高いところから折り返したように下り坂になってから十メートル程度の位置で、つまり坂を上ってくる車は、直接はほぼ見えない。

 そしてこの道は街灯がかなり明るい。そのせいで、車のヘッドライトが坂の向こう側からくるのに、気付けなかったのだろう。

 その車は明らかに法定速度をはるかに超えた速度で走っていて、挙句にエンジン音がほぼなかった。電気自動車だったのか。


 まさに道を渡ろうとした少女が、強烈なヘッドライトに照らされる。

 人間、このような状態になると立ちすくんでしまうことが多い。

 そしてその少女もまた、その例にもれず――足を止めてしまっていた。


「危ない!!」


 和樹は走り込んだ勢いそのままに、少女の体を抱きかかえて跳ね飛んだ。

 直後、車が速度をほとんど落とさずに通過。

 和樹は転倒しない様に足を踏み込んだが、耐え切れず倒れてしまう。

 それでもなんとか自分を下にして地面に転がり、少女が怪我をしない様にかばうことには成功した。


「ぐっ」

 

 地面に当たった衝撃だけがあったので、多分車には接触していないだろう。

 頭を打たない様に、強く首に力を入れたからか、少なくとも頭部には衝撃はない。

 少女の頭を抱えているので、彼女も大丈夫だろう。

 全身を強く打ち付けてしまったが、それでも少女は何とか守れたと思えた。

 ただ、痛みで体が動かない。


「あ、あの、大丈夫ですか!?」


 どのくらい時間が過ぎたのか。

 痛みで意識を手放しそうになるのを、その声が少しだけとどめてくれた。

 すでに少女は和樹の手を抜けて、膝立ちになってこちらを見下ろしている。

 見たところ、少なくとも目立つ怪我はないように見えた。

 とりあえず少女に怪我はないらしいという安心感から、和樹は意識を手放していた。

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