対面の日

 ペドロが智也たちを連れて廃墟を訪れていたのと同じ日、別の場所でトラブルに遭遇している男がいた。


「おい、お前ら何なんだよ?」


 小沼秀樹は、目の前にいる少年たちに問いかける。しかし、返ってきたのは罵声であった。


「るせえ! てめえ、ハマコウ浜川高校だろうがコラァ!」


 少年たちから返ってきた言葉は、マトモな答えになっていない。秀樹は、面倒くさそうに身構える。

 もっとも、こうなることは既に予測してはいた。




 その日、秀樹は普通に帰ろうと駅前を歩いていたはずだった。だが突然、見覚えの無い少年たちに囲まれたのである。彼らはみな敵意を剥き出しにしており、今にも襲いかかって来そうだ。


「お前ら、ひょっとしてトウコウ東邦工業高校の奴らか?」


「るせえ! それがどうかしたか!」


 秀樹の問いに、ひとりの少年が罵声で答える。

 聞いた秀樹は、面倒くさそうに首を振った。浜川高校と東邦工業は、既に戦争状態に突入している。こうなることは予測していた。

 しかし、続いて発せられた言葉は、聞き逃すことの出来ないものだった。


「お前ら、昨日はこっちまで遠征して来たよなあ! だから、今日はこっちが遠征して来たんだよ!」


「んだと? 遠征? おい、どういうことだ!?」


 思わず聞き返す。まさか、こっちから遠征していたとは。

 次に返ってきた言葉は、さらに秀樹を驚かせるものだった。


「とぼけんじゃねえ! こっちはな、黒岩さんをやられてんだよ! こうなりゃハマコウ狩りだ! 全員ぶっ飛ばしてやんよ!」


 喚きながら、少年が電柱に蹴りを入れる。だが、秀樹はそんな動きなど見ていなかった。


「黒岩、だと?」


 東邦工業の黒岩。

 直接、顔を合わせたのは一度きりだ。薬師寺が死体となって発見された翌日、仲間を引き連れて浜川高校に乗り込んで来ている。

 もっとも、それ以前から黒岩の名前は耳にしていた。不良揃いの東邦工業でも有名な男であり、喧嘩だけなら三番目か四番目に強いらしい。彼が中学生の時から、既にあちこちで噂を聞いていたのだ。

 中学の時は、住む場所が違っていた。なので、秀樹と黒岩は直接ぶつかり合うことはなかったのである。その後、黒岩が東邦工業に入った……という噂も耳にしていた。

 しかし、その時の秀樹にとって、黒岩などどうでも良かった。高校入学の時点で、彼はそうした世界とは縁を切るつもりであった。

 そうした事情はともかくとして、黒岩はそこらの雑魚と違うのは間違いない。その男を叩きのめした者が、浜川高校にいるというのだ。


 いったい誰だ?


「おいコラァ! 聞いてんのかよ!」


 怒鳴ると同時に、ひとりの少年が襟首を掴んできた。だが、秀樹は両手で思いきり突き飛ばした。と同時に、右の上段回し蹴りを放つ―──

 秀樹の足の甲は、バランスを崩しよろけていた少年の側頭部に炸裂する。

 次の瞬間、少年は意識を失いバタリと倒れた。

 周りの少年たちは、ただただ唖然となっている。目の前で、自分たちの仲間が一撃で倒されたのだ。まるで格闘技の試合のように……こんな場面、路上の喧嘩では、まず見られないものだ。

 一方、秀樹は平然としている。すました表情で、彼は残りの少年たちを見回した。


「おい、俺にも教えてくれや。昨日、何があったのかをな」




 少年たちから聞いた話は、秀樹にとって全く想定外であった。

 昨日、東邦工業の数人の生徒たちが病院送りにされたのである。そのうちのひとりが黒岩だった。 しかも、それをやったのが浜川高校の制服を着た男たちだというのだ。


「そいつらは、名前を名乗ったか?」


 秀樹の問いに、少年たちは首を振った。


「いや、初めは標準の制服を着た奴しかいなかったって……ただ途中から、パーカー着た強いのが出てきて、みんなをボコったって言ってたよ」


 妙な話である。

 基本的に不良というのは、自己顕示欲の塊のような人種だ。「○○参上!」などとスプレーで書いたりするのも、要は自身のアピールのためである。

 喧嘩で勝った時などは、不良にとってまたとない機会なのだ。今回のような場合「俺は浜川高校の○○だ!」などと言っておけば、自分の名前は有名になる……少なくとも、浜川高校に通うようなバカな不良なら、そう考えるはずだ。結果、先走った者がいても不思議はない。

 しかし、今回の襲撃は違う。名前を名乗らず、東邦工業の生徒たちを叩きのめして去って行ったのだ。しかも、そのうちのひとりは黒岩である。

 そんなことの出来るのは、あいつしかいない。




 翌日、秀樹は二年の教室に乗り込んで行った。無論、浦田智也に会うためである。

 だが、またしても想定外のことが起きる。


「えっ、浦田っスか? あいつ休みっスよ」


 顔見知りの後輩が、恐る恐る答えた。


「んだと……」


 秀樹は、思わず顔をしかめた。奴は、つくづく使えない男である。せめて最低限、学校に来るくらいのことはして欲しかった。


「どうします? 今度、浦田が来たらシメときますか?」


 不機嫌そうな表情の秀樹を見て、案じ顔で聞いてきた後輩。だが首を振った。


「いや、いい。あいつには手を出すな」


 そう言うと、秀樹は教室を出て行った。こうなったら、智也には頼らない。自分で直接、ペドロに尋ねる。




「オカルト研究会ってのはここか?」


 声と同時に、秀樹はオカルト研究会の部室に乗り込んで行った。

 部室の中には、四人の生徒がパイプ椅子に座っていた。秀樹の姿を見るなり、怯えたような表情になったのが三人。うち二人は、見たこともない奴らだ。

 ただ、仁平の顔は知っている。広域指定暴力団である銀星会の幹部の息子であり、発達障害を抱えている……という噂は耳にしている。

 室内にいる者の中で、ペドロだけは違う反応をした。にこやかな表情で秀樹を見つめる。


「あの、何か用ですか?」


 ペドロは、落ち着いた態度で聞いてきた。浜川の生徒としては、似つかわしくない態度である。


「用ってほどでもないんだが……なあ、浦田って奴いるだろ? あいつと話がしたかったんだよ」


 言いながら、秀樹は皆の顔を見回す。その時になって、部屋の中の異様な雰囲気に気づいた。

 こちらを見ているのは、ペドロだけなのだ。他の三人は、秀樹のことを完全に無視している。彼など存在していないかのように。

 先ほどの怯えた表情は、何だったのだろう。まるで、タバコを吸っていたところを教師たちに見つかったかのようだ。


 待てよ。

 こいつらの表情、見覚えがあるぞ。


 事実、室内にいる者たちの表情には未だに怯えがある。それは秀樹が原因ではない。自身のしでかしたことの重さに今さら気付き、恐れおののいている。そんな雰囲気が感じられるのだ。

 それは、秀樹が昔よく見た風景である。イキがった挙げ句、喧嘩で必要以上に相手を痛めつけ、気がついたら相手が動かなくなっていた……そんな時、少年たちはいつもこう言った。

 こんなはずじゃ、なかったのに──


 そんな空気が漂う中、ペドロだけが秀樹に答える。


「浦田さんですか? 彼なら、今日は休んでいますよ。どうも、気分が悪いみたいで……そうですよね、安原さん?」


 いきなり振られ、小柄な少年がビクッと顔を上げる。童顔だが、頬がこけていた。目の下には隈が出来ており、昨日から一睡もしていないような雰囲気だ。


「えっ……あ、うん!」


 支離滅裂な口調で、安原は返事をした。その瞳には、恐怖の色がありありと浮かんでいる。誰に対する恐怖なのかは、考えるまでもなかった。

 秀樹は、この異様な空間に乗り込んでしまったことを後悔していた。部屋の空気に圧倒され、何も言えない。感情に任せ、気がついたら行動に出ていたが、その選択は間違っていた。

 ここは、完全にペドロが支配する異界なのだ。自分ごときに出来ることなど、何もない。


「ところで、浦田さんに何の用ですか?」


 尋ねるペドロに、秀樹はうろたえた。何と答えればいい?


「あ、ああ。ちょっと、奴に話があってな」


「何の話ですか?」


 言いながら、ペドロは立ち上がった。真っ直ぐ秀樹に近づいて来る。

 秀樹は笑おうとした。だが笑えない。顔の表情が、上手く作れないのだ。さらにペドロが近づくにつれ、心臓が高鳴り始めた。こんな経験は初めてだ。

 そう、彼の全身の細胞が告げている……目の前にいる男は、普通ではないのだと。


「聞いていますか? 浦田さんとあなたは、どういう関係なんですか?」


 淡々と、静かな口調でペドロは尋ねる。だが、秀樹は答えに窮していた。まさか、お前の動向を見張るために密かに連絡を取り合っていた、とは言えない。

 そんなことを言ったら、どんな目に遭う?


「いや、あの、あいつとは昔いろいろあったんだよ……ちょっと話も聞きたかったしな」


 苦し紛れに出た、とっさのセリフ。誰が聞いても疑わしいと思うことだろう。言っている秀樹ですら、己の馬鹿さ加減に腹を立てていた。

 だが、ペドロはその言葉に納得したらしい。


「なるほど。まさか浦田さんが、あなたのような有名人と知り合いとは思いませんでした。しかし浦田さんは今日、休んでいます。家の方に行ってみたらどうですか?」


「そ、それもそうだな。じゃあ、そうするか」


 ひきつったような笑みを浮かべ、秀樹はすぐさま退散する。




 部室を出た後、秀樹はびっしょりと汗をかいているのに気づいた。

 信じられない気分だった。秀樹は、数々の修羅場をくぐって来たはずなのだ。時には仲間たちと共に、時にはたったひとりで、集団の暴力の中を生き抜いてきた自負がある。

 だが、ペドロを間近で見てはっきりと分かった。奴は自分より、遥かに強い男なのだ。もちろん、浜川のトップである藤井でも相手にならないだろう。

 いや、強いとか弱いとか、そういう問題ですらないのだ。

 あれは、本物の怪物……自分のような人間が、どうこう出来る相手ではない。

 こうなったら智也の家まで行き、何があったのか聞き出さなくては……秀樹は、すぐさま智也の家へと向かって行った。


 ・・・


「何をしに来たんでしょうねえ、あの人は」


 誰にともなく言うと、ペドロは皆の方を向いた。


「さて、あなた方はいよいよ次の段階へと進まなくてはなりません。いいでしょうか?」


「つ、次の段階って?」


 宮崎が声を震わせながら聞き返す。すると、ペドロはニヤリと笑った。同時に、すっと宮崎の前へ移動する。

 そのとたんに、宮崎はガタガタ震え出した。自身でも制御できないほどの恐怖に襲われ、体を震わせている……そんな様子だ。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 そんな宮崎に、ペドロは静かな口調で語り出した。


「いよいよ、皆さんが次の段階に進むべき時が来たんですよ」


「ど、どういう意味?」


 震えている宮崎に代わり、安原が恐る恐る尋ねた。


「簡単ですよ。皆さんには、いずれ奴らと闘っていただきます。呪いを解くためにね」


 そう言うと、ペドロは立ち上がった。ゆっくりと歩き、窓を開ける。

 外には、不良たちがたむろしている。何が楽しいのか、大声で話しながら校庭をうろうろしていた。

 そんな外の風景を指差しながら、ペドロは言葉を続けた。


「あなた方は、このままだと永遠に怯え続けて生きることになりますよ」


「えっ……」


 安原が引きつった表情をペドロに向ける。しかし、ペドロはお構い無しだ。


「あなた方は、自分の犯した殺人という罪に打ちのめされ、絶望しています。二人とも、昨日は眠れていないのではないですか?」


 そう言われた瞬間、安原は驚愕の表情を浮かべた。


「な、何で知ってるんだ……」


「あなた方の顔を見れば、バカでも分かりますよ。いいですか、あなた方は自らの手でホームレスを殺してしまいました。しかし、ホームレスは未だにあなた方に取り憑いています」


「う、嘘だ!」


 不意に宮崎が叫んだ。すると、その恐怖が仁平にも伝染する。


「ヒッ! 嘘! ヒッ! 嘘!」


 机をバンバン叩きながら、大声で騒ぎ始める。すると、今度は安原が怒り出した。


「るせえぞ!」


 喚きながら、安原は仁平の胸ぐらを掴んだ。仁平の顔が、恐怖で歪む。

 その時、動いたのはペドロであった。安原の腕を掴み、強引にねじ伏せる。


「仁平さんに当たってどうするんです? もう少し冷静になってください。でないと、あなたの腕をへし折りますよ」


 ペドロの表情は落ち着いている。だが、その言葉が嘘でも冗談でもないのは明らかだ。掴まれた腕から感じられる腕力も尋常ではない。安原は目を逸らし、震えながら頷いた。


「よろしい。では、皆さんに言っておきましょう。僕にはね、見えるんですよ……霊と呼ばれるものがね」


 静かな口調で言った。そこには大げさな身振り手振りも、立て板に水のごとき言葉の羅列もない。あくまでも、普段と同じ喋り方である。

 しかし、今のペドロの言葉を疑う者など、この部屋にはいなかった。


「このままでは、あなた方はホームレスの霊に憑かれたまま、死ぬまで苦しむこととなります」


「れ、霊に?」


 呆然となりながらも、宮崎はどうにか声を発する。


「そうです。あなた方の苦しみは、生きている限り終わらないでしょう」


「そ、そんな……」


 宮崎は顔を歪めた。その時、ペドロが動く。音も無く近づき、宮崎に顔を近づけて行く。


「逃れたいですか? なら、僕のいう通りにしてください」







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